第一話
『第一章・赤き来訪者』
シルフの街。
日本の都市部にあるこの街は、裏世界ではそう呼ばれていた。
高層ビルやマンションがいくつも並んでおり、人間の築いた文明を表しているようだった。
そんなとあるビルの屋上に、一人の少年が立っている。
見た目の年齢十六〜十七歳程度。だというのに、髪は老人のように真っ白だ。闇夜の中でも不気味に輝く赫い瞳をした少年――朱月紫苑は、この街を一望しているように見えるが、実際のところ彼は街など見ていない。彼は何かを探しているようだ。目を細め、茂みに隠れて獲物を探す捕食者のように、彼は何かを追い求めている。
と、彼の唇が吊り上がる。
邪悪そのものの顔。殺意に狂い、狂気に歪んだ笑みを浮かべ、紫苑はゆっくりと見つけた何かの下へと歩き出す。
ビルから出て、紫苑はグルリと辺りを見渡した。人の気配など微塵も無い、闇の世界。異常な程静まり返ったここは――――、
(…………結界、か。愉快なマネしてくれんじゃねェか)
ニィ、と紫苑は笑う。
この結界は、人の生気を吸い取るタイプのようだ。このまま何もしなければ、紫苑は干からびたミイラと化してしまうだろう。結界を破るには、術者を殺す必要がある。しかし、その術者が結界の外に居れば殺すことはできない。
ならば、もう一つの手段。
力ずくで、この結界を破壊する。
だがそれは当然、この結界を張った術者も心得ていること。だとすれば……、
「――――やっぱ、番人ってのがいるよな」
紫苑がゆっくりと振り返る。すると、いつの間に現れたのか、そこには一匹のゴーレムが居た。全長五メートル程。人間などあっさりと踏み潰せてしまえる程巨大な化物。
「これはアレだ、式神だか使い魔だかってヤツだよなァ? っつーことは、術者はンな遠くに居る訳でもねェってことか」
なるほどなるほど、と紫苑は笑いを堪えながら呟く。
目の前に自分より遥かに巨大な化物が居るというのに、彼は全く動じていない。――いや、それ以前に興味すら抱いていない。ゴーレムなど彼にとっては蟻のようなもの。如何にそれが巨大な存在だったとしても、それが自身の命を脅かす存在ではない以上恐怖を感じるハズがない。
それを察してか、ゴーレムが天を衝く程の雄叫びを上げ、紫苑を捻り潰すべくその鉄拳を振り下ろした。
ゴズンッ!!
という轟音が響き渡る。あまりの衝撃に、辺り一帯の地盤が激しく揺れる。地割れが発生し、呑み込まれていく民家やマンション。結界という疑似世界だからよかったものの、万が一これが現実世界で起きたなら、大惨事もいいところだ。一体どれだけの死傷者が出るのか、想像もできない。
地盤沈下を起こせる程の威力を持ったゴーレムの鉄拳を食らえば、生きている者など存在しない。そう、それが通常の人間ならば。
「危ねェな。随分と危ねェマネしやがる。お前、オレを殺す気か?」
ゴーレムがゆっくりと振り返る。そこに居たのは、朱月紫苑だ。赤いコート、白い髪、赫い瞳。どこも変わった様子が無い。彼は、今の一撃を完全にかわしていた。
「力だけは本物の岩石の巨兵とタメ張るな。良くできた人形って褒めてやるよ」
紫苑はどこかで自分を観察している術者に向けて、そう言った。無論言葉は返って来ない。しかしそれでいい。この現状を、そしてこれから起こる惨状を、しっかりと見届けてくれれば十分。
紫苑が虚空に手を伸ばす。
掌に集うは、夜より暗い闇。
一瞬にして顕現するは、漆黒の大剣。
「■■■■――――ッ!!!!」
ゴーレムが吠える。
両手を組み、単純計算で先程の倍の威力と化した鉄槌。
紫苑は動く気配すらない。あんなものが直撃すれば、塵も残らないだろう。
だというのに、朱月紫苑は――嗤っていた。
ゴガンッ!!
