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綵縷使い~さいるつかい~

夜桜連理~綵縷使い 弐~

作者: 遊森謡子

『綵縷使い~さいるつかい~』続編です。前作をお読みになってから、どうぞ! なお、実際の地名が出てきますが、この物語はフィクションです。

 数年に一度、旧暦の七夕の夜に、末広と加賀見の一族は『七夜場(なよば)』と呼ばれる「場」――儀式を行う。


 市ヶ谷にある末広の本家、その地下深くには広い空間が存在し、地下にも関わらず総檜造りの壮麗な御殿が建っていた。

 不思議なことに、御殿の上にはいつも夜空が広がっていて、星の瞬きに埋め尽くされている。地下だということを差し引いても、東京でこのような美しい夜空が見えるはずがない。もしかしたらこの場所は、はるか昔の夜空につながっているのかもしれなかった。

 篝火に煌々と照らされた白い玉砂利の庭にはかすかに松脂の香りが漂い、据えられた漆塗りの卓の上に野菜や果物、針と糸などの供物が並べられている。庭を見渡す大広間の両端には着飾った大人たちが並び、初めてこの儀式に望む子どもたちを見守る。


 七歳だった俺は、そこで、九歳の由布様に出会った。


◇  ◇  ◇


「おはようございます」

 勤務先の人事部の部屋に入ったとたん、吉沢先輩が目ざとく声をかけて来た。

「おはよう、加賀見くん。手、どうしたの?」

 俺はテーピングされた左手を上げて見せた。

「ボクシング習ってるんですが、昨日ちょっと傷めてしまって。念のために固定してるんです」

「そうなんだ、お大事にね。へぇー、ボクシングやってんのー」

「エクササイズとして、ですよ。試合とかはしませんから」

 俺は付け加えながら、ちらりと視線を走らせた。自席でパソコンが立ち上がるのを待っている由布様と、一瞬、目が合った。由布様はそのまますっと視線をパソコンに戻し、表情は長くまっすぐな黒髪に隠れたが、俺の手には気づいただろう。

 仕事の新しい合図である、俺の手のテーピングに。

 


「つい先週に仕事済ませたばかりだったから、今日はないだろうと思って終業後に予定入れてたのにー」

 ホームで電車を待ちながら、由布様がため息をついている。

「しかも場所が池袋? 失敗できないじゃない。いや、別にいつも失敗する気はないけどさ」

 俺は口を挟まずに、後ろに控えていた。


 池袋はもともと、由布様の姉である末広織枝(おりえ)殿、そしてそのパートナーである俺の従兄の二人が担当する区域だ。しかし、俺と親しいその従兄が急用で動けないという連絡が来て、由布様と俺が代わりに向かうことになった。

 ちなみに由布様は三姉妹の三女で、織枝殿は長女になる。


 ホームに滑り込んできた電車のドアが開き、乗客がどっと下りて来た。入れ替わりに乗り込んだが、帰宅ラッシュの終わりきっていない時間帯の車内は混んでいて座席は一杯だ。由布様は扉の脇に立ち、俺は由布様のすぐ近くに、守るように向かい合って立った。いつだったか痴漢に遭ったとおっしゃっていたから……。

 電車が動き出し、駅の明かりが遠くなって車窓が暗くなる。座席のバーにもたれた由布様は、ドアの窓から外に目をやっている。窓に映る細面、長いまつげに小さな唇。

 ふと、何かが香った。軽く息を吸い込んで確かめる。

 白檀(びゃくだん)……? いや、何種類かの香りが混じっているようだ。

 由布様がこちらを向いた。至近距離で見上げてくる黒い瞳。

「……変な匂いがする?」

 口調はいつものように淡々としているが、視線になぜか少し、心配の色が見えた。俺は見つめ返しながら、すぐに首を振る。

「いいえ。いい香りがします。何か、つけてらっしゃるんですか」

「匂い袋、持ってるから」

 由布様はそれだけ言うと、また窓の外に視線を投げた。ホッとしているように見うけられる。一体どうしたのだろう。


 由布様がまとう、知らない香り。そして今夜、何か予定があったと……。

 詮索の言葉が出そうになるのを、俺はぐっと飲み込んだ。



 池袋駅西口を出て少し歩いた所に、劇場がある。エントランスが巨大なガラス張りのアトリウムになっており、非常に目立つ建物なのだが、現在は改修工事中で白いフェンスに囲まれていた。

