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ラ・リュヌ・フロワード - 凍れる月の唄 - 作者:浅海

第三章 エチュード

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第六節 軍師

 業炎がエーレルの村を焼いた狂瀾の夜から、早一週間が経過しようとしていた。
 村娘ルネの手引きによりエーレルの備蓄をせしめたスプリング王国軍は、村の跡地にキャンプを張り、一部を残して西進した。大軍を率いて森を抜けるのには少々時間が掛かったが、これまでのところ敵軍による迎撃・妨害の気配はなく、行軍は至って順調である。
「気分はどうだ?」
 不意に背中から掛かった声に、ルネはその場で振り返った。街を囲む赤煉瓦の縁に立ち、どうやら自分でも気付かぬうちに、故郷の方角を眺めていたらしい。
「特に不具合はありません」
 感情も抑揚もなく、答える声は正に無色だ。ならばいいがと言いながら、軍服の男は表情を翳らせた。武人として義を重んじる彼からすれば、ルネの行為と方策には、理解し難い部分もあるに違いない。
 森を挟んでエーレルの西に位置するサリエットは、異様なほどの静けさに包まれていた。辛くもエーレルを逃げ出した者が伝えたのであろう、街の住民の大半は既に荷物をまとめ、『皇都』ミュスカデルへ向け脱出した模様だ。
 男の後ろからルネの表情を伺って、褐色の肌の女が尋ねる。
「まだ残っている住民も中にはいるようですが……」
 そう言って、女は語尾を濁した。彼らをどうするつもりなのかと、暗に訊いているのだ。聞こえないように嘆息して、ルネは答えた。
「ご安心ください、ビアンカ殿。逃げ出す力もない者を、わざわざ殺す必要はありませんから」
 そもそもエーレルの村をあのような形で滅ぼしたのは、戦略的な意義よりも寧ろ、ルネ自身のみそぎという意味合いが強い。
 イヴェール人であるルネを『軍師』として迎えることの是非について、スプリング上層部の議論は紛糾していた。そこで、ルネは自身の潔白とスプリングに対する忠誠の証として、自らエーレルの焼き討ちを提言し、上層部はこれを呑んだのである。
 ビアンカと彼――総司令官、ユーイン=ステュアートは難色を示していたが、上の決定を覆すには至らなかった。
「もちろん、抵抗するとなれば話は別ですが」
「ええ、分かっています」
 ほっとしたように表情を緩めて、ビアンカは頷き、数名の兵士を連れて街の中へと入って行った。その後ろ姿を見送りながら、ルネは皮肉を込める。
「お優しいですね、ビアンカ殿は」
「将としては、そうだな。しかし、失くせば見失ってしまうものもある」
「仰る通りです」
 ここで思考の是非を議論するのは、無為の極みだ。ユーインの言に同調しつつ、それよりも、とルネは言った。
「例の部隊については、その後いかがですか?」
「今、こちらへ向かわせている。早晩、追いついてくるだろうが……あれで一体、何をする気だ?」
 深紅の前髪から右側だけが覗く瞳で、ユーインは訝るように軍師を見た。追ってご説明を――そう述べるに留めて、ルネは再び、来た道を振り返った。
 全ての兵がサリエットに到達するまで、もうしばらく掛かるだろう。

