蒼の章 11
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女の家を出たのは良いが、ここがどこか良くわからなかった。
この街に来たのが、3ヶ月前なので土地感というものが私にはない。
仕方ないので、大通りに出てタクシーを拾う事にした。
平日といえどさすがに大通りで、頭に包帯しているのは目立つみたいで、道行く人がジロジロとあるいはチラチラと私を見てくる。
私は包帯を解こうか迷ったものの、この場で包帯を解くと更に目立つ事になりそうだったので諦めた。
十分ほど視漢に耐え、待っているとタクシーを捕まえることが出来た。
私は素早く開かれたドアに滑り込む。
行き先に少し迷う。
彼の学校に向かうか、ホテルに戻るか。
私は迷った挙句「どちらまで?」と聞いてくる壮年の運転手に急かされる形で告げた。
「八里浜高校まで」
本音を言えばホテルに戻って着替えたりしたかったが、仕方がない。
彼の通っている学校が、今日いつ終わるのかよくわからない。
下手にのんびりして目的地に目的の人間がいなくなっては困る。
困った事があるとすれば、私は彼の通っている八里浜高校とやらの場所をよく知らなかったので、ここからどれだけの時間がかかるのかわからないこと。
少しだけ財布の中身が心配だった。
私はため息をついて後部座席でのけぞると、バックミラーにその姿が写る。
「あ」小さく声を漏らして、私は頭の包帯をいそいそと外した。
不思議と頭には傷一つなかった。
私の保有資産に対する心配は杞憂だった。
平日で車の数が少なかったのも原因の一つだろうが、八里浜高校には思っていたよりも早くついた。
正門と思われる場所に停めてもらい、料金を支払ってからタクシーを降りる。
帰りが徒歩になりそうな具合に財布が軽くなった事に、若干の負の感情を巡らせつつ、正門前から八里浜高校を眺めた。
まだ授業中なのだろう、門をすぐ入ったところにある全天候型のコートでライトグリーンのジャージ姿をした生徒がバレーボールをしているのが見えた。
暫くして、私の事に気付いたのだろう、幾人かの生徒がこちらを見ている。
まあ校門の前に、金髪で真っ黒な服を着た人間が立っていれば、気にもなるだろう。
私自身は、そういう好奇の目で見られる事に、普段から慣れているので全く気にしない。
とはいえ、さすがに先ほどのように奇異の目で見られるのは、きついが。
そのうち生徒達の視線がこちらに注がれているのを察知した、体育教師らしき人物が生徒達に注意する。
それから集中してこちらを見る視線は一旦収まったが、たまにチラチラとこちらを見ている生徒は絶えずいた。
二十分ほど校門に寄りかかって眺めていると、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
生徒達は急ぎ足で解散して、水道の蛇口で喉を潤してから校舎内に入っていった。
ふと見ると、生徒が校舎に戻る流れに逆らって、体育教師がこちらに近づいてきていた。
確かにずっと授業を見ていたのだから不審者といえなくもない。
まあ何か言われても適当にあしらってやろうと考えていたのだが、その体育教師が私に詰問することはなかった。
教師がこちらに向かう途中に、さきほど体育をしていた一人の女子生徒が戻ってきて、教師と一言二言話すと、教師はあっちのが不審者じゃないかと思えるくらいにおどおどして、進行方向を変えて校舎に入っていってしまったからだ。
そして、体育教師の変わりにその女子生徒が私のところに向かってきた。
長い烏の濡れ羽色の髪を後ろで束ね、野暮ったい緑色のジャージから覗く針のように細い手足、夏の陽光に照らされた白い肌は季節外れの雪を思わせ、黒い髪と鮮やかにコントラストを織り成していた。
そして、遠目からでも美人とわかる女子生徒は、それと同じくらい遠目でも怒っていることがはっきりとわかった。
体育教師がおどおどした理由はこれだろう。
生徒とはいえ超が付くほどの美少女に、こんな怒りのオーラを出されては及び腰にならないわけがない。
その生徒は、私の前で立ち止まった。
背は私と同じくらい、細い眉と暗緑をした瞳、十人いれば十人振り返るであろう容姿は美貌の中で最高の部類に入るだろう。ただしこの怒りのオーラを発していなければの話だ。
是非とも普段の彼女を見てみたいものだ、恐らく普段の彼女は、触れたら折れてしまいそうな、風が吹けば飛んでいってしまいそうな、儚げな感じなのだろう。
花で例えるなら白百合のような。
しかし、その儚さは普段のものであって、今の彼女には全くなかった。
花で例えるならハエトリグサ。超アグレッシヴな感じだ。
女子生徒は私をねめつけると、
「ふうん。貴女、竹さんに負けたのですね」前置きも何もなく、どこか嘲笑うかのように話しかけてきた。
口調こそ丁寧で穏やかだが、表情は全然穏やかではない。
「……いきなり何なのあなた。彼の知り合い? 知り合いなら彼を呼んでくれないかな。私は彼に話があるの」私は、出来るだけ冷静に話したつもりだが、いきなり見知らぬ女に好戦的にされては、無理な話だったようだ。無意識に口調が攻撃的になっていた。
「だったら、私が貴女の用というのを竹さんに伝えてあげます」
「見ず知らずの、しかも関係ない人間に言付けを頼むわけないでしょ?」
「……なるほど、人を信じることが出来ない者には箴言です」
「……そうね、初対面なのにブラジル並に攻めてくる人間は信用出来ないわね」
私達二人は暫く睨み合った。
