第二十八話
炎の如く怒濤の攻めを繰り広げる紫苑の攻撃を、柳のように華麗に力を受け流して八雲は攻撃に転ずる。完全に互角の戦いは終わりを迎えることがないように思えた。
だが、紫苑はまだ一撃でこの戦いに幕を下ろす必殺を出していない。
幾度目かの鍔迫り合いの形になり、紫苑と八雲は互いに渾身の力を出し合い、後方に弾け飛んだ。紫苑は足腰に力を入れて地を抉りながら踏み止まり、八雲は中空で回転しながら上手く衝撃を緩和し、それぞれ十メートルほど離れた地点に降り立った。
「イイ加減飽きてきたな」
「…………」
紫苑の言葉に、八雲は無言。紫苑もそれを分かっていたかのように笑い、そして破滅へ誘う呪いの剣の刀身に赤い魔力を巻きつかせていく。
「悪ィけどよォ、オレは先急いでんだ。――――お前はここで愉快なオブジェにでもなってなァッッ!」
極限まで凝縮された赤い魔力は、紫苑のテュルフィングの刀身を赤く輝かせる。そして紫苑は怒号と共に下から上へと逆袈裟に振り上げた。瞬間、赤い魔力の波動が地面を削り取りながら死を与えんと八雲に襲い掛かる。
壊滅的な破壊音を周囲に撒き散らしながら迫る赤い死に、しかし八雲は取り乱さずしっかりとその二つの眼を見開き、横っ跳びでかわすことに成功した。標的を失った波動は、そのまま直進し続け手当たり次第に木々を薙ぎ倒していく。
あんなモノが人間の体に触れれば、細胞の欠片すら残さず塵と化してしまうだろう。
それほど、紫苑の必殺の一撃は威力がある。
「あァ――……ちょこちょこと面倒な女だなァテメェは。じっとしとけよ、痛くしねェから」
痛みを感じる前に死ぬから、と言葉にはせず紫苑はその場の雰囲気で八雲に伝える。
八雲は後ろを振り返り、消滅した自然を見て、小さく溜息を吐いた。もはや紫苑には人の心が無いと決めつけ、静かな怒りを胸に抱く。
紫苑も八雲の殺気が強まったことに気づいてはいるが、しかしそれで臆するような性格の持ち主でも無い。
朱月紫苑は強い。五大名家とも互角にやり合えるほどに強い。だが、彼が生物である以上、必ず欠点というものが存在する。そして、光焔八雲はその欠点を既に見抜いていた。
紫苑は笑みを浮かべてどう八雲を料理するか考えていた。その表情からは自分が負けるなどあり得ないという意思が如実に表れている。
そして、紫苑が八雲に近づこうと足を踏み出した瞬間。
ジュッ、と。頬に何か熱いものが触れた。
「あん?」
紫苑は眉を顰め、軽く火傷した頬に触れる。そこには既に何も無い。気のせいでないことは、この痛みが証明している。
そして、紫苑が視線を八雲に移すと。
(なん、だ……ありゃァ?)
人魂のような光の球が、ふわふわといくつも八雲の周辺を漂っている。彷徨うように、守護するように、八雲から離れず不規則な動きをしている。
「…………」
紫苑は目を細め、その光の球体を観察する。これが一体どういう理屈で起こっているか、ということ以前に、どうして魔術師染みたことを退魔師である八雲が行えるのか。一瞬、例の魔術師がどこかから手を貸しているのかとも思ったが、だとしたらこんな回りくどいやり方ではなくまた魔獣を作り出し八雲と共に紫苑を襲ってくればいい。そうすれば、さすがの紫苑と言えど成す術もなくやられるだろう。
それをしないということは、やはりこの光は目の前の八雲が起こした現象だということか。
(そういやァ、唐沢が言ってたな。五大名家はそれぞれ特殊な力を持ってるとかなんとか……)
あのシルフの街に居を構えている、五大名家が一つ、神夜一族。
彼らは風の精霊シルフの血を引くと言われているため、風の加護を受けている。故に、退魔師であるにも拘わらず魔術師に匹敵するほど風の制御に長けている……らしい。実際にこの目で見たわけではないので、それがどれほど凄まじいものなのかは分からないが、この八雲もまたそれと似たような力を使えると考えた方が良さそうだ。
と、紫苑が思った刹那、光の球体が物凄い速度で向かって来る。
「――――ッ」
紫苑は寸でのところでそれをかわすが、しかしかわした先には待ってましたと言わんばかりに八雲が干将を横一文字に振るい、紫苑は身を屈めてそれを避けた――と思った矢先には光の球が迫って来ている。
(まずッ――!)
