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この作品には 〔ガールズラブ要素〕 が含まれています。

聖女の帰還のその後で

婚約破棄からの再構築。……今一つ構築できていないですが。
「ロザリアとの婚約は破棄する。だから俺と結婚してくれ、サクラ」
 断られることなど微塵も考えていない輝くような笑顔で、王太子は手を差し出した。その先にいるのは、黒髪の愛らしい少女。
 彼女は異界から呼び寄せられ、魔王を封じるに当たって重要な役割を果たした『聖女』だ。そして王太子もその魔王を封印するために彼女と手を取り合って協力した仲間の一人、予め決められていた貴族令嬢よりも彼女を求めることも彼にとっては当然である、のだが。
「……お断りよ、ハーバード」
 きっぱりと拒絶する聖女・サクラの言葉に迷いはない。体は彼よりずっと小柄だが黒い瞳は真っ直ぐで揺るぎがない。ついでに言えば躊躇いとか遠慮とかもだ。
 思わず絶句する王太子・ハーバードの前に、他の青年達が先を争うように割り込んでくる。
「ではサクラ、私と!」
「何を言う、俺とだ!」
「馬鹿なことを、サクラは私のものだ」
 公爵家令息と近衛騎士、そして王宮魔法使いと、いずれも王太子と同様、魔王封印に赴いた仲間達であり、そして宮廷でとりわけ人気の高い貴公子達だ。
 彼らが、この異界から来た少女に夢中になっていたことは周知の事実だ。魔王封印の為に彼女がこの世界に召喚されたのが半年ほど前のこと、そしてそれから無事帰ってきて半月余り。
 王太子はじめ、青年達はサクラにつききりで夜会ではダンスを踊る順序を競い、様々な宝石やドレスその他女性の喜びそうな贈り物をし、そこかしこへと連れ出しては寵を争い、そしてそれを隠そうともしなかった。
 もちろん彼らには既に婚約者やそれと目される相手もいたのだが、帰還後は彼女達のことなど忘れたかのようにひたすらサクラを囲んでいた。
 そのことを当の令嬢のみならず、他の宮廷人達も冷ややかな目で見ていたのだが、彼ら自身は全く気づいていなかったらしい。現に今も、少女の周りで必死に訴えかけて愛を乞うている。いつの間にか復活した王太子もだ。
「……埒が開きませんわね」
 ぱちん、と手にしていた扇を閉じて一人の令嬢が呟く。決して大きくはないがよく通るその声の主が王太子の婚約者でデルモベート公爵令嬢、ロザリアだ。しっとりと滑らかな銀髪に切れ長の菫の瞳、色合いは儚げだが実のところ権勢を誇る公爵家の長子として社交界を動かすと言う恐るべき淑女だ。
「本当に、困った方達」
 その隣で溜息を吐くのが、王太子の妹カトレア王女。彼女もまた、アンテベート公爵家の嫡男、グラスと婚約していたのだが、当の相手は今も目の前で違う女に求婚中だ。
 二人の令嬢が目を見交わし、小さく溜息を吐いたとき、ロザリアよりも更によく通る声が響いた。
「いい加減にしてちょうだい!」
 いずれも長身の貴公子達の間に埋もれてしまうほど小柄だけれど、よく通る声も彼らを見回す目も、あまりに鮮やかで強かだ。言うまでもなく、聖女その人。黒い髪と黒い瞳の、可愛らしいが気の強そうな美少女でもある。
 その聖女サクラは腕組みし、半眼で男達を睨みつけている。殆ど表情はでないが、その瞳は静かな怒りに燃えていた。
「聞こえなかったの? 全員お断りだって言ってるでしょ」
「しかし、ただ断ると言われても納得できるはずがないだろう」
「そうともサクラ。私のどこがいけないのか、教えてくれないか。君のためならどんな欠点でも、直してみせよう」
 体は小さいが気の強い少女は、唯々諾々と親や男の言うことに逆らわない女性しか知らなかった貴公子達にはきわめて新鮮で他には得難い存在であったらしい。
 けれどこの聖女、彼らが思っている以上に容赦のない女性でもあったのだ。
「どこが、って……そうね、じゃあ一人ずつ言いましょう」
 言いながら黒髪を肩から払って姿勢を正す。つられたように、男達も背筋を伸ばした。その一人に、サクラは指を突きつける。
「ヤーロゥは浮気性すぎる。女性に見境なく声をかけてあわよくば、と言う男は一生直らない」
「え、えぇー」
「ハーバードはわがままがすぎる。自分の意志が通らないこともあることも知っておくべき」
「っ、っそれは……」
「ジョンズワースは束縛が強すぎる。自分の腕で囲い込むなら愛玩動物までにして」
「さ、サクラ……そういうつもりじゃ」
「あと、グラスは……」
 そこでちょっと言い澱むサクラに、当人は表情を輝かせたが、その後に続けられた言葉で撃沈した。
「あんたのようなのを私の世界ではむっつりスケベと呼ぶわ」
「ぐっ……」
 言葉に詰まる彼の周りで、他の青年達が吹き出す。
 実を言うとそれだけでなく、他の人々は聖女の言葉にいちいち納得して頷いたりひそひそ耳打ちし合ったりと、それに同意していた。
 ロザリアとカトレアも顔を見合わせ、お互いの表情に同意を確認する。
