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艦魂年代史外伝シリーズ第十四弾は潜水艦『伊-一六八』の話です。
ミッドウェー海戦で『飛龍』と並ぶ英雄艦である『伊-一六八』の海の下で繰り広げられた実に十三時間にも及ぶ激戦を艦魂化。
艦魂年代史至上本格的な潜水艦戦が描かれています。
どうか最後までご愛読ください。
艦魂年代史外伝 大敗北の中の唯一の勝利
作:黒鉄大和


 一九四二年六月五日、日本海軍の誇る精鋭空母部隊――南雲機動部隊はミッドウェー諸島沖にその強大な戦力を展開させていた。
 五〇隻近い艦艇を率いている南雲機動部隊は旗艦『赤城』以下『加賀』『蒼龍』『飛龍』の四空母は布陣を終えると総攻撃を開始した。
 後方から迫る三〇〇隻を超える主力部隊以下他数個艦隊が無事にミッドウェー諸島に接近できるよう、ミッドウェー島の基地航空兵力および敵機動部隊殲滅が南雲機動部隊の絶対必須任務だった。
 だが、すでに情報を得て万全の防御体制で待ち構えていた米軍は同島に強力な防空部隊を設け、さらに敵機動部隊も南雲機動部隊撃退の為に布陣していた。
 さらに追い討ちをかけるように空母部隊は攻撃隊や索敵機の情報に翻弄されて艦載機を陸用の爆弾装備と艦隊用の魚雷装備とを何度も変換した。
 そんな様々な要因が交差し、南雲機動部隊は敵機動部隊の攻撃を回避できずに受け、翌日までの間に四空母全てが沈没してしまい、作戦は大失敗に終わった。
 後方から迫る連合艦隊旗艦兼主力部隊旗艦を務める戦艦『大和』の乗艦していた連合艦隊司令長官山本五十六大将は空母部隊全滅の報を聞いて作戦中止を決定。
 日本海軍最大の作戦はこうして幕を閉じた。
 だが、後年ミッドウェー海戦と呼ばれる海戦はこれで終わらなかった。
 空母『飛龍』が自分の命を犠牲にして大打撃を与えた空母『ヨークタウン』はいまだ健在している。
 空母四隻の全てが戦闘不能になった五日の夜、山本長官はせめてこれだけでも撃沈せよと、先出していた潜水艦部隊に命令した。
 潜水艦部隊は艦隊の中で最も東方に布陣していた伊号一六八型潜水艦一番艦――第一六八型潜水艦。通称『伊‐一六八』に敵空母撃沈命令が下った。
 直ちに『伊‐一六八』は海中を全速力で東方に進んだ。
 この一隻の潜水艦に、日本海軍最後の希望が懸けられていた。

 日付が変わりしばらくした闇夜の中、命令を受けた『伊‐一六八』敵空母を目指して海中を翔けていた。
 そんな『伊‐一六八』の前部魚雷発射管室で少年が発射管の点検を行っていた。
 黙々と仕事をこなす少年の後ろで彼より水兵服を着ている頭一つ分小さい少女が彼の服の裾をちょこんと掴んでいた。
「まだ、終わらない?」
「うーん、もうちょっとかかりそうだね」
「そう・・・」
 少女は鼻まで隠れるほど長い前髪で表情が読めないが、声は明らかに残念そうに聞こえる。
「ごめんね。一応仕事だからね」
「う、ううん。大丈夫。気にしないで」
 蚊の音のように小さな声。普通の人なら聞き取れないくらいの小音だが、何これ一年近い付き合いの少年は簡単に聞き取る。
「なるべく早く終わらせるから、待っててね」
 少年は仕事を急がせる。
 本来なら今日は当直ではないので仕事はないのだが、作戦中という事で全乗組員が総動員で仕事をこなしている。彼もその一人だ。
「一番、二番、三番、四番発射管のどれも異常なし。これならいつ発射命令が出ても撃てるね」
「終わった?」
「うん。終わったよ」
 前髪に隠れた少女の顔がぱあっと華やぐのを見て、少年は小さく微笑む。
「じゃ、戻ろっか」
「うん」
 少女は少年の服の裾をしっかりと掴み、彼の後に続いて二人は部屋から出ていった。

 休憩時間。先程の少年と少女は魚雷管制室の隅で一休みをしていた。
 少年はコーヒーを飲み、少女は紅茶を飲んで平和なひと時を過ごしていた。
「折原さん。おいしいですか?」
「うん。やっぱりイロハの淹れてくれたコーヒーはおいしいよ」
「良かったぁ・・・」
 少年と少女は微笑み会う。