 劇場の前に広がるタイル敷きの大きな広場は通行が自由になっており、一本だけたたずむ桜の木が花びらを落とし始めていた。由布様は無造作に広場に踏み込むと、真ん中あたりで足を止めた。

 場所柄の割には人気の少ない場所だが、時刻は夜の九時。まだまだ都会の夜は長い。俺は一般人が近寄らないよう、広場一体に結界を張り巡らせた。

 結界を張るのは、俺にとっては大して特別な技ではない。例えて言うなら、いつもの呼吸を深呼吸に変える、その程度の違いだ。タイルが何重もの円を描いて敷かれた広場の中央に立ち、いったん閉じた瞳を開く。左目の『鏡』がじわりと熱を持ち、目に見えない結界が自分の身体を中心にしてドーム状に広がるのを感じる。これで、一般人はこの広場を自然に避けて通るようになる。


 すでに、広場の隅の灰色のモニュメントのあたりに、まるでテレビの砂嵐のような――現在のデジタル放送ではすでに見られないが――モノトーンの『かすれ』が、ぼんやりと見えていた。

 あれは、太古の時代に跋扈していた魑魅魍魎の『化石』。現代の人々が発するマイナスのエネルギーに反応して、一部が復活してしまうことがある。由布様は「冷凍睡眠状態だったのが溶けちゃった感じ」と理解されているようだが、まあだいたいそんなものだ。寝起きで本性を現さないうちに、消滅させなくてはならない。


 そちらへ向かいかけた由布様が、ふと立ち止まった。

「……織枝姉さん」

 由布様の視線を追いかけると、ブロンズの女性像の陰からパンツスーツ姿の女性が現れたところだった。前降りのボブカットの髪、切れ長の瞳。口元は由布様と似ている。

 末広織枝殿だった。

「待ってたわ。相方は来られないけど、私はちゃんとお役目を果たそうと思って。由布、俊輔さんを借りるわよ」

 織枝殿はややハスキーな声で淡々と告げると、由布様の返事を待たずにモニュメントの方へ向き直った。手にはすでに光るものが握られている。

(しょう)(おう)(せき)(びゃく)(こく)

「!」

 俺は織枝殿の針が五芒星の軌跡を描くのを見て、急いで『かすれ』を回り込んだ。由布様以外の女性と組むのは初めてのことだ。

 銀の針が、『かすれ』の影に突き立てられる。五色の綵縷(さいる)が蛇のようにのたうち、『かすれ』に巻きついていくのを、糸の端を捕えてテーピングした手に巻きつけ、固定する。

 オオオーン……という唸り声のようなものが、結界の中の濃密な空気を震わせた。


 綵縷を自在に操る織枝殿の力が、俺の手に伝わる。かすかに違和感のようなものを感じるが、それも当然か。姉妹とはいえ、由布様とは違うのだから。

 由布様の力は、大樹が水を吸い上げるような、大きなものに包まれて秘された力。織枝殿の力は、流れ落ちる滝のように、その強さを見せつけるような力。そんな印象を受ける。


 そんなことを思っているうちに、相手を包む『繭』が完成した。が……

「……大きい」

 織枝殿が眉をひそめた。

 西洋の棺のような形になった『繭』は、うめき声をあげながらゆっくりと身をよじっている。その大きさはざっと目測で三メートル、見上げるような大きさだ。

 いつもなら、『繭』の中のものはこのまま時間を遡って行き、やがて消滅する。しかし、織枝殿の力の奔流にも関わらず、『繭』の中のものは暴れていた。その動きが大きくなる。