睨み合いから取っ組み合いに変わろうかという時に、どこか呆れている様な声がした。
「……えっと、何してんの、お二人さんは?」
私たち二人はその声にはっとして睨み合う事をやめた。
そして、その代わりなぜか二人とも少年を睨んだ。
昨日と違い(当然だが)学生服を着ている少年はため息をついた。
「金髪で黒い服を着た美人が校門前にきてるって言うから来てみたら、深翠と睨み合いしてるし。何この状況。どういうこと?」と少年は私に聞いてきた。
私は深翠と呼ばれた目の前の少女を、勝ち誇った様に見てから答えた。
少女は私の視線に気付くとどこか悔しげにした後、少年を再び睨んだ。
「昨日の事で聞きたいことがあったから来たの」
「「昨日の事?」」少年と少女の声が重なった。
だが二人の言葉の裏のニュアンスは若干違った様だ。
少年は、何か聞きたいことがあるのか? といった感じ。
少女は、昨日の事って何っ? といった感じである。
少年はそれに気付いたのか、どこか外れた対応を取る。
「あ、悪いんだけど深翠外してもらえる?」
少女はそう言われて、納得いかないと視線で抗議したが、後で説明するからという言葉で不承不承引き下がった。
これは想像だが、もしこれが授業がもう始まるから、とかだったら引き下がらなかったことだろう。
少女は「じゃあ後で聞きに行きますから、ちゃんと説明してください」と少年に言って校舎に戻っていった。
少年は歯に物が挟まったような顔を作したが、少女の姿が校舎に消えて、始業のチャイムが鳴ると表情を元に戻した。
少年は、「あーあ、さぼり決定だな」と別段気にした様子もなく呟き、
「ここじゃ目立つから」と校門から外に出て100メートルくらい歩いたところで誘導して止まった。
「それで、何が聞きたいんだ?」少年は立ち止まると私の方を向いて問うた。
私は一呼吸おいてから、
「どうして、私を殺さなかったの?」と冷静な口調で言った。
「どうしてって、オレにはお前を殺す理由がない」少年は真面目な顔で言った。
「私はあなたを殺そうとした。では理由にならない?」
「ならない。そもそもお前は自分の意思で動いていないからな」
「昨日も言っていたけど、それってどういう事?」
「まさか気付いていないわけじゃないだろ。お前は使われているだけだ」
「使われているって誰に?」私は鼻で笑った。
「それはお前が一番良く知っているだろう? 自らを『黒』と名乗っている馬鹿だよ」竹も鼻で笑う。
「……もしそうだとしたらどうするの?」私は片目を細める。
「どうするって、どうもしないな。ああ、でも昨日のは失敗だった。あそこまでやるつもりはなかった。嫌な奴を思い出してちょっとカッとなった、後悔はしている」少年は自分の言った事が面白かったのか、くくくと笑う。
「……よくわからない。まあどうなろうと私があなたを殺そうとするのは変わらないよ?」
「別に良いんじゃない? 好きにしたら良い。お前が本当に自分の意思でオレを殺したいならな」
「ええ、そうするわ。一つ良い?」
「どーぞ」少年は手を差し出すジェスチャーをする。
「あなた、敵に塩を送るだなんて、馬鹿なの?」
「そんな事した記憶はないけど。てか上杉謙信馬鹿にすんなよ。格好良いだろ、いや武田信玄だっけ?」
「謙信で合ってるわ……じゃなくて、私を助けたでしょ」
「確かにお前を助けたけど、昨日あれだけ手も足も出なかったお前を敵と認識しろと?」
少年は軽く笑ったが、私の顔が怒りを帯びたので笑うのを止めた。
「ふうん。なら今すぐ敵と認識させてあげようか?」私は冷たく言う。
「……今すぐは困る」少年は心底困った声をあげた。
「あら、怖いの?」
「いや授業が始まってるからな。いつもは遅刻が確定した時は休むんだけど、今はさっきの子が怖い顔して教室で待ってるから、一応行かないと。だりぃけどな」少年の言葉は嘘偽りなく、真実だ。それはまだ二度しか会っていない私でもわかる。
だがらこそ気に入らなかった。
「……随分私のことなめているのね。私がこのまま引き下がるとでも思ってるの?」
「思ってなきゃ言わないな。まあ7・3てとこだけど。ベットするには悪くない比率だろ。んでどうする?」少年は首をすくめる。
「……出直すわ」少年にチップを払うのは癪だったが、あそこまでやられて何の策もなしにリベンジするほど馬鹿じゃない。
それに決着の日は、決められている。
「そうか、なら良かった。まあ、もしお前がお前の意思でオレを殺したいなら、その時は受けてたつよ。でもその時は本気でオレを殺しに来い。あんな半端な状態で来るな。面倒だからな」少年はボリボリと頭を掻く。
「勿論、今度こそあなたを殺してみせる……最後にもう一つだけ良い?」私は少年を正面から見据えて真面目な顔をした。
「何?」少年も真面目な顔をする。
「私の『謡』にはどんな意味があるの?」
「……それは、それを教えた人間に聞いた方が早いだろ」じゃあな、と手をあげて少年は去っていった。
少女は頬を膨らまして呟く。
「……それが出来たなら、あなたになんて聞いてない」
なぜなら、あの『黒い魔法使い』は少年を殺す事が少女の最後の仕事であると告げて、どこかへ消えてしまったのだから。
少女は少年の後ろ姿を蒼い目で睨みつけて、その学校を後にした。
『歴史』に用意された運命。
次に二人が会うのは、七夕。
織姫と彦星が出会う夜。
その日、蒼の物語が終わる。
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