第五十五話
今にも斬りかかろうとする紫苑に対し、黒慟はどこかどうでも良さそうに、面倒そうに紫苑と相対している。その余裕が、紫苑は気に入らなかった。悪魔と契約して、自分など眼中にないとでも思っているのか、それともまた別の何かを気にしているのか。
とにかく、黒慟は“闇喰らい”を前にして『真剣』ではなかった。
と。
徐に黒慟が手を上げる。
「あん?」
紫苑が目を細めた、その刹那。
世界が闇に呑みこまれた。
「――――」
夜より暗く不気味な闇の世界。朱月紫苑はこの世界を知っている。かつて、この街の、この場所で戦った黒魔術師が創り上げた疑似世界。
それを、魔術師でもなんでもない黒慟忌閻があっさりと出現させて見せた。
「どうだ、俺とオマエがやり合うには相応しい世界だと思うだろ?」
「…………」
飄々と言う黒慟。それに、紫苑は素直に言葉を返せなかった。何せ、黒慟が魔術を使ったのだ。退魔師から蠱毒へと進化し、悪魔と契約した。それに加えてさらに魔術まで使えるとなると、ちょっと面倒なことになる。
しかし、紫苑のそんな杞憂はすぐに消えることとなる。
「安心しろよ。これは俺が創った世界じゃない。俺の知り合いが創った世界の壊れた部分を修正して、起動させただけだ」
「……修正、ね」
言って、紫苑は辺りを見渡した。
確かに、あの時はこの世界を創り上げた魔術師の姿を見ることはできなかったが、今はこうして黒慟の姿をその目で捉えることができる。
それに、唐沢は言っていた。黒慟とこの街に来ていたあの黒魔術師は繋がっていると。
そうなると、黒慟は初めから自分と戦うことを想定していたということなのか。自分と心置きなく戦うための闘技場として、この世界を創らせていた……のかもしれない。真実などどうでもいい。今目の前には殺すべきクソ野郎が居て、戦いの邪魔をする奴らも居ない。
ああ、この点に関してだけは、黒慟に感謝しなければならない。
「じゃァそろそろ、始めようぜ」
「ああ、そうだな」
言って、それぞれ武器を現出させる。紫苑が手にするは持ち主を殺す破滅へ誘う呪いの剣。そして黒慟が扱うは全てを凍てつかせる青い鎌――――ではなかった。
この闇の世界を真昼のように照らす、第二の太陽のような輝きを放つ剣。
神々しいその黄金の刀身から醸し出される威圧感は、数ある宝具の中でもトップクラスのもの。
あの光輝く剣を、紫苑は知っている。――否。裏の世界で生きる者は恐らく知らぬ者など存在しないだろう。アレはとある神々の四大秘宝の一つに数えられる剣。
名を光を生み出す不敗の剣と称す。
その名の通り、戦では決して負けることの無かった宝具。あらゆる敵を一撃で葬るほどの剣圧を備えた、最高峰の武器。
「行くぞ、あっさり死んでくれるなよ?」
言って、黒慟が迫る。
一瞬にして間合いを詰めた黒慟は、横薙ぎにクラウ・ソラスを振るう。対する紫苑は上段から剣を渾身の力で振り下ろした。
金色の剣と闇色の剣は衝突し、火花を散らせる。
(な、んだこりゃァ……!)