 少年の名は折原和己水雷少尉。今年十八歳でこの潜水艦『伊‐一六八』で魚雷発射の際に射角や距離計測を担当する水雷士。そんな彼の隣にいる引っ込み思案の少女はこの『伊‐一六八』の艦魂である。
 艦魂とは艦に宿る魂の化身のような存在で、精霊とも女神とも呼ばれ、古今東西どこの海でも船乗り達の伝説となっている存在で、その全てが例外なく女の姿をしている。
 人外の存在である艦魂を見れる人間はそうそういない。霊感が強いか艦魂の放つ精神波長と合った者しか彼女達を感じる事はできない。
 そんな艦魂である伊‐一六八だが、普通は番号で呼ばれる事はなく、一六八の呼び方を変えてイロハと皆は呼んでいる。ちなみにこの名を命名したのは駆逐艦や潜水艦、各小型艇の艦魂(艦魂社会上水兵)と仲の良い戦艦『日向』の艦魂である。
 折原も彼女の事はイロハと呼んでいる。
「艦長の見立てだと、今日の昼までには敵空母と接触するだってさ」
「第一航空艦隊の皆さんの戦果を、私なんかが横取りしていいんでしょうか?」
「気にする事ないよ。これからだって南雲長官の機動部隊は太平洋の海で活躍し続けるんだからさ」
 まさか参加空母全てが戦闘不能となっているとは二人はもちろん乗組員全てが知らない。
 イロハは湯気が立つ紅茶をそっと口に含む。
「報告によると目標は敵大型空母らしいけど」
「正確にはエンタープライズ型大型空母一隻です」
「エンタープライズ型って、南雲機動部隊の天敵でしょ? それに勝ったんだね」
「日本機動部隊は世界最強ですから」
「連戦連勝だもんね。このまま怒涛の無敵伝説を作ってくれると嬉しいな」
「赤城さん達ならきっとできますよ」
「でも、まずは連合艦隊司令部直々の命令である敵大型空母一隻を撃沈しないとね」
「そうですね」
 そう言って微笑み合う二人だが、折原は一度大きなあくびをする。
「眠いんですか?」
「うん。ちょっとね」
 今は深夜である。眠くないはずがない。
「少し横になった方が・・・」
「みんながんばってるのに僕一人だけ休むなんてできないよ」
「ですが・・・」
 心配そうに見詰めてくるイロハに折原は静かに微笑む。
「心配してくれてるの?」
「え? あ、はい・・・」
「ありがとう。でも大丈夫だよこれくらい」
「そうですか? ならいいんですが」
 イロハはあまり納得してはいないが、彼が言うので一応うなずく。それを見て折原は小さく微笑むと、イロハはそれを正視できずうつむく。そんな彼女の頭を折原はそっと撫でる。
「この任務が終わったらゆっくり休もうな」
「そうですね。私もちょっと疲れました・・・」
 そう言ってイロハはため息する。
『伊‐一六八』はハワイ作戦――真珠湾攻撃にも参加しており、その後も太平洋の海をずっと翔け回っている。休暇がほしいのは乗組員全ての願いだ。
 ちょこんとイロハは折原の服の裾を握り、不安げに見上げる。
「折原さん、艦を降りられるんですか?」
「まあ、家族が待ってるからね」
 折原は父母に姉一人と妹二人を持つ折原家の長男である。
 家族が待っているなら、折原を無理に止める事はできない。でも、できる事なら艦を降りてほしくない。艦魂は艦から降りる事ができないので、戻って来るまで会う事ができなくなるのだ。
「たまには家族と和気あいあいするのも大事ですよね」
「それを言うならお前だって妹達とたまには一緒に過ごしなよ」
「そうですね。残った三人と一緒に過ごします」
 そう言うと、イロハは悲しそうにうつむく。そんな彼女を見て折原は「ごめん」と小さく謝った。
 実はイロハの妹、伊号第七〇、七三潜水艦(先月に艦番が改称され、一〇〇が加えられたが、この二隻はその前に沈没)は敵に撃沈されている。
 残ったのは彼女の他に伊号第一六九ヒルク一七一ヒナイチ一七二ヒナツ潜水艦だけになっている。
 辛そうに自分を見詰める折原に、イロハは微笑む。
「大丈夫ですよ。私にはたくさん仲間がいますから」
「う、うん」
「大丈夫ですって、私は一人じゃないんですから」
「・・・そうだね」
 イロハの言葉に折原はほっと胸を撫で下ろす。
 彼女は根は強いかもしれないが、基本的には暗く弱気で内気、人見知りが激しい子だ――まあ、これは彼女に限った事じゃなくて潜水艦の子なら誰もがそうだ。どうも潜水艦の子は他の艦種の艦魂と違ってこうした子が多い。
