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第四十一話
 (はし)る黒の閃光。
 音速の速さで繰り出されるその一撃には、全て必殺の呪いが込められている。僅かでも気を抜けば死ぬ。だが体力も魔力も大幅に削られてしまい、対するイリスの魔力は完全に回復している。このままでは殺されるのは時間の問題。
 紫苑は破滅へ誘う呪いの剣(テュルフィング)飛来する万死の槍(ゲイボルグ)を防ぎ、この場所から撤退することを考えていた。紫苑は自分という存在を常に客観的に見ている。相手との実力差、その場の状況を判断し、勝てないと結論を出したのなら躊躇なく撤退することにしている。
 命は一つしかない。
 プライド以上に己が命が優先される。それも状況に左右されるのだが、しかし紫苑が死ぬのはこの女の前ではない。黒慟忌閻をこの世から消し去ってからだ。ならば死ねない。
 紫苑はゲイボルグによって破壊された民家の瓦礫をイリスに向かって蹴り飛ばす。
 迫る瓦礫に、イリスはやはり感情の無い機械的な表情のまま見つめてゲイボルグを高速で振るう。何十分割にもされ、細切れになった瓦礫。しかし紫苑はそんなものでイリスにダメージを与えられるとは思っていない。瓦礫などただの囮に過ぎない。イリスが瓦礫に意識をやっている間に、紫苑は僅かの逡巡もなく、脱兎の如く逃走する。

 表通りに出た紫苑は、民家の屋根に飛び乗りそのまま一気にイリスから距離を離していく。脇目も振らず、出来る限り障害物の多く隠れられそうな場所を選びながら逃げて行く。
(……撒いたか?)
 紫苑はちらりと後ろを振り向く。そこにはイリスの姿はなく、先程の激戦がまるで嘘のように小鳥の囀りが聞こえてくる。
 そこでようやく紫苑は一息吐くことができた。さすがに体力・魔力を回復するのは反則だろうと思う。だが、反則だろうがなんだろうが、実際にイリスは完全に力を取り戻している。
 民家の壁に凭れかかる形で紫苑は腰を下ろす。
 疲弊し切っているのは体だけではない。あの戦いの最中、ゲイボルグを一撃足りとも食らわないよう細心の注意を払って防いでいた。点の攻撃の槍を捌くだけでも集中力を使うというのに、一度まともに食らえば死ぬという恐怖にまで精神を使わなければならなかった。
 如何に紫苑と言えど、もう限界である。
「……クソッタレが」
 吐き捨てられた言葉には、力がない。
 今回ばかりは打つ手がない。……いや、あることにはあるのだが、それを使えば朱月紫苑はここで死ぬことになる。別に長生きできる身とは思っていないので、いつ死のうがそれはそれで構わないのだが……黒慟を殺す前に死ぬのだけは御免だ。
 イリスを一太刀の下に斬り伏せ、どこに居るかも分からない黒慟を見つけ出して――殺す。そうすれば死のうがどうなろうがいいのだが……いくらなんでもそれは無茶だろう。
 こういう時に限ってあのバカ女は居ない。退魔師殺しの魔術を持つリゼットを上手く使えばどうにかこうにかできるのだが、肝心な時に使えない。真正の役立たずだ、と紫苑は毒づきながらこれからのことを考えようとして――気づく。
 空気が軋み始めている。得体の知れない圧迫感。この感じを紫苑は知っている。
 これは、アレが放たれる直前に感じた悪寒と同じ――――。
 ヤバイ、と思った時には既にソレは放たれていた。
 視認すらできないほど離れた場所から投擲されたのはゲイボルグ。空気が唸りを上げ、朱月紫苑目掛けて一直線に迫って来るゲイボルグは、邪魔だと言わんばかりに数十の民家を貫き、消し飛ばしながら向かって来る。
 あまりの速度と威力に地面が捲れ上がって行く。
「――――冗談だろッ!?」
 迫る死の一撃に、紫苑は飛び退くようにその場から離れた。瞬間、ゴバァッ!! という爆裂音が轟いた。ゲイボルグはつい先程まで紫苑が凭れかかっていた壁を紙のように容易く穿った。
 紫苑はゲイボルグが通った道筋を見やる。
 残骸が広がっていた。
 ゲイボルグが通った跡には死以外存在しない。
 そこに住んでいた人間の世界全てを殺し、破壊した。
 