いくら何でもそれは避け切れなかった。光の球は紫苑の腹部にメリ込み、そして。
「ガッ!――――ゴハァ!?」
一気に紫苑は後方に吹き飛んでいき、地面を滑りながら樹齢数百年という大木に衝突し、ようやく止まることができた。
(なん、なんだよ……今のは……)
信じられない威力だった。野球ボールよりも一回り小さい光の塊のくせに、攻撃力だけは尋常ではない。しかも八雲の攻撃をかわした直後だったため、カウンター気味にもらってしまった。今の一撃は正直――ヤバイ。
「――――行きなさい」
光の球が高速で向かって来る。その数実に三つ。しかもそれら全てに意思が働いているのか、それとも八雲の意思なのかは不明だが、しかしどれもが個別の動きで襲いかかって来る。
食らえば大ダメージは確実。
「舐めてんじゃ――ねェッ!!」
裂帛の気合と共に、紫苑は赤い魔力を操作してテュルフィングの刀身に巻き付け、振り回す。赤い魔力と光の球は衝突し、相殺される。ザマァみろと紫苑が笑うと、
「戦いの最中に気を抜くのは、自殺行為ですよ」
声は背後から。
「――――!」
紫苑が気づいた時には、既に干将・莫耶は振り下ろされていた。
八雲の剣は紫苑の右腕を肩口から手首の辺りまで縦に斬り裂いていった。焼けるような激痛。腕は辛うじて繋がってはいるが、しかし動かない。いくら利き腕ではないとは言え、片腕で目の前の敵に勝てるとは到底思えない。
八雲は言う。
「あなたは強い。けれど、それを支えるものが何一つない。ただ暴れて、壊すだけ。それでは、どれだけ力を得ても、私には勝てませんよ」
紫苑と八雲は、実力に差など無かった。この結果は、両者の想いの差が表れただけのこと。
壊す者と守護する者。弱さを捨てた朱月紫苑は、弱くは無いが強くも無い。光焔八雲は、弱さがある分強さもある。
「…………ッ」
紫苑は動かない腕を押さえながら、自分を見下ろす八雲を睨みつける。
ここに、勝敗は決した……。
遠くで何かが爆発するような音がした。
それは紛れもない、戦いの音。森に入った賊を討つべく、ただ一人向かって行った姉が今戦っている。姉は強く、きっと負けないだろう。でも、それでも。
人間なんて簡単に死んでしまう。本当に、あっさりと。どれだけ体を鍛えても、どれだけ健康に気を使っても、些細なことで死んでしまうのだ。それは退魔師とて同じ。強い姉とて同じ。
(姉上……)
煌真は自室で待機し、姉――八雲の帰りを待っていた。話によると、賊は一人ではないという。それが余計に不安を掻き立てる。一対一の戦いなら負けないだろうが、相手が何人もいるのなら……もしかする場合だってある。
(やっぱり……じっとしてられない!)
