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第十七話
 深夜一時を過ぎた頃、何となく友弥は眠れなかった。夏だから寝つけが悪い、ということもあるのだろうが。今が夏休みで本当によかった、と友弥は思う。これが普通の日ならば、確実に遅刻だ。眠れないなら、もう少し起きておくのもいいか、と友弥は思い、暇潰しにコンビニにでも行こうかとベッドから起き上がったところで。
「……ん?」
 携帯が鳴った。
 もう一度言うが、今は深夜の一時。普通、常識のある人間ならば電話などしてこないだろう。友弥が元から夜中遊び回っているのならともかく、友弥は生憎そういうことはしない。
 友弥は誰からだ、と思いながら携帯を手に取り、画面に目をやった。すると、そこに表示されているのは彼女である巴――の、自宅からだった。
 巴と付き合うに渡り、例の誓いの儀式(友弥はそう呼んでいる)の折、何かあった時にと一応神夜家の電話番号を教え合っていたのだ。だがそれはただのポーズのようなもので、恐らく掛けることも掛かってくることも無いだろうと、そう友弥は思っていたのだが……掛かってきた。

「もしもし?」
 友弥が出ると、神夜の親戚なのだろうか、何やら切羽詰まったように巴と一緒に居るのかどうか訊ねてきた。
 友弥は素直に巴は居ないと言った。すると、電話の主はかなり動揺しながらも必死に冷静を装い、静かに夜分遅くすいませんと謝罪して電話を切った。
「…………」
 友弥は電話のことが気になり、少し自分でも考えてみた。巴と一緒に居るのかと訊ねてくるくらいなのだから、当然自宅に巴は居ない。中学二年生で、しかも夏休みともなればこの時間になっても外で遊んでいるのは、まあそこまで珍しくは無いだろう。特に巴は活発な女の子だから、尚更。
 だが、電話の主はもっと別の何かを危惧していたように思える。それに、自分の携帯に電話してきたということは、巴とは連絡がつかないということではないのか。
「…………」
 友弥は何だか不安になってきた。
 一ヶ月前のような、あんな事になっているのではないか。また血だらけで苦しんでいるのではないか。巴はいつ死んでもおかしくないような世界に居る。巴と付き合うということは、そういう覚悟をしておかなければならないと、巴の親戚にも言われていた。でも、そんなことにはならないとも言っていた。巴が前線に出て戦うのは、まだ先だと。
 しかし、それでも危険は付いて回る。そして、巴の親戚が焦っていたのは、巴が単に居なくなって連絡が取れなくなったからだけでなく、もしかすると、今この街に【魔】的なモノが蔓延っているからではないのか。
 友弥は居ても立ってもいられず、巴に電話を掛けた。
 これが繋がらないということは解っている。何度も親戚の人は電話したのだろうし、そもそも【魔】的なモノと戦うのであれば携帯など持っていても邪魔なだけ。
 だから、これは無駄な行為である。
 でも、友弥はそれでも巴の安否を確認するために何度も電話していた。そして、この世に無駄なことなど一つとして無い。

