蒼の章 10
4
七月二日。
目が覚めると、知らないベッドの上にいた。
こんなシュチュエーションは生涯二度目だったが、体中に包帯が巻かれているわけでも、わけのわからないチューブが体から出ているわけでもなかった。
少しだけ昔を思い出したが、体を起こす際に左手に走った鈍痛が、懐古のドライブを中断させた。その左手に目をやると包帯が巻かれていた。
……一時中断した思考を別の道で再び走らせ、自分の置かれている状況を把握する。
私は昨日、標的と交戦して……それで……どうしたんだっけ?
寝起きだからなのか、また別の理由なのかわからないが頭が上手く働かない。
どうしたものかと悩もうとした時、ガチャリという音がしてドアが開いた。
知らない女が立っていた。
それを認識すると同時に、危険を告げる警笛が頭の中に鳴り響いた。
その警笛に従い、とりあえず最大限の警戒をしておく。
女は私を一睨みしてから「ああ、なんだ、起きていたのか。一応ノックはしたんだが聞こえていなかったようだな。入るぞ?」とつまらなげに言った。
そういえば、コツコツという音が聞こえていて、それを切欠に目を覚ましたんだった。
そうかあれはノックの音だったのか。
その女は、私の返答を待たず部屋の中に入ってきて、ベットの脇に立った。
未だ状況がよくわかっていなかった私だが、危険信号は点滅から煌々と赤に変わろうとしていた。
理屈や理性でなく、本能が言っていた。
この女は危険だ。
私は次の瞬間には女へ飛びかかるくらいに、敵意を向ける。
しかし女はそんな事などおかまいなし。
いや、そんな事などどうでも良さそうに、つまらなそうな表情を保っていた。
「……ふむ。怪我の方はもう良いみたいだな」女はそんな事を言うと、私の頭に触れようとしてきた。
私はその手に触れられる前に振り払い、女を睨んだ。
「む、手当てをした人間にたいして取る行動ではないな。ついでにそんな恩人に向けて殺気を発するな。別に私はお前とやり合うつもりはない」女は不機嫌そうに言うが、表情は相変わらずつまらなそうにしている。
私はこの六年間、独りで生きていく術として、敵意の有無を感じ取ることが出来るようになっていた。
確かに女からは全く敵意というものが見られない。
なのでとりあえず警戒レベルを下げる。
「この手を手当てしてくれたのは貴女なの?」
私は包帯の巻かれた左手を女に示した。
「その頭もな」女は顎で私の頭をさした。
頭?
私は、疑問のままに頭に手をあてる。
今更だが、手だけでなく頭にも包帯が巻かれている事に気付いた。
「どうやら今気付いたらしいな。では、自分がどうしてここにいるかは、わかるか?」
女の指示に従うようで癪だったが、私は再び記憶の引き出しに手をかけた。胡乱だった頭は少し時間が経った為か、多少まともに働いてくれた。
「……」
ざっと一拍秒考え、そして――思い出した。
私は――負けたんだ。
一瞬の激突。
意識の消失。
敗北。
嫌な記憶。
思い出したくもなかった。
「そうだ。君は竹にやられてここにきた」女は、私の思考を読んだかの様に言った。
その事実に少しだけ驚く。
「何を驚く? 私は別に君の考えを読んだわけじゃない。それだけ表情に出ていたら、考えている事なんかすぐにわかるだろう」呆れているような女の口調には、それでもつまらなそうな色しかない。
私は女を睨もうとしたが、はっとしてやめた。
そういえば昔、別の人にも同じ事を言われた事がある。
「人殺しになりたいなら、まず自分の表情を殺せ。自分を殺す事が人殺しの最低条件だ」
どうやらまだ、感情が顔に出る癖は治っていないらしい。
それにしても、嫌な事を思い出だせる女だ。
「……どうして私はここにいるの?」私は極力、感情を出さない様に気を付けながら言った。
「どうしてって、私が聞きたいくらいだ」女の表情が初めて変化する。それはわかりやすく嫌なそうな顔だった。