「……流石ですわね、聖女様。よく、あの方達の本質を見極めてらっしゃる」
「そうね……あまり親しくない令嬢方は、兄やグラス様を理想化しているようですが、とてもとても」
 ロザリアは18、カトレアは15。王太子ハーバードと公爵家嫡男グラスが19、近衛兵で伯爵家の次男であるジョンズワースはロザリアと同い年、王宮魔法使いのヤーロゥは一人年上で22だ。
 カトレアとヤーロゥは少し年が離れているが、それ以外の4人は簡単に言えば幼馴染みだ。正確には、王太子であるハーバードの遊び相手、兼将来の側近としてちょくちょく顔を合わせてきた。他にも上級氏族の子女はいるのだが、家柄や姻戚関係、当人の能力や性格もあって最終的に彼らが残った、という形だ。
 中でもロザリアは、唯一残った女性であって当然彼の后候補に挙げられた。正式に婚約者として認められたのはつい一年ほど前。王太子自身、全く文句もないわけではないが納得はしていたようだ。
 しかしその状況が大きく変わったのは半年前。言うまでもなく、魔王の出現が確認されたときだ。
 そもそも魔王は、この世界において極めて現実的な驚異である。発現頻度は何十年に一度と言うものだが、百年のうちに一度もないことはまず無い。人が生まれてから死ぬまでに一度は経験するという、その程度だ。
 そしてそれへの対抗策もちゃんとある。それが、異界からこの世界の理を外れた存在を呼び込み、魔力を受け付けないその存在を持って魔王を封じるというものだ。その存在は聖女として国中から崇められる。また、王族や魔王を封じるための旅に同行した騎士などに嫁ぐこともあったという。
 だからサクラに求婚すること自体は咎められるような行為ではない、ただしそれは彼らに婚約者など特定の相手がいない場合のみだ。今回に限っては少なくとも王太子と公爵家嫡男にはきちんと公式に認められた婚約者がいて、それ故彼らの執着は白眼視されている。
 言うまでもなく当の婚約者である二人が彼らに向ける視線も冷めたものだ。言ってみれば政略結婚、そこに個人の好悪は関わらないのが常。まあ、完全にそうとばかりは言い切れないのが人間同士の微妙な話ではある。
「しつっこい!」
 聖女の怒号が響き渡った。王族や宰相、その他の貴族が見守るその真々中でサクラは真っ直ぐ立つ。貴公子達を等距離に置いてそれは明らかに誰か一人の手を取ることはしない、という彼女の意思表示だ。
「とりあえずあなたたちが私の言葉を聞くつもりのないことはよく判った!」
「い、いやそんなつもりでは」
「どうか、私の話を聞いてくれ」
「それにサクラ。我々を選ばず、どうするというのだ」
「そうだね、何なら魔法使いの塔で修行してみてはどうかな」
 それでも何とか言い募ろうとする彼らを見回してサクラは硬い表情を崩さない。
「お断りだわ、ヤーロゥ。あなた私を囲い込みたいだけじゃない。……最初から言ってあったはずよ、私は『帰る』って」
「そ、れは……」
 年下の青年達の中、一人余裕ある態度を崩さず彼女を口説いていた王宮魔法使いが頬を強ばらせた。そこへ彼女は畳みかける。
「もっともあなたは、帰すつもりなんか無かったのかもしれないけど。そういうやり方、私は嫌い」
 容赦なく言い放って彼女はくるりと背を向ける。その目の前に、小柄な少年が駆け込んできた。
「サクラ様!」
「『様』は要らないと言ってるでしょう」
 反射のように応じた彼女が、ふとその表情を緩めるのを見たのは彼女が背を向けた青年たち以外、というのはなかなか皮肉なことだった。
「し、失礼しました……行きます!」
 言うと同時に、少年の手にした杖がぽぅっと光を放つ。
 彼がまとっている青いローブは、ヤーロゥと同じ王宮魔法使いの証、ただしその杖は彼に比べてずいぶん簡素なもので地位は高くないことを教えている。
「ま、待てカイル!」
 おそらく上司に当たるだろうヤーロゥが声を上げるが、そのときには既に術は発動し始めていた。大理石の床に、煌めく光で複雑な文様と文字が描かれる。それはロザリアやカトレアも見覚えあるものとよく似ていてどこか違う、最初に聖女の召喚で使われた術に限りなく似た別の術。
 その光が、サクラを包む。一瞬驚きの表情を浮かべた彼女が、ふわりと笑む。
「ありがとう、カイル。……あなたには感謝するわ」
「お、畏れおおいことです、聖女様……サクラ」
 様、と最後に付けなかったのは彼女にちょっと睨まれたためだろう。慌てて言い直す彼に微笑んでそうして彼女の存在が、光の中で見る見る遠くなっていく。
 思わず、ロザリアは嗜みも忘れて声を上げていた。
「サクラ! 私も、あなたに感謝しています! 私達の世界を救ってくださって、本当にありがとうございました!」
「そうですわ、サクラ! どうかあなたが、あなたの世界で幸せになってくださいますように!」
 それにはっとしてカトレアも声をかける。二人に視線を向け、そうしてサクラは嬉しそうに笑った。王宮では怒ったように唇を引き結んでむっつりしていることの多かった彼女の、年相応の可愛らしい笑顔だ。