『もしもし?』

 透き通るような、それでいて男似た口調の声。
 それは、まさしく神夜巴の声である。
「――――」
 友弥は、絶対に出ないだろうと心の奥底で思っていた故に、言葉が出なかった。出て欲しいと願ってはいたにも拘わらず、巴が電話に出た後のことを考えていないのは、まあ……極限状態だったのなら仕方ないとも言える。
『先輩? どうしたんだ?』
「そ、それはこっちのセリフだ、神夜。お前今どこに居るんだよ? みんな心配してたぞ」
 友弥がそう言うと、巴は『うぅ、もうバレたのか……』と一応罪の意識はあるようなことを呟いた。
「何があったのか知らないけど、あまり心配させんなよ。さっさと家に帰って、心配してる人たちに謝っとけ」
 と、友弥が言うが。
『……すまない、先輩。それはできないんだ』
「え?」
『わたしは……わたしも、退魔師だ。戦わなければならない。いつまでも、姉さまに頼っていてばかりでは、先に進めないと思うから』
 巴のその言葉で、この街にナニかが居るのだと友弥は確信した。巴はそれと戦おうとしている。これは裏世界の出来事であり、表の人間である友弥が関与してはならないこと。巴が【魔】的なモノと戦うことを、渋々ながらも友弥は認めてしまっている。だから、戦うなとは言えない。
 でも、それでも思ってしまう。
 どうして巴なのか、と。
 別に他の誰かでいいではないかと。何故、【魔】と戦うのが巴なのか。
「…………」
 沈黙が続く。
 裏世界のことに干渉しないという、巴との約束もある。だから、この件に関しては友弥は巴に口出してはいけない。巴もそれを分かっているのか、
『先輩、そろそろ……切るぞ』
 と言ってきた。
「うん……それじゃあ、気をつけてな」
 そんな言葉しか言えない自分を、歯痒く思う。
 巴と友弥は、重苦しい雰囲気になってしまい、ここで電話を切ってしまえばこれが二人の関係に亀裂を入れてしまうのではないかと、そう思っていた。何を話すでもなく、ただ互いの呼吸音だけしか聞こえない。
 と、そこで異変が起きる。
『ん? なんだ?』
 巴は何かを見つけたのか、警戒するような声で呟いた。――――その瞬間だった。
『な!? お前、なに、を……!』
 鈍い打撲音と共に、巴の苦しそうな声が電話越しに耳に届く。
「神夜!? おい、どうした神夜!」
 友弥が叫ぶも、返事は無い。代わりに、何やら必死に笑いを押し殺しているかのような、そんな邪悪なくぐもった声が聞こえる。
 巴の側に誰かいる。
 友弥は必死で巴の名を叫ぶが、そのまま一度も巴は言葉を発することをせず、電話は切れてしまった。



 神夜澪奈は吸血鬼討伐のために街に出ていた。
 一向に吸血鬼は現れず、しかし吸血鬼に襲われたであろう死体はあちこちに散らばっていた。殺し方は多種多様だったが、その全てが例外無くミイラ化。明らかに吸血鬼の仕業だと解る。澪奈は一刻も早くこの死を撒き散らす化物を殲滅すべく、街を走り回るが――その時。
 突如携帯が鳴った。
 電話の相手は自宅からで、澪奈が吸血鬼退治に向かっていることを知っている神夜がこうして電話を掛けてくるなどまずあり得ない。だが、実際に電話が掛かって来ている。
 ということは、何かあったのか。
 澪奈は電話に出る。そして、電話の主が開口一番に、
『澪奈様、巴様が居なくなりました!!』
「――――」
 それはあまりにも単刀直入だった。澪奈が何かを言う前に電話の主はそう言って、かなり焦っているようにどうすればいいのかと澪奈に訊ねている。しかし、そんなことは本来澪奈が関与することではない。今の澪奈が最優先に行うべきは、吸血鬼を滅すること。それ以外は、全て余分に過ぎない。それがただの雑魚ならばいいが、相手は楽観的に見ても自分と同等以上。余計なことに神経を使わせるなと、冷たいようだが、言い放ってもおかしくない。
 だが、それができないからこそ神夜澪奈は、神夜澪奈なのだが。
「そうか……巴のことだから、たぶん私の所に向かって来ているんだろう。こちらで何とかするから、お前たちは心配するな」
 こんな状況でも澪奈は一族の長として冷静に下の者を安心させる言葉を吐いた。電話の主はホッと胸を撫で下ろし、皆にそのことを伝えると言って電話を切った。
 澪奈は携帯を手に持ったまま、小さく溜息を吐いた。疲れているのだ。肉体的では無く、精神的に。どれだけの才能があろうが、まだ十と六の小娘。神夜という、総勢百を超える大一族をまとめ上げるには、まだ若過ぎる。
 だがそれでも弱音を吐くことはできない。次期当主ならば、これくらいの苦難は当然乗り越えなければならない。
「…………」
 澪奈は携帯の電話帳の中から、巴を選択し、電話を掛けた。



