その1 「ケチ」 ◆
うららかな春。眼前に広がる桜は咲き乱れ、その花びらが校庭を優雅に舞う様はさながら映画のワンシーンのようだった。ボクが通う私立蓮池高等学校の前を通る道路と校門から昇降口までの桜の並木道は町でも有名で、この学校のパンフレットの表紙を飾っている。自慢げに並木道のことを語る先生によると、入学試験での面接の志望動機に『三年間この並木道を通学したい』を選ぶ人も少なからずいるのだとか。それを聞いた時は、他に言うべきことがあるだろうと馬鹿にしたが、この光景を見ているとそう言いたくなる気持ちも少なからず理解できた。ボクは絶対言わないけど。
そんなどーでもいいことを考えていると、さわさわと優しく吹いていた風が、一瞬強くボクの体に吹き付けた。長い長い、それはもう椅子に座ったらお尻に敷いてしまうんじゃないかというくらい長い髪が風に煽られてなびく。スカートが捲れ上がりそうになって、慌てて裾を押さえた。
ふう、セーフ。……あーもう、せっかくセットした髪がボサボサになるじゃないか。手櫛でさっと直す。セットしたと言っても、寝癖を直して櫛を通しただけだ。すぐに元通りになる。相変わらずこの髪は手入れがし易い。こんなに長くて細いのに枝毛一つないし、変なクセもついていない。ツヤツヤで指通りはなめらか。しかも銀色。……なんで銀色なんだろうな。お母さんもお父さんも黒いのに。……はっ、まさかこれが隔世遺伝!? かつて、うちの先祖が持っていたとされる超能力やら何かの凄い未知の力の発現の反作用!? やだ、なんか漫画の主人公みたいでカッコイイ。
まあ、そんな冗談はさておき。あ、でも隔世遺伝は本当のようだ。この前久しぶりに会ったおばあちゃんが「私の母も銀色だった」と、どこか遠くを見つめながら話してくれた。ちなみにその後、「なんで私は母のサラサラ銀髪じゃなくて、父のハリガネ黒髪を受け継いでしまったんだ」云々と愚痴を聞かされた。どうやらおばあちゃんは生粋のお母さんっ子で、母の銀髪にとても憧れていたらしい。だからと言って、羨ましがるのはまだしも、嫉妬心むき出しで愚痴られるのは勘弁してほしかった。
って、また脱線した。とにかく何が言いたいかというと、やっぱり髪は黒くて短い方がいいよ。うん。目立たないし、いろいろと楽だし。でも無理なんだよなあ……お母さんが絶対染めるな、切るなってうるさいから。
また強い風が吹く。風さんちょっとしつこいです。……痛っ。左目に何か入った。痛い痛い。
いそいそと鞄から鏡を取り出し、ゆっくりと左目を開ける。鏡に映ったのは、もちろんボクの顔。けれどそれはいまだ見慣れない、『女の子のボク』の顔だ。
その顔は小さく、特に手入れもしていない眉毛は細く形が整っている。二重の目は大きく、鼻と口は小さい。唇は血色の良い綺麗なピンク色をしていて、肌は磁器のように白く透明できめ細かい。まだ発展途上(だと思いたい)な体は全体的にとても小柄で、けれども手脚はすらっと長く、腰の位置は高い。引っ込むべき所は引っ込んでるし、出るべき所は……いや、うん、まあ、自己主張する程度には出ている。銀髪に合わせられたかのような青い目は、今はカラーコンタクトで隠れているが、左目は赤色だ。いわゆるオッドアイ。目立つからと言う理由で青いカラーコンタクトを入れている。
日本ではいまだ珍しい銀髪と青い目のおかげで人目を引く容姿をした女の子。総合的に見て、綺麗と言うよりはかわいい系に入るだろう。正確にはきれかわいい、みたいな感じ。
これが今の自分の姿なのだけど、この姿になったのは僅か数週間前のこと。おかげでまだまだこれが自分だとは認識できていない。そのせいでこうやって自画自賛、ナルシストみたいなことが言えるわけだ。まあぶっちゃけ、以前のボクと違いすぎて他人にしか見えない。
ぱっと見は外国人にしか見えない容姿だが、顔立ちは日本人なのでよく見れば大抵の人は日本人だと分かってくれる。それでもたまに英語で話しかけてくる人がいるが、あれは本当に困る。ボクは英語が一番苦手なのだ。生粋の日本人。あいあむじゃぱにーず。めいどいんじゃぱん。好きな食べ物はジャンクフードです。
