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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 - 作者:浅海

第四章 ミュスカデル防衛戦

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第二節 開戦

 城壁の上から眺めるロズ地方の平野は、夏の残り香の中で青々として見えた。物珍しげに矢狭間を覗いていると、そっと肩に手を添えられる。
「危ないよ」
「あっ……ご、ごめん。これ、上に持ってけって言われたんだけど」
 アリスティドにより正式に後方支援を命じられ、リュヌは城壁に展開した弓兵達の戦闘準備を手伝っていた。階下から運んできた矢の束を手渡すと、ベルナールは抑揚に乏しい声で、ありがとうと応じた。
 コレットは医療班の応援ということで、今頃はミレーヌ達とともに治療用の天幕の設営を手伝っている頃だろう。フォルテュナやジルは他の白兵・槍兵達と共に城門の外に控えているようだ。
 黙々と手を動かすベルナールを見ながら、リュヌはなんとも落ち着かない気分で言った。
「ベルは、その……あるの? こうやって戦ったこと」
「……ううん、流石に」
 ベルナールは首を横に振った。その瞳には不安というよりも、悲哀に似た色が揺れている。
「覚悟はしてたつもりだけど……やっぱり、気持ちのいいものじゃない、ね」
「それはそうよ。誰だって好きで戦ったりしないわ」
 不意に、艶めかしい女の声が耳を打った。どきりとして振り返ると、妙齢の女弓兵が階段の降り口からこちらを見詰めていた。その姿には見覚えがある。先程の演説で、アリスティド達と一緒に壇上に並んでいた女性だ。
「お疲れ様です、ラシェル様」
 そうだ――確かそんな名前だった。
 一礼するベルナールの呼んだ名に、初めてこの兵舎を訪れた夜の会話を思い出す。弓兵頭領ラシェル=デュパルクは部下に柔らかな微笑みを投げると、隣の少年に気付いてあらと声を上げた。
「あなたね? 新しく入った、リュヌって子は」
「え? え、あ、はい」
 無防備な白い胸元から慌てて目を逸らし、リュヌは姿勢を正した。彼女が自分のことを知っているとは、少々意外だ。
 すると考えが顔に出たのか、ラシェルはくすりと笑った。
「随分頑張ってるみたいじゃない。アリスが褒めてたわよ? 見込みのありそうな子だってね」
「アリス様が?」
 調練の際、アリスティドは全体訓練を除けば各人の指導はそれぞれの指南役に任せ、自身は大勢の志願兵を俯瞰的に監督していた。だから彼がそんな風に自分に目を掛けてくれていたなどとは、全く思ってもみなかった。
 少しこそばゆい気持ちになって、リュヌは視線を泳がせる。矢狭間の向こう遥かには平原が続き、下を覗けば槍兵隊と白兵隊が隊列を組んで展開しているのが見えた。
「フォルテュナ達、大丈夫かな」
「……わからない。酷いことにならなきゃいいけど……」
 伏し目がちに見詰めるベルナールの視線は、友の背を探しているようだった。こういう時、離れた場所に配備される弓兵は歯痒いのだろうな、と、リュヌは勝手な感想を抱く。
 すると、ラシェルが口を開いた。
「……来たわね」
「!」
 痛いほどに、心臓が跳ねた。
 ベルナールと二人、矢狭間の下から目だけを上へ覗かせると、大陸東部に続く街道の先で何かが黒い雲のように湧き出すのが見えた。控えた弓兵達の間にも緊張が走り、辺り一帯が張り詰めた空気に包まれる。
「ここはもういいから、リュヌは戻って」
「う……うん。ベルも、気を付けて」
 そう応えるより他になく、促す言葉に頷いた。荷運びという役目もひとまず終えた今、ここにいても弓兵達の邪魔になるだけだ。
 もどかしい気持ちを抱えたまま、リュヌは城壁の内側へ降りて行った。

 ◇

「少々見込みを違えました。相当の数ですね……」
 押し寄せる敵の波はまるで大軍の蟻を見るようで、副軍師フレデリックは息を呑んだ。対して軍師エルネストは、涼しい眼差しで平野を一望する。
「ここで一気に片をつけるつもりだろう。奴等にとっても長期戦は利がないからな」
 とはいえ、敵の手の内は依然として不明だ――イヴェール側が取り得る行動は限られている。本来ならば開戦自体回避すべき状況ではあるが、敵が攻め込んで来る以上こちらには選択権がない。
 軍団長、と呼び掛けると、馬上のセレスタンが振り返った。
「敵の手の内が分からない以上、闇雲に攻めるのは危険です。見た所、数で押し切るつもりのようですが、ルクシスはなるべく温存して下さい。まずは弓兵隊の射撃を前線の中央に集めます」
「分かった。そこから切り崩せばいいんだね」
「ええ。ですが深追いは不要です。接敵し、向かってくる者だけを相手取り、無用な消耗は控えるよう。各部隊長への連絡は、既に行っています」
 了解と手短に応じて、セレスタンは手綱を引いた。新雪の如き白毛の牝馬が嘶き、騎馬隊が整然と列を作る。抜き放った白銀の剣は太陽を照り返し、キラリと清廉な光を放った。
「イヴェール皇国第一師団、出撃する!」
 呼応する兵士達の鬨の声が、俄かに大気を震わせた。地平の彼方かに見えた敵影は見る間に速度を上げて、街道を猛進する。隊列を組んで待ち受ける騎馬隊と歩兵隊の後方に控え、エルネストは首を捻った。
「……なんだ? あの隊列は」
「え? あ……」
 隣に立つフレデリックもすぐに、発言の意を汲んだ。
 城塞都市であるミュスカデルを攻略するのに、正攻法は適さない。しかしそれを加味しても、敵の隊列は奇妙だった――と、いうよりもだ。
「隊列を成していない……?」
 スプリング軍の前線は、乱れていた。しかして士気が低いかと言えばそうではなく、寧ろその逆だ。異様に士気の高い一団が、ろくな統率もなく突っ込んでくるその様は、軍隊というよりも群盗のそれに近い。
 では作戦を変えるべきかと言えばその必要すらなく、赤毛の軍師は訝るように眉を寄せる。
「弓兵隊、斉射!」
 城壁の上と下に並んだ弓兵達へ、ラシェルが鋭い一声を浴びせた。番えた矢の先を狭間から上へ向け、ベルナールや他の弓兵達が一斉に引き絞った矢を放すと、解き放たれた羽根は軍師の指示通り、敵前線の中央を目掛けて空を切る。
 敵の隊列はあってないようなものであったが、それでも一極に集めた矢の雨は少なくない数の敵兵を次々と草地に縫い止めた。するとその穴を目掛けて、騎馬に率いられた複数の部隊が斬り込んで行く。
「フォルテュナ」
 遠ざかって行く背の中に見慣れた髪の色を認め、ベルナールは息を詰めた。止まったその手に気付いて、ラシェルがぴしゃりと叱咤する。
「心配してる暇があったら、手を動かしなさい。いつも言ってるでしょ?」
「……はい」
 分かっていますと、ベルナールは応じた。
 蒼穹を貫く矢は、敵を傷つけるためのものではない。一人でも多くの味方を、この手で生かすためにこそあるものだ。
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