第三十八話
切り裂きジャックの鉈が唸りを上げ、下方から床を裂きながら白鳳光の体へと迫る。光は鉈の軌道を見切り、小さく体を反らして鉈をかわすことに成功。光の前髪を掠めて行くその鉈は、天井に突き刺さるか否かのところまで上がり――次いで切り裂きジャックは素早く鉈を握り返し、振り下ろした。
ギロチンの如く振るわれる死の刃。
切り裂きジャックは一歩前に踏み込んでおり、もはや体を反らして避けることはできず、しかもこの部屋の狭さと後ろに居るリゼットのことを考慮すると退くことはできない。
素手の光では勢いのついた鉈を防ぐ術はなく、無残に真っ二つになって――……。
とリゼットが思った瞬間、突如白い閃光が発生。
あまりの眩しさに直視できないリゼットは、思わず手で顔を隠してしまう。
閃光が生まれたのはほんの一、二秒。そしてその眩い閃光を浴びても切り裂きジャックは全く動じていなかった。だが――、
「俺、痛いのはイヤだって言ったろ? こんな危ないもん振り回して、ケガしたらどー責任取るつもりだ」
相変わらずのんびりとした、緊張感の欠片も無い口調。しかし明らかに先程と違う部分もある。
髪が白く光っている。白、というよりは銀に近い。そしてあり得ないことに光は切り裂きジャックの鉈を掌で受け止めてしまっている。だが血は出ず、それどころかまるで剣と剣の鍔迫り合いのように鉈の刀身が擦れている。
リゼットは何が起こっているのかと、目を細めて光の掌を見てみる。
すると、彼の手から手首にかけて、何やら奇妙な白い文字の羅列がビッシリと付着しているのだ。先程話をしていた時にはあんなものはなかった。そしてあの文字の羅列。あれは……。
(ルーン……? どうして退魔師が、それも体の一部になんて……)
ルーンとは『神秘』や『秘義』と言った意味を持っており、主に魔術師が儀式などを行う時に使われる。ルーンを刻み、魔術武器として魔術師が退魔師に贈ることは世界規模で見れば珍しくないのだが、しかし光のように体に埋め込まれているケースは聞いたことがない。
あのルーンには一体どのような力があるのだろうか。
「行くぜ、切り裂きジャック」
面倒そうに、退屈そうに光は言う。
一瞬の煌めき。
左手で防いでいた鉈を掴み、光は右拳を固く握りしめて――放つ。速射砲のような光の拳は切り裂きジャックの下まで最短距離を通り、腹部にメリ込んだ。
「グ――ゲッ……」
くの字に折れた切り裂きジャックの体。あまりの威力に嘔吐してしまっている。次いで何故か光はバックステップし、距離を取る。二メートルほど離れた光だが、これでは徒手空拳主体の攻撃スタイルを取っているため攻撃できない。鉈を持っている分、相手の方が間合いは広い。せっかく相手が油断して接近してくれていたのだから、そのままトドメを刺してしまえばよかったのに。
そう思うリゼットだが、しかしそれは間違いだった。
白鳳光は、様子を見るために距離を取ったのではない。
一撃で切り裂きジャックを粉砕する大技を繰り出すために、後方へ下がったのだ。
空間が軋んでいく。窓は開いているというのに、妙な息苦しさがリゼットを襲う。……いや、リゼットだけではない。切り裂きジャックもまたリゼット同様、息苦しそうに悶えている。ただでさえ嘔吐するぐらい鈍痛に苦しんでいたというのに、呼吸すら困難になってしまえば、普通の人間ならば意識を失うだろう。
この異変を生み出している原因は、白鳳光。
(今度はなに?)