 折原は前に見た潜水艦の子達の集まりを見た事があったが、みんな髪が長く(特に前髪で顔色は窺えない)、暗い雰囲気で話しているので、第三者から見ればミステリー・オカルト研究会とかの会合にしか見えない。
「僕は潜水艦の子の輪には入りたくないなぁ」
 折原は頭を掻く。
「どうしてですか?」
「何か宗教の集まりみたいで」
「・・・どこをどう取れば宗教?」
「他の軍艦の艦魂を輪に入れれば清涼剤になると思うんだけど」
「ダメですよ。他の艦魂はみんな私達の事を『暗い』とか『根暗』、『陰湿』、『陰鬱』、『陰性』とか根も葉もない事を言うんです」
 それはかなり的確な意見だと思うけど・・・
「だから他の艦魂は私達に近寄らないんです」
 なるほど、と折原は思った。
 どうりでイロハが他の艦の艦魂と話している姿を見た事がない訳だ。
 イロハは言うには艦魂社会には戦艦と正式空母の士官艦魂派と軽・重巡洋艦、小型空母の下士官派、駆逐艦・小型艇の水兵派、そして潜水艦だけの潜水艦派の四大勢力になっているらしい。
 一艦種だけの潜水艦派は最小勢力かというとそうでもない。潜水艦の数はかなりあるので、勢力的には一、二を争う強大さらしい。
「ま、まあ身内だけってのもいいかもしれないね」
 本当は他の艦の艦魂と接して外の世界を知ってもらいたいが、本人が望んでいない事を強要するつもりはない。
「そうですよ。折原さんもそんな事言わないで今度一緒にみんなとお話しましょうよ。紹介しますから」
 なんか、宗教の勧誘が来ました。
「あ、いや、遠慮しておく」
 折原が苦笑いして断ると、イロハはうつむく。
「やっぱり、私達はみんなからの嫌われ者なんでしょうか・・・」
 どうやら今の言葉が彼女の心を傷つけてしまったらしい。折原は慌てる。
「ごめん! やっぱり参加するから!」
「ほ、本当ですか?」
 イロハが嬉しそうに表情を和らげたので折原は安堵する。
 どうやら自分は新手の宗教勧誘を受け入れてしまったらしい。
 そんなこんなと話していると、折原の休憩時間が終わり、彼は仕事に戻る事になった。そんな折原の後ろにはいつもイロハがちょこんと服の裾を掴んで離れない。
 折原はそんなイロハを見て小さく微笑んだ。
「まるで小動系だな」
 折原の言葉にイロハをむっとする。
「心を許した人以外には懐かない。それが潜水艦魂です」
 変な魂を胸に戦う戦姫に懐かれ、折原は自分の仕事を始めた。

 暗い海の中、『伊‐一六八』は潜望鏡を出して敵空母を探しながら進んでいた。
 まだ日は上がらないが、そろそろ夜も明ける頃。日が上がったら潜望鏡は使えない。こちらの位置がバレてしまう可能性が高いからだ。
 この頃にはもう、南雲機動部隊最後の空母である『飛龍』も沈没し、主力部隊も撤退を始めている。
 闇夜の海の中を『伊‐一六八』はただ一隻で航行を続けた。
 艦橋では艦長である田辺弥八少佐自ら潜望鏡を覗いて敵空母を探しており、その横では折原(イロハ付き)が敵艦の写真集を資料庫から引っ張り出していた。
「艦長。これがエンタープライズ型空母です」
 折原(イロハ付き)が写真を見せると田辺はうなずく。
「わかった――すまないな。役職の違う君に仕事を頼んでしまって」
「いいんですよ。魚雷の点検も終わって今は仕事なしですから」
「そうか。でももう自分の配置に行きなさい」
「わかりました」
 折原(イロハ付き)は敬礼して艦橋を出てすぐに魚雷管制室に入る。そこにはすでに数人の仲間が待機していた。
「折原。遅いぞ」
 そう言った中年の男は魚雷発射の引き金を担当する渡辺水雷長だ。
「すみません。艦長に仕事を頼まれて・・・」
「艦長に? なら仕方ないか。まあいい。早く自分の席に座れ」
「は、はい」
 折原は慌てて自分の席に座ると、いつ敵艦が現れても対応できるように機械を動かす。
 真剣な表情で機械を動かす折原の後ろではイロハがそんな彼を見詰めている。
「測定機正常に稼動中」
「おしっ!」
 上官も自分の席に座って命令を待つ。
 折原の後ろでイロハはそっと彼に声掛ける。
「そろそろ接触する頃です」
「そうだね。いつ攻撃命令が出でもおかしくないね」