 ◇

 翌朝、イヴェール皇国『皇都』ミュスカデル――。
「……以上が、第三師団の現状です」
 長い報告を終え、副軍師フレデリック=ロドリーグは唇を引き結んだ。長机を囲んで向かい合うイヴェール皇国軍幹部の表情はみな、一様に険しい。
 重傷を負いながらミュスカデルの城門に辿り着いたわずか数名の敗残兵は、イヴェール東部の砦を守る第三師団の一員だった。
 差し迫った危機の只中にあって彼らがどこまで正確に状況を把握できたのかは不明だが、はっきりしていることは少なくとも二つある。
 一つは今から十日程前の明け方、第三師団が砦ごと壊滅に追いやられたということ。
 もう一つは、それが南のスプリング王国軍の仕業であるということだ。
「ご存知の通り、ここ数十年の間にイヴェールとスプリングの小競り合いは何度か発生していますが、その多くは、晩冬から初夏の間に集中しています。これは『海の道』によって、大陸間の行き来が容易となるためです」
 イヴェールとスプリングを隔てる東の海峡は『水無海』とも呼ばれ、季節による潮位の差が非常に激しい場所である。潮位の低い季節には極めて浅い海底が表出し、南北の大陸が地続きとなるため、過去を振り返ればスプリングがイヴェール側に挑発を仕掛けてくるタイミングは限られていた。それは裏を返せば、夏の終わりから冬に掛けては海峡に水が満ちるため、両国はお互いに手出しができないということで――あるはずだったのだが。
「でも、もう夏って季節じゃないわ」
 波打つ髪を指先で弄びながら、一人の女将が言った。弓兵頭領ラシェル=デュパルクというのが彼女の名前だ。
 なのになぜ、という響きを多分に含んだ言葉に、フレデリックは悔しさを滲ませる。
「それがあちらの狙いだったのでしょう。この季節にスプリングが仕掛けてくるとは思わない……それも海峡に水が満ちた今、大隊を率いて乗り込んでくるとは、誰ひとり予想していませんでした」
 海からの上陸戦にはリスクが伴う――というよりも、リスクしかない。
 季節によって干上がるような浅い海では当然、大型の船は通れないし、小型の船では輸送効率が悪い上に無防備だ。よしんば上陸に成功したとしても、兵達は海を背に退路のない戦いを強いられることになる。
 従ってイヴェールとスプリングの地政学的条件を考慮すれば、秋口の開戦などは在り得ないというのがこれまでの常識だった。そしてその不意を突かれたことが、第一の敗因でもある。
「だがどうやって奴等は海を渡った?」
 槍兵隊長のエドワールが尋ねた。
「あの海域で大型の船は使えんだろう。夜に道標もなく、小舟で大軍を送り込むなどということが可能なのか?」
「情報が少ないので、はっきりしたことは判らないのですが……」
 そう前置きして、フレデリックが応じた。
「橋を架けたのではないかと、我々は予想しています」
「橋?」
 複数の声が重なる。どういうことだと俄かに殺気立つ声にたじたじとしながら、フレデリックは眼鏡のブリッジを押し上げた。
「水が満ちていると言っても、最狭部で半里ほどの細い海峡です。これはあくまで仮定ですが、小舟を横に並べてロープで固定して行けば、千艘ほどで十分な距離の橋になります。予め複数の船を繋いでブロック化しておけば、一艘ずつつなげるよりも時間は更に短縮できますし――」
「それを一晩の内にやってのけたと?」
 信じられないと、アリスティドは言った。その場の誰もが同じ思いだった。しかしこの期に及んでは、スプリングがどのように上陸を果たしたかということはもはや問題ではない。
 スプリングは皇国軍の一角を正攻法で切り崩せるだけの軍を、イヴェール国内に送り込んできた。退くことなど考えてもいない切り込み方は、彼らの自信と覚悟の表れなのだろう。
 この瞬間にも迫りつつある敵に、どのように対処すべきなのか。今は何よりもそれを議論しなければならない。
 将達の発言が収まるのを待って、フレデリックは先を継いだ。
「生存者の話によれば、敵軍はまず鳩舎に火を放って連絡用の鳩を封じ、次いで砦から脱出しようとするものを狙ったそうです。それによって襲撃の事実が皇都へ伝わるのを少しでも遅らせようとしたのでしょう」
「そしてその間にエーレルを襲った? 随分手際がいいのね」
 ラシェルが皮肉を込めて言った。ええと眉間に溝を穿ち、フレデリックは頷く。
「エーレルは村の豊穣祭を控えて、大量の食糧を備蓄していました。狙われた理由がそこにあるのかどうかまでは不明ですが、イヴェールの内情をよく知る者が敵方についていると思われます。内通者か……それが何者なのかも、まだ分かりませんが」
 過去数十年で最も切迫した危機がイヴェールに迫っている。それが最も重要で、最も確かな事実だ。
 セレスタンは黙々とフレデリックの話を聞いていたが、やがて沈黙が軍議の間を支配すると、隣に座った男に目を向けた。
「どう思う、エルネスト」
「………………」
 軍師・エルネスト=シャセリオーは、広げた地図をただ見詰めていた。
 敵の手の内は不明だ。意図を推測することは出来るが、推測の域を出ない。一つ言えるのは、敵がこれまでのスプリング王国とは違うということ――かつてのスプリングは短絡的で、勝てるタイミングで力任せに勝負を仕掛けて来るだけの、知略の面では取るに足らない存在だった。
(お前は誰だ?)
 何のために、そこにいる。
声には出さず、見えない敵対者に問い掛ける。しかし答えを得ない内に、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
「軍議の最中だぞ」
 控えろ、と続けたアリスティドの表情が、曇った。飛び込んで来た兵士の様子が、普通ではなかったからだ。
 青褪めた顔の兵士に向けて、セレスタンは努めて静かに言った。
「話してくれ」
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