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第三十二話
『第五章・始まりの御神木』



 もうすぐ夏休みが終わる。
 このシルフの街では、夏の終わりに盛大な花火大会を毎年興している。街全体が協力するその祭りは、夜だということを忘れてしまうくらいに賑やかに行われる。
 妹の巴も毎年花火大会に出向き、夜遅くまで遊び回っている者の一人だ。何かあったのではないかと心配する分家たちを余所に、のうのうとあの妹は遊び疲れて帰って来るのだ。そしてその度に安堵のあまり腰を抜かす者が多数続出する。
 去年までは友人たちと花火大会に行っていた巴は、今年はやはり友弥と一緒に行くらしい。生まれて初めて恋人と花火を見ることに、意外にも、というと少し失礼なのだが、かなり恥ずかしがっている。二人きりになって、まさかいつまでも花火を見ているだけというわけにもいくまい。当然そこで会話やら何やらするのだから、その時に何を話していいかパニックに陥らないように予め話すことを頭に叩きこんでおきたいと言っていた。
 そして何故かその話のネタを、自分に訊ねてきたのだ。
 自慢ではないが、生まれてからの十六年。一度も誰かと付き合ったことは無い。むろん、実際に付き合うということがどういうことなのかも知らないわけで、実際は友人と恋人の境すら分かっていない澪奈は、年頃の女としてかなり致命的な考えの持ち主だったりする。
 ふむ、と澪奈は自室のベッドに寝転がりながら、外で鳴く鈴虫の声を聞きながらぼんやりと思う。
 ――――今年はどうするか。
 父と母がこの家から居なくなってから二年。澪奈は次期当主として、日本各地の名家に挨拶に出向いていた。その時期が、ちょうど夏休みだったのだ。一ヶ月ある長期休み利用し、澪奈は二年かけてようやく日本中の名家に挨拶をし終えた。そして、今年は何とか花火大会前に全てが――宿題も含めて――完遂した。
 
 今までの自分の人生を振り返って、裏の世界、つまり退魔師としては恥じることの無い生き方をしてきたと自負している。だがただの人間としてだけに焦点を合わせてみると、何ともまあつまらない生活を送っていた。
 何度遊びに誘われても無下にし、幾度告白されても相手にしなかった。
 それは出来る限り知り合いを裏世界に巻きこまないようにするという、澪奈なりの配慮だったのだが、しかしそれでももっと自分は表の世界を大切にするべきだったのだと最近知った。
 ゆっくりと目を閉じると、壁の向こうから巴の声が微かに聞こえる。誰かと電話で話しているようだ。電話の相手は友弥だと澪奈は推測する。恐らくは四日後に控えた花火大会に行くに当たっての、待ち合わせ場所や時間などを決めているのだろう。
 時折声が裏返ったりしているので、一体どんな話をしているのか様子を見に行きたくなってしまう。
 澪奈は私室で一体巴がどんな顔をしているのだろう、と想像しながらふと思う。
 最近喫茶店で良く会う彼は、花火は好きだろうか、と。
 巴からは告白するべきだとか何とか言われているが、正直彼をそういう対象としては見ていないので、恋愛感情は微塵も無い。ただ、何と言うか……妙に彼とは話し易いのだ。だからというわけではないが、もしも、万が一彼が暇だったとしたら、良ければ花火に一緒に行くのもいいかもしれない。
 巴のように少しは年頃の女らしく遊ぶのも、息抜きという名目で許されるだろう。
「…………あ」
 と、そこで澪奈は気づく。
 いや、それはもう、どうしようもなくマヌケというか、可笑しな話なのだが、澪奈は彼の連絡先や携帯番号、そして何より――名前すら知らない。
 彼とは数度と会って、その度に食事を共にしているのだが、しかし何故か一度も互いに自己紹介という当たり前の初期段階を越えて話をしていた。
 これでは、花火大会に誘うこともできない。
「……いや、そうでもないな」
 彼はいつも自分があの喫茶店付近を通ると、まるで見計らったように彼もそこを歩いているのだ。ならば、もしかしたらまた居るかもしれない。
 それは何の確証もないただの夢想だったが、しかしせっかくだから行ってみたいと思う。行って、会って、そして花火を一緒に見ようと誘おうと思う。
 あくまで――恋愛感情は抜きにして。




