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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 - 作者:浅海

第三章 エチュード

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第一節 足音

 キン、と冷たく硬い音が、調練場に澄み渡る。
(剣の先は、内側へ)
 教えられたことを胸の中で反芻して、リュヌは繰り返し剣先を突き出す。しかし対するジルは慣れたもので、的確に切っ先を捌いてはこちらの隙を狙ってくる。
「そんなんじゃいつまで経っても勝てねー、ぞっ」
「あ!」
 軽やかなバックステップから繋がる斬り上げを剣の腹に滑らせると、上体が逸れ、片脚が浮いた。しまったと思ったが、時すでに遅し――自力で体勢を立て直すには、身体がバランスを崩しすぎていた。これが実戦であったなら、その先にあるものは死だ。
(どうせ転ぶなら……!)
 転ぶのではなく、落ちることを選んだ。咄嗟についた左手を軸に体を捻って脚を掛ければ、お、と上がる声に焦りが滲む。
 そのまま重心を軸足に移し、右手の剣を下から上へ突き上げると、同時に、視界の真中に白い刃先が突き刺さった。
「……………」
 二振りの剣の先端は、互いの喉に届く所で止まっていた。一頻り肩で息をつき、そして一気に脱力する。
「引き分けかぁ……」
「や、今のはちょっと危なかったぜ?」
 俺が、と、ジルは嬉しそうに笑った。
 生まれて初めて剣を取り、訓練に勤しむこと二週間。
 初めて握った時は重くて仕方なかった訓練用の剣も、今では随分と手に馴染んだ。飄々とあしらわれるばかりだったジルの動きにもようやくついて行けるようになり――とはいえまだ一度も、勝利に至ったことはないのだが――リュヌは確かな手応えを感じていた。同時期に志願した新兵達が少なからず脱落して行く中にあって、少年の成長には上官や指南役達も目を瞠るものがあった。
「ジルさん、次はあたしもいいですか?」
「おー、いいぜ。どっからでも掛かってきな!」
 横で見ていたコレットが、嬉々としてリュヌを脇へ追いやった。リュヌにしてみれば意外、かつ喜ばしくはないことに、コレットもまた善戦していた。すぐに諦めると思ったのだが、どうやら彼女の負けん気を甘く見過ぎていたらしい。
 新たに始まった打ち合いを複雑そうに眺めながら、リュヌは二人から少し離れて腰を下ろした。さっと足元が翳るのに気付いて見上げると、覗き込むフォルテュナとベルナールの瞳がそこにあった。
「お疲れさま……」
「ありがと、ベル」
 ずっと眺めていたのだろうか。ベルナールは座り込んだリュヌに、白いタオルを差し出した。午前の訓練は中止と連絡されたのはもう一時間ほど前のことだが、リュヌとコレットを含む一部の志願兵は、指南役達に頼んで模擬戦の相手をしてもらっていた。何故なら今日こそは、彼らの正式な皇国軍入隊を決める試験の日であるからだ。
 切り結ぶコレットとジルの様子を見やり、フォルテュナは感心したように言った。
「結構やるじゃん、コレットも。この分ならお前らは問題なく通りそうだな」
「あんまり頑張って欲しくないんだけどなぁ……」
 身勝手な言い分とは承知しつつも、ぼやかずにはいられない。溜息を交えながら、リュヌは天を仰いだ。
 調練の中止は臨時の軍議のためと聞いたが、午後は予定通り行われるのだろうか。そんなことを考えていると、鐘が鳴った。
「……鐘?」
 おかしい、と思った。ここへ来て既に二週間、兵士達の時間を区切る鐘のタイミングは心得ているつもりだ――この鐘は、違う。訓練の始まりでも、食事の時間でもない。
「ねえ、あの鐘は……」
 何、と尋ねようとして、続けることができなかった。鐘楼を仰ぐフォルテュナ達の表情が、これまで見たこともないほどに険しかったからだ。
「……召集だ」
