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第四話
 気づくと、そこに居た。
 闇に包まれた空間。
 自分の体すら見えない絶対の闇の中に、彼は居た。
 どうしてここに居るのか、思いだせない。何があったのか、思いだせない。これは夢なのだろうか、と彼は思った。それとも、自分は死んでしまったのか。分からない。状況が呑みこめない。
「…………俺は、どこに居るんだ……」
 今が昼なのか夜なのか。時間の感覚すらなく、体を動かしている気もしない。自分にはちゃんと体があるのか確認できず、ふわふわと宙に浮いているような気持ちの悪い浮遊感。パニックに陥り、孤独の恐怖に狂いそうになる。
「父さん……母さん……っ!」
 真っ白になった頭が拾い上げた、僅かな記憶。家族はどうなったのか。父と母はどこに居るのか。この闇の中に居るのだろうか。
 少年は、たった一つの記憶を頼りに、手探りで辺りを探す。しかし、腕を動かしている感覚がない。本当に腕はあるのか。体はあるのか。自分自身は居るのか。先程の恐怖が襲いかかって来る。しかしそれでも、少年は奥歯が欠ける程歯を軋ませ、家族を探す。
 と、突如闇の世界に光が差し込んだ。
 光を背にするように男が立っている。
 その光に照らされ、少年の体が姿を現す。ようやく己が目で自身の体を見ることができる。安堵の思いで視線を下げ、体を見下ろした。――――しかし、少年の体は人間のものとは思えない程の黒で塗りつぶされていた。
「なんだ、これ……」
 爪先から頭の天辺まで全てが黒。違うのは、その瞳のみ。
 金色に輝く不気味なその瞳を称えるように、男は少年に拍手を送った。
「お前が生還者だ。よくやった」
 息子を褒める父親のような言い方。少年はここはどこだと、家族はどうしたのだと問おうとする。が、しかし。
「――――」
 声が出ない。
 パクパクと見っとも無く開閉される口は、音を発さない。
「言い忘れていたが、わたしの許可無くしてお前は喋る事などできないぞ。わたしはお前の創造主なのだからな」
 男は気味の悪い笑みを浮かべながら、『喋っていいぞ』と言った。
 するとタイミングを合わせたかのように、少年の口から声が零れた。
 少年は問う。
「……あんたは誰だ」
「言っただろう。お前の創造主だ」
「父さんと母さんは」
「お前の中だ」
 中? と少年は眉を顰めて繰り返した。男は一瞬少年を見て意外そうな顔をするが、しかしすぐに邪悪そのものに顔を歪める。
 男は少年の体を指差し、
「お前の中だ」
 もう一度そう言った。
 中。
 父と母は、自分の中に居る。
「思い出せ、化物。お前が、父と母を殺した時の光景を」
 男の言葉と同時に、少年の頭の中に映像が映し出される。
 父の頭が、化物に喰われていた。父は生きていた。生きながらにして、化物に頭を咀嚼されていた。目玉を潰され、耳を千切られ、舌を抜かれて、喰われた。
 母の体が、化物に喰い破られていた。母は生きていた。生きながらにして、腹部を袋を破るかのように引き裂かれ、臓腑を喰い荒らされていた。腎臓を奪われ、肝臓を潰され、心臓を喰われて、殺された。
 それを、自分は少し離れた場所で見ていた。
 立ち向かう、などという行動は取れない。憎しみを超えた圧倒的な恐怖に縛られ、動くことすらできない。暴力という名の悪意にただ平伏すしかない。
 映像は、そこまで。
 その化物と、死んだ父と母が融合したモノが自分。
 恐らくは、自分も喰われたのだろう。でも、どういうわけか意識だけは残った。この肉体を支配する権利だけは、得られた。
 男は言う。
「家族を取り戻したいか?」
「え……?」
「お前がその気になれば、父と母を生き返らせることもできるぞ」
「…………どう、やって?」
 男は嗤う。楽しそうに、愉快そうに。
「言ったろう? お前の中に父と母は居るのだと。お前という個を存在させるには、父と母がお前の中に居続けなければならない。だが、わたしに従えば父と母に会わせてやることもできる。わたしは魔術師だ。お前程度の願いを叶えるなど、造作もないこと」
 男はこちらにゆっくりと近づいてくる。
 露わになる男の姿。
 喪服のような黒い服を着た、全身黒ずくめの若い男。まだ二十代半ばといったところか。
「どうする、化物? 父と母に、会いたいか?」
 答えなどとうに分かっているだろうに、男が少年にそう訊ねた。
 少年は黙って頷いた。他の何を指しおいても、家族に会いたい。何を犠牲にしても、会いたい。
「願いを叶えるには、相応の対価が必要だ。少しの間、わたしの下で働け。そうすれば、いずれ家族に会える」
 そう言って、男は再び光の中へと足を進めた。少年はそれに続く。その光に消え行く男をしっかりと見据え、いつか必ず家族を取り戻すと誓って。




