第十五話 巨岩爆砕
今回は難産でした。
目の前に佇む山のような巨体。熊人族の『巨岩』エウゲンが、ハッカ笹を口に咥え、すぱーっと一服しながら、じろりとレヴァンを見た。
それからなにげない口調で、口を開いた。
「獅子族の若いの、お前さん親はいるかい?」
苦み走った落ち着いた男の声である。
「いや、二人とも流行り病で神獣の庭(あの世)へ旅立った」
「そうかい、気の毒に。――なら悲しんでくれる女はいるかい?」
ふと、ずっと一緒に居た義妹と、なぜか最近知り合ったばかりの緋雪の顔が脳裏に浮かんだ。
「……いるって顔だな。悪いことは言わん、こんな見世物で命をかけるなんざ馬鹿馬鹿しい、棄権しな」
エウゲンの物言いは単刀直入だった。とはいえ、そこには相手を侮ったり、駆け引きをしようという姑息さはなく、真実そう考えての忠告であるのは明らかであった。個人的に嫌いなタイプではない。
「断ると言ったら?」
「……あとは腕ずくしかあるまい」
「やるかやないか、単純明快だな。嫌いじゃないな。そういうのは」
にやりと笑ってレヴァンは右手右足を前にして、腰を落として半身に構えた。
「……やるか」
ぺっとハッカ笹を地面に吐き捨て、エウゲンは両手を広げた構えをとった。
「ああ、やろうぜ」
それを合図に空気が張り詰め、気温まで下がったような気がした。同時に審判が開始の合図を送る。
周囲の感覚とは逆に、レヴァンはエウゲンから流れてくる物理的な圧力まで感じる殺気に、肌の表面がちりちりと焼ける気がした。
――強いな。
手合わせするまでもなくそう素直に感じる。とはいえ、レヴァンにはエウゲンに対する恐れも、巨体に対する気後れもなかった。眉間、喉、鳩尾、脇腹、股間、膝など鍛えられない急所は数多い。
はっきりいってこの巨体を相手に、真正面から冗長な殴り合いをする気は一切ない。さっさと急所に強烈な一撃を入れて、行動不能にする――一撃必殺が狙いであった。
エウゲンもそれがわかっているのだろう、うかつに飛び込んできてカウンターを合わせられるのを警戒して、自分からは動こうとはしない。いや、じわじわと動いてはいるのだが、大技で一気に決めようという心積もりはないようだ。
生まれ持った肉体を過信することなく、詰め将棋のように戦略を練り、自分の長所を生かした戦いに始終する。見た目とは違い、実に手堅い相手であった。
◆◇◆◇
『まどるっこしいですのぅ。さっさとお互いに全力でぶつかれば良いものを、非力な小物同士は余計な腹の探りあいで時間ばかりとって……』
達人同士の駆け引きを、くだらないと斬って捨てる現在、従魔合身中の空穂のぼやきに、ボクは苦笑をした。
ちなみにこうしてお忍びで見学しているようでも、足元には影移動で刻耀が待機し、頭上には日替わりで、本日は十三魔将軍筆頭の斑鳩が待機。さらに隠密活動に特化した親衛隊(……そんなものまであったの!?)隊士が常に、二人一組で周囲を警戒している。
『まあ、こういうのも玄人受けする試合でなかなか楽しいよ。勝負が一瞬で決まる、剣豪やガンマンの決闘みたいでハラハラするしね』
『左様でございますか。ところで姫、些事でございますが、この会場に何人かネズミが潜んでいるのにお気づきでありますか?』
『ああ、なんか視線は感じるねぇ。他国の間者かな』
『大部分はそのようでございますのぅ。とりあえずほとんどの者は親衛隊が捕獲してございますれば、姫はお気兼ねなく、この見世物をお楽しみいただければ――との、斑鳩からの伝言でございます』
『ふーん、捕まえた間者はちゃんと生きているの?』
この質問に対する答えが、なぜか若干、帰ってくるのが遅れたけど……まさか?
『――大丈夫でございます。七禍星獣の鬼眼大僧正・九重は、死者の尋問や拷問もできますので』
それ大丈夫じゃねえ! つーか、暗に鏖殺にしました、と言ってるようなもんだよね!?
これでまた各国でのボクの評判が、『吸血薔薇の女王』とか『鮮血の魔女帝』とか呼ばれるんだろーねぇ。
何もしてないのに何もしてないのに!!
『――おや、ようやく始まったようですの』
◆◇◆◇
最初に動いたのはレヴァンの方からだった。
受身に回っては、リーチ、重量ともに差がありすぎて圧倒される。常に先手を取らなければ勝機は見出せない。
ジリジリとお互いが接近して、爪先がエウゲンの攻撃圏内に入る寸前、レヴァンの体が疾風と化した。
神速の踏み込みから、側面に回り込み、下段蹴りで脛を刈ろうとするレヴァンに対し、巨体からは考えられない瞬発力で素早く跳躍して避け、さらに空中で左回し蹴りを放ってきた。
――やる!
