第五十二話
(……朱月クンは妹さんを殺さなかったのか。彼も甘いな。それとも、彼女を油断させるのが狙いなのかな……?)
ビルの屋上から紫苑と巴の戦いを眺めていた唐沢は、闇に紛れてシルフの街を歩いていた。その顔には不満の色が浮かんでいたが、しかしそれもすぐに乾いた笑みに消される。これから“闇喰らい”がこの物語をどう締めくくってくれるのか、それが楽しみで仕方がない。
今まで一番近くで彼の物語を見てきたが、アレは実にイイ。
巫女と出会った辺りから、彼の中に迷いが生まれた。特にそこが良かった。『人』として巫女の側に居続けるか、それとも『化物』として生涯を終えることになるのか。その二つの選択肢から、彼は後者を選んだ。だから――面白い。
彼がどんな最期を迎えるのか想像するだけで震えてしまう。彼はあの負け犬と違って復讐を成し遂げられるのか、それとも悪魔の炎に焼かれてしまうのか。そのどちらだとしても、きっと素晴らしい死に方をしてくれるはず。
「ふふっ……はは、ははは」
思わず笑ってしまう。
やはり、人が生涯の中でもっとも光輝くのは死した瞬間だろう。悪魔の生贄になったリゼットの最期は見ることができなかったが、元よりアレには然程期待していなかった。やはり彼の死に様が見ものだ。
と。
「――――唐沢継光」
背後から体を射抜く様な鋭い声が響いた。
振り返ればそこには赤と白の色彩が施された和服を着ている、光焔八雲が居た。そしてさらに、唐沢を取り囲むように光焔の術者が配置されている。
「諸悪の根源であるあなたを拘束します」
言うと、同時に一斉に光焔の術者たちが唐沢に有無を言わさず取り押さえた。関節を極め、持ってきていた拘束用の縄で縛りつけ、顔を地面に押し付ける。
「イタタタ、乱暴だなぁ、八雲ちゃんは」
その一言が余計だった。気易く名を、それも自分たちの当主をちゃん付けするなど許せることではなかった。唐沢を押さえつける従者はさらにその力を強め、関節を一層極めて激痛を与えさせる。
「だぁから、痛いって。ホントに外れちゃうよぉ」
本当にそう思っているのか、唐沢は薄く笑いながらのんびりとした口調で言う。
それに対し、八雲は。
「この者を屋敷に連行しなさい。尋問はそこで行います」
冷静に事を進め、従者はそれに従い唐沢を乱暴に立たせて連れて行った。
澪奈が巴を連れて屋敷に戻ると、何やら騒がしかった。会議が行われていた部屋ではいくつもの罵声が発せられ、聞くに堪えない。
(なんだ……?)
澪奈がそちらを覗きこむと、部屋の中央に縄でグルグル巻きにされ、無数の傷を負った唐沢継光が居た。
「――――澪奈さま」
と、澪奈の帰還に気づいた神夜の従者が平伏し、澪奈と巴の生還に安堵の表情を浮かべている。
澪奈は従者に巴を預け、傷の手当てを任せた。そして唐沢の方へ近づいていき、尋問を開始する。と言っても、既に唐沢は手荒く尋問――拷問とも言う――をされており、顔には青紫色の痣がいくつもできてしまっている。服で隠れて見えないが、恐らく体中痣だらけだろう。
しかしそれは当然の報いなので、澪奈は同情しない。
「情報屋、か。お前には訊きたいことがたくさんある。話してもらうぞ」
澪奈が言うと、唐沢は畳にグッタリと倒れ伏していた体を起こし、ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら、
「あぁ巫女さま、巫女さまかぁ……はは、やぁっと来たねぇ。待ちくたびれちゃったよ。ほら、見てよこれ。酷いよねぇ、ここの人たち、すぅぐ暴力で解決しようとする。まったく、どこまで低能なんだか」
瞬間、神夜と光焔の従者が唐沢にさらに殴る蹴るといった暴行を加えるが、しかしそんなことをしても何の意味も無い。そのことを八雲も分かっているのか、彼女は唐沢に暴力を振るっている従者を視線だけで制した。
それを確認した澪奈は、唐沢に問う。
