生まれたばかりの赤ちゃんが世界を滅ぼそうとしてるんだが?
今日、最愛の妻の赤ちゃんが生まれる。
会社に連絡が入ったのがついさっきだ。
俺は受話器を置くなり、いそいで会社の上司に事情を説明。
「社長、そこをなんとか」とか言って、拝み倒して時間をつくってもらった。
わき目もふらず目的地へと走らせた車を、自分ドライバー史上最高のトップタイムを叩き出して駐車場に止め。病院の中へ走る。
息切れしながらも受付の人に妻の事を告げると。すぐに案内してくれた。
備え付けの空気清浄フィルターのある扉をくぐり病室へと入る。
そこにあった妻の姿を見て、俺は「ああ、間に合わなかったな」と思った。
部屋の外まで聞こえるんじゃないかってぐらいの、元気な赤ちゃんの声。
その子が、妻の腕に抱かれていた。
出産には間に合わなかったけれど。
今はこの世に生まれた、新たな命を喜ぼう。
俺は笑顔で妻と子供に言葉をかけた。
子供は、妻に似た可愛い子だった。
妻は、想像より遥かに早い俺の登場に驚きつつも、すぐに笑顔を浮かべて迎えてくれた。
貴方に似た可愛い赤ちゃんよ、と腕に抱いたその子を見せてくれる。
俺に似て? とんでもない、君の遺伝子だよ、この愛らしさは。
赤ちゃんの手に触ると、ぎゅうっと指を握りしめられた。
強い力だ。どこにそんな力があるのだろうと不思議に思うくらいに。
生まれてきた子供の名前は何にしようか。あらかじめ考えておいた名前の候補から、目の前の赤ちゃんにぴったりそうなものを二人で考える。
名前は大事だ。一生使う者だし、この世界に誕生した命に、一番初めにあげる贈りものだから、良く考えなくてはならない。
でもきっと、どんな名前にしようとも立派に育つだろう。
だって、僕らの子供なんだから。
「ゅ……」
赤ちゃんが、ふにゃふにゃと口を動かして何かの音を発した。
今何かを喋ろうとしただろうか?
俺は妻と顔を見合わせる。妻も聞いたようだ。
いきな喋りだしたらすごいね、と俺達は笑いあった。
ひょっとしたら天才かもよ? なんて、言いあったりして。
それが現実になろうとは、まるで思いもしなかったあの日の俺。
直後。耳を疑った。
「ぼくありゅしゅぁ、せかいほろぼ……しゅ」
生まれたばかりの赤ちゃんが世界を滅ぼそうとしてるんだが、どうすればいい?
俺は、
「ここのところ、過労気味だったからな」
聞かなかった事にした。
始めまして、こんにちは。僕の名前はアルスラ・イグネティシア・スラーン・ディレクトリ・セブンです。種族は悪魔。
この度は名もなき世界の、地球という星の、日本という世界に転生させていただきました。
前世は生まれてから七年ほど魔王の息子をやってましたが、その魔王で強いはずの父親が勇者に聖剣でぶっすり殺されてしまったので、保険にかけていた転生の魔法を使って逃げてきたのです。
どこか暗い所を通ったら、知らない女の人の腕に抱かれていました。その事にはびっくりしませんでしたが、自分の体が赤ちゃんになったことにはびっくりしてしまいました。
体が思うように動かないし、すっごい魔法を使ったせいで魔力枯渇の副作用、激痛に襲われてしまいました。その時に、まるで赤ちゃんの様にすっごく泣いてしまって、子供心ながらこれはないな、と思いました。かっこ悪い。人様に見せられません。思いっきり間近で見られてたけど。
泣き止むと、近くに男の人がいつの間にか立っていました。不覚です。魔王の息子たるもの、敵の接近には敏感にあらなければならないというのに。教育係のデュフリードに叱られてしまいます。罰に地獄窯にポイの計にされてしまいます。その時は「父様が勇者なんかに後れをとって死んじゃうのが悪いんだ」と言い訳する事にします。ごめんなさい父様。弱いのが悪いのです。この世は弱肉強食。
