第五十九話
破滅へ誘う呪いの剣と光を生み出す不敗の剣の一撃が高層ビルを破壊した。――否。それだけに留まらず、膨大な魔力が渦となり、結果、周辺の建造物は軒並み倒壊してしまった。
大規模な自然災害に遭ったかのような惨状を生み出した張本人たちは、既にそこに居ない。
闇夜を切り裂くように高速に移動しながら何度も剣を交え、駆ける度に地面に血を零していく。両者に残されている時間は少なく、秒単位で与えられた莫大な力は己を蝕む毒へと変わる。しかし、それでも本能的に二人は察していた。
この敵は死んでも殺さなければならない、と。
「――――ヅっ!」
クラウ・ソラスの剣が紫苑の脇腹を抉る。黒に染まった血が流れ出すが、紫苑は意識だけは失うまいと歯を食いしばって耐える。そして剣を振り切った黒慟にお返しの一撃を叩きこむ。
テュルフィングの斬撃が黒慟の体を縦に裂く。赤い血が噴き出し、紫苑の顔に付着する。両者共に通常ならば致命傷となる深手だが、しかし止まる気配が無い。寧ろ、その一撃をキッカケにして終わることのない連撃へと繋がる引き金とした。
「ォ――――オオオオおおおおおッッ!!」
紫苑の怒号と共に、一際鋭い剣戟音が響き渡る。
両者の実力は完全な互角。本来ならば一撃で勝負を決められるハズの一撃も拮抗している以上、この戦いは必然的に長期戦となる。
だがしかし――朱月紫苑と黒慟忌閻に残された時間は僅か。
呪いによって殺されてしまう前に、目の前の敵を殺すことができるか。
――――否。
必ず殺す。
この男だけは、オレが殺す。
共倒れなど御免だ。この手で、生まれてきたことを後悔させてやるほどに殺し尽くしてやる。
紫苑のその思いと共に繰り出される剣戟。それを黒慟は防ぎ続ける。
交差する黄金と黒の剣。
体を抉り、痛みが電流のように体中を駆け巡る。黒い血が目に入り、視界すらも闇に覆われて行く。だがそれでもその赫い瞳は決して光を失わず、黒慟を捉えて離さない。
鏡のように何度もテュルフィングとクラウ・ソラスは衝突している。それはまるで、どちらの剣が優れているか競い合っているかのようである。
「……ゴブッ、ゴホッ……!」
紫苑の体がくの字に折れる。
破滅の呪いが首を越え、左頬付近まで伸びてくる。もはや心臓まで達するまで数分程度だろう。僅かでも体を動かそうとすれば、それだけで激痛が走る。自分の体が自分のものでは無いかのように重く熱くなり、もう立っていられない。
今すぐテュルフィングを手放してしまいたいが、テュルフィングを手放すことはできない。それはこの剣を捨てれば黒慟に殺されるとか、そんな下らない問題ではなく、テュルフィングがそれを許さないのだ。
一度この力を使ってしまえば、死ぬまで戦い続けなけれならない。
過去にこの剣の力を使用した者は、それが一国の王であろうが卓越した実力を持つ騎士だろうが、例外無く非業の死を遂げている。
この剣は持ち主の望みなど叶えない。
力を欲する理由は人それぞれにあるだろう。
誰かを救いたいと願う者、力を手にして名を馳せたいと願う者、優れた王となって民を導きたい者。そして――――全てを奪った仇敵を殺すために、力を渇望する者。
そのいずれにおいてもこの剣は力を与えるが、代わりに所有者の全てを奪う。故に、紫苑が黒慟忌閻を殺したいと願ったその望みは、この魔剣が叶えない。その望みを代価として、紫苑に力を与えたのだから。
しかし――――。
「ハ、ハ……」
紫苑は小さく笑いながら、拳を作って――テュルフィングを殴りつけた。
ゴズ! という鈍い音が響く。
人間の体よりも遥かに強靭な刀身の魔剣には傷一つ入らず、代わりに殴りつけた紫苑の拳が潰れてしまった。
それでも、紫苑は何度も殴りつける。黒い血が飛び散ってもお構い無しに、殴りつける。
「魔剣如きが、オレを支配しようなんざ甘ェんだよッ! テメェは黙ってオレに従いやがれ、代わりに……オレの命をくれてやる。だから――テメェだけは最後までオレに付き合いやがれッ!!」
