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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 - 作者:浅海

第七章 遥かなるブリュンヌ

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第二節 赤い山を越えて

 枯れた山道を吹き荒ぶ風は、冷たく乾いていた。
 イヴェール皇国を南北に分断するフレイズ山脈は、草木のほとんど生えない禿げ山だ。かつてブリュンヌ地方に鉱山が栄えていた頃の名残で山越えのルートこそは確保されているものの、まともに整備をされなくなって久しい道は所々に傷みが目立つ。
 赤茶けた峰々の間を抜ける道を一歩一歩踏みしめながら、リュヌは来た道をちらりと振り返った。既に遥かな山麓には、民家の屋根がぽつぽつと赤い点を打っている。
「村に残った人達は、どうするのかな」
「さあな。逃げるか、それとも何もしないのか……」
 どっちにしろ気楽な道じゃなさそうだと、フォルテュナが言った。
 山道の入り口に位置するフレイズの村は、山越えの中継点だ。皇国軍がそこを通過するということは、遅かれ早かれスプリング軍もやって来る。セレスタンらは村人達にブリュンヌ地方への疎開を促し、一部は兵として皇国軍に加わることを志願したが、全体から見ればその数は多くはない。
 戦う力を持たない彼らは、一種の諦観に支配されていた。もっと言えば、地方農民の立場としては、この土地を治める者がイヴェールであれスプリングであれ、身の回りに危害が及ばなければそれでいいのだ。皇国軍が後退し、代わりにスプリングがやってくると言うのなら、大人しくその支配下に置かれる方が安全だと見る向きもあろう。
 行軍は今のところ順調だった。セレスタンを先頭に二列縦隊を組み、皇国兵達は整然と山の間を縫って行く。しかし山頂に到達してしばらく経った頃――尾根伝いに西へ移動している最中に、事件は起きた。
「おい――なんだ、あれ!?」
 隊列の前方で、誰かが叫ぶ声が聞こえた。しかし辺りを見渡しても、取り立てて変わった様子はない。
「え、なになに? 何かあったの?」
「ちょっと、押さないでよ……!」
 肩越しに圧し掛かってくるコレットを払い除けようとして、リュヌは硬直した。黒く巨大な何かの影が、さっと山頂を拭ったからだ。
「今のは……!?」
 ギャァッというけたたましい声が、重なる山々に反響した。赤く長い尾羽を揺らして、それは皇国兵達の頭上を旋回する。
「ヒクイドリだ……!」
「鳥!?」
 ほとんど条件反射のように、ベルナールが弓に矢を番える。しかしその口から出た言葉が俄かには信じられずに、リュヌは空を仰いだ。孔雀のような派手な尾羽、鋭い光沢を放つ嘴、燃え盛る炎のような翼――そのどれもが、単に鳥と言うには余りに大きな代物だった。
「弓兵、構え!」
 先頭が、後列の異変に気付いたらしい。前方からフレデリックの声がして、周囲の弓兵達が弓を構える。そして斉射の合図と共に、一斉に矢を放った。
「ギャァァァァ!」
 腹に複数の矢を受けて、怪鳥がおぞましい悲鳴を上げた。しかし素早い動きから致命傷には至らぬようで、大きく上空で弧を描くと再び兵士らの列に向けて突っ込んでくる。広げた翼は居並ぶ兵士達を強かに打ち、何人かが弾き飛ばされて谷側へと転げ落ちた。
(こんなのがいるなんて、聞いてないよ……!)
 敵は人間のみに非ず――行軍は時に、自然との戦いでもある。また来るぞ、と叫ぶ声に促され、リュヌは反射的に腰の剣に手を掛けた。だが空飛ぶ鳥を相手に、リーチの短い剣ではどうにも対処のしようがない。
 緋色の翼が再び大きく旋回する。そして鋭い眼光が、少年の身体を射抜いた。
 来る――本能的にそう悟った。しかしあの勢いでは、下手に触っても弾き飛ばされるだけだ。とはいえ横跳びに避けるにも、尾根を伝う道の左右はいずれも谷で逃げ場はない。
「どうしよう……」
 背中越しに、コレットの声が震えた。するとなぜだろう――
 何かがすとんと、胸に落ちた。単純な話だ。助かる道がないのなら、助ける道を選べばいい。
 鞘に収めたままの剣を両手で支え、リュヌは土塊の地面を踏み締める。一瞬でいいのだ。一瞬でも動きを止めれば、後は弓兵達が仕留めてくれる。ぐっと奥歯を噛み締めたその瞬間、経験したことのない衝撃が襲ってきた。
「ぐ、うっ……!」
 受け止めた腕が、みしみしと軋む。踏み締めた靴の踵が地面を削り、土を掻く。けれど確かに一瞬、耐え抜いた。
「うわああっ!」
 衝突の反動で、少年の身体は宙に浮いた。目まぐるしく反転を繰り返す視界の中で、リュヌは無数の矢が巨大な鳥を次々に射抜いて行くのを見た。そして同時に、落下が始まる。斜面に投げ出された身体は土埃を舞い上げながら、ごろごろと谷底へ転げ墜ちていく。
「リュヌ!!」
「あっ、おいコレット!」
 止める声に耳を傾ける余裕はなかったのだろう。フォルテュナの制止を聞かず、コレットが山肌を滑り下りて行く。
「くそ、あいつら……!」
「だめ」
 今にも追いかけて行きそうなその肩を、ベルナールが掴んだ。
「だめ、だよ」
 助けに行った所で、助けられる保証がない。少年は苦渋の表情で、革手袋の指先に力を込めた。でもと言葉を詰まらせて、フォルテュナは斜面の先を振り返る。
 二人の姿は、もうどこにも見えなくなっていた。遥か眼下には山の裾野を覆う森が、海のごとくにさざめいている。
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