という甲高い音。
先程の倍以上の力を行使したにも拘わらず、街に変化はない。しかしそれも当然。ゴーレムの拳は、地面に触れてはいないのだから。
「――――こんなモンか?」
ギリギリと、ゴーレムの拳を紫苑は漆黒の剣で受け切っている。力を入れ過ぎているため、ゴーレムの体が震えている。しかし、紫苑の何倍もの大きさを誇るゴーレムがそれ程力を込めてるというのに、当の本人は涼しい顔をしている。おまけに、片手だ。
人間ではない。
もしここに第三者が居れば、そう思っただろう。
いや、ゴーレムを操る術者は、既にそう思っているかもしれない。
化物に対抗できる存在は、いつだって化物なのだ。
ただそれが、人の形をしているかどうかの違いだけ。
紫苑が剣を振り切る。あっさりとゴーレムの腕は弾かれ、ヨロヨロと後退。もはや勝敗は決した。どちらが強者だったかのかは、わざわざ言うまでも無い。
「――――消えちまえ」
紫苑の漆黒の剣に、赤い何かが巻きついていく。螺旋を描くように、漆黒の剣の鍔から切っ先まで。そして、放たれる。
大きく剣を振り被り、紫苑は赤い三日月形の波動を解き放った。全てを撒き散らし、頑丈なゴーレムの体を容易く打ち砕き、この結界すら容易に破壊した。
一撃の下に、文字通り全てを捩じ伏せた紫苑は漆黒の剣を上から下へと適当に振るう。すると何がどうなったのか、剣は消えていた。
倒壊していたビルや破壊されていた地面は、それが嘘だったかのように元に戻っている。……いや、実際あれは嘘だったのだ。結界は現実とは違う虚像世界。元より存在しない世界が、どれだけ破壊されようが現実世界に支障を来すことは無い。
紫苑は静寂を取り戻した街で、もう一度辺りを見渡した。しかし誰もいない。式神を失った術者は、さっさと逃げてしまったのだろうか。
「さァて、と。子猫ちゃんはどこに行ったかのなァ……?」
謳うように紫苑は呟きながら、ゆっくりと夜の街へと消えて行った……。
同時刻。
この街に蔓延る悪鬼邪霊を一人の少女が見据えていた。
癖の無い膝程まである黒髪に、気の強さを象徴するかのような切れ長の目。巫女服姿の少女の手には、銀色に輝く刀が握られていた。
「……失せろ」
少女が呟く。
同時に、十を超える【魔】が一斉に少女に襲い掛かる。それに対し少女は、緩やかに刀を振るうだけ。それだけで、殆どの妖魔が消しとんだ。少女の体を守護するように周囲の風が収束し、邪気を打ち払う。
氷のような冷たい殺意。気高くも儚い印象を与えるその少女は、人々を喰らう妖魔をも凌ぐ力を持っていた。
一瞬にして仲間の大半を失った妖魔は、統率を失い個々に動き始めている。だがそのどれもが、逃げるという選択肢を使わない。バラバラだが、少女を殺そうとしている。少女は目を細め、しかし一瞬たりとも気を抜くことはせずあくまで冷静に、【魔】を屠る。
蒼き風をその身に纏い、【魔】を浄化する力を持つこの少女を、人は神夜の巫女と呼ぶ。
日本には退魔師の一族が多い。魔術師の一族が無い、という訳ではないのだが、しかし全体で見るとやはり魔術師は少ない。そもそも魔術とは西洋のものが主流だ。日本にも宗教はあるものの、それらはあまり魔術としては使われない。日本人は武器が好き、と言えば少し聞こえは悪いかもしれないが、何百年以上も昔から刀を使い、銃を使い、戦い抜いてきた。他国でもそれは同じだが、しかし日本人はそれを美しいと思う気持ちが一層強かった。
その結果、日本は世界でも有数の退魔師を生み出す国となった。
そして、その日本の中でも群を抜いて強い力を持つ一族。それが五大名家。
『御剣』・『白鳳』・『神夜』・『星凪』・『光焔』。
これらは通常の退魔師とは一線を画し、常軌を逸した力を有している。
その中の一つ、神夜は精霊シルフの血を引いていると言われている。それが事実なのかどうかは不明。だが、神夜の退魔師が風を制御できるというのは真実である。
神夜一族次期当主、神夜澪奈。
呪的防御が施された巫女服を着て【魔】と戦う、日本屈指の退魔師だ。
重心を前に、体を低くする。妖魔が動き出すのを見計らい、一気に飛び込む。常人を超える身体能力の退魔師に、常識など無い。近接戦闘にだけ限れば、退魔師は最強だ。
熊のような体躯をした妖魔が、爪を振り下ろす。それを斜めに踏み込み、かわす。髪に掠り、数本地に落ちるが微塵も動揺はしない。熊のような妖魔をかわした先には、新たな妖魔がいる。いや、前方だけではない。左右にも既に。
「――――」
澪奈は小さく笑う。
体を反転させ、刀を振るい、流れるような動きで妖魔を斬り裂いていく。それは、第三者から見れば踊っているようにも見える。無駄の無い動き。それ故に、澪奈の動きは遅く感じる。だが、実際には違う。妖魔の次の一手を先読みし、且つ攻撃に転じている。前後左右を妖魔に囲まれている以上、一瞬でも止まれば命は無い。
だが――――、
「……ん」
澪奈が小さく言葉を漏らす。妖魔の手の甲に、トン、と軽く手を添える。それだけで妖魔の必殺の爪の軌道は逸れた。
同時に澪奈は刀を逆袈裟に振るっている。妖魔の身体を二つに斬り裂き、吹き出る黒い血が視界を塞ぐ。その隙を狙い、妖魔は澪奈に飛び掛かる。だが、神夜の能力は風を制御できることにある。
故に――敵の位置など、目を閉じていても手に取るように分かる。
「遅い」
短く呟き、背後から飛び掛かって来る妖魔を相手に、澪奈は体を反転させながら斬り裂いた。ドッパァ! という破裂する音。黒い返り血を浴びながらも、彼女の目の光は僅かも穢れない。
残る妖魔は二体。
しかもその二体も、既に半死半生の傷を負っている。勝敗は誰の目にも明らか。しかし、妖魔は逃げない。妖魔にも、人間と比べればかなり低いが知能はある。死を恐れるくらいの感情もある。死を恐れない生物などそうはいない。それは悪意の塊である【魔】も同じ。
だというのに、この妖魔は逃げない。
それらが指す真実は、一つ。
この場から逃げたとしても、殺される。何をどうしても、殺されるという未来を変えることはできないということ。
(使い魔の類……か。やはり、黒魔術師がこの街に潜んでいるのか)
面倒だ、と澪奈は小さく呟く。
【魔】を使い魔にするには、力を示さなければならない。自分に従わせるには、力で服従させるしかない。
つまり、神夜の巫女以上に、この妖魔の主は恐ろしいということに他ならない。
その事実を把握した澪奈は、静かに妖魔にトドメを刺した。
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