「うん、ありがとう。さよなら、カトレア、ローズ」
「さようなら、サクラ。お気を付けて」
「どうか、お元気で。サクラ」
 二人の言葉に、嬉しそうに笑んで片手を振る。そうして聖女は、この世界から消失した。

 虚脱したような空気の中で、最初に動いたのはやはりロザリアだった。
「……カイル、でしたね」
 ぺたんと床に座り込んで呆然としている魔法使いの少年に声を掛ける。呼びかけに引かれたように顔を上げて、それから彼は慌ててきちんと礼を取って跪いた。
 仮にも公爵令嬢であるロザリアと、おそらく無爵の彼では身分が違いすぎて最大限の礼節を尽くす必要がある。そしてもちろん、ロザリアはこの場で自信の身分を思う様活用する気概に満ちていた。
「聖女様の願いを叶えたあなたの魔法、なかなか見事なものと見受けました。……あの方の、あれだけ幸福そうなお顔を初めて伺いましたわ、彼女の分もあなたにお礼を言いましょう」
「本当にね。私たちが何をして差し上げたところで、サクラ……聖女様には、御自身の世界への帰還が一番の望みだったのですから。よくやりましたね、カイル・ビソフテン」
 続けて王女たるカトレアが彼を誉め讃えたことで、完全にカイルの身は保証される。何しろ彼の上司であるヤーロゥはじめ、彼の貴公子たちは年下の少年を射殺しそうな、一言で言えば『余計なことしやがって』という目で睨んでいたのだ。その安全は守ってやらねばならない。
 そしてそれ以上に、彼女の幸福そうな、初めて見るような笑顔を見損ねた、ということは衝撃が大きかったらしくかなり呆然と狼狽えている様子も伺える。
 ロザリアとちらりと視線を交わしてカトレアは玉座を仰ぎ見た。
「陛下、御前で恐縮ではございますが。私も驚きまして少々休みたくなりました、退がってもよろしいでしょうか?」
「私も、お供させていただければと存じ上げます」
 要は、茶番も終わったようなので退出させてほしいと。そう訴える二人に、玉座に着いたままの国王、つまりカトレアの父は溜息を吐いて許可を出した。
「よい、許す。……お主等は聖女殿の、良き友人でもあったようだしな」
「はい、陛下」
「それでは、失礼させていただきます」
 そしてそれ以上に、聖女の帰還で驚かされはしたものの彼女達は一方的に婚約を破棄されたいわば被害者でもあるのだから。

 もちろんずいぶん騒ぎになったようだが、そこで下がったカトレアとロザリアの知ることではない。いちいちご注進に及ぶ、有り難迷惑でお節介な人々も多かったが。
「結局、私は隣国に嫁ぐことになりそうですの。お父様がすっかりお怒りになってしまって」
「まあそれは当然でしょうね」
 カトレアの言葉にロザリアは頷く。
 娘を蔑ろにされた国王が、婚約者だった公爵家の嫡男にすっかりご立腹で彼女の嫁ぎ先をどこか他へ求めているらしい、とは専らの噂だ。
「それなのに、ローズにはご迷惑をかけるなんて……」
 微妙な表情で黙り込む彼女に、ロザリアはただ微笑む。
 彼女の王太子との婚約は、本人がはっきり破棄を言い渡したものの結局「無かったこと」にされている。幾ら公爵家のロザリアでも王家よりは立場が下で、彼女の側からは破棄できないこともある。
 そして何より、ロザリアはそれでも幼馴染みの王太子を好いていた。これが恋愛感情であるのかは自信がない、けれど聖女サクラの言う「わがままで、自分の意が通らないことがあることを知らない」彼の男をその欠点も承知で受け入れ、慕っている。
 ただ、今度のことで彼の方が自分をそうした目では見ていないこと、他の女性にあっさり目移りされる程度の存在でしかないことを思い知った。
 悲しいとは思うしそれ以上に複雑な感情もあるが、今更王太子ハーバードの婚約者という立場から逃げることは出来ない。それは彼女や王太子個人ではどうにもならないことで、逆に自分勝手な破棄を宣言した彼はすっかり立場を悪くして別の相手を見つけることも出来ない状況。逆に言えば、デルモベート公爵家としては王家に貸しを作る意味でも、今更ロザリアを他に嫁がせはしないだろう。
 カトレアとロザリアを安堵させたのは、サクラを帰還させた魔法使いカイル少年の噂だ。昔から伝わっている召喚の陣を解析し、逆の効果を持つ帰還の陣を作り出した、というので王宮魔法使いの中でも古参の年寄り連中が保護を申し出たようだ。見所がある、というので引退した魔法使い達が育てることにしたらしい。こちらもまた、恋人だったはずの娘を馬鹿にされたと怒る老魔法使い、つまりヤーロゥの師匠が噛んでいるのは間違いない。
「……ローズ、お兄さまから何か言ってきまして?」
 お茶のテーブルに身を乗り出して囁く王女に、ロザリアは肩を竦める。
「特には、何も。……ただ或いは、父や兄がお断りしているのかもしれませんわね」
「そう、ね……」
 政略結婚であることを承知していても、明らかに幸せになれないところへ嫁がせることは望まない程度には父や兄に愛されていると思う。
