彼の人に別れの歌を
インジュン様の詩『喪失』(http://ncode.syosetu.com/n7145bv/21/)を元に小説を書かせていただきました。
一部を歌詞として引用させていただきましたが、全文を読んでいただくとより一層詩の世界を楽しんでいただけると思います。
とってもとっても大好きで、将来を誓い合った人が事故に遭った。その知らせを聞いた時に、私は急いで病院に向かった。
けれど、彼の死に目にあうことはできなかった。彼の亡骸を前にして、私は子供のように泣きじゃくった。あの場にいた誰よりも号泣していたんじゃないかと思う。
お葬式には顔を出したけれど、長くは留まれなかった。
遺影を見るたび、目が合うような気がしてしまうから。彼のことを語る人の声を聞くたび、思い出が胸をえぐるから。
焼香もそこそこに、逃げるように斎場を飛び出していた。
彼が亡くなってから一年、ようやく心の整理が付いた。
重い足を引きずって、大きな花束を買い込む。彼が大好きだった百合の花を中心に、お店の人に見つくろってもらった花束だ。
お墓に供えるには大きすぎるかもしれない。視界の半分を埋め尽くさんばかりの花に、ため息が漏れる。
教えられた住所だけを頼りに、墓地へ向かった。
その墓地には、見たことのない景色が広がっていた。
――まるで、ファンタジーの世界だ。
十字架をかたどった石が立ち並んでいる。彼の家がクリスチャンだというのは聞いていたけれど、こんな墓地があるなんて知らなかった。
お参りの仕方も何もわからないまま、彼の名が刻まれた墓碑を探して歩き回った。
かれこれ一時間以上、彼のお墓の前で立ち尽くしていた。
彼は、十九で死んだ。
――あまりにも、早すぎる。
さんざん説教をしてやろうと意気込んでここまで来たのに、いざお墓の前に立つと足がすくんだ。
真新しい石が、彼の死を生々しく表していた。
ふっと空を仰ぐと、相変わらず雲が浮いていた。色や形を変えながら、ただ風に流されるだけの塊。
私は、雲がうらやましくなった。彼が事故に遭う前も、その後も変わらない。それどころか、私たちが生まれるよりもずっと前から死んだ後まで、ずっとずっと変わりはしない。
雲になれば、何も考えずに生きられただろうか。だとすれば、どれだけ幸せだろう。
抱えきれないほどのこの後悔も、風に乗せて飛ばせてしまうだろうに。
あふれ出す涙を拭いもせず立ち尽くしていると、どこからか蝶が寄ってきていた。時期外れの、今にも力尽きてしまいそうな二匹の蝶だった。
力のない翅で花束まで飛ぶと、後生とばかりに細い口を伸ばした。
その光景に、息をするのも忘れて引き込まれていた。
彼はバイクが好きな人だった。私を後ろに乗せて、遠くまでドライブするのが大好きだった。
何時間も走ってようやく着くような、遠くの海岸までのデートもした。ちょっとの距離でもバイクに乗っていた。学校だって、バイト先だって、なんだってバイクで通っていた。
だからこそ、心配だった。
気付かないところに氷が張って危険だから、と冬にバイクに乗るのを何度も諌めた。それでも、彼は言うことを聞いてくれなかった。
事故に遭ったと聞いた時、「だから言ったのに」と声に出していた。どれだけ大きな事故かも知らないまま、自業自得だと呆れながら怒っていた。
持ち主を失ったバイクは、雨風にさらされて錆びついてしまった。たったの一年が、バイクにとっては途方もない時間だったのだろう。
事故のせいで動かなくなった、死んだバイク。パーツも割れて、原形をとどめていない。
それなのに、思い出だけは相変わらず溢れてきた。
私のヘルメットだけが綺麗なままで、何とも言えず哀しかった。
お彼岸も過ぎたこの時期の墓地には、私以外誰もいない。ただ一人ここにいるはずなのに、誰かがささやく声が聞こえる気がした。
「大丈夫だよ」
「前に進んで」
そう告げている気がした。
この声はきっと、ここに葬られている人たちのもの。いや、そう思いたいという私の願望の表れだ。
冬至が近い空は、早くも紺色に染まり始めていた。
隠れていた星たちが、瞬き始める。
星もいいかもしれない。雲と同じで、考えなくて済みそうだから。
でも、星には寿命がある。私が見ている星は、実はもう死んでしまった星かもしれない。
そう考えると、世界は死で満ちている。
彼が死に、彼の愛したバイクが死に、それを見守る星も死ぬ。弔問に訪れた二匹の蝶も死に、私だって遠からず死ぬ。
未来を勝ち得るなんてできない。残された寿命を支払って、泡沫の世界を眺めるだけだ。
それなのに、なぜだろう。
明日から、頑張ろうと思った。彼には悪いけれど、先に進もうと思った。
止まっていても、歩いていても、寿命は同じだけ削り取られる。無くなる量が同じなら、動けるうちに動かなきゃ。
私が、全てを使い切るその日まで。
決意を固めたのとほぼ同時に、迎えが来た。
「星の吐息は、時のように
私の手からするりと抜け
それには何も、何も無い」
彼が好きだった歌を口ずさむあの人。私が好きになる人は、揃いも揃ってこの歌が好きらしい。気に入っている歌ではないけれど、いつの間にか私まで歌えるようになっていた。
隣に寄り添った彼は、このお墓が誰のものかを知っている。
「珍しい形だね」
「クリスチャンだからだと思う」
「そっか。俺も拝んどこうかな」
見ず知らずの人のお墓に手を合わせて、何かを呟いていた。よく聞けば、私と結婚することを報告しているらしい。
「行こう」
それじゃあ。私は前に進むね。
彼のお墓に背を向けて、小さく手を振った。