プラズマのように放電する光の右拳。そのままゆっくりと正拳突きの構えを取る光は、薄く笑いながら終わりの言葉を告げる。
「切り裂きジャックなんてのはさ、もう過去の人なんだから、ちゃっちゃとあの世に逝ってくださーい」
その言葉に反応し、切り裂きジャックは光に飛び掛かる。その刹那、音速を超える速度で光は拳を撃ち抜いていた。あまりにも速すぎたために光の拳は切り裂きジャックの体に届いていない。にも拘わらず、
「ギ――ギイイイイイッッ!!」
虫の鳴き声のような悲鳴を切り裂きジャックは上げた。噴き出す鮮血。スローモーションのように地面に落ちる切り裂きジャックの腕は、何十分割にも切り刻まれ、無残な肉片となって床に転がっている。
(なん、で……)
確かに高速で拳を放てば、鼻を切ることもできるだろう。だが光の拳は届いていない。カマイタチが発生したとも考えにくい。
ならば一体どんな理屈で何が起こったのか。
リゼットが困惑していると、あるものが目に入る。
「なに、これ」
部屋が、見えない何かによって切り刻まれている。メチャクチャに、天井も壁も床も、全てが切られていく。
リゼットは集中してその切り刻んでいる何かの正体を探ろうとする。すると、辛うじてだが、プラズマの粒子が目に映った。それは光の白い輝きを放つ髪と拳と同色のもの。
そのプラズマは部屋中を切り刻み、光の拳へと戻ってきた。するとまた光の拳は輝きだす。それで大体のことをリゼットは理解した。
つまり、白鳳光はあのプラズマを打ち抜いているのだ。どういう原理なのかは知らないが、恐らくあのルーンが関係しているのだろう。
リゼットが光から切り裂きジャックに視線を移すと、そこにはバラバラにされた死体だけが転がっていた。内臓が散逸し、目玉や長い舌など。ただの肉塊となってしまっている。それを見てリゼットは、
(……どっちが切り裂きジャックなんだか)
思わず心の中で皮肉を呟いていた。
「ケガは無かったか?」
気づけば黒髪に戻っている光。
半分しか開かれていない瞼に、黒いコートをだらしなく着こなしている。そんな彼に、少しだけ逡巡するも、後のことを考えてリゼットは訊ねた。
「今のが、白鳳の特異能力ってわけ?」
「え?」
鳩が豆鉄砲食らった顔、というのはこんな顔なのだろうか。僅かに見開かれた目が驚きを含んでおり、リゼットがどうしてそんなことを訊いてくるのか彼は分かっていなかった。
「わたしは魔術師だ。何なら、今ここでその証拠を見せてやってもいい」
リゼットが言うと、
「あぁ、そうだったんだ。気づかなかったな」
気だるそうに驚いたフリをして、再びあのプラズマを生み出した。白く放電しているそのプラズマを、光はもう片方の手で掴み手に持つ。するとそれはプラズマから黄金色の細い両刃剣へと様変わりしてしまった。剣の刀身には光の両手と同じようなルーンが刻まれており、こうして見ているだけで息を呑んでしまうほどの威圧感を発していた。
「妖精の加護が宿りし剣。聞いたこと、ある? そっちの方が説明が省けて楽なんだけど」
「……知らないわけないだろ」
アルヴヘイムとは、妖精の国の名称である。
光の手にしている剣には正式な名が無いため、その剣が作られた国の名をつけられたと言われている。
アルヴヘイムは所有者が敵と認識した存在に向かい、自動的に鞘から解き放たれ自らの意志をもって敵を駆逐する剣。
「白鳳は徒手空拳主体の退魔師だ。ンで、この手に刻まれたルーンの力で拳を宝具そのものと化して一工夫してるってわけ。便利だろ、これ」
にへへ、と笑う光。
あのプラズマは、アルヴヘイムの輝きだったというわけか。剣を振るう速度よりも拳を打ち出す速度の方が数段速い。光は剣を剣として扱わず、どちらかというと銃のように撃ち出している。それを放てば、あとは音速で動き回るアルヴヘイムが勝手に敵を切り刻むという寸法。
とそこで。
「ん?」
十以上の肉片と化した切り裂きジャックの体が黒い炎に包まれ、消滅していった。その炎は通常のそれとは異なるのか、部屋に燃え移ることはない。肉の欠片すら残さず消えた切り裂きジャックを見て、光は最大級の溜息を吐いて呟く。
「またハズレか……面倒だなもう……」
「ハズレ……?」
何やら不吉なことを言う光。嫌な予感がリゼットの体を駆け巡り、その真意を問いただす。
光は頭をポリポリと掻きながら、
「俺さ、もうアレ五体くらい倒してんだよね。で、未だに本物に辿り着いてない。もう帰ろうかな。疲れたし」
五体……?