 嫌な予感が汗となって、綵縷を握る手にじわりとにじんだ。織枝殿も緊張した表情を崩さない。


 ――ふと背後の気配に気づいて、俺はかろうじて横目でそちらをうかがった。

 俺のすぐ後ろ、モニュメントの陰に溶け込むようにして、由布様がいた。くすんだピンク色のスーツ姿のまま片膝をついてこちらを見ると、由布様は唇に人差し指を当てたまま

「……シッ」

と言った。


 その直後、急に『繭』が大人しくなった。

 それはゆっくりとかしぎ、広場のタイルの上に静かに横倒しになった。やがていつものように『繭』が端からほぐれるのと同時に、中で孵化しかけていた何かも、桜の花びらと共に渦を巻いて、風に霧散していった。


「お役目完了……と」

 織枝殿は足元から針を拾い上げ、銀のケースにしまうと、俺の横を見た。いつの間にか由布様が、俺の隣に立っている。

「俊輔さんは冷静沈着ね。私の相方も優秀ではあるけど、いつもあたふたして困るの」

 織枝殿は微笑むと、俺に視線を移した。

「いつか私が末広の家を継いだら、あなたみたいな人が補佐してくれるといいんだけど」


 そして軽く手を上げてから踵を返し、広場のベンチに置いてあったバッグを手にして駅の方へと歩いて行った。その様子は、会社員がごく普通に仕事を終えて家路につくかのように自然だった。


「……どうよ。今の、織枝姉さんにスカウトされたってことよね、俊輔」

 由布様は背中で手を組み、俺を見上げてニヤリと笑う。

「末広の次期“刀自”のパートナーなんて、加賀見の人間なら垂涎ものなんじゃないの?」


 ――全く。こちらは初めて由布様以外の女性と仕事をして、しかもその場を見られて微妙な気持ちだというのに。


 俺はその言葉には答えず、そっと由布様の背中に手を回した。右手を取って、街灯の光に向ける。

 由布様の手には、綵縷が一本だけ通された針が握られていた。その色は――紫?

 俺はやっと合点が行った。

「……『シッ』と言ったのは、『()』のことでしたか。織枝殿の五色の綵縷に、密かに一色加えましたね?」


 俺の背後で由布様が「シ」と唱えた直後、わずかに『繭』の持つ力が変化したような気がしたのだ。それは普段なじんだ、由布様の力。闇に紛れて伸びた紫の糸が、『繭』に加わっていたのだ。直接糸に触れていた俺は気づいたが、触れていない織枝様は気づかなかったかもしれない。

「形勢不利っぽかったから、何かの足しになるかと思って」

 由布様は左の手のひらで紫の糸をすべらせた。絹糸はわずかに光を弾く。

「昔、綵縷を使った儀式を行う時は、五色に紫を足して六色にしたのが正式だった、って書かれた文献を読んだことがあるのね。それで試しに紫の糸を染めてみたの。どうしようもない状況の時に切り札として使ってやれ、と思って。でもね……」

 由布様は糸を持ち上げ、くんくんと匂いを嗅いで顔をしかめた。

「これ、『帝王紫』っていう色なんだけど、末広家に出入りの職人さんにやり方を教わって、アカニシ貝っていう貝の内臓で染めてみたの。なんか力がありそうだなと思って。でも内臓を使うもんだから、さすがになかなか生臭い匂いが消えないんだわ」

 俺はしばらく黙って考えを巡らせてから、口を開いた。

「……それで今日は、匂い袋を持ち歩いていらしたんですか。糸の匂いをごまかすために」

「そうそう」

 由布様はうなずきながら、針と糸を銀のケースにしまってバッグに入れている。

「電車の中みたいに、他人と密着する閉鎖空間だと匂いがわかっちゃうんじゃないかと思って、気になって」

「痴漢避けになって、いいかもしれません」

「……ちょっと。私に女として終了しろって言うの?」

 由布様は俺を軽く睨んだ。逆に俺はつい頬をゆるめてしまったが、由布様の

「それにしても、手強かったわね」

という言葉には、笑みを消してうなずくことしかできなかった。


 そう……今日の相手があれほど大きく育ったのは、もしかしたら織枝殿の影響かもしれない、と思い当たったのだ。

 織枝殿と由布様は、用がなければほとんど接触を持たない、そんな関係の姉妹だ。だから由布様はおそらくご存知ないだろう――織枝様とそのパートナーが、以前から恋仲だったことを。