 ロザリア自身はサクラと付き合いがあって彼女のことはそれなりに知っているつもりだし、彼女の気性やあり方は好きだった。男性達が夢中になった気持ちが判る、とは言わないがそれなりに思うところはある。
 だが父のデルモベート公爵やその息子でロザリアの兄・ティモシーはひっそり憤っているらしい。彼女を王家に嫁がせること自体は仕方がないと言うか政略上必要なことと認めているが、王太子の不実を盾に彼女に自由を与えるよう王家相手に交渉している。
 正直言って自体がどう転ぶものか、彼女達には図りかねている。一般に貴族令嬢というのは、自身で動くことがあまり出来ないものだ。周囲の状況をある程度制御(コントロール)できはするがもちろん限界はあるし、公爵家のロザリアと王族のカトレアといえどもそれは否定できない。
 今となっては事態は彼女達の手出しできないものになっており、父親達の判断待ち、というのが現状だ。いろいろ乱れ飛んでいる噂も、真偽のほどは定かでなく情報としては些か宛にならない。
「カトレア姫。……どうか幸せになってくださいませ。この国を出ても、どうか私を忘れないでくださるかしら。あなたのために出来ることがあれば是非協力させていただきたいの」
「それは私の方もだわ。……ねえローズ、「アレ」で大丈夫かしら?」
「……カティ」
 あからさまな言い様にロザリアは最近滅多に呼ばなくなっていた年下の王女の愛称を呼ぶ。言うまでもなく「アレ」は彼女の兄でロザリアの婚約者である、この国の王太子のことに違いない。
「……殿下は、どうなさってるの?」
「すっかり腑抜けているわ。お母様にこてんぱんに叱られて当分は騎士団長にしごかれるそうなの」
「それは、大変ですわね……でも、お一人ではないでしょう。グラスやジョンも、その辺りは同じですもの」
「いい気味よ。ねえダリア、あなたもそう思うでしょう?」
 お茶のセットを並べたテーブルの傍ら、姿勢を正して立っている護衛の女騎士は急に振られた話に瞬きしてそれから僅かに表情を崩した。
「正直なところ、『ざまを見ろ』という気持ちは否定できませんわね」
 さらりと毒を吐く、その気持ちは多分カトレアやロザリアと同じだろう。彼女の恋人もまた、聖女に惑って彼女を追っていた一人であるジョンズワースなのだから。
 けれど、彼女もおそらくロザリア達と同じく、聖女サクラを嫌っているわけではないだろう。カトレアは茶話会を主催して魔王領から帰還したサクラをよく招いた。男達に追い回されているより、彼女の方もそれを望んでいたようだ。護衛も女騎士にした男子禁制のお茶会では、かなり打ち解けた話もした。
 魔王の話も出たが、それよりもサクラの世界の話が興味深かった。王族や貴族も殆どいない、それどころか魔力や魔物もないと言う世界。
 王や貴族がいない代わりに、庶民の中で代表を決めて政を行うという。彼女達には想像もつかない世界だが、サクラにとってはそれが当たり前だったらしい。『もっと昔、二百年くらい前にそういう時代は終わったの。……私の国は小さな島国で、他の国とはちょっと離れていたから、そういうことも遅かったのよ』
 そんなことを語りもすれば、年頃の女の子らしく甘いものや服飾の話もした。何でもサクラの国は、非常に豊かで種類も豊富な甘味を取り揃えているという。砂糖を大量に使ったこの国の菓子は好まない彼女のために、カトレアもロザリアも王宮や公爵家の料理人を叱咤激励していろいろ作らせた。おかげで、いつの間にか王宮や公爵家の甘いものは社交界でも大人気になっている。それもサクラのおかげと言っていい。
 服飾に関しては、サクラ自身は『フツーの、一般市民』だそうで宝石やドレスは興味がないと言っていた。けれど彼女がこの世界に召喚されたとき一緒に持っていた『ケータイ』とかいう小さな機械に下げられた護符(アミュレット)はとても精密な作りだった。しかもそれはサクラが自分で作ったのだという。『ビーズとテグスがあれば作れるんだけど』と語る彼女に、思わずカトレアは『サクラはそういうものを作る職人だったのですか』と尋ねたものだ。
 実際のサクラは、少なくとも彼女が言う限り『ジョシコーセイ』という職だったという。勉学を学ぶ学生であって親の庇護下にある立場、と聞いてその彼女をこの世界に呼び込んだことを心底申し訳なく思った。
 しかしその少女は既にいない。彼女が本来属する世界へ還ったはずで、無事な帰還を願い、幸せになってほしいと祈る。そういう意味で、彼女を乞う男達の求愛が叶うことを望まなかったことも同様。
 今までに聖女を呼び寄せたものの、故郷へ還られぬ彼女達を哀れんで王族貴族が庇護したことも確かに事実。けれどはっきり言ってサクラは、そうして過去の記録に残る聖女とは全く違った人間だった。そもそも召喚の場において事態を把握するなり、即座に「人に仕事を頼むのなら、その手順だの何だのはまとめておいて! あと報酬と、それから帰還方法も調べておくこと!」と召喚の術者達を叱り飛ばすその心意気からして一筋縄でいこうはずもない。ちなみにその場にいた下っ端魔法使い、カイルが「聖女様の最初のご指示ですから」と一生懸命古い書物や召喚魔法陣の解析を掘り起こして帰還陣を編み上げたのであるらしい。実に立派な心がけだ、王宮魔法使いになるのでなければロザリアが公爵家で雇ってもいいと思っている。というか、他の色ボケしていた男達には彼の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。

