表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 -  作者: 浅海
第七章 遥かなるブリュンヌ
31/34

第二節 赤い山を越えて

 枯れた山道を吹き荒ぶ風は、冷たく乾いていた。

 イヴェール皇国を南北に分断するフレイズ山脈は、草木のほとんど生えない禿げ山だ。かつてブリュンヌ地方に鉱山が栄えていた頃の名残で山越えのルートこそは確保されているものの、まともに整備をされなくなって久しい道は所々に傷みが目立つ。

 赤茶けた峰々の間を抜ける道を一歩一歩踏みしめながら、リュヌは来た道をちらりと振り返った。既に遥かな山麓には、民家の屋根がぽつぽつと赤い点を打っている。

「村に残った人達は、どうするのかな」

「さあな。逃げるか、それとも何もしないのか……」

 どっちにしろ気楽な道じゃなさそうだと、フォルテュナが言った。

 山道の入り口に位置するフレイズの村は、山越えの中継点だ。皇国軍がそこを通過するということは、遅かれ早かれスプリング軍もやって来る。セレスタンらは村人達にブリュンヌ地方への疎開を促し、一部は兵として皇国軍に加わることを志願したが、全体から見ればその数は多くはない。

 戦う力を持たない彼らは、一種の諦観に支配されていた。もっと言えば、地方農民の立場としては、この土地を治める者がイヴェールであれスプリングであれ、身の回りに危害が及ばなければそれでいいのだ。皇国軍が後退し、代わりにスプリングがやってくると言うのなら、大人しくその支配下に置かれる方が安全だと見る向きもあろう。

 行軍は今のところ順調だった。セレスタンを先頭に二列縦隊を組み、皇国兵達は整然と山の間を縫って行く。しかし山頂に到達してしばらく経った頃――尾根伝いに西へ移動している最中に、事件は起きた。

「おい――なんだ、あれ!?」

 隊列の前方で、誰かが叫ぶ声が聞こえた。しかし辺りを見渡しても、取り立てて変わった様子はない。

「え、なになに? 何かあったの?」

「ちょっと、押さないでよ……!」

 肩越しに圧し掛かってくるコレットを払い除けようとして、リュヌは硬直した。黒く巨大な何かの影が、さっと山頂を拭ったからだ。

「今のは……!?」

 ギャァッというけたたましい声が、重なる山々に反響した。赤く長い尾羽を揺らして、それは皇国兵達の頭上を旋回する。

「ヒクイドリだ……!」

「鳥!?」

 ほとんど条件反射のように、ベルナールが弓に矢を番える。しかしその口から出た言葉が俄かには信じられずに、リュヌは空を仰いだ。孔雀のような派手な尾羽、鋭い光沢を放つ嘴、燃え盛る炎のような翼――そのどれもが、単に鳥と言うには余りに大きな代物だった。

「弓兵、構え!」

 先頭が、後列の異変に気付いたらしい。前方からフレデリックの声がして、周囲の弓兵達が弓を構える。そして斉射の合図と共に、一斉に矢を放った。

「ギャァァァァ!」

 腹に複数の矢を受けて、怪鳥がおぞましい悲鳴を上げた。しかし素早い動きから致命傷には至らぬようで、大きく上空で弧を描くと再び兵士らの列に向けて突っ込んでくる。広げた翼は居並ぶ兵士達を強かに打ち、何人かが弾き飛ばされて谷側へと転げ落ちた。

(こんなのがいるなんて、聞いてないよ……!)

 敵は人間のみに非ず――行軍は時に、自然との戦いでもある。また来るぞ、と叫ぶ声に促され、リュヌは反射的に腰の剣に手を掛けた。だが空飛ぶ鳥を相手に、リーチの短い剣ではどうにも対処のしようがない。

 緋色の翼が再び大きく旋回する。そして鋭い眼光が、少年の身体を射抜いた。

 来る――本能的にそう悟った。しかしあの勢いでは、下手に触っても弾き飛ばされるだけだ。とはいえ横跳びに避けるにも、尾根を伝う道の左右はいずれも谷で逃げ場はない。

「どうしよう……」

 背中越しに、コレットの声が震えた。するとなぜだろう――

 何かがすとんと、胸に落ちた。単純な話だ。助かる道がないのなら、助ける道を選べばいい。

 鞘に収めたままの剣を両手で支え、リュヌは土塊の地面を踏み締める。一瞬でいいのだ。一瞬でも動きを止めれば、後は弓兵達が仕留めてくれる。ぐっと奥歯を噛み締めたその瞬間、経験したことのない衝撃が襲ってきた。

「ぐ、うっ……!」

 受け止めた腕が、みしみしと軋む。踏み締めた靴の踵が地面を削り、土を掻く。けれど確かに一瞬、耐え抜いた。

「うわああっ!」

 衝突の反動で、少年の身体は宙に浮いた。目まぐるしく反転を繰り返す視界の中で、リュヌは無数の矢が巨大な鳥を次々に射抜いて行くのを見た。そして同時に、落下が始まる。斜面に投げ出された身体は土埃を舞い上げながら、ごろごろと谷底へ転げ墜ちていく。

「リュヌ!!」

「あっ、おいコレット!」

 止める声に耳を傾ける余裕はなかったのだろう。フォルテュナの制止を聞かず、コレットが山肌を滑り下りて行く。

「くそ、あいつら……!」

「だめ」

 今にも追いかけて行きそうなその肩を、ベルナールが掴んだ。

「だめ、だよ」

 助けに行った所で、助けられる保証がない。少年は苦渋の表情で、革手袋の指先に力を込めた。でもと言葉を詰まらせて、フォルテュナは斜面の先を振り返る。

 二人の姿は、もうどこにも見えなくなっていた。遥か眼下には山の裾野を覆う森が、海のごとくにさざめいている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