 そして近頃、二人がうまく行っていないことも。


 そんな織枝殿の精神状態が、糸を通じてあの「かすれ」に影響したに違いない。織枝殿もご自分で気がつかれたからこそ、今後パートナーを変えた方がいいと思って俺にあんなことを言ったのかもしれない。

この件が、どんな形であれ解決するといいが……。


 結界を解いて駅の方に向き直った時、再び桜の木が視界に入った。

 桜の木は、由布様と出会った時の思い出をまとっている。俺が昔のことを思い起していると、由布様がつぶやいた。

「……糸を桜色に染める時には、桜の花じゃなくて木の皮から色を作るんだって教えてくれたのは、俊輔だったね」

 はっとして由布様の顔を見ると、由布様は木を眺めたまま続けた。

「初めて顔合わせをした、『七夜場』の日に」


 まだ幼い末広家の女子と加賀見家の男子が、末広の本家に集められて一日を遊びながら過ごす。そしてその夜に、女子が男子を指名する。これからの自分のパートナーとして。

 広い御殿の庭、夏の葉桜の下にぽつんとたたずんでいる由布様にふと惹かれて、七歳の俺は話しかけたのだ。「桜の木の皮はまっ黒だけど、そこからピンクができるんだって」と。

 賢しげに言う俺の言葉に、由布様は少しびっくりした顔で俺を見てから、「不思議ね!」と微笑んで桜の木に抱きついた。

「私、ピンクだーい好き。こうしてたら、私もピンク色になれるかな?」

 桜色の頬をした少女に、俺は思わず言っていた。

「あの、おれは、加賀見俊輔です。覚えておいて下さい」


 そして由布様はその夜、指名の場で俺の名を呼ばってくれたのだ。

「加賀見俊輔の力を、わたしに」

 そして俺は答えた。

「末広由布様に、おれの力を」


『七夜場』は『名呼場』、儀式の場で互いの名を呼ばうことから二人のつながりは始まる。

 俺と由布様のそんなきっかけを、由布様は覚えていて下さったのだ。


「……外国の昔話には、よく三姉妹が出てきますよね」

 唐突な俺の言葉に、由布様は不思議そうに振り向いた。俺は続ける。

「一番不思議な力を秘めているのは、たいてい、末の妹です。俺は、そんな昔話が好きです」


 由布様の持つどんな魅力が俺を惹きつけているのかを伝えたい想い――そして、今のパートナー関係を壊したくない想い。織枝殿に誘われたことに対する俺の答えは、その狭間を縫って、紡がれる。


「出世欲がないんだから……」

 柔らかな口調で言った由布様は視線をそらすと、バッグから携帯電話を取り出して時間を確認した。

「さて……どうしよう。もう帰るかな」

 俺は自然に尋ねていた。

「何か、予定がおありだったのでは?」

「ああ、うん。明日、花散らしの雨が降るって言うから、今日のうちに夜桜見物に行こうと思ってたの。千鳥ヶ淵のライトアップ見たかったんだけど……今からだと間に合わないから、いいや」

 肩をすくめる由布様……お一人で行かれるつもりだったのか?

 俺は控えめに申し出た。

「そうですか。……池袋駅の東側に、ライトアップはないですが桜の名所があります。少し寄り道して行かれては? 俺が、警護しますから」

 また、迷惑がられるだろうか。

 そう思ったが、由布様は俺を見て微笑んだ。

「案内してよ」

「……はい」

 

 いつも、俺は、由布様の少し後ろを歩く。

 今日は二人、歩調を合わせて歩き出した。



【夜桜連理~綵縷使い 弐~ 完】

参考:阿部 猛『万葉びとの生活―教養の日本史』東京堂出版

   大岡 信『言葉の力』

貝紫染め~帝王紫のこと http://www.tezomeya.com/more/purple.html

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― 新着の感想 ―
[良い点] 設定についてきちんと調べてあり、作中の説明もわかりやすくてためになりました。  桜の色の話、知らなかったので『へえー』とすごく感心しました。 [一言]  こちらでは初めまして遊森様^^ こ…
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