蒼の章 09
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歩き初めて三十分が経過しようとしていた。
竹は少しイラつきだしている。
何にかと言えば、こっちはわざわざ人目のつかないところを選んで歩いてやっているというのに、後ろから殺気を放つだけで何もアクションを起こしてこない殺人鬼に対してである。
その殺意、その焦らし方が明らかに挑発だとわかっていても気分の良いものではない。
もういっそここで殺してしまおうか。
竹は一瞬本気でそう思った。
だが周りを見回すと、駅の改札口前だった。
脇の家から更に三十分歩いたのだから駅に着くのは当然である。
改札前にはバスを待つ会社帰りのサラリーマン、これから向かう合コンの事以外何も考えていなそうな若者、精神的には完全燃焼だが結末は不完全燃焼になりそうな部活帰りの学生など、普遍性を具現化した一般ピープルで地味な賑わいが出来ていた。
竹はそういう人々を見て反省する。
もし自分がその普通の世界に寄り添って生きていきたいのなら、少なくともここで戦闘なんて真似をしてはいけない。
「だぁり」浅いため息。
竹は切符の券売機に向かう。
券売機の前には二、三人の列がそれぞれ出来ていた。
竹は列の最後尾に並び、自分の順番を待つ。自分の順番が来た時、丁度上りの電車が入ってきた。
隣で中年サラリーマンが「あの電車に乗らなきゃ死ぬっ」みたいな顔して焦りまくって切符を買っている姿を見て、竹はその電車に乗る事をやめた。
まあ――生き急ぐこともないしな。
竹は焦るくらいなら、遅刻をする方を選ぶという人物である。
怠惰。
それどころか、待ち合わせで寝坊などをして間に合わない場合は潔く諦める。
最悪である。
ただそれで実害を受けた人間は、今のところ一人もいない。
竹と待ち合わせをする程度に仲の良い者は皆、竹がそういう人間であることを理解しているし、もはやその理解は「ああ、いつものことね」と限界を三段飛びくらいで超えて悟りに至っている。
ある意味かなり恵まれた人間である。
竹は、手持ちに小銭がなかったので、一万札を投入し150の文字が描かれた液晶をタッチする。
お釣りを財布に入れている時に、先に来ていた小豆色が発車した。
切符を改札へ通し、緩く動く小豆の白いラインを眼球が忙しなく追っていると、以前この駅で竹が切符と切手を間違えて口走り、その時一緒にいた大木が調子付いて囃してきたのを冷たくあしらった、という記憶を流れる白いラインが映画のスクリーンのように投影していた。
その時の状況を思い出して緩みかけた頬を、周りに大勢の人がいる事を思い出し引き締めた。
その頃には、先ほどのイラつきは完全に収まっていた。
上りの時刻表を確認して、竹はホームの一番端、電車が停車するギリギリのところまで歩いて、そこで十分後に来る次の電車を待つ事にした。
この時刻は上りも下りも電車が十分感覚で運行している。
待つという作業が好きでない竹としては素晴らしい事だった。
暇と呼べる空白の時が風に乗って過ぎていく。
あまりにも暇だったので、竹は誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
元々、竹が電車を待っているホームの一番端にいる人間はいないので、そんな小さな声で言う必要もないのだが、それでも竹は小さな声でいった。
それは竹の所信表明。
どこかで見ている『歴史』に対しての宣戦布告。
「知らん奴の思い通りになるつもりはない」
「無駄。運命には逆らえない」
誰も近くにいないはずの場所。誰も聞いてないはずの竹の呟き。
――宣戦布告を受理した殺人鬼が竹の隣に立っていた。
竹はそれに対して別段驚きはせず。むしろそれがごく自然なこと、当たり前のことであったという風に、竹は殺人鬼の答えを否定した。
「残念ながら、二三回逆らったことがあるんだ」
――沈黙。
竹と殺人鬼はそれから一言も話さなかった。
当然だ、まだ二人は出会ってない(・・・・・)のだから。
これは云わばフライング。
『歴史』にはない、本筋にはなんの影響もない前哨戦。
だがこの無意味で無色なやり取りが、彩り鮮やかな意味を持つこともいつかはあるかもしれない。
無言の少年はそう願った。
電車が到着する。
一人と一人は冷気を吐き出す車内に入り、目的地まで自動的に流れる景色を眺めていた。
*
二人が下りた駅は安心塚という名の駅で、東浜急行本線で一番利用率が低いという噂の閑静とした駅だった。
人気のない場所に行きたかったところ、この噂を思い出したので向かってみたのだった。
