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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 - 作者:浅海

第六章 敗走、そして

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第五節 転陣

「……!」
 打ち寄せる波のように、どよめきが広がった。大多数の兵士達の例に漏れず、リュヌもまた息を飲んだ。
 棄てる。
 つまりはこの要塞を放棄すると、セレスタンは確かにそう言った。しかし彼らの動揺は織り込み済みなのだろう、若き司令官は落ち着き払っていた。
 フレデリック、と名を呼ばれ、金髪の軍師が進み出る。
「私達の現在地は、ここです」
 大河の滸の一角を指示棒で示して、副軍師は言った。
「我々の最終的な目的は、皇都ミュスカデルの奪還です。しかし現状、すぐにミュスカデルを攻め返すのは容易なことではありません。ほとんど無傷の敵軍に対して我々の戦力は目減りしている上、敵の火魔法に対して決定的な対策を持たないからです」
 ルクシスを使えば、一度はあの魔法を打ち消すことが出来るかもしれない。しかしもし敵が余力を残していたら、二度目を防ぐ術がないことは先の戦いから明らかである。ルクシス以外の対抗策がない限り、正面切ってあの魔法とやり合うことは不可能だろう。
「しかし我々が動かないからと言って、スプリング軍もそうだとは限りません。今はミュスカデルの戦後処理に追われていても、ルクシスとベアトリス皇女殿下がこちらに在る限り、必ず我々を追ってきます。そうなった時、ここグルナードに駐留している現状では、彼らを有利に迎え撃つことができません」
 理由は大別して三つある。
 要塞の位置・構造からして、ミュスカデル側からの攻撃を想定していないこと。
 皇国軍の残存兵力全てを受け入れるだけのキャパシティがないこと。
 加えて炎魔法への対策ができていないこと、である。
 固唾を呑んで聞き入る兵士達を前に、フレデリックは続けた。
「ですから我々は、アマンドを目指します」
 静まりかけていた室内が、再びざわついた。覚えのある者もそうでない者も、皆が口々にその場所の名を呼んだ。リュヌはといえば、後者だ。
「アマンドって?」
「え? えーっと確か……」
 不意打ちの質問に、フォルテュナがどもった。さらりと助け船を出したのは、ベルナールだ。
「イヴェールの西岸にある要塞だよ。って言っても、今はもうほとんど使われていないはずだけど……」
 イヴェール皇国の国土は、概ね三つの地域に分けられる。森と平原が大半を占める東部のヴェルト地方、ミュスカデルを中心として街や村が点在する中央のロズ地方、そして南北に走る山岳地帯を挟んで西部に広がるブリュンヌ地方である。
 しかし同じ国土とはいっても、険しい山々によって政治経済の中枢から切り離されたブリュンヌ地方には、集落らしい集落がほとんど存在しない。かつては鉱業によって栄えた時期もあったが、その鉱脈も今は尽き、いよいよ人々はブリュンヌ地方に寄りつかなくなった。
 数百年の昔、まだイヴェールがイヴェールと言う名を持たなかった頃には、西方・北方諸国の侵略に備えて使われていた砦も、それらの脅威が薄れると共に役割を失っていった。今では百人にも満たない名ばかりの西方警備隊が、つつがなく揺蕩うばかりの水平線を眺めるだけの場所のはずだ。
 そのアマンドまで、後退する?
 告げられた言葉はなんとも腑に落ちなくて、リュヌは首を傾げた。
「でも、それって……」
「ふざけるな!」
 続く筈だった呟きを、怒声が遮った。居並ぶ兵士達の視線が、広間の一点に集中する。見覚えのない顔だ――もしかしたら兵舎の廊下ですれ違ったことくらいはあるのかもしれない。
「敵国軍が目の前にいるっていうのに、反撃しないどころか拠点を捨てて逃げる!? ミュスカデルの市民を見殺しにして、俺達だけでか!?」
 それは少なからぬ数の兵士達の代弁であっただろう。知ったような口はきけないが、リュヌ自身、共感する所がないわけではない。名も知らぬ兵士は、乱暴な口調でまくし立てた。
「大体、あの魔法に太刀打ちできないんなら、どこに行ったって同じだ。ミュスカデルを護れなかったのはあんたらのお粗末な作戦のせいだろ!? なのにまたそれに従えって言うのか!」
 興奮に任せて噛み付いた男の言葉に、フレデリックが眉を寄せた。
「それは……」
 深紅の瞳が悔恨に揺れる。詰られても致し方ない――勝てる策を導けないのなら、彼らの存在する意味がない。それは重々承知している。
 言葉に詰まったその肩を、誰かの手が掴んだ。
「! エルネストど、のっ!!?」
 ぐい、と力いっぱい押しのけられて、バランスを崩した副軍師が演壇の後ろへつんのめる。転んだ部下にはお構いなしに前へ出て、エルネストが言った。
「もっともな意見だ。不満があるのは俺達とて理解している。嫌ならば出て行ってもらって構わない……と言いたい所だが、敵に情報が洩れる可能性を考慮するとそういう訳にも行かんのでな――従属か、死か、どちらかを選べ」
 ぞくりとしたものが背中を駆け上がり、リュヌは息を詰めた。エルネストは本気だ――だからこそその声音は、威圧的でもなければ脅す風でもなく淡々としている。従うことを強制はしないが、離脱するならこの場で処断する、と、本気でそう言っているのだ。
「一つ誤解があるようだが、俺達は逃げるのではない。勝てる拠点へ移動するだけだ。くれぐれもそこを履き違えるな。それにミュスカデルのことを言うなら、労働力になりうる人間を闇雲に殺して回るほど敵も馬鹿じゃない。エーレルの時と違って、力を誇示する必要もないからな」
 ミュスカデルを攻め返す手立てがなく、ここで籠城していても不利な地形で攻め込まれるだけ。ここグルナードは、最低限、ミュスカデル奪還のめどが立たないことには拠点たりえない。
 次から次に流れ込んでくる情報を懸命に噛み砕きながらそれでも追いつかず、リュヌは誰にともなく尋ねる。
「要するに、ここにいるよりその、アマンドって所の方が、スプリングと戦うのに都合がいいってこと?」
「多分そういうこと……?」
「しっ」
 静かにと隣の兵に窘められ、コレットと共に演壇に目を戻した。
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