「そうですね」
 乗組員一同艦長の敵艦発見の報を待ち続けた。

 夜が明けた始めた頃、田辺は潜望鏡をひたすら見詰めていた。
 そろそろ敵艦がいる海域だ。報告だと敵空母は損傷しているのでそれほど速度は出ないのでおそらくまだこの海域を進んでいると彼は予想していた。
 田辺はコーヒーを一杯飲んで再び潜望鏡を覗く。その時、
「あ、あれはっ!?」
「艦長?」
 横にいた兵が不思議そうに田辺を見詰めていると、田辺はバッと潜望鏡から顔を離して艦内マイクに向かって叫んだ。
「敵艦隊発見ッ! 艦種は不明だが、おそらくエンタープライズ型空母と思われる!」
 田辺は明るくなり始めた東の海二〇キロ先に小さな黒い点をいくつか発見したのだ。
 田辺はすぐに艦を東に向けて進めた。

 敵艦隊発見の報告の入った魚雷管制室は歓喜に包まれた。
「よしっ! 絶対に命中させるぞ!」
『了解ッ!』
 渡辺の声に皆嬉しそうに答えてそれぞれ意気込む。それは折原も例外ではなかった。
 折原も機械を動かしていつでも測定できるように待機する。そんな彼の腕がギュッと握られたのはそのすぐ後だった。
「・・・折原さん」
 振り返ると、そこには不安げに自分を見詰めてくるイロハの姿があった。
「どうしたの?」
「怖い・・・」
「怖い?」
「私、戦闘初めてだから・・・」
『伊‐一六八』は竣工してから八年近く生きているが、戦闘はこれが始めて。何だかんだといっても彼女は平和な時代に生まれていたのだ。
 初めての戦闘に恐怖して震えるイロハの手を、折原はそっと握る。驚くイロハに微笑む。
「大丈夫。僕が傍にいてあげるから。安心して」
「折原さん・・・」
 彼の微笑みに、イロハの表情が和らぐ。
 この人が一緒なら、大丈夫。
 そんな思いがイロハの胸を満たした。
『総員戦闘用意ッ!』
 艦内に響く警報と田辺の声。それが戦いの合図だった。
 折原達もいつ発せられるかわからぬ命令を待ち続けた。

 海の中をゆっくりと進む『伊‐一六八』。
 一方、敵空母はゆっくりとハワイ方向を目指して進むんでいる。しかもその護衛は駆逐艦が七隻も付いている。すごい念の入れようだ。
 今度の戦いでやっと米軍は空母部隊が日本と同等になった。だからこそ大切な空母である『ヨークタウン』を失う訳にはいかないのだ。
『伊‐一六八』は確実に魚雷を命中させる為に時々潜望鏡を上げてそっと敵艦隊に近づく。
 だが、敵だって対潜陣形を形成して潜水艦を警戒している。
 カーン・・・カーン・・・と、響く敵のソナー音が不気味に響く中、音を発さぬように乗組員全員誰も音を立てない。
 不気味な沈黙の中、折原とイロハは手を握り合う。
「大丈夫でしょうか?」
「・・・(コクリ)」
 音を立てられない折原はうなずいて答える。
「こ、怖いです・・・」
 不安げに前髪に隠れた瞳を揺らすイロハだが、握っている彼の手が強く握り返してきたのを感じて安堵する。
 自分には折原という頼れる人が付いている。
 そう思うと、なぜか負けないような気がした。必ず勝てるような気持ちが胸を満たす。
「折原さん・・・私、信じてますから・・・」
 キュッと手を握られ、イロハの前髪の間から見える済んだ瞳を嬉しそうに輝かせた。
「折原さん・・・」
 嬉しそうに喜ぶイロハだが、すぐに折原の真剣な顔を見て顔を引き締める。
『伊‐一六八』はその間も敵の警戒網の中をゆっくりと潜航する。
『ヨークタウン』は左に傾斜していたのでそちらに攻撃したいが、その為の位置に付くのは難しいので、せめて右舷を叩こうとした。だが、その為にはどうしても敵艦隊の真下を潜らなければならない。あまりにも危険過ぎるが、それしか方法がないので田辺はその危険な賭けを行う事にした。
 敵味方の速度、潮流をもとに航海長がコースを選び、『伊‐一六八』はここだと思った場所に付くと、潜望鏡を上げた。
 そこには予測どおり敵空母の右舷が見えた。が、距離は五〇〇メートル。魚雷攻撃には近すぎる。
 敵の警戒からして攻撃のチャンスは一度しかない。
 敵との距離を取る為大きく回頭する。これも敵駆逐艦に機関音をキャッチされかねない危険が付く。
 そーッと回頭を始めた。その時