「……“闇喰らい”の居場所を教えろ」
「単刀直入だねぇ。キミ、結構大胆なタイプだろ?」
「御託はいい。お前は訊かれたことのみ答えろ」
戯言は聞きたくない、と唐沢の飄々とした態度を切って捨てた澪奈。それに対し、唐沢は特に驚いた風でもなく、寧ろ澪奈の到着を待っていたかのように先程とは打って変わり、その情報を吐露し始めた。
「えぇっと、何だっけ? 朱月クンの居場所だっけ?」
澪奈は静かに頷く。その際、僅かに澪奈の表情が曇ったのを唐沢は見のがさなかった。まるで愉快なイタズラを思いついた子供のような顔になった唐沢は、逆に澪奈に問い返した。
「教える前に、巫女さま。教えてくれないかな。キミは朱月クンをどうしたいんだい?」
「…………」
「僕が場所を教えたら、キミは朱月クンの所に行くよね? そこでどうする? 殺すのかい、彼を?」
「…………」
「ただ彼の死を願っているのなら、彼を泳がせておいた方がいいよ。放っておけばアレは勝手に死ぬだろうから」
「――――それは、どういう……」
聞き逃せない唐沢の言葉。
それに澪奈が反応したことが嬉しいのか、唐沢はさらに奇怪に笑いながら、
「物事には必ず理由というものが存在する。彼がどうして黒魔術師を追っていたのか、それに対してもキチンと理由はある」
「だとしても、無関係な人間を殺していいという理由にはなり得ません」
八雲が間に割って入る。
確かに彼女の言うとおり、どんな理由があろうとそれで他人の命を奪っていい道理など存在しない。それは一度戦ったことのある八雲だから言えるセリフ。
「そうだね。そのとおりさ。彼は罪を犯した。そして罪を犯した彼は、裁かれなければならない。けれど、キミたちに彼を裁く権利などありはしない。彼を裁くのは、彼自身だ。彼はこの道を進むと決めた時から、そのつもりだった。――だから、キミたちが彼を殺す気なのだとしたら、それは無駄な事なんだよ。だって、放っておけば勝手に死んでくれるんだから。逆に、彼を下手に刺激すれば暴れ回って、それこそ無意味に人が死んでしまう。そんな愚かなことは、キミたちもしたくないだろう? なら、ここは大人しくしているのが妥当だ。違うかい?」
口早に述べられた言葉。
その言葉が脳に浸透するのに、数秒の時間を要した。
そして、思う。
「彼が、死ぬ……?」
理解した脳が疑問として言葉にしたのが、これだった。唐沢は彼が死ぬと言った。元からそのつもりだと。人の命を奪ったのだ、その罪は己の命で贖うしかない。それは確かに理にかなっている。自分たちも彼を捕らえ、殺すつもりだったのだから。
けれど、どうしてだろうか。
彼が死ぬということが、まるで現実感がないのは。
「そう。死ぬんだよ、彼は。だからさ、このまま放っておいてあげてくれないかな? キミたちとしても、傷を負ってまで彼とやり合いたくないだろ?」
諭すような唐沢の言葉に、澪奈は押し黙ってしまう。しかし、八雲は。
「お断りします。彼が死ぬという点は、確かにこちらとしては手間が省けて助かります。ですが、ソレは同時に彼が起こす何かしらの行動を見逃すということにもなる。彼の性格を私は知っています。この街の人間を彼は目的のためなら躊躇わず利用するでしょう。そのような事になる前に」
制裁を与えると、そう八雲は言っている。
それが退魔師としての正しい在り方。反論の余地などどこにもありはしない。
だが……
「巫女さま。あなたも朱月クンを今すぐ殺したいと、その手で殺したいと、そう思ってるんですか?」
「―――――っ」
殺したいわけがない。
話し合いで解決するのなら、何日掛けても説き伏せてやる。だが、もう彼はその段階には居ない。だから、力ずくで解決しなければならない。もっとも簡単で、もっとも醜いやり方で。
だが八雲は澪奈の答えを待たずして、唐沢に問う。
「さて、話してもらいましょうか。“闇喰らい”は、どこに居るのかを」
