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La lune froide - 凍れる月の唄 - 作者:浅海

第三章 エチュード

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第五節 休息

 一緒に昼食をどうかという二人の申し出は、兵舎内の生活に慣れないリュヌ達にとってはありがたかった。ベルナールが人数分の――といってもコレットの分、少なくはあるのだが――食事を貰ってきてくれていたので、調練場を縁取る木立の陰に布を敷いて座ることにした。
 バスケットの中にはサンドイッチと金属のポットが入っていて、恐らくはいつもそうしているのだろうが、ベルナールは慣れた仕種でマグに紅茶を注いでくれた。
「ありがとう、ベル」
「ううん。……訓練、どうだった?」
 小さく首を傾げると、深い海のような青髪がさらりと揺れる。どきりとして言葉に詰まっていると、背中をきつく抓られた。痛っと声を上げ睨みつけると、コレットの瞳がじっとりと睨み返してくる。
「何、でれでれしてるのよ」
「してないよ!」
 憤慨して言い返すと、仲がいいなとフォルテュナが笑った。
『そんなんじゃないから!』
 声を揃えて反論すると、ベルナールが可笑しそうにくすくすと笑った。
 それからしばらくの間は、紅茶を飲みながらお互いのことを話して過ごした。
 フォルテュナは十三の時に皇国軍に志願し、槍兵として軍の仕事に従事してもう五年になるらしい。
 一方ベルナールは入隊からまだ二年と日が浅く、また兵士に志願したその動機も、フォルテュナのそれとは違っていた。
 槍兵隊に所属していた父の背を見て育ったフォルテュナにとって、皇国軍への入隊は幼い頃からの目標だったが、ベルナールが軍属の道を選んだのは生活のためだ。身寄りのない彼が日々を繋いでいくのに、最も確実な方法が皇国軍への入隊だった。
 幸いにして弓と魔法の才能に恵まれていたベルナールは、志願して間もなく今の上官に見出され、正式な入隊を許可されたという。
 うんと伸びをして芝生に背を投げ出し、コレットが言った。
「二週間かぁ」
 橄欖の瞳が映った空を追って、リュヌもまた視線を上げた。二週間――二週間後の査定で調練の成果を認められれば、皇国軍への入隊が決まる。けれども二週間『前』に自分が何をしていたのかは、ぼんやりとして思い出せなかった。襲撃の夜からまだ丸一週間は経っていないというのに、平穏な村の生活はあまりにも遥かに感じられた。
 がらん、がらんと、少し耳に慣れた鐘の音が渡る。
 鐘楼を見上げるベルナールの手に空のマグを返して、リュヌは小さく、よしと意気込んだ。
「午後の訓練も頑張らないとね」
 思うことは尽きないけれど、立ち止まってはいられない。フォルテュナ達に改めて礼を述べ、リュヌとコレットはのろのろと集まり始めた志願兵達の輪に戻って行った。

 ◇

「皆、揃ったな?」
 整列した志願兵達を見渡して、アリスティドが確かめる。その背後には午前の訓練と同じ指南役達が並んでおり、午後の訓練も定められた流れに沿って粛々と行われるものと思われた。
「それでは朝と同じグループに分かれて――」
「アリス! ちょっと宜しくて?」
 突然に割り入った声には、兵舎という武骨な施設には凡そ似つかわしくない華があった。指南役の兵士達が驚いたように声の出所を振り返り、アリスティドが顔をしかめる。
 見れば調練場の入口に、栗色の巻き髪をポニーテールに結った気の強そうな少女が一人、立っていた。
「こんな所で何をしておいでですか、姫様」
 姫、という言葉が、俄かには理解できなかった。イヴェール皇国のいち国民として、皇王陛下とその息女のことは、知識では当然知っている。
 皇女ベアトリス・ド・イヴェール――しかしそんなやんごとなき人が、何故このような場所にいるのだろう。
 すると美しい姫は、あっけらかんとして言った。
「セレスはどこ? 今日はわたくしに逢いに来て下さるはずでしたのに、全然姿が見えませんの」
「……申し訳ありませんが、姫。彼は現在、軍議の最中のはずです。そして、だからといって兵舎などへお越しになられては困ります」
「あら、軍議? どうして?」
 アリスティドの言葉の後ろ半分はまるで耳に入っていないように、ベアトリスは不服げに首を傾げた。悪びれる素振りもないその言い草に、リュヌは何やら胸がもやもやした。
「状況をお考えください、姫様。軍の司令官として、彼には今成すべきことが」
「もう、あなた達はいつもそればっかり! フィアンセとの約束ひとつ守れないのに、この国が守れて?」
 もういいですわと唇を尖らせて、ベアトリスは憤慨したように調練場を出て行った。いくら王城の敷地内とはいえ、一国の姫がのこのこと一人で歩き回ることへの危機感も、調練の邪魔をしたという意識も、彼女は一切持ち合わせていないらしい。恐らくはその足で、軍議の間へでも向かうのだろう。
「いいんですか、ほっといて?」
「……まあ、いいだろう。どうせつまみ出されて終わりだ」
 問い掛けるジルに答えて、アリスティドは眉間の皺を揉んだ。一連の出来事はあまりに唐突かつ性急であったので、志願兵達は呆気に取られるより他になかった。
「なんだか……呑気なお姫様ね」
「うん……」
 呟いたコレットの声には、咎めるような響きがあった。この非常時に何を言っているのか、という思いがあるのだろう。その点にはリュヌも同意だったが、同時に、王族などそんなものかもしれないとも思った。現イヴェール皇王はその温和な人柄から国民に好かれてはいるが、護国の観点から言えば役には立たない。
「中断してすまない。それでは、訓練を続けよう」
 アリスティドの監督とジル達指南役の下での訓練は、それから日暮近くまで続いた。
 燃える斜陽が白亜の城を朱に染めて、調練場が影に沈む。そしてようやく、夕餉の鐘が鳴った。
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