第三十一話
「……何故、何故、何故…………」
樹海の闇に紛れ、魔術師は独り青ざめた顔で呟く。
光焔鬼災に施した魔術は完璧だった。長年掛けて編みだした魔獣を人体に取り込ませる術式は、世界初の、それこそ歴史に名を残すほどの大発明だったハズだ。
魔術によって作り出される魔獣。それを人間の魂と融合させてその者の存在を作りかえる秘術。例の実験を基礎にして編んだこの魔術は、実際にはどういうわけか鬼災の魂と融合した瞬間不具合が生じてしまった。
何が原因なのかは不明。
鬼災の心が魔獣に喰われた、というのがもっとも確率的に高いのだが、しかしだとしても思ったほどの力を与えることはできなかった。
光焔八雲までもが敗れた今、もはやこの地に用は無い。もっと魔術の完成度を高め、そして今度こそ自分を愚かものと蔑んだあいつらを……。
「――――どこに行くんだ、ゴミ?」
忽然と周囲を莫大な殺気が覆い尽くし、闇から一人の男が出現する。
漆黒の衣服に包まれた、隻腕の男――黒慟忌閻。
魔術師は声を戦慄かせて、その名を呼んだ。
「忌閻……!」
「貴様のオモチャ、ありゃなんだ? 失敗作にも程があるだろ。オマエにあの秘術はマネできないし、そもそも昇華させるこなど絶対に不可能だ」
黒慟は薄い笑みを浮かべながら、
「オマエの人生は不毛に終わる。だが、まあ……それでも挑戦したその気概だけは認めてやる。だからここで死ね」
「……舐めるな。片腕を失ったあんたに何ができる? それに、忘れてはいないか? 私の魔術を」
瞬間、魔術師は呪文を詠唱し、瞬時に魔獣を作り出した。
現れ出でるはベヘモス。
破壊力に特化した重量級の化物だ。
黒慟はそれを見上げながらわざと驚いた風に口笛を吹く。それが魔術師に更なる不快を与え、もはや理性のリミッターは振り切られる。
「行けッ!」
魔術師が命ずる。
主の指令を受けたベヘモスは雄叫びを上げながら突貫し始め、一気に黒慟の下へと向かう。その刹那、天から一筋の閃光がベヘモスの脳天からおとがいまでを貫通し、さらに背中や腹部から無数の棘が飛び出した。
あまりの威力にベヘモスの下半身が浮きあがり、そして黒慟を殺すハズだった魔獣は何も成すことができずに消滅していった。
「――――」
何が起こったのか、魔術師は理解できずに呼吸することすら忘れてそこに在ったベヘモスの跡を見ていた。
(何が……どうなったんだ……?)
黒慟が何かしたようには思えない。真上から閃光が迸り、一瞬にしてベヘモスを屠り去った。
原因を解き明かそうと魔術師が行動に入った瞬間、何かが上から圧し掛かり、そのまま地面に魔術師を叩きつけて拘束した。首を押さえつけられているため、上に居るのが誰なのか分からない。
魔術師を拘束している何かは、腕の関節を極めて締め上げて行く。骨が軋んで行き、耐えられない激痛が体を駆け巡った。
「~~~~~~」
声とも言えぬ音が魔術師の口から洩れ、裏返りそうになる眼が黒慟を捉える。黒慟は笑みを浮かべて楽しそうに苦しむ自分を見ている。
「イリス、放してやれ。何か言いたそうだ」
黒慟が言うと、魔術師を拘束していた者はあっさりと腕を放し、静かに黒慟の隣へと向かい、立ち止まる。
自分を拘束していた奴は、まだ十代後半くらいの若い女だった。長い金色の髪に、整った容姿。だがその顔は人形のように無で、表情から感情を読み取るのは不可能。手には槍が握られており、恐らくはあの槍でベヘモスを粉砕したのだと思われる。
「…………キサマ、ら」
魔術師は息も絶え絶えに、勝てる見込みなどありはしないと理解しても尚黒慟に歯向かおうとした。
それに対し、黒慟は。
「俺たちは世界を救おうとしているだけだ。それに逆らうオマエは、世界を混沌へ向かわせるただの悪党に過ぎない。少しは正義感ってものを持ったほうがいいぞ」
一体どの口がそれを言うのか、と魔術師は思ったが、しかしこの男に何を言ってももはや意味は無い。
魔術師は手を掲げ、再度魔獣を生み出す。枯渇している魔力を補うには、自身の生命力を代用として使うしかないが、もはや躊躇などしていられない。どうせ死ぬのなら、せめて黒慟だけでも道ずれにしてやる。
現出するは終焉を告げる銀狼の魔獣。
神々をも震え上がらせ、かの伝説の英雄オーディンを倒した最強の巨狼である。
如何に魔獣とはいえ、力は先のベヘモスより数段上。そもそも、この魔獣は術者である魔術師自身も未だ完全に扱いきれない存在である。使役できないのでなく、彼のキャパシティをフェンリルが超えてしまっているのだ。つまりは命と引き換えに生みだした、彼の生涯の証しとも言える存在。
無論本物のフェンリルに比べれば、桁違いに矮小な存在だが、しかしそれでもこの森一帯を焼き払うことくらいはできる。
「黒慟忌閻……くたばれっ!!」
削られていく命。
魔術師が死ぬが早いか、それとも黒慟が死ぬが早いか。しかし、実際に動いたのは黒慟ではなくその隣の女、イリス。イリスは大地を蹴り上げ、飛翔する。そして体を大きく仰け反らせながら――手にしていた槍を投擲した。