「昨日の夜だ。竹が君を背負ってきたと思ったら『自分の家に女の子を一晩泊めるのは色々まずいから、朝まで頼みます』と言って君を置いていった。天倉め、ここは宿屋でも病院でもない。宿代と治療費は安くないぞ、全く」女は少し憤慨しながら言った。後半は私にでなく、少年に対しての愚痴に変わっていた。
「……どうして私は生きているの?」
「どうして、ばかりだな。そんなもの天倉に聞け。私は知らない。私は治療して、一晩面倒を見ろと言われただけだからな」
「そう。貴女じゃ役に立たないのね」
「治療をした相手に向かって良い根性だな。まあ良い、これについては天倉に料金を支払ってもらおう。オプションで今の暴言料も払わせてやる」
「ええ、そうして。私はこんな事、頼んでいないから。それで、肝心の彼はどこにいるの?」
「今の時間だと学校だろう」女は平坦に答える。
「学校?」驚いた、彼は学校に通っているのか。
「何だ、そんな事も知らなかったのか? 天倉が標的なんだろう? 事前に調べたりしていないのか?」
「別に調べる必要なんてない」私は無感情に言った。
「――ああ、そうか。そういう事か」女は腕組みをして、一人で納得した様だった。
「何、どういう事よ」
「ん? 昨日、天倉が帰り際に言っていたのを思い出してな。君は駒だから、と」
「それ昨日も言われてたけど、どういう意味?」昨日はそれを理解しようとしている間に気を失った。
「それも天倉に聞くと良い。私がここで答えるのはルール違反だ」女は質問に答えず、口元を吊り上げただけだった。
「……わかったわ。彼の学校の名前を教えて」私は答えには期待せず、ベットから降りる。
だが意外にも女は迷わずに、
「八里浜高校」女は事務的な口調で即答した。その声色は事務的さを装っているものの、どこか楽しげだった。
「……そう、一応礼は言っておくわ」
「意識を失うほどやられた相手のところに、昨日の今日で向かう姿勢は大したものだな。それとも一方的にやられ過ぎて、まだ認識出来ていないのか」女は鼻で笑い、皮肉っぽく言った。
嫌な女だ。
私はそれを無視してドアの方へと歩く。
「ふん。まあ良いが……頭の包帯ははずしておけよ? 格好悪いぞ」くつくつ、と意地悪そうに笑う。
私は完全に頭の包帯の事を完全に失念していた。
内心「ぐっ」と呻き声を上げていたが、そんな態度をこの女に見せたくはなかったので、女の言葉を無視してあえて包帯は外さず悠然と部屋から出る。
部屋を出て左右を確認すると、右手にすぐ玄関が見えたのでそちらに向かう。
玄関には靴が揃えられていた。
その靴を履き、私が玄関の扉へ手をかけると、後ろから声がかかる。
「ああ、忘れるところだった」ちょっと待て、と女は私を呼び止めた。
私は、そのまま無視して出て行こうかと思ったが、一応治療してくれた礼にその場で止まってやることにした。
「天倉からの伝言だ」女はそう前置きをしてから、たっぷり五秒ほど間を置いて、
「お前の名前は? だそうだ」と言った。
後ろを向いていたのは助かった。今の私は感情がもろに顔に出ていただろう。
どんな表情か自分では想像が付かないが。
私は何も言わず、玄関を開けて外に出た。
後ろで「私は伝えたからな」という女の声が聞こえた。
本当に、嫌なことばかり思い出させる嫌な女だ。
*
授業中に携帯電話が鳴った。
鳴ったといってもマナーモードだったので音もバイブも鳴っていない。
たまたま暇だったのでポケットから携帯を出したら気付いたのだ。
怜さんからだった。
かなりしつこく鳴っていたが、さすがに授業中に電話は取れないので放置しておいた。
それから二分ほどして漸く携帯は着信の明滅を止めた。後で何か言われそうだなあ、と思っているとそれから五分ほどして今度はメールが来た。
携帯電話を机の下に隠しながら受信メールを開く。
やはり怜さんからだった。
文章は機械音痴の怜さんらしく簡素なものだ。
電話に出ろ。
宿泊代と治療費+αの相談はまた今度。高くつくぞ。
ついでに、昨日泊めた事で確信出来た、あの女は『無音の凶刃』の娘だ。
しかも青眼まで受け継いでいる。
五分かけて作成された内容は、短いわりに全然簡素じゃなかった。
|