 カーン・・・カーン・・・
「そ、ソナー音が消えた・・・?」
 イロハの言葉どおり、敵のソナー音が消えたのだ。その異変にイロハは顔を真っ青にさせる。
「ま、まさか見つかってしまったのでは・・・っ」
「――いや、違う」
 そう答えた折原は不敵に口元を吊り上げて腕時計を確認する。
「い、一体どういう事ですか?」
「現在時間十二時。敵さんは昼食を始めたんだよ」
「ちゅ、昼食ですか?」
 折原の言葉を信じかねているイロハ。
 当たり前だ。
 敵が現れるかもしれない危険な海で全艦の対潜警戒を解くなど信じられなかったのだ。
「まあ、そのうちわかるよ」
 折原の言葉を信じ、イロハは艦長の指示を待ち続ける。
 そして、十二時三〇分、絶好の攻撃チャンスが来た。
 敵空母右舷の距離一二〇〇メートル。絶好の射点に付く事ができた。
 艦橋にいた田辺は潜望鏡から見える敵空母を睨み――命令を下した。
『前部一番から四番までの魚雷全本発射ッ!』
 ついに下った命令に今まで折原が計測していたデータを元に渡辺が咆哮する。
「撃てッ!」
 渡辺の命令を受けて射手が発射レバーを一気に押した。
 その瞬間、四つの魚雷発射管から次々に魚雷が撃ち出され、その後すぐに『伊‐一六八』は敵の攻撃を受けぬよう急速潜航する。
 全員の顔に緊張が走り、命中の爆音を待つ。
 長い沈黙の中、折原とイロハの手は互いを握り合っていた。
 不気味な沈黙はすぐに終わり、がほど過ぎた瞬間、水中を伝わって鈍い爆音が響いた。
『やったあああぁぁぁっ!』
 確認はできないが、その爆音に皆命中を確信した。
 実際、撃ち放たれた四本の魚雷はうち三本が見事に『ヨークタウン』の右舷に命中。残った一本も駆逐艦一隻に命中して駆逐艦は大きな水柱を上げて轟沈した。
 そんな水上の事など水中にいる折原達はわからない。
「やったよっ! イロハッ!」
 折原はイロハを抱き締める。突然抱き締められたイロハは耳まで真っ赤にさせて慌てる。
「お、折原さん・・・っ! く、苦しいですぅ・・・っ!」
「あ、ご、ごめんっ!」
 慌ててイロハを離すと、イロハは顔を赤くしながら折原を見詰める。
「機動部隊の皆さんに後で報告しなくちゃいけませんね」
「そうだな。獲物を横取りしちまったみたいだけど、きっとみんな喜んでくれるよ」
「そうでしょうか?」
「そうだよ」
 前髪の間から見える顔は赤らめたまま嬉しそうに笑みを浮かべる。
 そんなほんわりとした雰囲気は流れ続けるが、それは突然終わりを告げた。
『総員対爆雷衝撃用意ッ!』
 突如響いた田辺の声に「え?」と驚いた瞬間、
 ズドオオオオオォォォォォ・・・という鈍い爆音と共に艦がビリビリと小刻みに揺れた。
「敵の爆雷攻撃だッ!」
 折原の叫びに皆顔を固める。
 敵駆逐艦は味方を攻撃された敵潜水艦に対し対潜水艦兵器である爆雷攻撃を開始した。
 爆雷とは駆逐艦等に装備されている兵器で、投下されると重力に従って海中を自然沈降し、水圧や時間によって作動する信管により目的の深さで爆発し、その衝撃によって敵潜水艦に被害を与え、潜水艦の艦体に接触しても爆発する対潜水艦兵器。
 水中無敵を誇る潜水艦が最も恐れる兵器だ。
 ズドン! ズドォンッ! ズドオオオォォォン! と次々に爆発が起きて艦が激しく振動する。
 艦が揺れるたびにイロハは小さく悲鳴を上げる。
「い、イロハ!?」
 イロハの体に次々と擦り傷や切り傷が現れるのを見て折原は驚く。そんな彼を見てイロハは必死に傷つく体を隠す。
「イロハ、その傷・・・」
「被弾しなくても、爆雷の振動で艦体は傷つくんです・・・」
「だ、大丈夫か?」
「大丈夫。これくらいの傷全然大丈夫だから」
 その間も爆雷攻撃は続き少女の体に痛々しい傷が次々に生まれ小さな悲鳴を上げる。
「ひうっ! ひぎっ!」
 体に傷が生まれるたびに苦痛に顔をゆがめて悲鳴を上げるイロハの体を、折原はそっと抱き締めた。
「お、折原さん・・・?」
「大丈夫。僕が傍にいてあげるから、だから安心して」
「折原さん・・・」
 彼に体を抱かれている間、どんなに傷が生まれても怖くはなかった。痛みは変わらないが、恐怖という痛みが減った分、苦痛は和らいだ。