噂の出所が松田なので、いまいち眉唾だったが、今現実としてこの駅で降りたのが二人の他には学生が二名だけだったところを見ると、噂を信じても良いと思えるだけの説得力はあった。
竹はこの駅で降りるのは初めてだったが、噂の真相具合を確かめられただけでも今日この駅で降りた価値はあるな、と満足する。
駅の改札に切符を通し、民家の明かりの少ない方へと歩く。
当然の様にその隣には殺人鬼が無音で一緒に歩いている。
そして二人は、駅から十五分ほど歩いたところにあった、広い公園に着くとそこで初めて対峙し、お互いの姿を正面から確認した。
その対峙で竹は初めて、今まで一緒歩いてきた殺人鬼が、自分とそう年齢の変わらない少女であることを知った。
少年と少女は歴史上ここで初めて出会った。
*
漆黒。
竹の彼女に対する第一印象はそれ以外になかった。
銀色の月明かりを背に金色の髪を風になびかせて、空色をした瞳でこちらを見据える少女はまさしく天使のようだった。
――にも関わらず、少女は漆黒だった。
それは、彼女の着ている服が上下共に黒いからだけで得た印象などでは断じてない。
彼女の存在が、深い深い闇の底と同じ色をしていたからだ。
竹は一瞬だけ、この少女と同じ色をしていた人物を二人思い浮かべた。
だが記憶にある二人の色は二人ともが、この少女の持つ漆黒とは少しだけ違う色だ。
一人は、虚無の黒。
もう一人は、奈落の黒。
ならこの少女の漆黒はどういう黒なのだろうか。
――まあいいか。
竹はあっさりとその思考を切断した。
そんなことを考えるくらいなら、他にやることがあった。
さしあたって、この状況とこの少女をどうするか。
とりあえず竹はお決まりの台詞で少女を迎えた。
「どうしてオレを付けてきた?」
「どうしてって、そんなことも言わなければわからないの?」少女は少し馬鹿にした様に言った。
竹は、少女の態度に初体面なのに失礼な奴だな、と思った。
「まさかお前が今話題の殺人鬼だとか言わないよな?」竹も馬鹿にした様に言った。
少女は竹の態度に初対面なのに失礼な人ね、と思った。
少なくとも二人とも自分は失礼ではないと思っていた。
「似たようなものね。まあ正確にはどちらでもないけど」
「ふうん。ならお前はなんなんだ?」
「黒の裁き」少女は即答する。
「……『黒の裁き』ね。それで、どうしてオレの後をつけてきたんだ?」竹の脳裏を嫌な男の姿が掠めていた。
「勿論、あなたを裁く為。もっと簡単に言えばあなたを殺す為」少女は腕組しながら言った。
「なぜオレなんだ? 話を聞くとお前が殺しているのは賞金稼ぎだけだろう?」
「へえ、そうだったんだ。最初の人……いや、厳密には二人目の人が賞金稼ぎだったっていうのは知っていたけど、それ以外は始めて知ったわ。初耳。まあ選んでいるのは私じゃないし」金色の髪が夜風で揺れる。
「お前が選んでいるんじゃないんだな? なら選んでいるのは『奴』か」
「ええ。『黒』が選んでいるの。初めに言ったでしょ? 私は『黒の裁き』なんだって。じゃあ質問は終わりにしましょう。逃げたいのなら今のうちにどーぞ」少女は微笑む。
「そんな面倒なことしない。どうせ逃げても追いかけてくるだろうし」
「そうね」少女は頷く。
「なら逃げない。その代わり最後に一つ良いか?」
「何?」
「随分おしゃべりだけど、寂しがり屋か?」
「――っつ」少女は、竹が言い終わると同時に黒い服から真っ白なナイフを右手で取り出し、その場から爆ぜる。
黒い獣が獲物の心臓を貫こうと牙を向け、一直線に疾走する。
その速さは肉食獣に迫り、凌駕せんと速度を上げる。
だが、少女が獣の速度で襲ってきても、竹にとってはまだ遅かった。
少女が獲物を狩る獣なら、竹は獣を狩る弾丸だ。
竹は少女の突進を難なく避け、ナイフを持っていない左側へと跳躍する。
空色の瞳がそのあまりにも予定通りの行動に嗤い、少女の左手から本物の弾丸が撃ち出された。
銃声は一発。
その時、竹はまだ空中にいた。
このままいけば心臓へ完璧に着弾コース。
「ちっ」竹はそれを視認すると、空中で足を二回蹴り上げた。
だが、その行為になんの意味があろう。空を蹴る能力や風を操る能力を持っていれば別だが、竹にそんな能力はない。
それならば着弾ギリギリまで弾道を見極めて、体を捻りでもした方がまだ避ける可能性があるというもの。なので当然弾丸は避けれないはずだった。
しかし竹の心臓が鮮血で染められることはなく、無傷で済んでいた。
なぜなら、竹が避けずとも弾丸の方が竹を避けていったからである。