紫苑は力のみでテュルフィングを振るっているが、しかし黒慟は違う。黒慟はただ剣を振るっただけ。それだけで、全力の紫苑の一撃と拮抗していた。それは黒慟の力によるものではなく、単純な宝具としての格の違いによるもの。
神々が扱った剣と、人間が所有していた剣。
その違いが、今如実に現れていた。
「非力だな、餓鬼。オマエはそんなにも非力だったっけか?」
言いながら、黒慟は簡単に剣を振り切り紫苑を吹き飛ばした。吹き飛ばされた紫苑は空中で体勢を整え着地するも、その顔からは全く余裕がない。
剣と剣の戦いでは力が全て――とまでは言わないが、大部分を占めるのは間違いない。剣の腕に大きな差があれば別だが、拮抗する者同士ならば腕力で押し倒すことができる。事実、紫苑は剣の腕だけに視点を当てればそこまで優れているわけではない。
これまでの戦いでも、力で上回る敵と相対した時彼は必ず苦戦を強いられていた。
「さて、じゃあ今度はコレを試すか」
コレ? と紫苑が眉を顰めると、黒慟の立っている周辺に、光の球体が突如出現した。
「――――ッ!」
アレには見覚えがある。アレはあの女と戦った時のもの。それをどうして黒慟が――と紫苑が考える前に、ただでさえ凄まじい光を放っているクラウ・ソラスの剣に光の球体が取り込まれていく。
「せいぜい頑張って生き残ってみなぁ!!」
目を覆う光の粒子。
金色の刃となりて放たれる絶殺の一撃を、紫苑は瞬時に必殺の一撃をもって対抗する。
「くたばるのはテメェだ、黒慟ォォオオオおおおおッッ!!」
テュルフィングの刀身に赤い魔力を巻き付け、凝縮させる。赤く凶悪に輝くテュルフィングを紫苑は振り放ち、赤い魔力の波動は黄金の光の斬撃と激突した。
ゴッパァン!! と凄まじい破壊の嵐が巻き起こる。しかし、互角では無かった。
「――――!」
紫苑の赤い魔力の波動は、僅かに光の斬撃に抵抗はしたものの、それは一秒ほどしかもたなかった。
紫苑の一撃は掻き消され、光の斬撃が迫って来る。
「ク、ソ――――ったれがァアアア!!」
紫苑はテュルフィングの切っ先に魔力を集め、地面に突き刺す。すると、地面が砕かれ盾の役割となって光の斬撃の前に塞がる。が、しかしそんなものは殆ど意味を成さなかった。しかし、紫苑が欲しかったのは僅か一瞬。その一瞬で紫苑は全力で回避行動に移っていた。
そして、音が死んだ。
あまりの轟音により、紫苑の耳にはその音がどんなものだったのか正しく認識されなかったのだ。鼓膜が破れなかったのは、恐らく人ではない化物になってしまったからだろう。人の体より遥かに強靭な肉体を手に入れた紫苑の体は、そう簡単には壊れない。
加えて、紫苑は一秒にも満たない刹那の間に、十メートル以上あの一撃から距離を取っていた。それに紫苑の波動で多少は威力も削られていた。
そう。
考え得る中で最高の防御策を取って尚――――
「ガッ……ゴフッ!」
余波のみで今にもこの体が破裂しそうなほどのダメージを与えられた。
「な、ん……」
食道を通って血が口から吐き出される。そのせいで上手く喋れない。自分は確かに完璧な回避行動を取ったハズだ。それでもここまでの深手を負うなど、馬鹿げている。
体の至る所から流血し、内臓を負傷したのか吐血が中々止まらない。さらに三半規管も少しおかしくなったようで、視界が揺れている。
「おいおーい、たった一発でそれかぁ? あんまりガッカリさせないでくれよ、しおんちゃーん! 俺はさ、わざわざオマエをブチ殺すために綿密に事を進めてきたんだぜぇ? つまりはさ、今が物語で最っ高に盛り上がるシーンってぇわけだよぉ! わっかるかなぁ、しおんちゃーん! そんなテメェが、何あっさり地面に這いつくばっちゃってんだっつのぉ!!」
黒慟が罵声と共に一歩で十メートル近い距離を埋め、突っ込んだ勢いをそのままに、紫苑の顔面を蹴り上げた。首がガクン、と引っこ抜かれたように天を仰ぐが、しかしそれでもテュルフィングを手放さなかった。恐らくはただの意地だろう。この男は絶対に殺すと決めた、朱月紫苑に残された最後のプライド。
ふわりと足が地面を離れるが、しかし紫苑はそれをキッカケにして着地の瞬間にテュルフィングを地に突き刺し、支えにして立つことに成功した。
体はボロボロだが、しかしそれでも紫苑の戦意は微塵も薄れていない。そもそも、黒慟が力を手にしていたことは先刻承知。ただ致命的なまでにその力が予想より遥かに上だっただけの話だ。
