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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 - 作者:浅海

第一章 豊穣祭

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第三節 月明かりの下で

 祭の準備のために、大勢の人間がここに集まっていたのだろう。広場の惨状は村外れのそれとは比較にならなかった。ぶり返す吐き気を堪えながら、リュヌは声を張り上げる。
「ソレイユ!!」
 返る答えは、ない。
 意を決して踏み出そうとしたその時、宵闇をつんざく声が聞こえた。
 それが誰の声であったのか、分からないはずがない。何百回、何千回と、この声に呼ばれ生きてきたのだ。両親を亡くし、それでも二人手を取り合って――ずっと、ずっと。
 矢も盾も堪らず駆け出した先には、見慣れた後ろ姿があった。無事かと声を掛けようとした矢先、小さな身体がぐらりと傾ぐ。お兄ちゃん、と呼ぶ声が、聞こえたような気がした。しかしそれは、錯覚であったかもしれない。わずか十数メートルの距離に仰向けに倒れ込んだ妹の瞳は、最早、光を映していなかったのだ。
「……ソレイユ」
 これは夢だろうか?
 立ち込める黒煙の如く混沌として行く思考の中で、リュヌは自問する。
 目の前で起きていることの全ては余りにも現実感に乏しくて、呑み下すことができなかった。さっきまで、今の今まで、妹は確かに生きていたのに!
 叫び出したい衝動に駆られながらそれでも声を出さずに済んだのは、皮肉にも彼が叫ぶより早く、耳に落ちた悪鬼の言葉だった。
「まだ誰かいるのか?」
 それは恐ろしい声だった。冷たいというわけでもない。怒っているわけでもない。なのに短く問うた声音には、獣のような獰猛さがあった。
 硬質な足音が、一歩、また一歩と近づいてくる。風に吹き散る黒煙の中から現れたのは、がっしりとした長身の剣士だった。金属の甲冑を身に纏い、暗緑色の短髪と同じ色の瞳をぎらつかせた偉丈夫だ。妹を手に掛けたのが誰であるのか、血に濡れたその剣は雄弁に語っていた。
 目が合ったら、殺される。反射的に身体を反転させ、少年は太い木の陰に飛び込んだ。
「隠れても無駄だぞ! 必ず探し出して――」
「お止め下さい、グレン殿!」
 唸るような男の声を、女の声が制した。この狂瀾の現場には凡そ似つかわしくない、知性に富んだ声だ。
 心臓が破裂するのではないかと思うほど、速く激しく脈打っていた。恐る恐る幹の向こう側を覗き込むと、複数の人影が近付いて来る。
 いずれも見たことのない顔だった。白と黒の軍服に身を包んだ壮年の武人、褐色の肌に異国風の衣装を纏った女。深緑の詰襟をきっちりと着込んだ文官風の小男に、線の細い金髪の少年剣士。どうやら奥にもう一人いるらしいが、此方は揺れる焔の影の中にあってよく見えない。
「もう十分でしょう。……これ以上の行為は、無意味です」
 グレンと呼ばれた甲胄の剣士に眉をひそめて、褐色の女が言った。しかし男は、諫言を鼻で笑い飛ばす。
「無意味だと? 馬鹿を言うな! 今宵は殺して奪うことにこそ意味がある! 違うか?」
「いいえ。仰る通りです」
 ぞくりとした感覚が背筋を駆け上がり、リュヌは戦慄した。
 それが何故かは解らない。ただ、応じる声に、何かとてもまずいものを感じて――正体不明の危機感、とでも言うべきであろうか――再び木の幹の裏に引っ込んだ。どこかで聞いたことのある声のような気がしたが、頭は混沌として全く思考を成さなかった。
「そこに誰かいるぞ!」
 背後から、知らない誰かの叫ぶ声がする。どうやら村中に散っていた兵士達が戻ってきたらしい。
 逃げなくてはと、本能が激しく警鐘を鳴らす。走らせた視線のその先には、倒れた妹の姿があった。けれどやはり、もう二度とは動かなかった。
(ごめん、ソレイユ)
 ごめん。
 ごめん。
 胸の中で何度も繰り返して、少年は木陰を飛び出した。この場を逃れるには、森の中に隠れる以外の道はない。ガサガサと草木を分ける音が、爆ぜる焔に紛れたことは彼にとって幸いであった。
「追って下さい。復讐という動機は、時に厄介事を生みますので」
「はっ!」
 淡々と冷酷な命令を下す声は、硝子のように透明だった。つかつかと燃える家屋の間を縫う影に、グレンが皮肉るような笑みを向ける。
「神経の太い女だな。故郷を焼き払わせておいて、言うべきことがそれか?」
 現れたのは一人の少女だった。菫色の長い髪が焔に照らされ、蛋白石に似た五色の彩を放つ。
「お褒めに預かり、光栄です」
 曇りのない瞳に昏い灯を点し、少女――ルネは応えた。轟音と共に、燃える家屋が崩れていく。

 ◇

 漆黒の影と化した木立の底を縫い、ただ走った。秋口とはいえ夜の森は冷える。小刻みに吐く息が煙って青黒い天蓋へ溶ける中、溢れ出す涙ばかりが熱かった。
「うわっ」
 地上に張り出した木の根が、縺れる足を捉えた。前方へ投げ出されるように倒れ込めば、両手が湿った土を掻く。
 森は恐ろしく静かだった。重なる梢を通して注ぐ月光の中で、全てはほの暗い青の中に沈んでいた。起き上がろうとして走った痛みに、足を挫いたのだと気付く。
 もう、訳が分からなかった。
 何故、エーレルが襲われたのか。
 コレットは、その両親はどうなったのか?
 なぜ、妹が殺されなければならなかったのか!
 一つの整理もつけられない内に、次から次へ折り重なるように落ちてくる事実、仮定、そして思考。噛み砕けないまま降り積もったそれらは、涙と嗚咽に変わって発露する。
 暗い森の真中で、少年は慟哭した。梟の鳴き声が羽ばたきに変わり、木々が俄かにざわめき立つ。しかしそれも一瞬のことで、やがて再びの静謐が厳かに世界を満たしていく。
 これからどうするのか、などということは、頭になかった。押し寄せる後悔と自責の念の中、過去ばかりがキラキラとして眩しかった。
 その夜の記憶は、そこで途絶えている。
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