 街が賑やかだ。
 真昼間だから仕方が無いとも言えるが、しかしどうにもこういった人込みは好きになれない。お前らこんなところでフラフラしてないで、さっさと家に帰るなり仕事するなりしろよと声に出してしまいたい。
 完全な自己中心的な発言で、その中に自分は含まれないあたり紫苑らしいと言えば紫苑らしい。
 とある事情により負傷した右腕は、まあ軽く振りまわせるくらいには回復していた。完治するまではあと一~二週間掛かるとの話。
 片腕が使えないと、相当に不便だと改めて紫苑は実感した。まだ動かすと痛むし、風呂に入る時などまさに地獄である。これでも常人より数倍の速度でケガは治っている方なのだが、やはり、それでも痛いものは痛い。
 
 さて、と紫苑は呟く。
 前後左右全てが人、人、人。
 いくら今が夏休みの昼間だとしても、さすがにこれは無いのではあるまいか。突っ立ってるだけで人に接触してしまうほど人で溢れ返っており、ただでさえ暑いのに人込みの熱気でさらにここら一帯の温度が上昇している。温暖化の原因はお前たちのせいじゃねェのか? と紫苑は思いながらも日陰を求めて彷徨い続ける。
「――――」
 そして日陰を発見。
 紫苑が手にした日陰(ベストプレイス)は、いつもの喫茶店。周りの目を気にせずガラス製の壁に凭れかかり、自分をイタぶる熱光から避難することに成功した。
「…………」
 暑い。
 日陰に居て、なお動いていないのに汗が出る。まあ、原因は彼がこの三十度を超える猛暑の日にコートなど着ているからなのだが。
 一応、夏には涼しく冬には暖かくと、何だか夢のようなコートらしいのだが、しかしその効果は今のところ皆無である。
 そもそも紫苑がどうして外に出たのかというと、紫苑が住んでいるあのボロアパート。あそこには冷房器具が当然というか当たり前というか、全く無い。窓を開けたとしても、蒸し暑さは一向に消えることなく寧ろ上昇していく。だから紫苑は冷気を求めて外へ出た。外には何かがあるだろうと期待して。
 その結果、こうして喫茶店に紫苑はやって来た。ここに辿り着いたのも偶然ではない。ここに来れば、あの少女と会えると思ったからだ。そして会えば、この店に入れる。店の中は空調が程良くされているだろうから、今の紫苑にとっては砂漠に在るオアシスそのもの。
 しかし悲しいかな。紫苑の財布は真冬が訪れていた。体が暑いのに、懐は寒いなどジョークにもならない。

(……今日は来ねェか)
 さすがにそう何度も同じ場所で会うハズがないか、と紫苑は偶然に頼っていた自分を小馬鹿にし、コンビニで涼んでいようとそこから離れようとして、
「――――君はいつもここに居るんだな」
 透き通るような声が耳に入ってきた。
 声のした方を見れば、あの少女が僅かに微笑みながらこちらにゆっくりと歩み寄って来るところだった。
 膝ほどまである癖の無い黒髪を、高い位置で縛って今日はポニーテールにしている。吊り上がった目尻に、完璧なまでに整った容姿。黒いタンクトップの上に青のブラウスを羽織り、黒いパンツを履いている。
 その服装は彼女に良く似合い、おまけにスタイルも良いので周囲の男共がチラチラと女を見て今にも声を掛けてこようとしている。
 そんなナンパ君たちを無視して、紫苑は言う。
「……人のこと言えねェだろ」
 あいさつ代わりにそう言って、紫苑は邪魔くさそうに頭を掻く。まさか本当に来るとは思っていなかったので、どういった態度を取ればいいのか困惑しているのだ。
「取り敢えず、中に入らないか? ここは暑いだろう」
 こちらの様子を見て気を利かせてくれたのか、女が言う。
「金ねェぞ、オレ」
「構わないよ、それくらい」
 それが当たり前とでも言うかのように女はさっさと店の中に入って行く。紫苑は相変わらずやりにくい女だ、と内心毒づきながら後に続いた。