 彼に自分の体が包まれているという安堵が、彼女の不安や恐怖を融かす。
 激しい振動が響く中、イロハはギュッと彼の体を抱き締める。
「折原さん・・・ずっと、このまま・・・」
「わかった」
 響き渡る喧騒の中、二人はしばし抱き合い続けていた。
 だが、このまま爆雷攻撃を受け続けていても艦の危険には変わりない。爆雷の振動で艦は傷つき続け、最後は沈没の危険性もある。今の『伊‐一六八』はそんな状況下にいる。
 敵駆逐艦六隻による爆雷攻撃を受け続ける『伊‐一六八』はこの危機的状況を脱する為に、田辺はある奇策を命令した。
『これより本艦は爆雷攻撃を回避する為に敵空母の真下に移動する!』
 突如響いた命令に折原は首を傾げるが、イロハはその意図に気づいたのか小さくうなずく。
「真下へ?」
「いい考えですね」
「そうなの?」
「洋上には多く漂流者がいるはずです。そんな所に爆雷攻撃をすれば爆発の衝撃で漂流者の内臓を破裂させる危険性がありますからね」
 なるほど。いくら相手が人の心を持たぬ悪魔である鬼畜米英だとしても、味方を大勢殺すような事はしない。
「でもアメリカ人だからな、味方全員殺してでも攻撃してくるかもな」
「ま、まさかそんな――ひゃあっ!」
「言わんこっちゃない! あいつらは悪魔なんだよッ!」
 もうじき敵空母の真下に入るというのに敵の攻撃はやむ事はない。
 ドンッ! ドドンッ! ドォンッ!
「もう無茶苦茶だ!」
 敵空母の下に移動を終えると、田辺の予想通りとはいかないが、それでも爆雷の量は明らかに減った。だが、それでも爆音と振動は続き、艦は傷つき、イロハも傷つく。
「しつこいなぁっ!」
「そりゃ、味方をやられて黙ってる事はありませんよ」
 体中傷だらけだが致命的な一撃をまだ受けていないイロハはまだ余裕を持っている。
 すさまじい爆雷攻撃に晒される『伊‐一六八』には反撃する力はなく、ひたすら敵の攻撃に耐え続けるしかなかった。
 だが、そんな『伊‐一六八』も限界に達した。
 突如今までにない爆音と共に艦内が停電して真っ暗になった。
「な、何ッ!? どうしたの!?」
「停電ですね」
「何でそんな冷静でいられるの!?」
「軍人ですから」
「僕も軍人なんですけどッ!」
 そんなアホな会話をしていると、艦内の赤い非常灯が点灯し、艦内が薄暗く照らし出された。
『艦内電池故障ッ! モーター停止ッ!』
 その報告に全員が驚愕した。
「そ、そんなっ! モーター使用不能じゃ潜航を続けるなんてできなくなるじゃないかッ!」
 それは最悪の状況だった。
 通常潜水艦は水上航行の時はディーゼルエンジンを使って航行するが、水中ではそれはできない。発生する排気ガスや熱を放出できないからだ。その為に水中では電池とモーター使って潜航するのだが、それが使用不能になってしまった。
 潜航不能となった『伊‐一六八』は爆雷の嵐の中ゆっくりと浮上し始めた。
「マズイッ! このままだと浮上しちゃうっ!」
 その先は想像しなくてもわかる。
 浮上すれば敵駆逐艦の砲雷撃を受けて撃沈されてしまう。
 乗組員全員が最悪の状況を覚悟したが、田辺はあきらめずに苦肉の策を命令した。
『手空き総員艦首に走れッ!』
 艦長の命令に皆その意図はわからなかったが、とにかく命令に従う。
 折原達も慌てて魚雷管制室を飛び出して艦首に走る。それは水雷科だけでなく主計科の兵達も同じだった。
 総勢二〇名が艦首に到着すると、浮上していた艦体が停止しているのを感じた。
「え? 止まった?」
 驚く折原の横でイロハは田辺の意図に気づいていた。
「人間バランサー」
「え?」
「重心を移動させて艦体の浮上を止めたんですよ」
「そ、そっか。それで手空き総員を走らせて――」
『今度は艦尾だッ! 艦尾に走れッ!』
 突如響いた反対側への急速移動命令に折原は驚く。
「な、何だよ今度はッ!」
「今度は沈下し始めた。今度は浮上させるんですよ」
「マジかよぉっ!?」
 泣き言を言っている暇もなく二〇人は艦尾に走った。
 当時の潜水艦の耐久力では深度一〇〇メートルを超えたら水圧で押し潰されてしまうので、それ以上沈む事はできないのだ。