煌真は立ち上がり、外に出る。一面に広がる深い樹海。その奥には、今も八雲が一人で命を懸けて戦っている。姉ばかりに重石を背負わせるわけにはいかない。自分だって、【光焔】の退魔師。光の焔の名を冠する、由緒正しい宗家の一人。
そして、煌真が森に入ろうとした時。
「煌真様、どちらに行かれるおつもりですかっ!」
つけられていたのか、従者の一人が煌真を呼び止めた。
「…………」
煌真は振り向かず、押し黙っている。そこを機と見たのか、従者が一気に畳みかける。
「あなた方光焔の直系は、自身の魔力を光の焔へと変換する特異能力を有していますが、しかしそれを使いこなすには厳しい鍛錬が必要。八雲様とて、煌真様。あなたくらいの年齢の時は、何があってもここで待機して――」
「姉上は、ここで僕を護ってくれていたんだ」
従者の声を遮るように煌真が言う。
そう、確かに今まで生きてきて、何も問題が無かったわけではなかった。妖魔が現れることもあれば、【光焔】の力の秘密を暴こうとした輩がたくさん居た。その間も、八雲はずっと自分を護ってくれていたのだ。抱きしめて、何度も大丈夫と言い聞かせてくれた。ずっとずっと姉に頼り切りだったけれど、しかし、それは決して当たり前のことではなかったハズ。
確かに自分は未熟者だが、しかし何もできないのとしないのは、同義ではない。今こそ護ってもらっていた恩を返す時。
「僕は行く。ごめん」
煌真は振り返り、従者の制止の声すら無視して八雲の力になるべく森へと入って行った。
彼女の進む道には、常に死体が置かれている。
あたかもそれが当然であるかのように、【光焔】の従者は平伏し、血まみれになって息絶えていた。もはや引き返すことなどできないところまでこの身は闇に染まってしまった。抜け出せないのなら、もう奥へ奥へと進むしかない。その先に、死という終わりが待っていたとしても。
リゼットは死んだ【光焔】の従者を無視し、ゆっくりと屋敷内に居るであろう当主の下へ向かっていた。もはや【光焔】は死に体も同然。実質二人の賊に壊滅寸前まで追い詰められている。
「……直系は、いないのか」
「みたいだね。案外、朱月クンのところに行ってたりして」
冗談交じりに言う唐沢だが、しかしそれは見事に的中しているということは今は知る由も無い。だが、辺りを見渡して、さらにこの静けさから推測されるに、“闇喰らい”は確かにまだ辿り着いていないようだ。唯一樹海の道順を知っている唐沢が居ないのだから、それも仕方がないと言えるだろう。
別に“闇喰らい”が居なくともここまで来ればあとは自分一人の方が逆に動きやすい。
「唐沢。オマエは“闇喰らい”を捜しに行け。でないと、次会った時殺されるぞ、オマエ」
その時自分は助ける気は無いと、言葉にはせずに伝えるリゼット。
「た、確かにそうかもしれないねぇ……」
冷や汗を垂らしながら、唐沢はゆっくりと後ろに下がって行き、
「じゃ、じゃあ……僕は朱月クンを捜して来るよ。すぐにもどるから、あまり無茶はしないようにね」
敵陣の本丸に辿り着いて何もするなというのは、どうなんだろうとリゼットだが、しかしあまり話しているのも時間の無駄なので適当に相槌を打った。それを確認した唐沢は、脱兎の如く“闇喰らい”の下へと向かって走り去って行った。
とにかく、面倒そうな直系がいないのであれば、このまま当主のところに行って真相を問い質すだけ。そう難しいことではないだろう。
と、リゼットが思った、その時。
屋敷にある一室の扉が、突然破壊音と同時にこちらへ吹き飛んできた。
「――――!」
十メートル近く離れていたため、リゼットでもそれをかわすことができたが、しかし一体誰が。リゼットは眉を顰め、扉の無くなった部屋を睨みつける。
「……光焔に逆らう賊がいると聞いて楽しみにしておれば、ただの小娘か。下らん」
現れたのは齢七十は越えていると思われる、老人だった。シワだらけになった顔に、折れ曲がった腰。口ぶりから察するに、こいつが【光焔】の当主で間違いないのだろうが、しかしとんだ拍子抜け。これではもう、退魔師として生きていくのは難しいだろう。
それがリゼットの客観的な意見だった。
「まあ、良い。小娘、キサマで試させてもらうぞ」
何をだ、と訊ねるより早く、老人は実行した。
腕から棘のようなものがいくつも飛び出して行き、血が滴り落ちる。瞳が上下左右に小刻みに、凡そ自己意識ではどうやってもできないだろうと思われる速度で、揺れる。
口からは人間ではあり得ないくらいに伸びた舌が垂れ下がり、金色に染まった瞳がリゼットを捉える。そしていつの間にか折れ曲がっていた腰は、真っ直ぐに戻るどころか人体構造が大きく変わり、筋肉が着ていた和服を破くほどに付いている。
そして。
「では、始めようとするか、無能な賊よ」
人間を越えた巨躯を手にした老人は、静かに丸太のような腕を振り上げ、リゼットへと殴り掛かった……。
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