過去の一 黒い爪
都から近い静かな田舎町に、4人の家族が暮らしていた。
父、母ともに農業に精を出し、長男はいつも昼寝ばかり、末娘は巫女をしながら神官の勉強をしていた。
「兄様、よろしいですか?」
「楓か?どうした?」
ふすまをすすぅっと、音も立てずに引くと、幼い表情の少女が部屋に入った。
楓
歳は十六
髪は肩にかかるくらいで、栗色。
身長は平均的で五尺を少し超える程度。
黄色地の着物に、紫色の腹帯を綺麗に着付けている。
「兄様は、昔のように剣の修行はしないのですか?」
楓の言葉に煙たそうに手をパタパタ払いながら、寝転がったまま背を向けた。
「そう、ですか…」
「お前は神官になるんだろ?俺に構っている暇などないぞ」
その言葉に小さくうなづくと、部屋を出た。
青年は思い出していた。 徴兵された事、戦場に立った事、人を斬り殺した事、突如現れた妖の事、
死を感じた事……
同胞はまるで虫ケラのように殺され、青年は恐怖から逃げ出した。
以来、刀を捨てた。
妖魔が現れた原因が土地魂、地神玉である事を、後に楓から聞いた。
部屋から聞こえる低い泣き声に、外にいた楓も涙を流した。
――――――
平穏は、破られた。
「妖だ!裏山に妖が出た!」
その声に町人達は荷造りをはじめた。
戦って撃退できる相手でないのは、わかりきっている。
「裏山!?お狐様はどうしたのだ!」
田舎町の裏山には紅銀狐の巣穴がある。
狐達の力なら並の妖魔など瞬殺できる。
「話だと、食い殺されとったらしい…」
空気が重苦しいモノに変わった。
「そいつが来る前に遠くへ逃げるぞ!」
――――――
外から聞こえる叫び声に青年は目を覚ます。
「……悲鳴っ!?」
部屋にかけられた刀を掴むと表へ走った。
◆
戦場を思わせる光景。
死体の山に、飛び散る血、女、子供も容赦なく斬り殺されていた。
そこに見慣れた顔を見つけ駆け寄る。
「親父、お袋…」
無惨に斬り殺され、ただの肉塊に戻された両親。
「兄様!これはっ!?」
楓が悲鳴を聞き付け出て来た。
「楓、遠くへ逃げろ」
「父様と母様を置いては行けません!」
目の前に転がる両親の死体に、涙を流しながらも取り乱す事なく、気丈な態度で言った。
青年は楓を見る事なく、駆けて行った。
「兄様!!」
――――――
滴り落ちた血を目印に、裏山を登る。
人が入る事が多いためか道が作られている。
「どこだっ!出てこい!」
ざわめく木々の音に、声は消された。
上空、背の高い木の上から何かが降ってきた。
青年は思わずそれを受け止める。
「子供?」
頭や腕、腹、足から血を流し苦しそうに呼吸する銀色の髪の少女。
美しい深紅の着物もズタズタに斬り裂かれている。
「よお!落とし物拾ってくれたのかい?」
声とともに、また1つ影が降ってきた。
それは、人間の成人男性ほどの身長に、狼のような顔、獅子のようなたて髪を揺らす雄々しい妖魔。
目は血のような紅。
そして、ただただ黒い三本爪の両腕。
「貴様が妖か!?」
少女を抱きかかえたまま、刀を鞘から抜き、左手に構える。
「兄ちゃん、勇ましいねぇ。オイラ、兄ちゃんの事気に入ったよ!」
「ほざけ!」
斬り払った刃を右腕で受け止める。
「相手を殺そうとする殺気に満ちた目、たまらないね!」
腕に当たる刀を払うと、ただそれだけで刃は砕けた。
「ば、バケモノが!」
青年は全身を震わせながらも、刃のない刀を妖魔に向ける。
「サイコーだねぇ!オイラ以外にもこんな飢えた目のヤツがいたとは!」
瞬間、瞬きすら許さない一瞬に青年の左目に激痛が走る。
眉上辺りから口もとまで、三本の深い傷ができていた。
それでもなお、右目で妖魔を睨む。
妖魔は、右爪についた血を長い舌で舐めとると、嫌らしくニヤリと笑う。
「生きのいい、特に武人の血はサイコーだ」
圧倒的な力の差に、死を覚悟した。
「その左目にオイラの血を流し込んでやったよ。これで兄ちゃんとオイラは兄弟だ!」
「ふざけるな!」
左目を開くと、まがまがしい力が全身を覆う。
「ぐっ!?」
抱きかかえていた少女を地面に下ろすと、青年はうづくまり苦しみ出した。
「すげぇチカラだろ!?さあ、一緒に暴れようぜ!」
周囲を響かせる声に気が付いたのか、少女が目を開く。
「まだ生きてたのか。さすが紅銀狐だねぇ」
突き出した爪が、覚醒しきらない少女に襲いかかる。
その爪は少女の前、鼻先で止められた。
「兄ちゃん、狩りの邪魔するのはよくないぜ?」
妖魔を止めたのは、青年の右の黒い三本爪。
青年はゆっくり立ち上がると、苦しそうに息をする少女を横目で見る。
「眠っていろ、すぐ済む」
少女に優しく微笑むと、正面に立つ妖魔を睨みつけた。
《続く》 |