そして、少女の顔が驚愕と苦痛で歪んでいた。
「……お前が銃を持っているなんて、話しにはなかったぞ」
地面に下りた竹はなぜか両足裸足で、20メートルほど先に靴が二足転がっていた。片方は穴が開いている。
「なにそれ……靴を飛ばして弾道を変えるなんて聞いた事ない」
出鱈目だわ、と少女は忌々しそうに竹を見る。
少女の左手には、デリンジャーが握られていた。
そして、そのデリンジャーを握った手の甲が赤く腫れあがっている。
「命には変えられないからな。咄嗟の判断としてはまずまずだろ。まあ帰りが裸足になったけど……って帰りの電車を裸足で乗るのかオレは」
「……まるで生きて帰れるかのような口振だけど安心して、あなたはここで死ぬんだから」と少女は右手に持ったナイフを構えなおす。
「やめとけ、隠していた銃を使っての奇襲は失敗。更にオレが飛ばしたもう一足の方が当たって左手がほとんど動かないだろう?」
「……何あの靴? 鉄板でも入ってるの? あなたトレーニングマニア?」
「どこの巨人好きだよ。あれは作業靴だ。友達の家の玄関で見つけたのを履いてきた」
「何が銃を持っている事を知らなかった、よ。準備万端じゃない」
「知らなかったのは本当。お前が銃を持っているなんて情報は調べてもらった内容に書いてなかったからな。でもまあ念のために履いてきたらとても役立った」もしかして弁償しなきゃならんのかね、竹は弾丸が当たって穴の開いた靴を見ながら思った。
「……今まで殺してきた中であなたは手強い部類に入るけど、あなたも賞金稼ぎ?」
「さてね、どうでも良いだろう。悪いけどお前の時間稼ぎに付き合うわけにはいかないんだ。今から靴を売っている店を探さなきゃいけないからな。お前の左手が使えないうちに終わらせたい」
「……時間稼ぎは失敗か。でも勘違いしないで、私にはこのナイフ一本あれば十分。今まで通り裁きを下せる」
「今まで通り?」竹は少しだけ時間稼ぎに付き合ってあげる事にした。同じくらいの年とは言え美人な女性には甘い。
これで年上だったら申し分ないんだが。
「そうね」少女は清ましたように言う。
「それは違うな」竹は断言する。
「……何が違うっていうの」何も違くなんてないわ、と少女は言った。
竹はやれやれと、ため息をつく。
「何だっていうの」少女は竹の態度に少しささくれる。
「本当に何もわからないのか?」
少女は少しだけ考えた後「まさかあなた、相手が違うとか馬鹿げた事言うつもりじゃないでしょう?」少女は冷笑を浮かべる。
「ああ、それもあったか。でも、そうじゃない」竹は、そろそろ左手が回復する頃だなあ、と女性(特に美人)に甘い自分に呆れた。
少女は竹に気付かれないように左手が動く事を確認した。
竹は気付いたがそれに気付かない振りをする。
「……一体何だって言うの。いい加減言ってみたら?」少女は綺麗な形をした眉を片方だけ上げ、全身に力を込めた。
竹は少女から放たれる殺気が強くなったのを確認しつつ、裁きを名乗る少女に言った。
「お前本当にそのままで向かってくるつもりか?」
「えっ?」少女は始め竹が何を言っているのか理解できなかった。
「何かあるんだろう? 確かにお前はそのままでも十分強いが、それじゃまだアマチュアの域は出ない。『野犬』や『六番目』を殺すにはまだ足りない。何かあるんだろう? お前を殺人鬼とさせる何かが。恐らく『お前の依頼主』から何か教わっているだろう?」
「……」そういえば『黒』に教わり、殺しの時に必ず謳っていた歌がある。
だがそれがどうしたいうのか。
「それがどうしたじゃないだろ。お前が賞金稼ぎ殺しとして、やってこれたのはそれのお陰だろ。ってまさか何も知らなかったのか?」
「……」思い当たる節がないわけでもなかった。
しかし少女はその時の記憶を思い出そうとするが、良く思い出せない。
少女の殺気が困惑により徐々に薄れていく。
いつもあの歌を謳った直後、意識が薄れていた。
明確に覚えている情景はいつも始りと最後だけ。
自分が人殺しをしている時の記憶が曖昧だ。
なぜ私はそんな重要な事を今まで一切意識していなかったのだろう?
竹は呆然と考え込む少女の姿を見て腹立たしそうに言う。
「ああ、そうか。お前は『あの男』に使われていただけの駒だったのか」
竹は憐れみと怒りをマーブリングしたように呟き、大地を思い切り蹴り飛ばし少女へ向かって駆け出した。
それに気付いた少女は、混乱した頭のまま迫ってくる敵に迎撃体勢をとる。
刹那、少女の視界が暗転した。
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