排除されたギフト
ギフト企画2009参加作品。
僕は今日、死ぬみたいですね。
壁のむこう側、外界の言葉を理解したわけではありません。いわば直感として、自分の運命を悟りました。
死ぬのはそう怖くありません。心残りも特にないです。僕はまだ人ですらいないのですしね。
安心して、殺して下さい。
僕の最初の記憶は、ただのぼんやりとした印象でした。
暗すぎてまぶしいような、静かすぎてうるさいような。そんな世界に一人、本能に急かされるように自己を認識しました。うまく言えませんが、それが僕という存在の誕生だったのだと思います。
まだ目や耳ができるずっと前のことです。当時は、ここがどこなのかもわかっていませんでした。当然あなたも、僕の存在など知らなかったでしょう。
なんだか可笑しいですね。お互いのことを知る前から、一心同体だったなんて。
その時の僕は、生きることに必死でした。
まだ感覚なんてありませんから、確かな記憶とはいいにくいのですが、とても心地の良い焦燥感だったことは覚えています。あなたの秘めた感情に包まれ、無心で吸収していたのでしょう。
あなたのお腹の中は、愛に溢れていました。
誰かを愛するというのは素晴らしいことです。
たとえ本当の愛でなくても、奇跡のような結果がうまれることはあります。
ただ、僕の場合は少し早すぎたようです。
ハッピーな奇跡とは、なりませんでしたね。
あなたが僕の存在に気付き始めた頃からでしょうか。
僕の周りを満たしていた温かい感情に、妙な隙間が現れました。初めは小さな気泡程度だったのですが、弾けて消える様子もありません。外壁に溜まった泡が一つのうろとなり、いつのまにか水面を確認できるほどの大きな空間ができていました。
波打つように愛は乱れ、隙間はどんどん膨らんでゆきます。
外の世界から慟哭のような振動を感じるようになったのも、ちょうどその頃です。
声に共振するように感情も高くうねり、毎日が嵐のようでした。
原因は、すべて僕にあるようです。
僕のせいで、あなたの心はぼろぼろになっていました。
ごめんなさい。
僕は、ここにいるべきではないんですよね。
でも、僕にはどうすることもできません。
あなたの判断に、すべてお任せします。
愛で一杯だったあなたの心は、とうとう枯れ井戸になってしまいました。寒気さえ感じます。
荒れ狂うこともなければ、活気立つこともありません。
とても、寂しい景色です。
そんな折、あなたは僕に声をかけてくれました。
いえ。もしかしたら、ただの独り言だったのかもしれませんね。
それでも、僕は嬉しかった。
あなたの言葉を、あなたの気持ちを、理解しようとしました。
とても、寂しい声でした。
急かされた決意と拭いきれぬ迷いが、感じ取れました。
つらかったでしょう。
でも、大丈夫。
もう終わります。
僕がいなくなれば、全部終わります。
優しいあなたが、罪悪感に押し潰されてしまわないか。それだけが心配です。
あまり思い詰めないで下さい。
どうか、嫌な記憶だとは思わないで下さい。
短い思い出を、ありがとう。
さよなら、ママ。
*
麻酔から目が覚めると、少女はベッドの上にいた。
病室の薄暗さと静けさは、少女をゆっくりと覚醒させた。
固いベッドや低すぎる枕、病院の臭い。
不快な現実の情報が、少女には妙に懐かしく思えた。
何週間も夢に閉じ込められていたような気さえする。
酷い夢だった。
心身共に疲弊し、神経も過敏になっていた。それが原因で見た悪夢だと、少女は自分に言い聞かせた。
あの子の心の声が聞こえたわけじゃない。そんなことはあり得ないし、根拠もない。あの子はまだ、人の形にすらなっていなかったはずだ。
ただの夢。
そう、ただの夢だ。明日には忘れてしまうような、単なる悪夢だ。気にすることなんかない。それに――
悪夢はもう終わった。
服を着替え廊下に出ると、少女の耳に夢の中で聞いたような子供の言葉が響いた。
「ママー、ママー」
自分が呼ばれているようで、少女はそこはかとない恐怖を感じた。
――私はママじゃない、ママじゃない
廊下の先、待合室に座る親子連れの姿を確認するまで、少女の緊張は解けなかった。
「ママー、赤ちゃんいつ産まれるのー」
大声で話しかける子供に、妊婦はあしらうような生返事で答えている。
絵空事のような家族愛もなければ、現実を誇張したような疲れきった表情もない。好奇な目をした子供と、事務的にスルーする母親。
少女の目に映る親子の姿は、残酷なほど普通だった。
産婦人科のガラス戸を開けると、外はすでに陽が落ち、キラキラと雪が舞っていた。
今夜は彼と過ごすはずだった。そんな予定を立てたことも、少女にとっては遠い昔の話だった。彼とはもう連絡もとれない。
――私はただ、楽しく過ごしたかっただけなのに。
見た目には変わらない平らなお腹を、少女は懐かしむようにさすった。
あの子がいなければ、彼と別れずにすんだ。
あの子がいなければ、両親にも嫌われずにすんだ。
あの子のせいで、すべて台無しになった。
全部、あの子のせいなんだ。
もしあの子を産んだとしたら、さらに悪い状況になるのは目に見えている。堕ろして当然。これは仕方のないことだ。
どんなに言い聞かせようとしても、少女の心は問題を一掃できるほど大人になっていなかった。
あの幻聴のような声が夢でないならば、あの子は唯一の味方だった。あの子だけは本気で少女を心配してくれた。
命果てる、最後の最後まで。
本当に、あの子のせいなのだろうか。
人々の幸せとイルミネーションで輝く街に、少女の泣き声が響いた。
通り過ぎる人々は少女を無視し、陰で笑い、白い目線を送った。少女の存在は、聖なる夜には場違いなものだった。
少女は人目も気にせず、大きな声で泣いた。
神様からの気まぐれなギフトは、少女の涙と共に流れて消えた。
読み専様、書き専様、そして、聡明なサンタの皆様、ありがとうございました。