その28 「月刊海産物」
「もうっ、このっ。コイツしつこ――ひゃあ!? いきなり横から出てこないでよ。驚いたじゃない! このこのっ。こうなったらマグナムで……あ、やった? やったっ。倒せた!」
なんで美衣はチャットをしてるわけでもないのに、テレビに向かって喋ってるんだろう。
カーテンを締めきり、部屋の明かりを全て消した真っ暗な部屋の中。テレビの前に陣取った美衣は襲いかかるゾンビを相手に奮闘していた。
「貴重なマグナムの弾を使っちゃったけど、なんとか――ってまだ続くの!? もう回復アイテム尽きたのに!」
美衣が絶賛プレイ中のそのゲームは、襲いかかるゾンビを打ち倒しながら謎を解いていくホラーアクションゲームだ。結構な本数を売り上げた人気ソフトの一つであり、襲いかかってくるゾンビの恐怖と、無闇矢鱈に銃を使うとすぐに弾が尽きてしまうという緊張感がたまらないゲームだ。美衣もこのゲームはお気に入りで、シリーズが出る毎にプレイしている。部屋が暗いのも、ゲームを楽しむために臨場感を出したいから、という理由で美衣が消したのだ。おかげで美衣に付き合うこっちは本が読みづらくて大変だ。
「うわっ、なんか出てきた! キモっ。なにこれキモい! 怖いけどそれ以上にキモい!」
興奮するのはいいけど、指に力を入れすぎて、ボタンを潰さないでほしい。美衣のせいでいくつコントローラーがお亡くなりになったことか。
「お、お姉ちゃん、このボスの倒し方は!?」
美衣の切羽詰まった声に顔を上げる。テレビを見ると、なかなかグロテスクな怪物が映し出されている。たしかコイツの倒し方は……
「そいつは火に弱いから、火炎弾を装填したグレネードランチャーを使えばいいよ」
「グレネードランチャーね。えっと……あーっ、その武器邪魔だったから倉庫に預けたんだった!」
「それならお腹の辺りにある目みたいなものが弱点だから、マグナムでそこを狙えばいいよ」
「り、りょーかい」
ちなみにここはボクの部屋だ。美衣の部屋にはゲームのソフトはおろかハードさえもない。いつもボクが買ってきたゲームをボクがクリアしてからプレイしている。以前に「美衣も自分で買ったらどうだ?」と尋ねたことがあるが、「どうせ一人じゃ出来ないから」と変な答えが返ってきた。詳しく聞くと、好きなゲームが大抵ホラーゲームなので、怖くて一人じゃ出来ないのだそうだ。
「あー、死んだー」
美衣がコントローラーを投げ捨てる。
「こらっ。大事に扱えって。次コントローラー壊れたら美衣に買って貰うからな」
「大丈夫。それまでにはこれ、クリアしてるからっ」
……ソフトやハードの方はいいとしても、コントローラーは持参してもらおうか。
「疲れたから今日はここまで」
コンティニュー画面のまま、美衣が立ち上がる。
「お姉ちゃんはさっきから何を見てるの?」
読んでいた雑誌を閉じて、美衣に表紙を見せる。
「月刊海産物」
「うわぁ……」
何故か凄い引かれた。面白いのに。
「海産物って……。せめて『月刊海の生き物』だったら児童用の本のタイトルみたいで有りだと思うのに海産物はないでしょ。他にもグルメ本っぽく『月刊海の幸』とか。ってそれ月刊なの!? 月刊できるくらいに売れてるの!?」
「それは知らないけど、三月号はウニの特集が組まれてて良かったよ。ウニの生態や種類に味の違い。漁の解禁時期やいろいろな調理法などなど。ウニに関する情報がぎっしり詰まってたよ。ウニ愛好家の間ではバイブル的存在だとネットでも話題に――」
「バ、バイブルかどうかはともかく、お姉ちゃん自身はそれを見てどうするの?」
「にやにやする」
美衣が無言で一歩下がった。
「まったく……。どうせ好きになるならもう少しかわいげのあるものにすれば良かったのに」
「充分かわいいじゃないか。この外敵を寄せ付けないツンデレっぷりとか」
「勝手に擬人化しない。はあ……。下に降りてテレビでも見よっと」
ため息をついて美衣が部屋を出て行く。明かりくらいは付けて出て行ってほしい。
雑誌を本棚に戻し、部屋の明かりを付ける。テレビの前に座り、ゲームを再開する。美衣がやっているのを見て久しぶりにやりたくなった。
