明るい絶望縦書き表示RDF


明るい絶望
作:並盛りライス


 『今日こそは』『今日だけは』なんて自らをバラバラに区切って、ドロドロの愛憎を振り撒いて、何かを諦めたり諦めたふりをしたりする。
 二時と一時五十九分の間で、占いの効力はとっくに切れていて、安っぽい香水と惨めな煙草の匂いがやけに鼻につく。
 酒とセーエキで飲み下した言葉の輪郭を撫でて、君が湯上がりに飲むコーヒーを煎れる。
 私の役割はただ、ネクタイをどれだけ上手く結べるかって事にかかっていて、いってらっしゃいのキスは私のものじゃないんだと誰かが言った。
『欲しいものを挙げればキリがないよ。誰だって何かに飢えながら綺麗になるんだから』って死んだお姉が言ってたっけ。
 ごめんね、それでも生きていたいんです、だから痛いんです。
 バスルームの中では、彼は、いつでも不機嫌だ。やった後は冷たくなるって知ってたけど知らないふりをしている。
 渇いた口の中が、異常に熱くて、お湯でうがいをした。
蛇口からは君が浴びるシャワーと同じ水が流れているんだ。
 几帳面に丸めて用意してあったネクタイを、慣れた手付きで手にとった。
 こういう、一つ一つの動作にも時間をかけたいっていう私ってウザイのかもね。
 コーヒーをカップに注いで、ティースプーンを置く。彼の為にスーツを用意する。鞄は昨日、玄関に置いたままになっていたので、イスに置く。
 バスルームから出てきた彼が無言でコーヒーを一口飲む。それから着替えが始まる。それはYシャツから始まって、ジャケットで終わる。
 その一つ一つの動作を見守る、子供を見守る母親のように慈しみ深く。
 それから、少し温くなった残りのコーヒーを一気に飲み干す。私がネクタイを結ぶ。
 そんなに時間はかかっていない、せいぜいが一、二分ぐらいだろうか。
 玄関で私達は、初めて視線を合わす。目で会話する。黙ったまま、どちらからともなく視線を外す。
 それで終わり。あとには何もない。彼の温度も感触も音も匂いすら無い。
 ニュートンは林檎が墜ちた理由は考えるくせに、墜ちた林檎がどう思ったのかは考えない。理系なのかな。
 私は、本当にゆっくりとシャワーを浴びる。時には一時間以上も、バスルームに立て篭る事もある。
 それから部屋をモデルルームみたいに綺麗に掃除する。痕跡を消すみたいに、証拠を消し去るように。丁寧に掃除をする。
 気付くとお昼を過ぎていて、戸締まりをして家を出る。家を出る時に、新聞受けに合鍵を入れる。
 その後に向かう場所がどこであっても私は死にたくなる程、何かを恥じている。例えばそれが、実家でも漫画喫茶だとしても、麻痺していた気持ちが溢れ出してきて、何も考えられなくなる。
 感情を上手く制御しているつもりでも、翻弄されている。そんな時は、死んだお姉が言った言葉を思い出している。
『何かを諦めた瞬間に、望みは絶たれる、明るい絶望が何もかも飲み込んでいってしまう前に何かに見切りをつけないと耐えられない』
 そして彼女は、自分の生に見切りをつけた。正しい事を正しいというのは簡単だけれど、間違っている事を間違っていると言うのは難しい。
 私も何かを諦めた人間として、見切りをつけないといけないのだろうか。
 誰よりも生に執着したがるこの肉体を棄てる事なんてできるのだろうか。
 私は私を殺せずにいた。 そして、彼の自宅に繋がる電話番号を調べようとしている。














ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




◆BACK
小説家になろう