 ロザリアが久々に婚約者のハーバードに会ったのは一月ほど経ってからだ。
「ご無沙汰しております、殿下」
「……ああ、ローズか」
 彼の執務室を覗いてみると、死んだ目で山積みの書類に向き合っている男がいた。どんよりと生気のない碧眼が、辛うじて彼女を認める。
「……大丈夫ですか、とは聞かない方がよろしいですわね」
 わかりきったことを敢えて聞く必要もないだろう。一つ溜息を吐き、書類を差し出す。
「父から、言付かって参りましたの。ご確認いただけますかしら」
「ああ。……わざわざ済まないな」
 基本的に女性は政治に関わらないのだが、この手のお使いは希にする。特に筆頭公爵で宰相でもある父からの書類は公に通せないものも含めて極秘であることも少なくなく、ロザリアがカトレアや王妃を訪ねるに当たってついでに持っていくこともままあった。
 が、それにこの傲慢王子が礼を言ったのなど、殆ど初めてである。
 ちょっと唖然として彼が渡した書類に目を通すのを見つめてしまう。
「うん、大丈夫だな。……何だ、ローズ。どうかしたのか」
 さらさらと末尾にサインをして顔を上げたハーバードはそこでようやくロザリアの反応に気づいたらしい。不思議そうに問いかけてくる。
「……失礼。あなたに、礼を言われるなどずいぶん久しぶりだと思いまして」
 その答えにちょっと眉を顰め、けれど彼は自覚もあるのだろう、反論はしなかった。
「おまえの方こそ、どうした。王宮(ここ)に来る用事などあったか?」
「……王妃殿下にお呼び出しいただきましたの。カトレア姫の、お輿入れが決まりそうですわね」
「そのことか……」
 ますます微妙な顔になるのも致し方あるまい。
 王太子ハーバードにとってカトレアは唯一の同腹兄妹だ。側室腹にあと一人ずつ王子と姫がいるがどちらも年も離れていて繋がりは薄い。
 その分、彼にとってカトレアは可愛い大事な妹で時に他愛ない喧嘩をしながら仲は良かった。その妹が、国内の貴族ではなく他国へ嫁ぐと言うことに彼も思うところはあるのだろう。
 カトレアの婚約者だったグラスは、ハーバードにとっても親しい友人だ。ただし聖女サクラに関しては恋敵でかなりやり合っていたらしい。もちろん、他の二人もだ。
 そのことについて彼がどう思っているのか、ロザリアも聞いたことはない。何というか、今更だ。それにサクラの帰還後、彼等もハードにしごかれていてまともに話す時間が取れなかったこともある。婚約破棄になったカトレアとグラスはそれなりに言葉も交わしたらしく(といっても泣いてすがる彼をカトレアが斬って捨てたと専らの噂)、ジョンズワースはダリアに物理的にボコボコにされたらしい。ヤーロゥとその恋人だった女魔法使いヴィオラについてはロザリアもよく知らないが、彼女の父がすっかり腹を立てて彼をどこぞ遠方へ修行に行かせると息まいているとか。
 数ヶ月の旅を共にした彼等には、聖女ほどでなくとも思い入れはあるのだろうがあえてロザリアはそれを指摘しなかった。はっきり言ってハーバードもまだ自分自身を整理し切れていないように見える。
「何はともあれ、お体にはお気をつけあそばせ。姫の婚約式に、貴方がふらふらしておいででは格好が付きませんわよ」
「……判ってる。そもそもそんなに早く決まるものか?」
「さて、その辺りは私では何とも。……王妃殿下はとりあえず準備をしておくように、と仰っておいででしたけれど」
 カトレアの婚儀についてはロザリアもまだ詳しい話を聞いたわけではない。片頬に掌を添え、小首を傾げた彼女にハーバードはふっと吐息を漏らした。
「……ジョンズワースが、恋人だった女騎士に叩きのめされたとか聞いたのだが」
「あら、ご存知でしたの。何でもジョンズワース殿のお父上が、ダリアの気が済むまで帰ってくるなとおうちから追い出されたそうですわ。で、謝罪に行っても口では何とでも言えるからと立ち会いになったとか」
 ロザリアの聞いていた話を伝えるとハーバードは頭を抱えた。
「そ、れはまた……しかしジョンズワースも、女性に負けるような腕前ではなかろうが」
「この場合は立ち会いと言っても、ダリアの鬱憤ばらしですもの。ご本人もそれは承知でしょう」
 些か顔色の悪くなった彼の疑問にロザリアは素知らぬ顔で応じる。実のところそれでもダリアの納得はいかず、一応家同士としては和解したが復縁はお断り、になっている。
 それも無理はないだろう、サクラが現れる前のダリアとジョンズワースの関係は、彼の方がダリアを束縛する形で出来れば王女付きの護衛騎士も辞めてほしいと言っていたという。基本的に独占欲の強い男だ。それが他の女性にうつつを抜かしたとあっては彼女の怒りがそう簡単に収まるはずもない。