 さてどうやって切り出そうか、と澪奈は考える。
 適当な席に座り、いつものように白髪の少年は料理を注文している。こんな真夏日にどうしてコートを着ているのか、と訊ねてみたいが、しかし今はそれより先に言うべきことがあった。
 それは……、
「神夜澪奈」
「…………、あ?」
 動きをピタリと止めて白髪の少年はこちらを見ている。突然名乗ったのだから、無理もないだろう。
「私の名だ。自己紹介、していなかったろ?」
 澪奈が言うと、白髪の少年は何やら目を大きく見開いて、突然窓の外を気にし出したり店内を見渡したりと、挙動不審になった。
 それが済むと、水を一気に飲み尽くして音を立てないようにゆっくりとコップをテーブルに置きながらこちらをしばらくの間見る――というか、睨んできた。観察とも言っていいかもしれない。目を皿にし、一体何がどうしたというのか、白髪の少年は数十秒ほどじっと無言で澪奈を見ていた。

 そして、
「……朱月紫苑」
 ようやく名前を教えてくれた。
「朱月紫苑、か。良い名だな」
 澪奈が言うと、白髪の少年――紫苑は苦虫を噛み潰したような顔をする。本当に、一体どうしたというのか。何か失言があったとも思えないし、体調でも悪い……のか?
 澪奈はそんなことを考えながら、この重苦しい空気の中どうやって例の件を切り出そうか悩んでいた。
(……今言えば、断られるかな……?)
 今まで異性をこういった祭りに誘った経験が全くない澪奈は、どうすればいいのか困っていた。
 悪鬼邪霊相手には百戦錬磨の彼女も、こと日常に関してだけ言えばただの女でしかない。加えて、彼女の目の前に居る紫苑は、とても気難しい性格をしているので慎重に言葉を選ばなければならない。
「…………」
「…………」
 どちらも言葉を発しない。紫苑に至っては、注文したカレーが運ばれてきたにも拘わらず手をつけていない。腕を組んで、目を閉じている。
 ……寝ている、わけではないと思うのだが、しかしこの空気、どうすれば軽くなるのやら。
 数分ほど無言の行だった澪奈は、紫苑のカレーがそろそろ冷めてしまうのではないか、という点に気づいて声を掛けた。
「カレーが冷めるぞ。食べないのか?」
 キッカケと言えば、それがそうだったのだろう。
 思い出したように紫苑は目を開けて、そして目の前に置かれているカレーの存在に今初めて気づいたとでも言いたげな顔で、スプーンを手に持ち、食べる。
 特に会話らしい会話も殆ど無いが、しかし先程と違って重い空気はいつの間にか消えていた。あの空気が何だったのかは分からない。そのことについて追及しようとも思わない。ただ、澪奈はここがチャンスだと思った。
「……三日後に、花火大会があるの、知ってるか?」
「ハナビタイカイ?」
 紫苑は初めて聞いた言葉であるかのように片言で繰り返した。
「そうだ。街に人が多く出ていただろう? あれは、その準備に取り掛かっていたからなんだ」
 そう言うと、紫苑はあの人の群れについて納得したのか、深く深く頷いていた。
「でな。その……あれだ。ヒマなら、行かないか?」
「どこに?」
「祭りに」
「なんで?」
「いや、特にこれといった理由は無いんだが」
 そこで一旦会話を区切り、紫苑はカレー皿を持って一気に口に運んでいく。そして口内に掻きこんだカレーを胃に送り込み、イスに凭れながら腹をさすり、次いで天井を仰ぐ。
 しばしの沈黙。
 そして、
「別にイイぜ。こうしてメシ奢ってもらってるしな。それくらいは、付き合ってやるよ」
 何となく腑に落ちない言い方だったが、まあ良しとしよう。
 澪奈はポケットから携帯を取り出し、
「じゃあ、番号とアドレスを教えてくれ」
 そう言うと、紫苑も携帯を取り出した。
 ここでようやく互いの連絡手段を確立させたのであった。
 
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