黒慟忌閻がどれだけの力を有していたとしても、朱月紫苑は必ずこの男の前に立ちはだかるだろう。それはもはや、強いから戦わないとか弱いから戦うとか、そんな次元の話ではないのだ。
血がベットリと付着している口の周りを乱暴に腕で拭い――翔ける。
テュルフィングが横一文字に奔り、対する黒慟は上段からクラウ・ソラスを振り下ろす。先程とは真逆の剣筋だが、結果は変わらなかった。
クラウ・ソラスのたった一振りにも紫苑は耐えられず、弾き返されてしまう。
後退する紫苑を黒慟は逃さず追いつめ、次々に剣を振るう。一撃でも食らえばそれで終わりだ。しかし、ただの一撃も食らってはならないという戦い方は既に学んでいる。さらに、クラウ・ソラスは剣故に線の攻撃。それならば、何とか掻い潜ることも可能。
しかしそれでもさすがと言うべきか、クラウ・ソラスの剣を完全にかわしても尚、風圧だけで体が裂かれていく。だが――それでは死なない。
「っ!」
己の剣が当たらないことにイライラし始めた黒慟は、さらに剣の速度を上げていく。次々に繰り出される死の一撃を、紫苑は右に左に動いてかわしていく。それは蠱毒としての身体能力だけではなく、化物から退魔師という人間に成長した彼が手に入れた唯一の力。ただの人間でしかなかった彼が、特に優れた才能などなかった少年がひたすら努力した結果得た体捌き。
退魔師という人間に見切りをつけた黒慟と、退魔師という人間を目指した紫苑。
両者がそれぞれ歩んできた道の答えが、今現れ始めていた。
どれだけ強大な力を手にしたとしても、それで剣の腕が上達するわけではない。精々剣を振るう速度や力が増すだけだ。故に、慣れてしまえばどうということはない。
黒慟の剣が紫苑の右側を通過していく。風圧で紫苑の頬に一本の赤い線が走るが、それだけ。逆に、これ以上ない致命的な隙が黒慟に生まれる。
「――――テメェのヘタレな剣なんざ、当たりゃしねェんだよォッ!!」
怒号と共に、漆黒の閃光が黒慟の体を袈裟切りに裂いた。
鮮血が飛び散り、苦悶の声を上げて黒慟は後退する。
「ば、……かな」
痛み以上に傷を負わされた驚愕の事実に黒慟は体を戦慄かせていた。紫苑よりも遥かに強大な力を手にしたのに、どうしてこんな深手を負わされたのか、彼は理解できていない。
紫苑も深手を負っているが、しかし戦えないほどではない。
黒慟の剣を見切ってしまっている紫苑には、もはや黒慟の剣は届かない。力を求め過ぎた黒慟には、それを支える土台となるものが何一つ存在しなかった。敗因と言えば、それがそうなのだろう。
自身の敗北を理解した黒慟だが、しかしそれを認めることなどできるハズがない。
「殺す……殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!!」
黒慟の両眼が大きく見開かれる。涙腺から零れ落ちたのは涙ではなく黒く醜悪な何か。同時に、ズバン! と音を立てて黒慟の背中から衣服を突き破って漆黒の翼が出現。さらに、黒慟の中の蠱毒が悪魔の力に釣られて暴走を開始したのか、徐々に姿が人のそれから離れて行く。
爪が鋭く伸び、眼球は黒に染まり、瞳は金色へと変色した。肌が悪魔のような闇色へと変化し、クラウ・ソラスの輝きが一層黒慟の闇を際立たせていた。
退魔師から蠱毒へと進化し、光焔の能力を奪い悪魔と契約して最高位の宝具を手にし、どこまでも力を追い求めた男の末路が、目の前の醜い姿だった。
「…………」
紫苑はそれを見据える。体は戦えると言っても、目の前の化物には勝てない。もはや剣をかわせば勝てるといった段階は過ぎてしまった。アレは朱月紫苑を殺すモノ。
――――しかし、紫苑はそれでも尚笑っていた。
おかしくなったわけではない。
狂ったわけではない。
ただ、目の前のクソ野郎の、文字通り全てを叩き潰せることに歓喜しているのだ。
力を求めていたのは黒慟忌閻だけではない。朱月紫苑とてそれは同じ。
黒慟忌閻が悪魔の力を使うというのならば、朱月紫苑は悪魔を殺す呪いの力を利用しよう。
「黒慟」
紫苑はテュルフィングの刀身をゆっくりとなぞりながら、
「テメェのその闇――――残らず喰い殺してやる」
破滅という名の終局に向かって力を解放した。
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