 一方別のパターン、元々女遊びで有名だったヤーロゥの場合はどうもカイルの件が決定打だったらしい。他の女性を追いかけるのはともかく、魔法使いとして他の誰にも出来なかったことを成し遂げたカイルに対し、自分の望みが絶たれた八つ当たりを仕掛けたというので一気にヴィオラが切れた。その彼女から話がいってその父である王宮魔法使いの前の長、今は顧問である魔法使い達から散々に叱責され他の国へ修行に行かされることになったとか。
 その事情を聞いてハーバードはますます項垂れた。殆どデスクにへばりつきそうになっている彼がさすがに哀れでロザリアは部屋の一隅に備え付けられているお茶を入れてやる。
 護衛の近衛兵もおつきの女官もいるのだが、結構ハーバードは人の好き嫌いがはっきりしている。下手な人間を自分の側に置くことにいい顔をしないし、王族としてその辺りを割り切ることが苦手だ。やたらと熱っぽい視線を注ぐ女官にお茶を淹れさせたりするのを嫌がるのはまだ理屈が通る方だ。何を入れられるか判らないという危惧は単なるわがままと切り捨てにくい。
 それやこれやあって、彼が普段飲むお茶を淹れるのは王妃たる彼の母、乳母だった女官長とそして婚約者のロザリアくらいだ(食事時は別)。男性である彼がお茶会に招かれることはあまり無いが、そういう席は社交であり公務の一環だから何とか堪えている。
 実は聖女サクラはお茶を淹れることは得意ではなかった。あんまり家庭的なことは得意じゃないのよ、と肩を竦めていたが料理は上手かったらしい。
 さすがに貴族令嬢が自分で料理をすることはまずない。庶民でもちょっと裕福な商家なら専門の料理人を雇っているはずだ。サクラの世界はそうではなく、確かに専門の料理人も多くいたが彼等の大多数は自分で店を出し、自宅で彼等を雇えるのはごくごく一部の者だけだったらしい。それもあって家庭の主婦は料理が出来たほうがいい、と考えられているとか。
「……ねえ、殿下。カトレア姫がお嫁入りなさいましたら、貴方の番ですわね」
 正直なところ、ロザリアとしては深い考えがあっての発言ではない。単なる順番の問題だとそう言いたかっただけだ。
 けれどある意味当然のことながら、ハーバードはそうは取らなかったらしい。
「そ、それは……確かにそうだが」
 華やかな中にも男らしく精悍な印象を与える顔をひきつらせる彼に目を丸くしたロザリアは少し考えてから彼の反応に納得した。苦笑混じりに肩を竦める。
「そんなに警戒なさらないでくださいませ。……私の方から婚約を破棄する訳には参りませんが、貴方のお気持ちはわかっておりますわ」
 穏やかかつ切なく微笑む彼女にハーバードは息を呑み、それから深々と溜め息を吐いた。
「ローズ……済まない、おまえには助けられるばかりだ」
「まあ、そのような。どうぞお気になさいませんよう、殿下。(わたくし)、貴方の手助けになればと常々考えておりますもの」
 慈愛溢れる笑みをハーバードは眩しげに目を眇めて見やる。
「……ロザリア……」
「ですから殿下、婚姻を済ませた後でもいっこうに構いません。貴方の真実大切な方をみつけられましたら真っ先に教えてくださいませ。私、さっさと修道院に入りますから」
「……は?」
 その瞬間の王太子の顔は実に見ものだった、とはロザリアに影の如く付き添っていた侍女の言葉。不本意ながら彼の護衛として立ち会っていた近衛の騎士達もそれには同意せざるを得ない。
 傍観している者達は主にとっては自分の影も同然、何を話しどんな姿を見せようとも気にならない。基本的に位の高い貴族はそうしたものだ。だから彼女がその場で紡いだ言葉は、何一つ取り繕わない本音である。
「殿下が本当に愛する方を見つけられるまで、私が盾となりますわ。どうぞ、貴方が本当に大切にしたい人を探してくださいませ」
 まるでそれこそ聖女のように慈愛溢れる笑みで宣うロザリアにハーバードは絶句した。みるみる顔色が青ざめる。
「……ちょ、ちょっと待て」
「殿下? お顔色が悪いようですが、お加減でも?……さすがにお疲れでしょうか、私王妃殿下に少しお休みさせていただけないか伺って参りますわ」
 気遣ってその場を辞したロザリアは、残されたハーバードが頭を抱え「今更他の女など目に入るか……!」と呻いていたことなど知る由もない。

 王太子ハーバードとは言え、己の振る舞いが軽蔑に値するくらいはわかっている。或いは王太子であるからこそ、質の悪い真似であったと。
 サクラは他に類を見ない、気性のはっきりした少女だった。魔王領への旅路は旅慣れぬ小娘を連れての面倒になりそうだと煩わしく思っていた彼等全員の予想を覆す程度に。
 体はロザリアや年下のカトレアより小さいが、男達相手に一歩も引かぬ気の強さと強かさを備え、誰に対しても真っ直ぐその目を見る、いっそ容赦ない前向きさ。