 フォルテュナが呟くように言った。そして理由もなくその鐘が鳴るはずがないことは、素人のリュヌだとて理解できる。平時では起き得ない何かが起きているのだ。
 同じ結論に達したのか、ジルとコレットも打ち合いを止め、こちらへ向かって歩いてきた。
「こりゃ遂に動き出したかもな」
 口調こそ普段と変わりないが、ジルの目は笑っていない。兵舎中の人々が兵科を問わずぞろぞろと調練場の入り口から中へ入ってくるのを見て、避けるかとフォルテュナが言った。特に異論もなかったので、五人で調練場の隅へ移動する。
 広大な調練場は見る間に大勢の兵士達で溢れ、そして程なくして、彼が姿を現した。
「セレス様……」
 ほんのりと頬に紅を差して、コレットが言った。全く面食いなんだからと呆れつつ、リュヌもまた、調練場奥の演壇に目を移した。
 セレスタンだけではない――その背後にはアリスティドや、他にも幹部らしい面々が控えている。共通して言えるのは、彼らの表情が総じて強張っているということだ。
 ひしめく人の数にも関わらず、調練場は水を打ったように静まり返っていた。秋風ばかりがひゅうひゅうと掠れた鳴き声を上げる中、幹部らと何事か目配せして、セレスタンが口を開いた。
「おはよう、皆。早速だけど、落ち着いて聞いてもらいたい」
 特に張っている風にも見えないのに、騎士の声はよく響いた。情勢が情勢だ――こうして全軍が集められる理由は、一つしかあるまい。
 自然と背筋が伸びるのを感じながら、リュヌは壇上に向き直る。
「今朝方、東部に派遣していた偵察隊より報告があった。スプリング軍が皇都に向けて進軍を開始した、とのことだ」
 続く言葉は、鉛玉のように胸に落ちた。
(あの人達が――)
 ミュスカデルにやって来る。
 そう考えると途端に、豊穣祭の夜の出来事が鮮烈な光と音、そして臭いを伴い蘇る。その時が来るべきして来ることは理解していたが、もう、と言うべきなのか、やっとと言うべきなのかは分からなかった。
「……大丈夫?」
 衝撃に、息をするのも忘れていたらしい。覗き込むベルナールと目が合って、肺腑にどっと空気がなだれ込んでくる。うん、と短く答えるのが、やっとだった。
「知っての通り、スプリングは三週間前、コワン砦の第三師団に奇襲を掛け、これを壊滅させてノルテ大陸へ上陸した。その後エーレルの村で起きたことも、知らない者はないだろう。これ以上、彼らの好きにさせるわけには行かない――そのために今日まで、私達は迎撃の準備を整えてきた」
 誰もが唇を引き結び、セレスタンの言葉に聞き入っていた。兵士としての訓練を重ねながらもどこか遠くの世界にあった戦争が、鮮やかな色を帯びて迫り来る。周りの兵士達が俄かに色めき立つのを、肌に感じた。
「これより皇国軍第一師団は、スプリング王国軍の迎撃態勢に移行する。神鳥の加護の下、必ずやこのイヴェールから賊軍を打ち払おう!」
 高らかに告げる声に、兵士達が沸いた。人から人へ、伝播する熱狂は瞬く間に兵舎全体を呑み込んでいく。
「それでは作戦の詳細を打ち合わせますので、各部隊長はこちらへ。それ以外の方は、各自出撃の準備を進めて下さい」
 金髪に眼鏡の文官が呼び掛けると、兵士達は慌しく動き始めた。行くぞと促すフォルテュナに応えて、ベルナールが後を追って行く。ジルの姿もまた、いつの間にか見えなくなっていた。取り残されてはたと、自分達がまだ見習いに過ぎないことを思い出した。
「あたし達、どうすればいいんだろ?」
「さあ……」
 この分だと、『試験』は当分受けられそうにない。さりとてこうして突っ立っていても所在なく、他の志願兵達の輪に混ざった。
(いよいよ、始まるんだ)
 自ら望んだ道だ。今更、逃げ出したいなどとは思わない。しかし仇討ちという熱に浮かされた人々の声は、勇ましくも猛々しく、そしてどこか空恐ろしく聞こえていた。
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