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第6章 追憶の先へ
6‐16 徐歩
「クロウス……行くのか?」
 暗がりの中、スタッツが木にもたれながらクロウスに話しかける。
「ああ。いつまでもここにいるわけにはいかない」
 そう呟きながら話すクロウスの表情からは解放感が多少伺えるが、どちらかというと憂いの方に満ちている。
 エナタと別れてから、二人は兵士の目を避け続けながらノクターナル島を走り抜け、ネオジム島へと辿り着いていた。途中でスタッツがエナタに関する情報を得たが、兵士の一人が事故で亡くなったと言うことだけだ。そしてその人が誰か、詳細は分からなかった。
 馬をノクターナル島から出る手前で別れ、マイワールに戻すよう頼んでから、橋を渡ろうとする。橋に検問が付いていることまで考えたが、全くそのようなことはなかった。若干顔を隠しはしたが、何も咎められもせずに通れたのだ。
 ネオジム島に渡り、さらに歩き続けて宿場町クルールに辿り着く。そこにはスタッツと提携している情報屋もいて、しばらく一部屋借りて泊めてもらうことになった。そこで二人は怪我の処置と今後について話し合おうこととなる。
 きちんとした傷の治療はすぐにでき、数日で怪我は治りつつあった。だがそれでも癒されないものはある。
 そんな中、スタッツが何気なくクロウスに今後のことについて聞いていた。
「なあ、これからどうする気だ?」
「少し考えてはいるが……。スタッツ、今、ノクターナル島はどうなっているんだ?」
「どうって、そうだなあ……」
 突然スタッツはいつも持っているノートを開きながら、クロウスに顔を近づけて小声で話し出した。
「グレゴリオが負傷したらしい」
「何だって!?」
 クロウスは思わず声を上げて驚く。スタッツはそれに対して睨み返しながら、人差し指を口に添えた。
「静かにしろ。これはかなり内密な内容だ。ノクターナル島で知り合った人から得た情報で、グレゴリオが包帯を巻きながらナハトに入って行くのを見たそうだ。だからしばらく色々とごたごたするぞ。あとは純血狩りを本格的にすると耳に挟んだ」
 そしてスタッツは腕を組みながら、真正面に視線を送る。
「あいつらにとってたかが平兵士一人脱走した所で何も痛くもない。今までだって前例はあったが、そいつらの行く末に構った事はほとんどない。例外として新聞社に記事を送り付けたやつだけは追手が差し向けられたそうだが。まあそれもノクターナル島でなく、他の島でひっそりとやればよかっただけだ……。だから追ってとかは気にしなくてもいい。そうは言っても、やはりノクターナル島にはしばらく近づかない方がいいが」
 クロウスはこくりと頷いた。スタッツに言われるまでもなく、ノクターナル島に戻る気はなかった。両親のことなど気になることもあったが、今の発言を聞いて大丈夫だとわかり、胸を撫で下ろす。
 すると急に、スタッツはぽりぽりと頭を掻きながら、気恥かしそうに意外な言葉を出した。
「クロウス、俺はこれから店を持とうと思っているのだが、一緒にやる気はないか?」
 クロウスはその言葉に一瞬固まったが、目を俯かせ、ほんの少し口を閉じる。そして手をぎゅっと握りしめながら、はっきりとその想いを言った。
「すまん。その誘いは嬉しいが、いい返答をすることができない。俺、少し外の空気に触れてみたいんだ。今まで兵士という閉鎖空間でしか世の中を見れていなかった。それに他の人がノクターナル兵士をどう思っているか知りたいし、何より……強くなりたい」
 何もすることができず、ケルハイトに振り回された揚句にエナタを置いて逃げた、という事実が今までにない感情を湧き起こす。
 それなりに強いと言われても、大切な人を守るべき時に守れないのでは、何も意味がない。
 強くなりたい、そう大切な人を守り抜きたい……っと、馬を走らせながら自分自身の中で何度も言っていた。
 敵から出会わないようにひたすら逃げる、守る人など作らないでたった一人で生きていく、今までのことが何もなかったかのように剣を捨てて変哲もない日々を過ごす……など、他にもいくつか選択肢はある。
 だがクロウスは剣も捨てず、ただ逃げ続けるだけでなく、いつか出会うかもしれないであろうエナタのような存在の人を守るために、強くなりたいと思ったのだ。
 そして国中を旅することで、今までなかった世界を体感し、様々な考えを得ることができるだろう。それも一つの強さ、知識をより多く持っているという強みを持ちたかったのだ。
 それはスタッツに何を言われようと揺るがない決断である――。
 スタッツは真っ直ぐに見つめられた視線に対して、ふっと微笑むと鞄から小さな袋を取り出した。そしてクロウスの前に置く。その時ちゃりんと小気味のいい音がした。
 中身は硬貨だろうか、訝しげに思いながらスタッツを見る。
「これは俺からの餞別だ」
「え、別にいいよ。少しくらいならお金はあるし……」
「そうは言ってもそんなにないだろう。そんな微々たる金、すぐに尽きてしまうぞ。何も後で倍返しにしてもらおうなんて思っていない。いや、金自体は返さなくていい」
「そんな、ただで受け取れ――」
「誰がただでやると言った。これを渡すには一つ条件がある」
 クロウスは息を呑んでその言葉を待つ。
「――俺とこれからも接点を持ってもらおう。旅をして手に入れた情報を些細なことでいいから俺に教えてくれ。それはいつでもいい。手紙でも電話でも直接会ってでも。これが条件だ。どうだ?」
 にんまりと笑みを浮かべるスタッツに思わずクロウスは苦笑してしまった。
 その条件で断る理由が全く見つからない。何を思ってそういう風に言ったのか謎だった。
「ああ、いいだろう。変わったことがあったら連絡するようにするよ」
「しばらくしたら、ネオジム島ハオプトのある部屋に来るといい。俺は基本、そこを拠点として生活している。しばらくはハオプトで大人しくいるつもりだから」
「わかった。ありがとう、スタッツ」
 そう言うと、スタッツはしっかりとクロウスの手に袋と所在をメモした紙を握らせる。その時に触れた手の温かみは感慨深かった。