「抹殺対象発見。これより追撃モードに移ります」
 
「――――」
 声が真上から降って来る。
 紫苑は反射的に後方へ飛び退く。その瞬間、刹那の差でゲイボルグを逆手に持ったままイリスが落下してきた。
 ゴガン!! とコンクリートが割れる音が響く。
 ゆっくりとこちらを振り向く。一瞬にして何十もの人間を殺したというのに、彼女の顔には何ら変化の兆しがない。
 突き刺さっているゲイボルグを引き抜き、イリスは地面を蹴って飛翔しながら紫苑にゲイボルグを突きたてる。
「――――ッ!」
 顔面に風穴が空こうかというコースだったが、紫苑は首を捻ってかわした。頬に赤い一本の線が疾るが、気にしている余裕は無い。紫苑は顔の真横を通過していくゲイボルグの柄を掴み、そのままイリスを引き寄せる。同時に、テュルフィングを構えて刺突を繰り出した。
 それを……。
「な、に……?」
 噴き出す鮮血。
 イリスは自分の掌を顔の前に出した。テュルフィングの切っ先はイリスの掌を貫くが――それまで。顔には届かない。イリスは貫かれたままの状態でテュルフィングの刀身を掴んでいる。脚力や体力回復の他に、腕力まで相当なものだった。
 ゲイボルグの柄を握る紫苑と、テュルフィングの刀身を掴んでいるイリス。互いに敵の武器を封じているため、身動きが取れない。――――と、紫苑は思っていたのだが。
「う――――おおおおオオオオ!?」
 イリスは掴んでいるテュルフィングごと紫苑を放り投げた(・・・・・)。地面を滑るように転がって行く紫苑に、イリスは僅かの緩みも無く追撃する。
「痛ッ……」
 頭を打ったのか、こめかみ部分から血が滴り落ちる。打った衝撃で脳震盪でも起こったのか、若干視界が揺れ、足が小刻みに揺れてしまう。だが呑気に構えている場合では無かった。既に目の前にはイリスが迫ってきている。
「こ、の……クソがァッ!」
 手元に転がっていた瓦礫を投げつける紫苑。しかしそんなものでイリスを止めることなどできるハズがない。先と同様に瓦礫を細切れにし、イリスは紫苑の腹部を蹴り飛ばした。再び地面を転がって行く紫苑より速くイリスは疾り、追いつく。そして紫苑の首を掴んで地面に叩きつけ、反撃できないようテュルフィングを握る手を足で踏みつけ――ゲイボルグの切っ先を突きつけた。
「…………っ」
 ガラス玉のような瞳が紫苑を捉える。
 勝敗はここに決し、もはや紫苑の死は覆せない結果となってしまった。
 ――――冗談じゃねェ、こんなところで……、
 紫苑は何とかイリスから距離を取ろうとするも、イリスの握力は半端ではなく、紫苑が暴れれば暴れるほど首を絞めつけて行く。
 次第に遠くなる意識。
 霞みがかった視界の中心には、死神の鎌とも言えるゲイボルグがある。
 ここで死ぬのか、と紫苑は思った。
 大切な者を誰一人として守れず、復讐すら達成できずにここで……。

 そして、紫苑の意識が消える間際、視界の端に何かが映る。
(ひ、と……?)
 イリスの後ろに人がいる。視界が霞んでいてよく分からないが、恐らく二人組の男女。
 ――――そして、ゲイボルグが振り下ろされる。
 そこで、朱月紫苑の意識は闇に包まれていった……。




 闇。
 そこは一筋の光すら入らぬ、闇の世界だった。
「……暗いな」
 呟いたのはリゼットだ。
 先程ちょっとした醜態を晒してしまったが、今はもう落ち着きを取り戻し、いつものペースでその闇の中を歩いている。
「…………」
「おい、こっちも照らせ」
 言いながらリゼットは同行している五大名家の一つにして殲滅者第六位、白鳳光の頭を掴んで望んだ場所を照らす(・・・)
「にしても、便利な頭ね。こんな暗闇でもオマエは困ったりしないだろ? 日本語で何て言ったっけ、こういう道具。えっと……カイチューデントー?」
「これはどっちかというと、電球のような気もするけどな」
 ははは……、と悲しそうに笑う光。
 この暗闇では歩くこともできないので、リゼットは光の髪を白く光らせるよう指示し、辺りを照らしつつ結界内を探索しているのだ。ぼんやりとだが周囲を照らす光の髪の毛。それで分かったことと言えば、地下に続く階段を見つけたことくらい。
 手すりもなく、螺旋状に遥か下まで続いていく階段。落ちれば即死は確実。
「しっかし……いつまで続くんだこの階段は……」
 携帯画面を開いて時間を確認しようとすると、結界の影響なのかリゼット、光それぞれの携帯が止まってしまったのだ。時間はこの結界に入った時からピタリと止まってしまい、以後動いていない。だから今どれだけの時間が経って、どれくらい進んでいるのか現状が把握できない。
 と。
「のわぁ!?」
 何かに躓き光が転んだ。
 光は頭を抑えながら、あることに気づく。
「あれ? 階段ここで終わりだ」
 永遠に続くように長かった階段がいつの間にか終わっていた。ホッと一安心する光。リゼットは光が何に躓いたのかと、光の頭を掴み地面を照らす。
 すると、そこには。
「――――死体」
 リゼットが呟く。
 そう、そこにあったのは死体だ。ただし、白骨化した、男か女かも分からない死体が、だ。
 唐沢の情報では、ロンドンの、それもこの街ホワイト・チャペルに切り裂きジャックが現れたのは一ヶ月ほど前だと言う。
 人間が白骨化するのに掛かる時間は、夏から秋に移ったことを考慮しても、まあ一ヶ月あれば白骨化するだろう。ということは、この遺体は運悪く結界を作った時に紛れこんでしまったわけか。
 と、そこで。
「リゼット、こっちに道があるぞ」
 トンネルのように大きな空洞。
 リゼットは光を先頭に、その道を進みだす。 
 奥に何があるのか、あの人を殺したヤツは居るのか。
 静かな怒りの炎を心に宿しながら、リゼット・アースガルドと白鳳光は闇の中へと消えて行った。
 
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