 
 空が闇に染まる。
 それはこの世の裏に潜むモノたちが動き出す合図である。
 闇に生きる一人の朱月紫苑は、知り合いの情報屋である唐沢継光の寄越してきた情報を下に、街に出て黒慟忌閻を捜していた。何としてもあの男はこの手で殺す。それは紫苑がこの道を行くと決めた時に己に課した、一つの目的でもある。あの戦いに参加し、生き残った男。実力はあるが、決して一流にはなれない半端者。
 それが紫苑の知る黒慟だ。
 あの時はともかく、今の自分ならば、容易に殺せる。
 だが、昔から逃げ足だけは一流で、あの男が本気で隠れたなら見つけ出すのは中々に骨が折れる。
(……ここでもねェ、か)
 紫苑はアスファルトの地面に手を当てている。
 魔力を地面に流し、そこからこの周囲に黒慟が居るかどうか探っているのだ。人はどれだけ魔力を隠そうとしても、完全には隠しきれない。最大で半径百メートルほどなら、紫苑はどこに誰が居るのか知覚することができる。
 まあ、広いこの街で百メートル付近を探っても、殆ど無意味なのだが。
 紫苑は面倒そうに頭を掻きながら、再び歩き出す。――――と、そこで、あるものが目に入った。
「あん?」
 地面に何か落ちている。それは携帯で、女が好んで使いそうなピンク色だった。紫苑は手に取り、ジロジロとそれを見て――気づく。
 僅かだが、あの男……黒慟の魔力がこびり付いていることに。
 何年経とうが、この陰湿で気味の悪い感じは決して忘れることは無い。
(まさかこの携帯がアイツのモンって訳は……ねェよな)
 我ながらおかしな発想をするものだ、と紫苑は思うが、ではこれは一体誰の物かと考える。
 まあ、恐らくは黒慟がこの携帯の所有者を襲ったのだろう。そしてその時に、この携帯はここに落ちた、と。そういうことなのだろうが……一体、何のために?
 とそこで、紫苑は思い出す。唐沢の言っていた言葉を。
 先日現れた黒魔術師と、黒慟忌閻は繋がっているかもしれない。
 唐沢はそう推測していた。
 何の目的かは、紫苑には解らない。魔術方面の話はさっぱりだが、それは黒慟も同じハズ。一体、何を企んでいるのか。
 と。
 携帯が鳴り始めた。
 紫苑のではない、この落ちていたピンクの携帯が、だ。
 画面表示には『姉さま』、と表示されている。
「…………」
 紫苑は一瞬だけ逡巡したが、やがてゆっくりと通話を押し、耳に当てた。
『もしもし、巴か?』
 電話の相手は女だった。黒慟では無い。
「いーや、残念ながら人違い」
 紫苑がそう言うと、女は押し黙った。何かを考えているのだろうか。 
 そして。
『……誰だ、お前は』
「誰だってイイだろうが、別に。っつーか、この携帯の持ち主なら、たぶん今頃陰湿変態ちゃんにイタズラされてることだろうよ。残念だったな」
『……場所は』
 女が脅すような声で言う。電話越しでも伝わって来るその殺意は、紫苑でさえ僅かに震えが来るほど。
「知らねェよ。オレだって、まだその陰険野郎を見つけてねェんだからな」
 女はまた黙った。
 そして、もう電話を切っていいか、と紫苑が訊ねようとしたところで、
『私の、大切な妹なんだ。……たった一人の、妹なんだ』
 意味不明なことを言って来た。
 そんなことは紫苑には知ったことではないし、どうぞ好き勝手にシスコンよろしくやってろ、と思う。これは別に紫苑が薄情だから思ったことではない。人間など、所詮はそんなもの。赤の他人がどうなろうが、どうでもいい。自分に無関係なことならば、全てテレビの中の出来事のように無関心を貫き通す。それが人間。
 それは間違ってはいない。それが、人間として当たり前の思いである。だというのに、人の命など紙切れ同然と思っている、“闇喰らい”が、知るかという、その一言を女に言えなかった。
(アイツにゃァ、この妹とやらが必要ってことだよなァ。……なら、目の前でそいつを分捕っちまえば、アイツの間抜けな顔が拝めたりすんのか……?) 
 そう考えることで、紫苑は答えを出した。
「ついで、ってことなら、助けてやっても構わねェぜ。その代わり、あくまでついでだ。オレの邪魔になりそうなら、問答無用で切り捨てる」
 紫苑は女の罵声を待ったが、実際に来た言葉は、
『ありがとう』
 だった。
「はァ? お前、オレの言葉の意味理解したか? オレは――」
『赤の他人の頼みを聞き入れて、赤の他人の妹をついでに救ってくれる人だろう?』
 女が笑っているのが分かる。
 どれだけプラス思考なんだ、と紫苑は毒づき、電話を切る。あのままあの女と会話していたら、自分という存在が根底から崩れてしまいそうだった。

(…………、面倒臭ェ)
 紫苑は星の無い闇だけが存在する空を見上げ、一人そう思った。
 
 
 
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