なれなれしくその男は僕の手を触ってきたので「後悔するがいい」ふんすっ、と指を苦しめてやりました。体は赤ちゃんだけど、結構な力が出ました。ひょっとして、素質のある凄い体を手に入れてしまったかもしれません。男は僕の力に驚いていました。いい気味です。
まいったか、ふはははは。ここポイントです。
悪の魔王は恐ろしげで威厳のある笑い方をしなければならない、今は亡き父様の教えです。
勇者にやっつけられたのは、弱者だった父様が悪いですが。一応、生みの親なので敬います。
恐れるがいい弱者ども。ふはははは。
「ぼくありゅしゅぁ、せかいほろぼ……しゅ」訳(僕アルスラ、世界滅ぼす)
七歳になりました。僕の本来の年齢に追いつきました。時の流れって早いですね。大人になると一年があっという間にすぎるというけれど、そんな感じでした(子供だけど)。
病気もしてないし、体力もあって、丈夫で健康に。立派に育ちました。
本当の両親ほどではありませんが、今の両親も敬います。うむ、苦しゅうない。立派な功績ぞ。おほほほほ……。ちょと、何かが違いうような気がします。女王様キャラと魔王キャラは違う。
さて、僕は永久に前の世界とさよならをしたわけですが、空いた時間に一人故郷を想ったりしてさみしくて泣いたりはしません。世界なんてきっとどこも似たようなものなんです。むしろ、病院から出て初めて目にしたのが、僕たち悪魔の住んでいた魔界とそんなに変わらない景色でがっかりしたくらい。
だけど、この世界は元の世界には無いものが沢山ありました。
色鮮やかで美味そうな食べ物もいっぱいあって、おもしろい遊びもいっぱいです。僕のお気に入りは車で一時間の屋内遊園地です。知る人ぞ知る有名な遊園地に、年に一回お休みの日に、両親に連れてってもらいます。夢の国はホントあった。
科学技術、というものがすごく発達して、この世界はとっても豊かなんだそうです。
玄関や窓には、病院にあるような空気清浄フィルターという機械がありますし、外に出なくても一日中遊べるように、ショッピングモールや娯楽施設、会社のビルや駅とかが全部地下道で繋がっていたりします。
見につくもの全てがすごくて、片っ端から試しているとすぐに時間がたってしまいます。
母さんは、「有栖は好奇心いっぱいのやんちゃな子ね」と、言って笑います。
父さんは、「大人になると、何気ない日々に刺激を感じられなくなるんだよな」と、羨ましそうにします。ちなみに有栖という名前は、僕が世界滅亡宣言した時の言葉を聞き間違えて、名付けてくれたようです。男なのに。
それはそうと。
そんなに遊んでばかりじゃありません、ちゃんと勉強だってしてます。学校に言って、物の数え方や字の読み方を習ったりします。そんな事して何になるんだ(デュフリードは教えてくれなかった)と、僕は初めの頃そう思ってました。お腹が満たされるわけでも、敵を倒せるわけでもないのに、って。これぞ才能の無駄遣い。なので先生に、ご飯を作る方法や強くなる方法の方が知りたいと言いました。
けれど、先生は騙されたと思って勉強してごらん、とへらへら笑って誤魔化します。勉強ができるようになれば、ご飯を美味しく作れる方法や、相手より強くなれる方法が分かるから、と言うのです。
そこまで言うのならと、僕はやってみます。
嘘つきは針千本です。先生と約束しました。破った人は「ロクデナシ!」と後ろ指さしてもいい魔法の約束術だと友達から聞きましたので。存分に活用させていただきました。 人の貴重な人生の時間を使うのです。それくらい当然です。
それから勉強をちゃんと頑張るようになって、あっという間に僕は大きくなっていきます。子供の成長は早い。