 慌てて艦尾に走ると、艦体は停止した。だが、再びすぐに浮上を始めた。
『艦首へ走れッ!』
 再び艦首に走る。到着すると、
『艦尾へ走れッ! 急げッ!』
 そうやって折原達は何度も何度も一〇〇メートルくらいの長さを持つ艦体の中を端と端を走り回った。
「こんな重労働いつまで続くんだよッ!」
「そんなの私にもわかりませんよぉっ!」
 なぜか一緒に走っているイロハまでもが泣き声を上げる。
 だがしかし、折原達の善戦のおかげで『伊‐一六八』はしばし水中に留まる事ができた。だが、
「な、何だッ!? 艦首に来たのに浮上が止まらないよッ!?」
 苦肉の策である人間バランサーにもついに限界が来た。
『伊‐一六八』はついに勝手に浮上し始めたのだ。
 もし、敵駆逐艦が待ち構えていたら、それまでである。
「折原さん・・・っ!」
 恐怖に顔をゆがめて震えるイロハを、折原はギュッと抱き締める。
「大丈夫。最期まで、お前の傍にいてあげるから」
「折原さん・・・っ!」
 震える体を折原の体に押し付け、イロハは恐怖に耐え続けた。
 必死に善戦した他の兵達も皆ここまでかという顔で敵が待ち構えているであろう上を睨む。
 グングンと浮上し続ける『伊‐一六八』。そして・・・
 ザッパアアアアアァァァァァンッ!
 ついに『伊‐一六八』の艦体は海面に浮き上がってしまった。
「イロハッ!」
「折原さん!」
 二人は抱き合い、最期の瞬間を覚悟した。だが、
「・・・」
「・・・何も、起きません、ね?」
 いくら待っても敵からの砲雷撃は一切なかった。
 不気味な沈黙の中、乗組員は皆恐怖に耐え続けていた。
 そんな中、田辺は何も起きない事にある確信を得た。急いで近くにいた兵に命令し、兵は慌ててハッチを開いて外を確認した。
 ――黄昏の海面に、敵の姿はなかった――
「艦長ッ! 敵は一隻もいませんッ!」
 その兵の報告に艦橋は歓喜の声に満ちた。
 嬉しそうに田辺はうなずくと、マイクを掴んでここ以外の人間にもこの報告を知らせた。
『敵駆逐艦は撤退した模様! 敵空母一隻撃沈確実ッ!』
 その報告に、艦内中の将兵達が咆哮した。
 折原も嬉しそうにイロハを抱き締める。
「やったッ! やったぞッ! イロハお前は最高だぁっ!」
「あっ! う、あっ! お、折原さんッ! は、恥ずかしいですぅっ!」
「今くらいはいいでしょっ! ほらお前も喜べッ!」
「折原さんッ! だ、ダメですよぉっ!」
 そう口では言っているが、前髪に隠れる顔はまんざらでもないような小さな笑みを浮かべていた。
 歓喜に沸く艦内で、田辺は連合艦隊司令長官山本五十六大将の乗る連合艦隊旗艦・戦艦『大和』に戦果を打電した。

 ――発射四、命中四。ヨークタウン型空母撃沈確実――

 星が煌く夜空の下、命懸けの激戦を終えた『伊‐一六八』は損傷した艦体を修理するのと兵達の休養を行う為に内地への帰路に着いていた。
 潜航できないので闇夜の中水面走行する『伊‐一六八』の甲板には折原が座ってその輝く星空を見上げていた。
 渡辺や皆は祝勝会で騒いでいるが、折原は先程イロハにここで待っていてほしいと言われたのでここにいる。
「遅いなぁ」
 ここに来てすでにもう三〇分は過ぎている。ずっと待ち続けているのにいまだにイロハは現れない。
「はあ、もう戻ろっかな」
 もう帰ろうと折原は立ち上がる。
「あの、お待たせしました」
 その絶妙のタイミングで現れたイロハに文句言おうと振り返る。
「あのなイロハ。お前遅す――って、イロハ・・・?」
 現れたイロハの姿を見て折原は目を見開いて驚く。
 月明かりに照らされるイロハは群青色の着物を優雅に着こなし、さらに今まで手入れされていなかった髪も美容院に行った後のようにきれいに整えられており、常にカーテンのように顔を隠していた前髪もきれいに切りそろえられて、そのかわいい顔を月の下に晒していた。
 そんなかわいい格好をしたイロハは顔を真っ赤に染めて折原を上目遣いに見詰める。
「あ、あの、似合ってるでしょうか?」
 少し不安げに聞くイロハに、折原は慌てて答える。
「そ、そんな事ないよ! す、すっごく――かわいいよ」
「ほ、本当、ですか?」
「うん。本当だよ」