 他の令嬢達とは比べ物にならない在り様に惹かれ、その存在を我が物として常に傍らに置きたいと、そう思ったのは事実だし恥じもしない。
 だが確かに状況を省みない悪手だったことも否定できない。正直なところ、サクラに恋したからといってロザリアと別れるつもりなどなかったのだ、ハーバードとしては。
 そのための教育を受けて育ったロザリアを王太子妃として迎え、サクラは側室かその手の立場として愛でればいいと考えていた。そして当のサクラにこてんぱんにやり込められた。
『言っとくけど私、人の男には興味無いの!他にちゃんと相手のいる人は対象外!』
 他の女と男を共有する趣味もないと言い張る彼女に、ならばサクラ一人に絞ればいいのかと先走った結果があの体たらくでは、自分自身弁護のしようがない。
 他の、サクラを取り巻いていた男達とは皆それなりに親しかったからこそ対抗心もあった。王太子というハーバードの立場は誰より優位だが、それが自分自身の魅力でないことも弁えている。
 だからこそしゃかりきになってサクラの寵を競った自覚はある。異世界からの、この王国を知らない聖女ならば立場ではなく自分自身を見てくれるのではないかと期待した。
 それは恐らく他の青年達も同じだったのではなかろうか。
 グラスとジョンズワースはハーバードにとっても古い友人、いわば幼馴染みだ。彼の幼馴染みともなれば、その立場もまた彼に次ぐ。彼等も婚約者がいても令嬢達には高い人気を誇り、夜会では彼女達に囲まれていた。ヤーロゥもその高い地位は同じだし、彼等以上に女性達を侍らせること自体を楽しんでいたように思う。
 立派な家柄、血統と保証された地位。容姿や性格よりそうしたものが女性達を惹き付けていたのだとわかっている。そしてわかっているからこそ、そうして集ってくる彼女らが煩わしく鬱陶しく思われた。まだ付き合いの長い婚約者の方が気心の知れている分マシ、と考える程度には。
 少なくともハーバードは、サクラを愛するのと別次元でロザリア以外は自分の妻にはなれないことを承知していた。サクラが望めば王位を(なげう)つ覚悟もあったが、王位に就くには(或いは王位を維持するには)ロザリアが必要不可欠であることも重々承知していたのだ。
 彼女にはそれだけの地位と才覚があり、そのための教育を受けてきた身。そしてそれ以上に付き合いの長さは互いの性格も理解している。しょっちゅうお小言を言い、叱り呆れながらもロザリアは自分を見捨てないとそう思っていた。
 大変に質の悪い話、ハーバードにとっての最善はロザリアを王妃として己の隣に据え、サクラは愛情を交わす存在として傍に置くことだった。もし彼女、サクラがこの国の、百歩譲ってこの世界の人間であればそれは決して叶わない我が儘ではなかった。
 けれどサクラは聖女、この世界とは違うところからきた者。彼の意思を無視しその故郷へと帰還してしまった、稀有な存在。もちろんハーバードの自分勝手な希望には遠慮なく拒絶の意を表明してくれた。
 それで自分が却って意固地になっていた自覚は彼にもある。だったら彼女一人を選べば良いのかと、むしろ執着した彼にやはりサクラは素っ気なかった。後になって思えば、些か潔癖なところのある彼女にはそもそも決まった相手のいるハーバードやグラスは最初からそういう対象にはなり得なかった。ジョンズワースの束縛癖やヤーロゥの浮気性も受け付けられなかったらしい。
 最後にちらりと見ただけのサクラの笑顔は、切ないほど鮮やかだった。己の世界に帰る喜び、感謝、そうしたきらきらした感情に満ちた笑みは、しかし彼等に向けられたものではなく。
 年若い魔法使いと、ロザリア達に向けられた真っ直ぐな笑顔は、言ってみれば致命的な一撃(クリティカルヒット)だった。自分達には決して向かなかった輝く笑顔。
 共に旅した間は、そんな表情も見ることがあった。彼等の強さを称賛し、頼りながらも自身で戦おうとする、飾り物ではいない『聖女』。そんな彼女に惹かれた理由は、それぞれで異なるのかもしれないが。
 そうして聖女の帰還の後、残された彼等に対する周囲の目は厳しかった。自分でも仕方がないことだとは思うが、それでも結構へこたれていたものだ。
 そんな彼にとりわけ母と妹は辛辣だった。二人はロザリアとも親しく仲が好かったし、特にカトレアはロザリアと親友と言っていいくらい親密だった。
 いずれも国内では頂点の貴婦人であり、それぞれの立場を弁えているからこそ、下手な友人が作れない立場でもある。お互いにそのことも承知しているからこそ、結託したとも言えるだろう。
 ハーバードや他の青年達にとって意外だったのは、彼女達がサクラともいつの間にか親しくなっていたことだ。確かに魔王封印後、カトレアは女性だけの茶話会を催してサクラを招くことが多かった。時にはロザリアが、二人をデルモベート公爵家に招いたりもしたらしい。
 普通王女だの公爵令嬢だのといった彼女達の身分から考えると、社交の一環とは言え下手な相手を招くことはできない。ただしサクラは別格だ、違う世界からこの国に舞い降りた聖女であり魔王を封印した英雄でもある。何の身分もなくとも、彼女が彼女であるというだけで王宮に住まわせられるほどだ。
