七の三 地神玉
ギンは、大気に漂う濃い霊子を、うるさく纏わり付く虫を払うようにしながら、重い体を引きずるように山道を進んでいた。
霊狐であるギンの霊力は、人間の数十倍。
普通に考えれば、この程度の霊子濃度は余裕と思われるが、まだまだ未熟なギンは、過剰に影響を受けてしまう。
「気持ち悪っ……。しかし、あの感じ……」
楓が山に向かってからしばらく経った頃、黒くまがまがしい、それでいて懐かしい気配が山に向かうのを感じていた。
確実ではないが、それを確かめないわけにはいかなかった。
「兄妹そろって大バカモノだからな、斬り合いなんぞはじめてなければいいが」
頬を平手で軽く叩き、脱力感でたるむ顔をひきしめ、よろけながらも山道を急いだ。
――――――
三合目の開けた場所に出ると、岩に背を預け、その場に座り込む。
肩を上下させ、苦しそうに呼吸しながら、目を閉じうつむく。
金属のぶつかる音が、霧に包まれる山中に響いた。
その音に、はっとして顔を上げた。
「まさか!…いや、あの2人なら……」
重たい体を持ち上げ、ぜぃぜぃと荒く呼吸しながら、再び山道を歩き出した。
――――――
楓と志郎は互いに距離を読みながら、睨み合っている。
志郎は威嚇するのを止め、口もとを緩める。
「こうやって真剣に向き合うのも、子供の頃以来だな」
「剣術道場以来、ですね」
2人はその頃を思い出すように話しはじめた。
幼少時、剣術道場に通っていた事、稽古で竹刀を構え向き合った事、そして楓が志郎を打ち負かした事。
志郎が苦笑いすると、楓もつられて笑う。
「兄様、家に、私達の家に帰りましょう」
楓の言葉に、志郎は首を横に振ると、殺気のこもった視線を向ける。
楓と志郎は同時に駆け出す。
志郎は右爪を上段から、左爪を下段から挟むように振るう。
それに対し楓は、右爪を刀で受け、左爪を瞬時に抜き取った短筒から放たれた銃弾で弾く。
「面白いモノ持ってるな」
志郎はニヤリとさせると、銃弾により弾かれた左爪を再び振りかぶる。
後ろに跳び、追撃を避けるが、空気の衝撃が更に追撃する。
見えはしないが、軌道を読み、勢いよくしゃがむ。 背後の六尺はある大岩の上半分が、軟らかいモノでも斬るように斬り落とされた。
「兄様、本気…ですね」
楓は、斬り落とされた大岩を横目で確認すると、立ち上がり刀を構えた。
緊張感の支配するその場に声が響いた。
「やめんか、バカモノ!」
苦しそうに呼吸しながら、ギンが叫んだ。
「ギン、俺を止めに来たのか?」
楓に視線を向けたまま、ギンに冷たく言う。
ギンは警戒するでもなく志郎に近付くと、袖をグッと掴む。それに気付き志郎は振り向くと、ギンの平手が志郎の頬を思い切り叩いた。
乾いた音が響く。
楓と志郎は、呆然としてギンを見た。
2人のほうけた表情に、ギンは深くため息をつく。
「大バカモノ!兄と妹が殺し合うなど、あってはならん!今すぐ止めい!」
呆気にとられていた志郎は、我に返り鼻で笑う。
「なら、どうする?」
志郎は殺気のこもった目でギンを見た。
その突き刺さるような視線に、一瞬たじろぐが、負けじと睨み返す。
「楓、ヌシは地神玉を斬るのだ。このバカモノはワシが相手する」
「お前なんかが兄様に敵うものか!私が…」
「行けっ!」
楓の言葉を遮り、ギンは叫んだ。
苦しそうな表情ではあったが、向けられた力強い視線に、楓はただ無言でうなづいた。
志郎を横目に、楓は洞窟へ走った。
楓が洞窟に入っていくのを確認すると、志郎は鼻で笑う。
「例え破壊しても、人や獣が争い続ける限り再び復活するぞ?」
志郎の言葉にギンは、首を横に振り、深くため息をつく。
「そうだな。だが、再生するまでの間、力が弱くなるのは事実。
大方、人や獣を殺さねば完全に地神玉を消し去れんとか楓に言ったのだろう?ワシには通用せんぞ」
ギンは意地悪くニヤニヤと笑い、志郎を挑発する。
「楓はアレを破壊すれば、俺が人間に戻ると思ってるみたいだな。可愛い事を言う妹だ」
「全く大バカなヤツだ。地神玉を破壊すれば恐らく、妖魔は力を失い…死ぬ」
妖魔の力の源となる地神玉。その流れを絶つ事は、つまり、人間で言えば酸素を失うのと同意。
それを破壊すると、妖魔を根絶やしにするかわりに、恩恵とされる治癒能力もなくなるわけだが。
「何も知らない楓に行かせるとは、酷な役目を押し付けたな」
「お前が死ぬのを目の当たりにしたら、アヤツ何をしでかすかわからんからの」
互いに小さく笑うと、真剣な表情で睨み合う。
「残念だが、楓を止めさせてもらう」
少し離れた位置にある洞窟の入口を横目で見ると、そこに駆け寄ろうとするが、進路を塞ぐようにギンが立つ。
「残念だが、そうはいかんのう?」
ギンはニヤリと笑い、瞑想するように目をつぶり集中すると、体から閃光を放つ。
光が落ち着くと、志郎はゆっくり目を開けた。
「紅銀狐……これが、ギンの本来の、姿」
閃光から姿を現したのは、七尺はあろう巨大な狐。尻尾だけでも一尺はある。 体毛は、紅と銀の毛がまばらに生え、口には鋭い牙が無数に光り、大地を重々しく踏む脚には、太く鋭い爪が伸びる。
ギンは顔を向け、志郎を威嚇する。
『待たせたのう』
ギンの声は大気を大きく揺らし、霊子の濃霧を一気に払い飛ばす。
「手加減できないぞ!」
志郎の叫びを合図に、互いに爪を振るう。
激しくぶつかる衝撃は、大気を揺らした。
《続く》 |