参の一 暗闇に潜むモノ
田舎町を出て3日、2人は霧深い谷にある小屋で暖を取っていた。
「ギン…」
薄い麻布の敷物に、横に寝かされたギンは苦しそうに呼吸している。
未熟な霊狐は、自身に秘めた強力な力がまれに外に漏れ出る。
それを防ごうと反発し、霊力を大量に消費し続ける。
ギンは今まさにその状況にある。
全身に熱を帯び、大量に汗を流し、まるで高熱を出したかのような症状。
「苦しいか?大丈夫、ずっとここに居るからな」
ギンの小さな手を握ると、熱を感じる。
体中の水分が沸騰しているのではないか、と思わせるほど。
ナナシの心配そうな表情に弱々しく笑う。
「な…さけ、ない…か、お……するで、ない」
荒く呼吸しながら声を絞り出す。
その姿は200年以上を生きる紅銀狐と言うより、外見通りの十歳ほどの幼い少女。
「なんとかしてやりたいけど…」
ナナシは落ち着かない様子で小屋の中をキョロキョロしたり、うろうろしたり、ギンの手を握ったりを繰り返していた。
「…うっとう、しい……」
――――――
外が暗くなりはじめた頃、ギンの容態はヤマを過ぎたらしく落ち着いた。
小さな寝息を立て穏やかに眠っている。
「俺も少し横に…」
小屋を囲む背の高い草が擦り合う音。
草むらを何かが歩いているのだろう。
ナナシは小屋にあったナタを持つと、戸に向かいゆっくり歩いた。
「刀が使えないのに、勘弁してくれよ…」
情けなく言うと、小屋を出た。
◆
外は重たく闇を落とし、視界を狭める。
「やべぇ、見えねぇよ」
小屋の左脇の草むらが大きく揺れた。
そちらに向くと、雲の切れ間から射す薄い月明かりが“それ”を照らし出す。
昆虫、蟻だろうか。
しかし、目に映るのは六尺、ナナシと同じ体長の2本足で立つ“蟻”。
「なんだ?滑稽な妖魔もいたもんだな」
蟻はキチキチと、物がキシむような音を発する。
「やっぱ、しゃべれないのか」
ナタを振りかぶると、頭部めがけて振り下ろす。
防ぐでもなく、蟻の頭に直撃するが、鋼同士がぶつかる音を響かせナタを弾く。
「かってぇ!?」
全身に衝撃が伝わり、ジーンと痺れる。
隙をつき、先の尖った槍のような足を突き出す。
ナタで払い落とすが、反対の足が突きかかる。
「っ!」
足はナナシの右脇をかすめる。
着物はすぱりと切られ、脇腹にはうっすら血の筋が浮かぶ。
蟻の全身は鍛えられた鋼と同様、触れればただではすまない。
「蟻…とんでもねぇな」
口もとをニヤリとさせるが、表情に余裕がない。
刀がない、姿が見えずらい、とにかく不利。
そんな事お構いなく蟻は動く。
4本の足を一斉に突き出す。
防ぐわけにはいかず、後ろへ跳ぶ。
間髪入れず、蟻は一気に距離を詰め、左右から足で挟み込む。
着地とほぼ同時だったため避けられず、掴まれた。
「くっ!?」
まるで万力。
昆虫は自身の体重の何倍もの獲物を軽々運ぶ。
人間と同じ大きさになれば、人間を絞め殺す事など容易。
全身を締め付ける力に太刀打ちできず、少しづつ骨をキシませる。
ナタを下にすとん、と落とすと蟻の足先端に突き刺さる。
痛みは感じないようだが、それでもそちらに視線が落ちる。
下を向いた頭部に思いきり頭突きを打ち込む。
ふいの衝撃に拘束が緩んだ。
隙をつき腰を低くし、肩を蟻の腹部にぶつけ体制を崩す。
ナタを拾い上げ、後ろに跳ぶ。
おでこからの出血により、眉間を血が流れる。
口もとまで流れるそれをペロリと舐めた。
「くそ、効いちゃいない。コッチは今ので目眩がするって言うのによ!」
蟻はキチキチ音を立て、口の両脇に生えた牙のように鋭い顎を開けたり、閉じたりしている。
考えあぐねていたナナシの正面、蟻の後方、小屋の外壁に長筒が立てかけられていた。
長筒、つまり長身銃。
蟻を睨みつけながら、少しづつ長筒に近付く。
長筒を左手に掴むと、ナタを捨て、腰を落とし構える。
蟻は警戒しているのか、動かずに突っ立っている。 狙いを定め、ゆっくり引き金を引く。
カチン、と渇いた音が響いただけ…
当然だ。
点火させるための火繩が詰められていない。
ついでに言えば、弾すら込められていない。
銃など知識としてしか知らないナナシには、仕方ない話なのだが。
「おいおい!鉛弾が飛び出すんじゃねぇのかよ!」
長筒を投げ捨てると、再びナタを拾い構える。
しかし、蟻は全く動こうとしない。
すると、ナナシとは反対側を向き、体を倒し6本足で駆け、闇へと消えて行った。
「なんだよ、アレ」
《続く》 |