「良かったぁ。冒険して本当に良かったぁ・・・」
 胸を撫で下ろして安堵するイロハに、折原はそんな彼女を正視できずに視線を逸らしながら質問する。
「な、何でまたファッションに目覚めたんだ?」
「そんな事ないですよ。昔からこういうのに憧れてたんですよ?」
「だったら何で今までしなかったんだよ」
 折原の問いに対しイロハは照れ隠しの笑みを浮かべる。
「だって、冒険するのが怖かったんです。だから――」
 その引っ込み思案な性格、本当に何とかならないかなと折原は思うが、それよりも先に、
「じゃあ何でまた今日実行したのさ」
 そんな彼の問いに、イロハは月を見詰める。そんな彼女の美しい横顔に一瞬ドキリとする。
「そりゃ、あんな死ぬかもしれない恐怖を過ごしたんです。今日やらないと明日命があるかわからないって、そんな風に思ったから」
「そっか・・・」
 小さく微笑む折原に、イロハは再度問う。
「あ、あの、本当に似合ってますか?」
「え? 似合ってるけど」
「ほ、本当ですか?」
「本当だよ」
「ほ、本当に本当ですか?」
「だから本当だってば」
「本当に本当に本当ですかっ!?」
「しつこいッ! 本当だって言ってるだろ!?」
「うぅ、だってぇ・・・」
 涙目になるイロハに折原は呆れ声を上げる。
「お前なぁ、もう少し自分に自信持てよな」
「そ、そうでしょうか?」
「そうだよ。お前はかわいいんだから自信持てって」
「は、はい」
 月明かりの下でもはっきりわかるくらい真っ赤に染まった顔でうなずくイロハを見て小さく微笑む。
 煌く星空の下、折原は微笑み続ける。
「なあ、イロハ」
「はい?」
「まだまだ戦争は続くだろうけどさ、いつまでも一緒にいられたらいいな」
「そうですね。ずっと、一緒がいいです」
 そう言ってイロハは折原に肩を預ける。そんな彼女を見詰め、折原は少し照れたように笑う。
「イロハ」
「はい?」
「ずっと、一緒だからな」
「はい。ずっと、ずっと一緒です」
 そう言うと、イロハは常の彼女からはあり得ないような大胆さを発揮して彼に抱き付いた。
 折原は一瞬慌てるが、耳まで真っ赤に染めて抱き付く彼女を見ているとそんな彼女をいとおしく思ってしまい、自然と笑みが浮かびはにかんだ。
 いつまでも自分に抱き付くイロハの頭を、折原はそっと撫でる。
「折原さんの手、とても温かいです」
「そっかな?」
「はい。とてもぽかぽかです」
「そっか・・・」
 折原はそんなイロハをそっと抱き締める。そんな彼の腕をイロハは抵抗する事なく受け入れ、彼の温かな胸に身をゆだねた。
 いつまでも抱き合う二人を、金色に輝く月はいつまでも照らし続けていた。

 ミッドウェー海戦。
 後年の歴史で日本海軍の栄光が崩れた象徴として残るこの戦いにおいて、日本海軍が四隻の空母を犠牲にして唯一掴み取った空母『ヨークタウン』撃沈は、空母『飛龍』の命懸けの奮戦と十三時間にも及ぶ大攻防戦を繰り広げた『伊‐一六八』のおかげであった。
 そんな歴戦の潜水艦『伊‐一六八』は一九四三年七月二七日に敵潜水艦と壮絶な雷撃戦の末に沈没した。
 魚雷を撃つたびに命中を祈る少年の手を、少女はずっと握り続けていた。
 最期の時も、その二人はいつまでもその手を離さなかった・・・


どうでしたでしょうか?
正直言って今回はかなり苦戦しました。資料が少ない上に潜水艦戦って水上戦と違う戦い方なのでとても書くのに苦労しました。しかし完成して良かったです。
本編では書けないような潜水艦キャラ特有の控えめな二人の関係は書いていて笑顔になってします。
イツヤとイロハは淡い恋物語関係で僕自身も結構好きな物語だったりします。
さて、次の作品は『雪風』『雷』『綾波』『島風』と外伝シリーズ十八番の駆逐艦ものです。
本編でもほんのちょっとだけ描かれていたレイテ沖海戦で作戦を成功させ、苦い勝利を感じながら撤退する小沢艦隊の殿となって敵巡洋艦部隊と激戦を繰り広げた駆逐艦『初月』の話です。
『綾波』に続く駆逐艦戦が描かれていますので、待っていてください。













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