と、自分の分析はここまで。今はコンタクトを入れている左目にゴミが入っちゃって痛いっていう状況。コンタクトを外すわけにはいかないので、なんとか今のままで取れたらいいけど……。
鏡を見ながら、キョロキョロと目を動かす。やがて目からぽろっと小さな木の破片みたいな物が出てきたので小指で取り除くと、痛みはすっと引いた。
はあ~。良かった。コンタクトが外れたらどうしようかと。まだ慣れてなくて、大きな鏡がないと入れられないんだよな。
鏡を鞄に戻して視線を上げる。一斉に周りの生徒が、ボクから見てちょうど真逆の方へ顔を背けた。
いや、露骨すぎて分かるからね? むしろさっきまでボクを見てましたって公言してるようなもんだよ? そのわざとらしい顔の背け方。
朝から頭の痛くなる光景を目にして、一気に気分が沈む。一言ガツンと言ってやりたいところだが、こちとら男の頃と違って、抵抗できるような腕力も脚力も身長も胸もない。あとついでに度胸もない。……って、胸と身長は関係なかった。
はあ、とため息をついて昇降口目指して歩を進める。ふと変な視線を感じて隣に目を向ける。
頭一つ分以上高い少女が、ボクを見下ろしてニヤニヤとしていた。話しかけてほしそうだが、相手したくないので、すぐに目をそらす。
ちなみに今のは吉名美衣。ボクの家族です。詳しくはウェブで検索……してもヒットしません。たぶん。また今度詳しく紹介します。もう目をそらしちゃったし。
昇降口にたどり着き、『吉名司』と書かれた下駄箱の前に立つ。個人情報のだだ漏れ具合に苦笑しつつ、頭上の扉を開く。すると中から平べったい長方形の物体が滑り落ち、コンと頭に当たった。床に落ちたそれに思い当たる節があって、顔を歪める。
拾い上げたそれはやはりラブレター。しかも二通。裏返すと名前が書いてあった。一つは男から。そしてもう一つは女の子から。……もう頭痛い。今のボクは女なのに、女の子からラブレターって。いや、男からもらうのはもっと願い下げだけど。
「あ、今日ももらったの? モテる子は辛いね~」
美衣がニシシと笑いながら近づいてくる。
「ほんと、辛くて頭痛い。だから今日は早退で――」
「それはダメ」
「ケチ」
頭痛の種を鞄にしまって、ローファーから上履きに履き替える。視線を上げると美衣の胸元の校章が目に入った。その校章は黒色で、二年生であることを示している。対してボクの胸元には一年生であることを示す白色の校章が光っている。なんで去年卒業したばかりの高校の校章をまた付けなくちゃいけないんだと憤りを感じるが、今更嘆いても仕方ない。
そう。今のボクは美衣の妹ということになる。ほんの数週間前まではボクが二歳年上の兄だったのにだ。
「じゃ、司。今日は帰り一緒の約束だから、昇降口で待ち合わせね。いい?」
兄妹から姉妹へと上下関係が変われば、お互いの呼び方も変化する。家じゃ相変わらず「お姉ちゃん」と呼ぶのに、ひとたび外に出れば「司」と呼び捨てる。相変わらず美衣は使い分けが上手い。
「分かった。み……お姉ちゃん」
それに引き替えボクはといえば、いまだ十八年間のクセが抜けきらず、美衣と呼びそうになって慌てて言い直す。それに気付いた美衣にクスリと笑われ、恥ずかしさから目をそらす。
「もうちょっと気をつけようねー」
「わ、分かってるよ」
弱々しく答えて美衣と別れる。あの態度は完全にお姉さんしている。世間的にはボクの姉なのだから仕方ないとはいえ、なんか釈然としない。ふて腐れながら近くの階段をのぼる。
「よお。司」
二階に上がったところで思わぬ人と遭遇する。気さくに挨拶する男。それはボクの元親友であり、今は部活の先輩である男。お互いにいろいろあって、一年休学した彼は現在高校三年。そしてボクは高校一年だ。
彼にはまだボクのことを何も話していない。彼からしてみれば、ボクはただのいち後輩だ。だからボクもいち先輩として、こう挨拶するのだ。
「おはようございます。颯先輩」
イラストはレゥさんに描いて頂きました。