私にとっての復興――東日本大震災発生から三年を前に――
2011年3月11日。
その日は、約1億3千万人の日本人にとって、二度と忘れてはならない日となった。
空前のエネルギーを有し襲来した東北地方太平洋沖地震、そしてそれに伴った二次災害・高次災害。
世にいう「東日本大震災」の発生の日だからである。
死者・行方不明者、被害総額は、戦後70年間でも最悪を記録した。
三陸沿岸の諸都市は津波によって壊滅。世界有数の港湾の機能が全停止し、福島県では原子力発電所が暴走。影響は北海道から関東に至るまで東日本の全域に波及し、もはや回復は不可能とまで言う学者も現れるほどのダメージを蒙ったのだった。
では、今現在においてもそのダメージは続いているだろうか。
よく「復興が遅れている」などと言う人がいるが、それは本当なのだろうか。
結論から言うと、ボランティアとして現地に赴いた経験を持つ人間として、私はそうは思わない。
テレビで被災地の様子を目にする事のめっぽう少なくなった昨今、そうした媒体でしか情報を得ていない人々の多くは、
「未だ被災地はまっさらなままで、居住している方々もすっかり元気をなくされている」
そんな風に思ってはいないだろうか。
実際、私自身は現地に行くまではそんな印象を抱いていた。
テレビや新聞という媒体を信用してはいけない。彼らは基本、話題になったり視聴率を稼げるようなネタを優先する。美談の裏に隠された面は、扱ってくれない。また原発で危険な液体が漏れた、とかいう話の方が彼らには都合がいいのである。
確かに、現地の地面は未だ更地のままであることが多い。人々の表情に翳りが見える事も、否定するつもりは毛頭ない。
だが、それだけではない。震災から三年が経った今、各地では徐々に人が街に戻り始めている。それに伴って、住宅や職場の建設事業は次第に加速しているのである。私が行ったのは宮城県気仙沼市であったが、他の市町村の資料や写真を見ているとそうした傾向は強ち気仙沼限定でもないのではないかと思える。
被災した時のお話を、向こうで何人ものお方に伺った。被災地を目の前にしているためどの話にも非常に臨場感があり、興味深かったが、私が一番感じた事はそれらとは別のところにある。人々の、顔である。
私たちにそうしたことを語る時、被災地の方々の誰一人として悲しそうな顔は見せなかったのだ。
それが、相手を意識してただ堪えているだけなのか、それとももう割り切ってしまっているのか、そこは私たちには分からない。きっと人それぞれなのだろうが、それをよく報道で耳にするように「東北人持ち前の気の強さ」で片づけてしまうのはいささか軽くはないかと思った。果たしてそんなもので震災の悲しみが乗り切れるだろうか? 生活の、人生の、歴史の全てが壊され、焼かれ、流されてしまったのである。
「東北人だから」ではない。彼らはその凄まじい悲しみを、三年間で何とか生きる力に変えてきたのだ。
それがどれだけ大変であるか、想像するのも難しい。
私は、「復興」には二つのものがあると考えている。
一つは、都市の復興。
そしてもう一つは、心の復興である。
「復興」とはそもそも何だろうか。よく「町が元通りの賑わいを取り戻す」という言い方をする人がいるが、私はどうにもそれには賛同できないでいる。
漢文を習ったことのある人なら分かると思うが、「復」という字には「ふたたびまた」という意味がある。そこに、「元通り」というニュアンスは含まれない。
「復興」とは、必ずしも以前のように戻す事ではないと私は思う。かつてその町が近海漁業で栄えていたのなら、今度は栽培漁業をやって発展しよう、ということでもいいと思う。そんなに堅苦しく考える必要はない。街がにぎわうための条件は、一つではないのだから。
多くの親類や友人、場合によっては家族さえも失い、心の拠り所がなくなってしまった被災者の方も多かろう。
以前と同じ空気に囲まれた日々は、もう二度と戻ってはこない。
けれど多くの人々は、それを気丈な振る舞いの裏に隠し、前を向いて生きている。
それだけでも、私にはすごいことだと思う。悲しい事があるとどうしても引きずってしまう私の性格のせいもあろうが、表に出さないということは本当に難しい。
とある方が、こんな事を言っていたのが印象に残っている。
「悲しみは忘れてもいい。むしろ、忘れなければ前に進めない」
「心の復興」。
興るという事が生きる力を取り戻す事なのなら、それはもう、なされているのではないか。
私は、そう思うのだ。
そして、それがなされている以上、「都市の復興」は必ずその先に待っていると思う。
信じている、と言っても過言ではないと思う。
東日本大震災の復興のために、私たちが出来る事はたくさんある。
それは今からでも決して、遅いということはない。
あなたも、考えてみてほしい。
関東に住む作者も、あの日の恐怖ははっきりと覚えています。恐らく今後一生、忘れることはないでしょう。
再びこのような災害が起こった時、我々はどのように行動すべきなのか、全ての日本人が考えてみるべき時が来ていると思います。
ご精読、ありがとうございました。