 神夜澪奈は街に出ていた。
 分家の人間には“闇喰らい”の方を任せ、澪奈は危険な黒魔術師の方を追っている。魔術の禁忌に触れた黒魔術師は、手段を選ばない。如何なる方法を使ってでも世界の理を識ろうとする。
 外法の者である黒魔術師を、生かしてはおけない。
 この街を統治する者として、神夜の巫女は断罪を与える。

(それにしても……)
 澪奈はぐるりと辺りを見渡した。
 風で敵の在処を探そうとするも何かに阻まれているかのような嫌な感じが、空気を伝って澪奈に情報を与えてくれる。時刻は午後六時前で、初夏である今の時季はまだ明るい。明るいが故に――人が多い。人間から無意識に発せられる魔力が、空気中に流れる魔力と干渉し合い澪奈の索敵能力の邪魔をしている。
 それは殆ど零に等しい程の微弱な阻害だが、どうやらこの街に居る黒魔術師はかなりの実力者らしい。全く居場所を掴めない。どこかおかしいというのは分かっても、実際にどこがおかしいのか分からない。異変があるぞという無意味な情報しか手にすることができない。
(厄介だな……長期戦になったらこっちが不利なのに)
 相手は黒魔術師。
 時間を掛ければ掛けるだけ、相手に何かしらの魔術を使われる危険性が高まっていく。
 風の索敵が適わぬなら、地道に足を使って探すしかないか。
 澪奈は舌打ちしながら歩き出そうとして、気づく。
 どこからか自分に向けられる凶悪な殺気を。
(――――どこから)
 見ているんだ、と澪奈は周囲を探す。ビルの中や屋上。そう言った普通は見えない個所を澪奈は風で知覚する。
 そして、見つける。
 明らかに人間ではない何かを。【魔】とは違う、不完全な闇。それを感じた。距離は五百。走れば数十秒で着く。
(見つけたっ!)
 それが黒魔術師なのかどうかは不明だが、無関係ではないだろう。情報が少ない今の状況を打破するには、この尻尾を逃してはいけない。
 澪奈は一目散に走り出した。相当焦っていたからだろう、走り出した瞬間に丁度澪奈の隣を歩いていた通行人とぶつかってしまった。
 澪奈は軽く謝罪し、しかし視線の先は通行人ではなく遠くからこちらを見ている何者か。ぶつかった通行人は、何も言わなかった。



 最近街で暴れていた不良グループが、次々と消えていくという謎の怪奇現象が起こっていた。街の人々はその理由を警察が大々的に検挙を行ったとか、不良たちは皆ヤクザの所場を荒してしまい、殺されたとか。様々な憶測が街に流れていた。だが実際は、ある一人の少年によって、供物として捧げられていたのだ。
 その数は既に三桁に達しようとしている。結界に放り込まれた人間は、一瞬の抵抗も許されずに魔力を吸い取られ、ミイラと化す。
 特に、若者が良かった。
 やはり老いた人間よりも体力も精神力も、そして魔力も段違いだ。
 もうそろそろ、あの結界も壊れるだろう。
 黒魔術師はやたらと面倒な術式を展開するから、困ったものである。一々殺すのにも一苦労で、他にもまだまだ殺さなければならないウジ虫は多い。
 こんな所であまり時間を食っているヒマは無いのだ。
 と。
 紫苑がガリガリと頭を掻いていると、ドン! と肩に勢い良く何かが当たった。
「んァ?」
 思わず紫苑はそちらを見る。
「すまない!」
 紫苑の肩に当たったのは、艶のある長い黒髪が特徴的な少女だ。自分と歳はそう変わりそうもない、可愛いと言うよりは綺麗な少女は、紫苑に謝罪の言葉と共にほんの一瞬だけ、一秒にも満たない僅かの時間だけこちらを向いた。そして、そのまま脱兎の如く走り去って行った。
 何だったんだ、と紫苑は思う。
 少女の走り去って行った方を少しの間だけ見つめ、しかしすぐに自分の成すべきことを思い出す。
 さすがにこんな人通りの激しい街中では、大っぴらに人を掻っ攫うことなどできない。路地裏などにうろついている、所謂不良グループ。紫苑は彼らに目をつけた。なまじ体を鍛えてある分、魔力も多いだろう、と勝手に決め付けて気絶させ、ゴミを捨てるように結界内に持っていく。今日一日で、この街の大半の不良は消えたことだろう。
 良いことだ、と彼にしては珍しく善行をした――と、自分では思っていた。
 紫苑の努力の甲斐あって、黒魔術師が張った結界はもはや限界ギリギリまで膨れ上がっていた。直に破裂するだろう。結界が爆発したらどうなるのか、紫苑には解らない。だが、たとえ爆弾が爆発するようなものだとしても、紫苑は躊躇しない。するハズがない。何故なら、この街の人間がいくら死のうと、どれだけ死のうと、心底どうでもいいと思っているから。
(さァて、どうすっかな)
 誰でもいいのだが、最後をなのだからそれに相応しい人間、というものを紫苑は探していた。別にどれでも変わりは無いのだが、どうせなら、と。
 そんな紫苑の傲慢さが、一瞬の油断を生んでしまった。
 一瞬の静寂。
 そして、次の瞬間。
「――――あ?」
 世界が、黒に染まった。