瞬間、あり得ないことに突如空間から数十という鏃が出現。しかも威力はとてつもなく、あらゆるものを貫通していった。それはフェンリルとて例外ではない。そして鏃の次に待っている槍のトドメ。フェンリルの体内に突き刺さったそれは、ベヘモスを殺した時同様棘が体中から飛び出し惨殺する。
「が――ァァアアアアッッ!!」
自身の生命力で代用していたせいか、フェンリルを失った魔術師は胸を掻き毟りながら絶叫し、地面に倒れ伏してのたうちまわる。
「忌閻様。これを」
と、そんな魔術師を極自然に無視してイリスは何処からか光焔鬼災の腕を取りだし黒慟に手渡した。
「……中々良い出来だな、これは」
くつくつと嗤いながら、黒慟は肩口から無くなっているそこに、イリスから受け取った腕を付けた。すると、黒慟の傷口から触手のようなものが飛び出し鬼災の腕の中に入る。そしてジュウゥ、という音と共に煙を上げながら腕を結合させた。
「おぉ、意外に使いやすい腕だな、これは。さすが五大名家の当主。老いぼれても一級品だな」 新たな腕に慣れるため、黒慟は手を閉じたり開いたりしている。そして口をパックリと開きながら、未だ苦しんでいる魔術師の下へ近づいていく。
「はぁ……っ……ぅ、が」
あまりの痛みに嗚咽している魔術師を、冷めた目で黒慟は見下ろしながら、
「オマエは色々と俺に役立つことをしてくれた。それだけは、感謝しよう。じゃあ、死ね」
言って、黒慟は鬼災の腕の具合を確かめるように何度も何度も魔術師を殴り続けた。肉が潰れる音だけが森の中に響き渡り、やがて魔術師は反応しなくなり、無残な死体となってそこに捨て置かれた……。
結局、得るものは殆どなく傷を負っただけに終わってしまった。
右腕は当分使い物にならず、ろっ骨にもヒビが入っているとのことでしばらくは激しい運動は控えるよう医師に言われた。唐沢は知り合いに凄腕の医者が居るから、見てもらえばいいと言ってきたが、紫苑はそれを断った。何故ならその医者に掛かれば数分で傷が治るというからだ。
そんなことができる術者など世界を見渡しても居るハズないだろうし、存在しても莫大な金を請求されるのがオチだ。それに、唐沢の話しなど一々信じられない。あの男は肝心なことは話さない腐れ外道だから。
というわけで、紫苑は唐沢の提案を無視したので少なくとも一ヶ月は絶対安静にしなければならない。
まあ、実際はそれよりもう少しケガの完治は早まるだろうが。
この体は通常のそれとは違い、少し特殊だから治りも早いのだ。
しかし、それにしても。
(何つーか、平和な街だなァオイ)
紫苑はとある喫茶店の窓から、街に居る人たちを見てそう思った。
あの死の森と言われる青木ヶ原樹海での戦いは、僅かな気の緩みが死を呼ぶほど緊迫していた。それ故に、この街の人間のようにヘラヘラと笑っている余裕など無かった。
本当ならば五大名家が守護するこの街からはすぐに撤退した方がいいのだが、しかし唐沢は体を休めるにはこの街が最適らしく、しかも灯台下暗しにもなるから大丈夫だろう、とそんなことを言って何故か紫苑を引き止めた。
紫苑も今は出来る限りゆっくりしたかったので、そこだけは唐沢に同意して休息を取ることにした。
と、紫苑がぼけーっとしていると。
「……何か見えるのか?」
対面の席に座っている、長い黒髪に切れ長の目。そしてあまり表情の変化が無い少女が話しかけてきた。
彼女とは、何故だかこの喫茶店付近で良く会う。
そして何だかんだと店に入り、適当に下らないことを話しながら食事を奢ってもらう。それがここ最近のパターンである。
今日会った時は、腕のケガのことを少し訊ねられたが、車に轢かれたと言うとあっさりと信じ込み、気をつけるよう言われた。お前はオレの母親か、とツッコンでやろうかとも思ったが、しかし間違って彼女の機嫌を損ねてしまえば食事を奢ってもらえなくなるかもしれない。財布の中は小銭しか無いので、そうなると中々にキツイ。
だからこうして下手なことは言わないよう、窓の外を眺めてぼけーっとしているのだ。
「別に。ただヒマ人が多い街だと思ってな」
言いながら、紫苑はスプーンを持ってカレーを口に運んでいく。程良くスパイスの利いたここのカレーは、結構気に入っていたりする。
「まあ、今は夏休みだからな。でも、それを言うなら、君だってそうじゃないのか? もちろん、私もだが」
――――一緒にすんじゃねェよ小娘。
そう思う紫苑だったが、実際に口から出た言葉は、
「そうだな。まァ、平和でイイんじゃねェの?」
という真逆の言葉だった。
「ヒマなのは平和の証拠、か。確かに、その通りかもしれないな」
紫苑のその言葉に気を良くしたのか、少女は小さく笑いながら紫苑に他にも何か食べるか勧めてきた。ここらで食い溜めしておいた方がいいと考えた紫苑は、それとなく高い品ばかりを注文することにしたのであった。
どもです、トナカイです。
第四章、終わりました。
次の章はちょっとのんびりと、のほほんと行こうと思います。
それでは、お楽しみに。
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