 だからこそハーバードやグラスなど、名だたる貴公子が彼女を妻にと望んだわけだが、結局その全てを袖にして故郷へ還ってしまったその潔さは実にサクラらしいと言わざるを得ない。その程度にはハーバードも彼女を理解しているつもりだ。
 サクラとはまた違った意味でロザリアもたくましく強かであることも、ハーバードは長い付き合いで承知している。ほんの物心つくかどうかの頃から共に育ち、互いの性格も好みも知っている仲だ。互いを婚約者と決められてもそれに納得できるくらいに。
 同じく婚約者や恋仲だった女性達にこっぴどくフラれおまけに家族や友人からも絶縁されたという他の友人達に比べたら自分は恵まれていると思う。確かに悪いのは自分達だし、何を言われても仕方がないが。
 今までの立場を逐われた彼等に比べたら自分はマシだ。居心地の悪さだの母達の嫌みだの、胸を抉られはしても文句を言える筋合いではない。
 そしてロザリアは、淡々と落ち着いたものだ。今更ハーバードの不実を責めるでもなく拗ねるでもなく、今までの佇まいを崩さない。ちょろっと嫌みというか怨み言は言われたが、他の女性陣の冷淡さを見ていた彼にすれば甘いくらいだった。
 嫌われたわけではないと思う。如何に政略結婚で破棄出来ない繋がりとは言え、彼女が本気で嫌がるなら根回しできるだけの権力が公爵家にはある。彼女の父や兄も、その程度にはロザリアを愛している。実際、ここ最近は彼等にもねちねち言われているくらいだ。
 しかしよもや彼女が、そんなことを考えていたとはさすがにハーバードも予想外だった。自分ではない他の誰かを愛すればいいと言われても、今更彼の方が困る。
 サクラは愛していた。けれど今となってはさすがに諦めざるを得ない。
 そしてロザリアに対しては、愛しているとは言えないかもしれないが、一緒に生きていきたいと思う。それはほんの幼い時分からずっと、彼女に対して思っていたこと。家族愛と言っても間違いではなかろうが、今となってはその手を放すつもりはないし出来ないことだ。彼の立場やら責任だけの問題ではなく、ハーバード自身が彼女を手放せないと、そう思っている。
 敢えてそこは求めていないが、家柄や容姿は最上級。加えてお妃教育も完璧で外交も既に幾らかこなし、人脈も形成しつつある。そこいらの条件以上に、彼との相性、付き合いの長さが魅力的なのだ。
 今更他の女性等必要ない、目に入らない。しかしあの調子では、こちらの話をどこまで聞いてくれるものか。
 ロザリアの数少ない欠点の一つは、思い込みの強さだ。いったんこうと思い込んだ彼女に、そうではないと考えを改めさせることの難しさをハーバードも知っている。




 王国中興の祖とも呼ばれたハーバードは、王太子時代にその王家に伝わる神剣を携え、魔王の封印に尽力した英雄でもある。
 この王国の歴史に於いて魔王の封印とは数十年に一度起こる天災、世界の魔力が凝って産まれる魔王への対処法だ。王家の神剣はそのために天より賜ったと言われ、直系の王族しか扱えない。それに近衛でも群を抜く腕前のジョンズワース、王宮魔法使いのヤーロゥ、そして剣と魔法の両方を扱うグラスを同行させることでその旅路を護った。それはこの大陸随一の王国の義務でもある。
 しかし、彼以外の同行者は帰還後の動向が詳らかにされていない。公爵家の嫡男だったグラス・アンテベートは辺鄙な領地に任ぜられ社交界から姿を消した。ジョンズワース・サイザルはその為し得た功績に対して出世はたいそう遅く、そして二人とも婚姻が当時の貴族子弟としては極めて遅かった。
 それ以上に不可解なのは王宮魔法使いのヤーロゥ・ドレニゾンで、彼は他国へ修行に出ている。そして散々に女性関係をこじれさせた挙句、痴情のもつれから殺害されたという。国を出てからは自暴自棄になっていたとも、伝えられている。
 そして彼等とともに魔王を封印したこの時の聖女は、己の世界へ還ったらしい。他の聖女は殆ど王侯貴族に嫁ぎ、そしてしばしば政治的なもめ事を起こすこともあった。それに比べ、実に潔い振る舞いであったと言えよう。
 ハーバードは正妃ロザリアとの間に二男一女をもうけた。しかし婚姻後十年経ってようやく第一子が産まれるほど遅かったのだが、この時代にしては奇異なことにその間側室も持たず、かつそれがまったく咎められることがなかった。ロザリアは王妃としても申し分ない女性であったが、有能であるだけに傲慢ともいわれたハーバードも彼女を尊重し、常に気遣いを欠かさなかったという。非公式には「尻に敷かれていた」というのが定説だ。

 
サクラちゃんは自分の世界に好きな相手がいます。逆ハーどころか人の彼氏には興味なし。ハーバード達も旅の仲間、友人としての好意はあるけどそれ以上にはならなかった。

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