 時は遡り、午後五時。
 神夜巴に告白した荒涯友弥は、一緒に下校していた。
 別に付き合っているわけではないのだが、まあ、お友達から的な雰囲気になっているので、どうせならこのまま街を少しぶらつこうか、という展開に発展していたりするわけなのだが。
 しかし、傍から見れば完全に恋人同士のデートである。そして、少なくとも友弥はそのつもりで一緒に居る。
「ふむ。このやはりゲームセンターと言えば、UFOキャッチャーだな。そうは思わないか、先輩?」
「そうだな。うん、俺もそう思う」 
 まあ、確かにその気持ちも解らなくもないな、と友弥は思った。彼自身はあまりUFOキャッチャーはしないが、友人の中でもやる者は多い。それがましてや女子ともなると、なおさら。
「まあ見ていてくれ、先輩。私は、ここのぬいぐるみ全てをゲットしてみせよう。できれば大きなカバンか何かを探してくれていると助かる」
 言いながら、巴は財布から百円玉を取り出して始める。
 どうやら、巴はUFOキャッチャーに関して言えばプロらしい。全部は無理だろうが、しかし少しくらい。二つ三つくらいなら、まあ取るだろう。だとすれば、確かにカバンと言わずとも袋のようなものはあった方が良い。
(……あ、ちょうどいいのが売ってるじゃん)
 友弥が見つけたのは、このゲームセンターで、何か買い物をした人専用に売っている紙袋売り場だった。まさに今の友弥たちのために設置されたようなものである。
 友弥は適当な紙袋を購入し、巴の下に戻る。
 すると、
「…………」
 ズーン、と。
 物凄く沈んでいる巴が居た。
 辺りをキョロキョロと見渡し、誰も見ていないことを確認すると、あろうことかぬいぐるみが落ちてくる出口に腕を突っ込み始めた。それは、お金が尽きた子供がやってしまう、最強の秘奥義だ。
 しかしそれが許されるのも、小学生くらいだろう。
「ぬ、ぬくくくく……」
 第二次性徴期真っ只中である巴の腕は、確かに細いがそれでも小学生と比べると……。
 それでも必死にぬいぐるみを取ろうとしている巴は、思いの他可愛かったりする。と、そんなことを考えている間に、巴の反則技に気づいた店員が駆け寄って来た。
 友弥は言い訳を考えながら、巴の助っ人に向かう。

 結局。
 言い訳も何もできず、ひたすら謝ることしかできなかった友弥と巴は、三十分ほどの説教を受けて帰された。
「むぅ……」
 巴は口をアヒルのように尖らせ、仏頂面をしていた。ぬいぐるみを手に入れられなかったのが、余程悔しいらしい。
(UFOキャッチャー……苦手だったんだ)
 大言壮語とはまさにこのことを言うのだろうな、と友弥は思いながら、先程の巴の子供染みた奇行を思い出して笑ってしまった。
「ぬぅ……」
 巴は顔を赤くしてへ込んでいる。恥ずかしい気持ちと、悔しさで一杯なのか。
 友弥は少しだけ考え、そして。
「なあ、神夜。スターサイドパークに行かないか?」
「何故だ?」
「いや、ほら。あそこはさ、色んなのがあるだろ? たぶん、神夜も楽しめるよ」
 あそこは若者にとっての楽園と呼ばれている場所だ。大いに楽しめるだろう。巴はスターサイドパークにはあまり行ったことがないらしく、若干緊張した面持ちで、
「そ、それでは行ってみようか」
 と言った。

 スターサイドパーク入り口前に着いたところで、巴は足を止めた。
 友弥はどうしたのかと思い、同じく立ち止った。巴は、顔色が悪い。キョロキョロと辺りを見渡し、時折嘔吐しそうにもなっている。体調でも悪いのか。そう思った友弥は、巴の側に駆け寄って大丈夫かと確認を取った。
「だ、大丈夫だ。……それより、先輩。早く、ここから離れて。ここはマズイ。危険だ」
 言っている意味が解らなかったが、とにかく巴の体調が悪い。ここは病院に連れて行った方がいいか。 
 そう、友弥が思った瞬間だった。
 若いカップルが、スターサイド―パークに入り、消滅したのは。
 そして、目の前の景色がガラスのように割れていく。何がどうなったのかなど、解るハズもない。ただ突然、友弥と巴は非日常へと迷い込んでしまった。
 一瞬の静寂の後に現れるのは、阿鼻叫喚の絶えない地獄。
 結界に閉じ込められ殺された、哀れな亡者たちの叫び声が木霊した。
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