紫苑の言葉がテュルフィングに通じることは無い。そもそも、剣に意思など無い。テュルフィングは所有者を殺す魔剣。その呪いは既に紫苑の心臓にまで達しようかという域にまで伸びている。だからもう戦うこともできないハズだ。
なのにどういうわけか、体が軽くなった気がした。
それは呪いが和らいだのではない。死の呪いが、痛覚を犯して麻痺させてしまっただけだ。しかしそれで十分。
ニィ、と紫苑は口が裂けたように笑った。
眼前に佇む黒慟忌閻も既に痛みなど感じていないだろう。そんな人間らしい精神はもはや失っている。
アレは化物だ。
そして、化物を殺すのはいつだって化物の役目。
この命が果てる前に、あの男は自分が地獄に連れて行こう。
ドンッ! と地を蹴り紫苑が砲弾のように黒慟へ突っ込んで行く。その勢いを剣に上乗せして繰り出される剣戟の威力は凄まじく、黒慟を一気に吹き飛ばした。が、黒慟の背中から生えている翼が壁に激突する寸前に羽ばたき宙に舞う。
紫苑は跳躍し、追撃する。地面から十メートルほどの距離に浮いていた黒慟以上に飛翔した紫苑は、落下する重力の力を利用して剣を振り下ろした。ゴガッ! という金属音と共に火花が散り両者の顔を焦がしながら、紫苑と黒慟は物凄い速度で地面に落下した。
アスファルトの地面が砕け散り、粉塵が周囲を覆い隠す。だがそれは一瞬のこと。二人の剣風によってあっさりと薙ぎ払われ、粉塵は消えて行く。
間断無く続く剣戟の音。
肉を裂き、骨を砕き、臓腑を穿つ両者の戦いが直に終わりを迎えようとしている。
クラウ・ソラスが紫苑の脇腹に突き刺さる。黒い血が噴き出し、悶絶する紫苑の苦悶の声すら掻き消してさらに奥へと進んで行く。
「あ、ガッ!――――っ、こ、くどォォオオオオ!!」
紫苑は右手でクラウ・ソラスを鷲掴みにし、その侵入を止める。が、紫苑がクラウ・ソラスに触れた瞬間あり得ないことにその手を拒絶するかのように炎が噴き出した。
伝説に曰く――クラウ・ソラスは元々炎の剣とも言われ、全てを燃やし尽くす業火を生み出す剣なのだ。
肉の焦げた臭いが鼻腔を通り、嫌悪感を抱かせる。もしもテュルフィングが痛みを麻痺させていなければ、意識を失っていたかもしれない。
痛みを感じない紫苑は、焦げていく我が手に見向きもせずに黒慟だけをその赫い瞳に映し――テュルフィングを袈裟切りに振り下ろした。
黒慟の体が大きく後ろに仰け反る。だがクラウ・ソラスは手放していない。つまりまだ生きている。
歯の間から黒い血が流れ出す。口の中はもはや血の味しかしない。痛みは感じずとも自分の体がどれだけボロボロなのか、己の体故良く解る。しかし、それでも、あと少しでいいからもってくれ。
「ア、ああああああ――――ッ!!」
咆哮する紫苑。
それに釣られて黒慟も動き出す。
テュルフィングとクラウ・ソラスが交差し、互いを斬りつける。しかしそれでは止まらない。竜巻のような剣の打ち合い。
烈火怒濤の如く両者は剣を激突し合い、そして一歩も退かない。
もはや立っていること自体が奇跡であるというのに、その一撃一撃に込められた力は一振りで数十という人間を殺せてしまうほど。
力を望み、闇の中を歩き続けた両者の意地と意地の張り合い。全てを失った者と全てを得ようとした者が辿り着いた最果て。
それが破滅。
故に、退けるハズなど無い。
他の誰に負けるとしても、同じ末路を辿る目の前の敵にだけは負けるわけにはいかない。
「ア、カ、つき――――ッ!!」
言葉を発せないハズの黒慟が紫苑の名を叫んだ。
クラウ・ソラスが唸りを上げて振り下ろされる。
「こくどォオオオオ!!」
同時、テュルフィングが地面を削りながら逆袈裟に振り上げられる。二つの剣が衝突した瞬間、火花が迸り闇夜を照らす。その火花に一瞬目が眩み、黒慟は動きが止まってしまった。
しかし、同様に目が眩んでいるハズの紫苑は止まらなかった。
退魔師から化物へ進化した者と、化物から退魔師へ成長した者。
両者の違いはそこだけ。
しかし、その違いが二人を勝者と敗者として決定付ける最大の理由。