美衣が負けたボスからのようだ。距離を取り、アイテムウィンドウを開いて持ち物を確認する。回復アイテムはなし。武器は小型マシンガンとライフル、マグナム、それと何故かたくさんある手榴弾。拾ってみるものの、使いどころがなかったんだろうな……。せっかくだから手榴弾縛りでやってみよう。ここのボスは移動速度が遅いから狙いやすい。お腹にある弱点に当てるには、栓を抜いてから少しだけ待って斜め上に投げればいいはず。
ためしに一個投げてみる。……よし、当たった。ボスがよろめいている。あとは距離を取りつつ今の感じで投げていけば――
『司ー。北海道のおじさんからウニが届いたわよー』
「ウニっ!? いくいくすぐ行くー!」
ウニだってウニ! そういえばもうそんな時期か。北海道のおじさんだから間違いなく殻付きのバフンウニだ。今日の晩ご飯はウニ丼だやっほい。……あっ、コントローラーを離したせいでボスに食べられてしまった。まあいいや。今はウニだ。
ゲームの電源を切り、いそいそと自室を出てリビングへと向かう。扉を開けると磯の香りがした。
「ほら、おじさんからこんなにたくさんウニが届いたわよ」
発泡スチロールの容器の中には数えられないくらいのウニが入っていた。
「これ今日食べるんだよね? もちろんウニ丼だよね? ウニ丼しかありえないよね? ウニ丼じゃなくても勝手にウニ丼にするけどウニ丼だよね?」
「落ち着きなさい。ちゃんとご希望通りウニ丼よ」
「さすがお母さんたぶん愛してる」
「あらやだ。優しくしてね……?」
お母さんがクネクネする。今は構ってられないので無視して、さっそく殻剥きに取りかかる。おじさんのウニが届いたときはボクが殻を剥くことになっているのだ。ウニの殻を剥くのは簡単だ。はさみでウニの底を丸く切り取り、中身を取り出せばいい。とは言え、単純作業も数が揃えば大仕事だ。
「手伝いましょうか?」
ダイニンクテーブルに着きながら、ゆっくりと首を横に振る。
「大丈夫」
手助けは必要ない。今のボクにはアレがあるのだ。頭の中でカチッと音が鳴る。左手に持った調理ばさみが目にも止まらぬ速さで動き出す。底を切り抜いて中の身を取り出し、ボールに溜めた塩水に浸ける。その速さをマンガの擬音で現わすと『シュババ』という感じだ。これこそ吸血鬼の力の有効活用。輸血源(お母さん)はすぐ近くにいるし、完璧だ。最近になってようやく吸血のタイミングや吸血衝動をコントロールできるようになったけど、慣れればなかなか吸血鬼の力というものは便利なものだ。
あっという間に殻剥きは終わった。ふぅ。いい汗と涎が出た。途中で何度つまみ食いしようとしたことか……。
あとの処理はお母さんに任せて、ボクは中身の空になったウニの殻の山を見つめる。吸血鬼の力を使ったからなのか、今回は綺麗に剥けたおかげで、どの殻も底に穴が空いている以外に損傷はない。……このまま捨てるのはもったいない。そうだ。状態のいいものをいくつか選んで、選んだ殻の中を綺麗に洗浄してキーホルダーやらオブジェにしよう。うん。そうしよう。
「はあ~。やっぱり入浴剤は乳白色に限るよね……。あれ、お姉ちゃん。もうウニの殻を剥き終わったの?」
声に振り返ると、パジャマに着替えてほかほかと湯気を立ち上らせる美衣がいた。
「もうお風呂に入ったのか」
「お父さんが汗だくで帰ってきたから、今日はご飯前にお風呂なんだって」
「ふーん」
今日そんなに暑かったっけ? 家に引きこもっていたから分からない。
「で、そのお父さんは?」
「リビングにいないの?」
いつもならダイニングテーブルでビールを飲んでいる時間だ。それなのに今日はそこに誰も座っていない。
「お父さんならソファーに座ってテレビを見ているじゃない……」
少し呆れ気味にお母さんが言う。ソファーに目を向けると、たしかにお父さんらしき背中が見えた。ウニに夢中で気がつかなかった。というより、影が薄いよ……。
「次お風呂、お姉ちゃんだよ」
「お母さんはご飯の後にシャワー浴びるから、お風呂掃除お願いね」
「はいはい」
椅子から立ち上がる。ついでにお風呂でウニの殻を洗ってしまおう。その前に、
「お母さんかもん」
「はいどうぞ」
流れるような動作でお母さんの首筋にカプッと噛みつく。
「あんっ」
毎度毎度変な声を出さないでほしい。必要分だけ吸ってすぐに口を離す。いいA型でした。けれどボクはB型の方が好きなんです。
若干呆け気味のお母さんに「ボクのウニ丼ははみ出るくらいでよろしく」と言付け、ウニの殻を抱えてリビングを出た。