 翌日、寝袋など旅をするのに必要なものを購入したクロウスはスタッツに別れを告げる。
 別れと言ってもまたいずれ会うのだからと、兵士時代と同じように軽く挨拶するだけだ。
 背中に必要なものを入れたリュック、腰に剣と貴重品の入った小さな袋、そしてエナタから受け継いだ石を胸ポケットにあることを確認してから、スタッツに軽く手を振る。
「じゃあな、スタッツ。元気でな」
「クロウスも。まあ無理するな。無理だったらいつでも俺の所に訪ねて来いよ」
「ありがとう。お前と出会って本当に良かった。それじゃあ、また会う日まで」
 そしてクロウスはスタッツに背を向けて歩き始めた。
 支え続けてくれた活発な少女を記憶の片隅に置きつつ、新たに広がる道に好奇心を抱き始めながら、静かに歩き出す――。


 * * *


 一頭の馬が颯爽と草原を駆け抜けていく。徒歩でも通行している人がいるので、時々すれ違う人に気を付けながらも、シェーラは馬を進めていた。
 二週間という休暇は少し遠出するには短い期間だ。だがそれでもきちんとした気持ちの整理をしたいと思い、遠出をして、ひたすらに馬を走らせて目的地に向かっている。その道は数週間前も通ったはずなのに、その時とは見る感じが全然違っていた。
 まだ完全には戻っていない体を労わりながら休憩を多く取る。
 そして局を出てから四日後に目的の場所に辿り着いた――プロメテが息を引き取った場所、ネオジム島の祈りの場所に。
 事件部の人が事後処理をしたためか、激しい戦闘のあった小屋ではなく、ただのぼろい小屋へと戻っていた。だが、地面に残るプロメテの魔法の跡は完全には消えていない。触れればまだ地の魔力が感じられる。死んでもなお魔力が残っている、それは相当な魔法使いであるという証であった。
 一歩一歩足を進めるたびに、シェーラは心の中が疼くように、気持ち悪くなってくる。所々に残っている血の跡が更に追いうちを掛けるようだ。
 そしてひっそりと置いてある石の目の前に来た。そこには血の跡が生々しく残っている。
 腰が抜けたように座り込み、その石に手を触れた。
 冷たかった――。
 ただの冷たい石。まるで自分の心の中を表しているみたいだとシェーラは自嘲気味に、呟いていた。
「死んでしまった生き物はもう戻らない。それは自然が循環するための一理……。だからどう足掻いても、どんなに泣いても戻らない者は戻らないのよ……!」
 我慢する間もなく目から涙が出てくる。過ぎてしまったことをいつまでもくよくよするのはよくないと分かっていた。
 誰もいない小屋で石に向かいながら叫ぶ。
「強くなりたい。このままじゃ、いつまで経っても変わらない。けど、どうすればいいの……」
 自問自答しながら、しばらくそこに座り込み、石に体を預けていた。


 数時間経ったのか、やがて日は落ち始める。辺りも暗くなり始めたので、さすがにシェーラは持ってきたランプに火を軽く灯す。その時にふと違和感がした。
 魔法が前よりも楽に使えた気がしたのだ。もう少し気持ち魔力を強めに込めていたはずだがと、訝しげに思う。
 シェーラは試しに主戦魔法の風を人一人くらい転ばせるくらいに感覚を思い出しながら出して見る。すると風は勢いよく出て、壁に大きなへこみを作り出した。
 掌を見返して、目を丸くしながら呟く。
「明らかに魔力が上がっている。……先生の魔力を受け継いだから?」
 魔力が上がることは嬉しいことだが、プロメテのことを考えると逆に心苦しくなる。しかしより強い魔法を出せることはわかった。
「これを使いこなせば強くなれる? 私がどんなに傷ついてもいいから、誰かを助ける力となれる? あいつらも倒せる?」
 誰も答えてくれるものはいない。
 傷だらけの体にさらに傷を付けてももう何も感じない。他の人が無傷で、もしくは傷が少なくて済むのなら自分が傷ついても、たとえ命を落とそうが今のシェーラにはそれでよかった。一度死と同然の身を持った者にとって、これから何をしようと後悔はなかったからだ。
 シェーラは立ち上がり、持っていた紐で黒い髪の毛を高い位置から大きく垂れ下がるように一本にまとめ上げた。そして必死に顔を擦りながら思い出すだけで涙が溢れる、目の前で先生が逝ってしまったこと――を心の奥底に閉じ込める。
 ――あのことを忘れるくらいに強くなろう。例え自分自身が犠牲になろうとも。
 そう意気込むとシェーラは小屋の中から出て行った、石が静かに輝き始めているのに気付かずに。その輝きはまるで一度ゆっくりと立ち止まれと言っているようだった。
 外に出れば肌寒い風が黒い髪をゆらゆらと揺らす。
 前までは風に当たり、戯れることが何よりも好きだった少女。
 だが昔のようにそんな風に見向きも、触れもせずにゆっくりと歩いていく。
 少女は新たにできた鬱蒼とした森に続いている道へ進んでいるのに気付いていなかった――。


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