「――――ったく、何でオレがてめぇみたいな気色悪い女と一緒に動かなきゃなんねーんだっつの」
「…………」
「おい、何か言えよ。聞こえてんだろ?」
「…………」
チッ、と黒いローブを羽織っている青年、切り裂きジャックことハスターは舌打ちして黒い衣服で身を包んでいるイリスを睨みつける。
「……ワタシとアナタが共に行動している理由は、黒慟忌閻様がそうしろと仰ったからです。不満があるならば、どうぞ一人でどこへなりともお好きなように」
淡々とした口調でイリスはハスターを罵倒する。
「てめぇが消えろ、気色悪い人形がッ!」
ハスターが言うと、イリスは特に何も反論することなく踵を返し、その場を去っていく。一度たりとも振り向かないその姿勢は、いっそ清々しい。
(へっ、やっと居なくなったか。あんな薄気味悪ぃ女の手を借りなくても、オレの力があれば……)
闇夜の中で一人笑うハスターは、確実に常軌を逸していた。一体何がそこまで可笑しいのか、彼は腹を抱えて笑い続け、かと思えば突如壁や地面を殴り始め、
「大体、何で黒慟の旦那はオレよりあの女を側に置いてんだぁ!? オレの方があんな人形よりずっと強ぇってのによぉ!」
空に向かって日頃の不満をぶちまけるハスター。
息が切れるまで叫び続けた彼の耳に、ジャリ、という足音が届く。
「――――」
ハスターが音のした方、つまり背後を振り返ると。
「…………あん?」
そこには人影が。
イリスや自分と同じように黒い衣服を着ているせいか、闇に紛れて全体像がハッキリしない。
ハスターが目を細めると、
「いやぁ~、俺としてはさ、再戦とかそういう堅苦しいの気にしないからどうでも良かったんだけど、でもさ、仕方ないよな。だって上がそう言うんだもんよぉ。こっちは何か知らんが魔力の回路が所々穴空いちゃってシャレにならない事態に陥ってたのに、『殲滅者は任務をしくじってはならない』とか言うあの上司! ホント、勘弁して欲しいよなぁ~……」
寝癖のままなのか、所々無造作にハネている黒髪に、黒いコート。十代後半くらいの年齢だろうと推測できる、五大名家の一角白鳳の直系にして殲滅者第六位、白鳳光が面倒そうに猫背の姿勢でそこに居た。
「てめぇ……!」
ハスターは瞬時に戦闘態勢に入る。しかし相変わらず光はダルそうに、眠そうに瞼を半分閉じたまま、
「けどさ――――あの子、リゼット……お前ら殺したよな」
空気が突如凍る。
殺意という膨大な波が一気に押し寄せ、周囲の空間が悲鳴を上げ始める。
「ああ、あの女のことか。っつーか、オマエも殺されそうになっただろうが。なのに同情してんのかよ。お人好しっつーか、ただのバカだなオマエ」
「別に同情してるわけじゃねーよ。あの子は色んな罪を背負ってたんだろ。それくらいは知ってるさ。あの子は良い子じゃなかったけど、だからって、あそこで死ななきゃならないような人間じゃなかった。難しいけど、困難だけど、やり直しの道はあったはずだ」
そう。
リゼット・アースガルドは多くの人間の命を奪った。だから死んだ。それが当たり前の償い方法だ。でも、それ以外の道だって探せばあるハズだ。人を殺した罪を償うために生きる。その果てに罪を償う答えなどありはしないのかもしれない。
でも、あるかもしれない。
彼女の力を使えば、多くの人を救うことだってできたかもしれない。それで罪を償う事にはならないけれど、しかし、それをずっとずっと積み重ねてやっていけば、いつか――――
「それを……簡単な方法で済ませやがって。あっさりとあの子の救いの道を消しやがって」
光の髪が白く輝き始める。
拳がバチバチと放電し始め、その瞳が憎悪に塗りつぶされる。
「あの子の復讐――――俺が代わりに果たしてやるよ」
光は拳を固め、一人の少女の全てを奪った怨敵へと向かっていく。
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