頭ではなく体に刻みこまれた数多の剣技。あくまで化物ではなく人として戦う術を教えられた朱月紫苑は、生き死にの戦場で動きを止めてしまうことは死に直結すると教えられていた。
それ故に、考える前にその場で最適の動きを体が知っていた。
双方共に剣を握る腕が弾かれる。
黒慟はその勢いを力ずくで制していたが、紫苑はその力に逆らうことなく受け入れ体ごと回転させる。
遠心力の力を付属させた一撃。
「―――――」
それを黒慟は金色に染まった瞳で見据え、刺突する。
弧を描く紫苑の剣と直線を奔る黒慟の剣。だから先に食らったのは紫苑だ。右胸に突き刺さり、肺まで届く一撃。だが、その程度では紫苑を殺せない。――否。死ぬだろうが、即死では無い。それならば、勝利は彼の手に。
「あ、ああああああああっ!!」
振り下ろされる一撃。
黒慟の体を袈裟に斬り裂いたその一撃は、斬るよりも破壊することに特化していた。テュルフィングの刀身に巻きつかせていた呪いが黒慟の体を打ち砕き、破滅へと導く。
深々と黒慟の体を斬り裂いた紫苑は、さらにトドメの一撃を繰り出す。刺突されたテュルフィングは黒慟の心臓を貫き、そこまでしてようやく――黒慟の動きは止まった。
互いが互いを貫き合っている形のまま、人としても蠱毒として完全に壊れた黒慟が小さく紫苑の耳元で囁く。
『――――地獄で待ってるぜ』
瞬間、突如空間に穴が空く。
その穴から飛び出したのは闇のような黒い腕。その腕が黒慟を鷲掴みにし、そのまま穴の中へと連れて行った。恐らくは、黒慟と契約した悪魔だろう。悪魔と契約するということは、つまり死後を彼らに捧げるということ。
黒慟は魂を悪魔に喰われるか、悪魔の手下として未来永劫使われる。新たな生を得るには、悪魔本体を殺さない限り不可能。
しかし、紫苑は同情しない。その結末は、黒慟自身重々承知していたハズ。
「……まァ、オレも大して変わんねェ、か……」
この呪いによって、朱月紫苑の魂は消滅する。――否。消滅、というよりは取り込まれるのだ。
破滅の呪いは、殺した所有者の嘆きや苦しみを喰らい、延々とその力を増していく。かつての所有者の非業の死は、この呪いを悪魔を殺すまでに強めた。そして紫苑という負を取り込むことで、さらに呪いの力を強めていくのだろう。
もはや足に力が入らず、立っていることもままならない紫苑は、ヨロヨロと後ろに下がっていき、何かにぶつかった。
壁か、と思ったが、そんな冷たく硬いものでは無かった。
僅かに視線をそちらに向けると、それは――――……
(……御神木。ハハ、こんな所まで来ちまったのか……)
街を駆け抜けた紫苑は、いつのまにか中央通りの、それも神が眠っているとされる御神木に凭れかかる形で腰を下ろしていた。
皮肉なモンだな、と紫苑は思う。
独りで死んでいくのは分かっていたが、それがまさか神様の眠る場所で死ぬことになるとは、と。
神様の目の前で、朱月紫苑は破滅の呪いによって死んでいく。それがどうにも可笑しくて、つい最期の時だというのにここに自分を連れてきたあの少女のことを思い出してしまった。
自分を友達だと言った、あのバカなお人好し。
朱月紫苑を“闇喰らい”と分かった上で尚、彼女は事の真偽を本人に訊ねてくるようなマヌケだ。そんなバカは、自分の知らないところで笑って生きていればいいのだ。こんな無様な負け犬に関わってはいけなかった。
「…………ハ」
だからバカなのだ。
未練なんて無かったのに。
いつ死んでも良かったのに。
あの少女のせいで、夢を見てしまったではないか。叶うことの無い、人間としての夢を。
「…………」
紫苑はふと空を見上げた。
空を覆っていた分厚い雲がいつの間にか消えている。たぶん、自分と黒慟が必殺の一撃を放った時に消し飛んだのだろう。紫苑は我ながらやるモンだな、と自画自賛しながら、
「――――愉快な夢を……ありがとよ」
もう会うことは無い少女に向かって呟き、ゆっくりと、目を閉じた……。
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