相手の反応速度に舌を巻きながら、攻撃を躱し様、エウゲンの着地地点を予測して、距離を縮める。
「ふん!」
瞬間、エウゲンの両手の爪が空中で交差して、X字を描いた。
本能的に、両手両足の防具――『干将』『莫耶』で受けるも、勢いに押されて、吹き飛ばされた。
観戦していた緋雪が、「へえ、風刃だねぇ。同じスキルがあるんだ」と感心したように呟く。
吹き飛ばされたかに見えたレヴァンだが、
「はっ!」
その瞬間、掌底から発する気を『火気』に変換し、その爆発力を利用して試合場の上を滑るように移動し、超低空から着地した瞬間のエウゲンの虚を突き、その両足を刈る。
足元にスライディングキックを受けた、エウゲンの巨体が揺らぐが、まだダメージには程遠い。
密着した間合いを嫌ったエウゲンが半ば強引に押し返そうとし、その隙をついて膝蹴りで突き上げると、わずかにエウゲンの巨体が浮いた。
「ぬう」
再度、風刃を放とうとするエウゲンの懐へと、爆発したかのような勢いでもぐり込んだレヴァンが完全に密着する。
ガッ!! ほぼゼロ距離から放たれた剄を伴う突きを受けて、エウゲンの全身に衝撃が走った。
いまのをもう一発食らったらマズイ。
体内に浸透したダメージに足腰が抜けそうな感覚と、また横隔膜の痙攣とで明らかに重くなった体のキレを意識して、エウゲンは目の前のレヴァンを抱きしめるように、強引に風刃をまとい付かせた両手を振るった。
この距離では自分もダメージを負うだろうが、肉体強度からいって相手が追うダメージの方が遥かに大きいはず!
パン! 肉と肉を叩く音が響いた。
「なにぃ!?」
エウゲンが低く呻いた。必殺の両腕が自分よりも遥かに小柄で、細身のレヴァンの両掌に止められたと知ったからである。
「双剄掌!」
受け止めたレヴァンの掌から気がほとばしり、気の衝撃波がエウゲンの両手を突き抜けた。
弾かれたように跳び退ったエウゲンは構えをとろうとするが、両手は力を失ってダラリと垂れ下がったままだった。
「どうだい? まだ続けるかい?」
レヴァンの質問に苦笑いを浮かべたエウゲンは、ゆっくりと首を横に振った。
「いや、やめておこう。俺の負けだ」
一流の戦士らしい、引き際をわきまえた態度に、一瞬の間を置いて、勝者敗者ともども、賞賛の声があがった。
◆◇◆◇
感極まって試合場に登って、レヴァンに抱きついているアスミナと、迷惑そうな顔のレヴァン。そして、治療を受けながら、その光景をニヤニヤ笑って見ているエウゲン。
けっこうカオスっぽい状況から目を放して、取りあえずボクは安堵のため息をついた。
「どうにか予選の決勝戦までは進んだか。次の相手は、豹人族の勇者ダビドと蛇人族の傭兵キリルのどちらかか」
下馬評では、7対3でダビドが優勢と見られてるんだけど。
「……まあ、いちおう試合のほうも観戦しておくか」
でも、できればダビドの方に勝って欲しいかな。蛇とかトカゲとかあんまし好きじゃないし。
ちなみに蛇人族は蛇というよりも、どちらかというと直立して尻尾のない恐竜って感じの種族だった。
まあ、全身に鱗がテラテラ光ってるのと、蛇特有のあの目はどーにも生理的に受け付けられないところがあるんだよねぇ。
あ、天涯クラスの巨大怪獣になると、そういう意識はなくなるので念のため(だいたい鱗の大きさが1枚1.5mとかなると、完全に別の生き物だよね)、まあ龍人形態はぶっちゃけキモいけどさ。……怖いから言えないけど。
◆◇◆◇
そして、予選会2回戦第二試合。
勝負はほとんど一瞬で決まった。
双剣を自在に使うキリルの猛攻を受けきれずに、全身をナマスのように切り刻まれたダビドが血の海の中沈んでいた。
あれほどの傷、あれほどの大出血、どうみても致命傷なのは確かである。
呆気なくも凄惨な光景に観客も声が出ない中、勝ち名乗りもそこそこに悠々と現場から下がるキリルの目と、ボクの目が一瞬合って、明らかに面白がるような笑みがそこに浮かんだ。
こいつ……。
「あ、あのキリルって、あんなに強かったんですか……」
唖然としたアスミナと、険しい目でキリルの後ろ姿を見ているレヴァンを横目に、ボクは内心ため息をついた。
プレーヤーの両手剣士スキルだったな、あれは。
どういう小細工をしたんだか知らないけど、あれはプレーヤーだね。
で、プレーヤーが参加している以上、レヴァンの決勝進出はほぼ絶望だろうね。
「さて、どうしたもんか」
とりあえず、どうやってあのキリルに闇討ちかけようかと考えつつ、ボクは一人ごちた。
12/13 誤字修正いたしました。
×予算会→○予選会