それに本物と光は言った。
ということは、アレは考えたくないが偽物ということか。光はあんな殺気の塊みたいな怪物を既に五体も倒しているという。やはり五大名家の直系の名は伊達ではないらしい。
そもそも、とリゼットは思い、口にする。
「オマエは、どうしてこんな所に居る?」
いくら五大名家の直系だとしても、わざわざ日本からロンドンまで出向くことなどそうそうありはしないだろう。たまたま居合わせて、というのも考え難い。今更だが、リゼットは光に目的を訊ねた。
「ん――……まあ、教えちゃっても別に構わないか。リゼットが魔術師なら聞いたことあると思うんだけど、殲滅者って、知ってる?」
「殲滅者……?」
確か世界最大の退魔組織、魔天楼の精鋭部隊の呼称だったと記憶している。十二人の退魔師で構成された、戦闘集団。リゼットからすればただのカモ同然なのだが、それがどうしたというのか。
「俺さ、そこの第六位なんだよね」
まるで世間話でもするかのように光はさらりと爆弾発言した。
「…………」
脳が一瞬停止する
そして次の瞬間、リゼットは目を大きく見開いて声を戦慄かせながら光の体を何故かペタペタと触る。
「殲滅者が、どうしてここに……?」
「いやだからさ、切り裂きジャックの殲滅をここの市長さんから頼まれちゃってさ。ほら、ここには秘匿されてる魔術とか結構あるって話だし」
だから殲滅者である自分が派遣されたのだ、と言いながら、
「それにさ、本物の切り裂きジャックはあんなもんじゃないだろうし、まあ十倍くらい強いと上は思ってるわけ。だからリゼットは早々に身を隠した方がいいよ。行く宛てが無いなら、時計塔の統括部長に話を通して一時的に匿ってあげようか? 魔術師なんだろ、リゼットは?」
それは願っても無い話なのだが、しかし、とリゼットは躊躇う。
唐沢がこの街に自分を送った時、ここに切り裂きジャックや白鳳光といった化物共が居ることを知らなかったとは考えにくい。全てを知った上でここに来させたとしたら、リゼット・アースガルドの目的に関する何かがこの街にあるのかもしれない。
元より、自分と唐沢はそういう契約を結んでいるのだ。
唐沢が指定する場所には、目的を達するための欠片があるハズ。
ならば。
「オマエは切り裂きジャックを追うのか?」
「そりゃもちろん」
「だったらわたしも連れて行け」
「どして?」
「答えたくない」
短い会話のやり取り。
身勝手なことを言っているのは分かっているが、しかしここは我を通さなければならなかった。己の目的のためには全てを利用する。切り裂きジャックについて何の情報も無いリゼットが一人で探しても、大した結果を得ることはできないだろう。ならばこの男に付いていき、唐沢が口にしなかった何かをこの手に掴む。
「…………まあ、いいよ」
光は一度他の言葉を紡ごうとしたがそれを止め、付いてくることを許可した。恐らくはリゼットを説き伏せることはできないと感じ取ったのだろう。面倒臭かっただけかもしれないが、とにかく光は認めた。
「それじゃあ、行くとするか」
光はそう言いながら、リゼットに自分から離れないようにと忠告し、二人はホワイト・チャペルの街へと出て行くのであった。
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