先生の言ったことは本当でした。勉強する事によって、我が家のご飯はちょとだけ美味しくなったし(調味料の使いかたを覚えた)、敵より強くなりました(害獣退治でネズミの天敵であるご近所の飼い猫さんに活躍してもらいました。学校新聞にも載った)。
先生は嘘つきじゃありませんでした。針千本も後ろ指もなしです。
さらに年月は流れて、小学校の卒業式が近くなった頃。
リビングのソファーで魔力強化の瞑想がてら、来るべきに備えて仮想敵と戦闘シミュレーションをしてる時でした。
「お前が生まれた事は大変だったなあ」と、父さんが話しかけてきたのです。邪魔です。でも邪険にできません。最近父さんは、元気がないのです。あの小さかった有栖がもう中学生に……、優秀で手のかからない子になって……とか言って、時の流れの残酷さに浸ってるからです。
「世界を滅ぼしてやるぞー、とか言ってたように聞こえたから、てっきり悪魔か魔王の子でも生まれてしまったんじゃないかと思ったよ」
父さん正解です。子供が生まれるからと張り切りすぎて、過労気味になった影響で電波な幻聴を受信してしまったせいじゃありません。(父さんはあの時のことを、そう思いこんでいるらしい。母さんは出産ストレスのせい)
「卒業式のスピーチ楽しみにしてるからな」
涙ぐみながら言わないでください。そういう事は娘を持った父親が思う事でしょう。中学校とか高校とかの卒業式が心配です。
卒業式のスピーチ。きっと両親は度肝を抜くでしょう。僕の二度目の世界滅亡宣言なのですから。きっと全ての内容を聞き終えた後は、今までの不敬を許してください! と謝り倒すに違いありません。散々子ども扱いしてくれましたし(本来の年齢を考えても未成年だけど)、弱者の分際で悪魔に指図していたのだから(教えられた内容は僕の知らない事ばかりだったけれど)。今の内に心の準備をさせておくのがせめてもの情けです。大丈夫です、命までは取りません。ボロ雑巾の様になるまで、こき使うだけです。一応育ててもらった恩がありますから。僕は寛大。
さあ、いよいよ本番の日がやって来ました。誰よりも早く登校して、最終チェックです。舞台よし、台本よし。すべてよし。
……ふと、僕は思いだしました。
前世での誕生日と今世での誕生日。
父様はその日、「ふはははは」と笑いながら、さらってきた人間を僕の前に引きずってきて、僕に殺させました。そして、これでお前も立派な一人前の悪魔として認められたな、と僕を偉そうに褒めてくれました。悪魔はそういう記念日を、試練の日として扱って己の価値を周りに知らしめるのに使います。
けれど父さんは、「ハッピーバースデー、有栖!」といいながら僕にビーズのついた髪留めのゴムを買って贈ってくれました。僕は男の子なのに。と言ったら「ええ、有栖は男の娘だからね」と母さんにも納得して押し付けられました。両親が意味不明。この世界の人間達は、この記念日を祝福の日として扱っています。僕はずっとそれが不思議でした。立派な大人ならまだしも、何の力もないただの子供までどうして祝うのかさっぱりです。二人に聞いたら、ただ「愛してるからだ」とはぐらかされるばかりで、答えがまったく分かりません。
式は滞りなく進んで、僕の出番がやってきました。出来るだけ堂々と見えるように移動、壇上に立って、集まった人間立を悪魔の魔王らしく睥睨します。
形式的な挨拶を述べて、初めの内は普通の子供がするように、親、教師への日ごろの感謝や、今までの友人たちと培った思い出話を語ったりします……、僕は父様と違っていきなり頭ごなしに「ふはははは、人間どもよ。我に服従せよ」とは言わないんです。より高い所へ上げて落とす。こういうのは演出が大事。
いよいよスピーチは佳境に入り、残すところは僕の世界滅亡宣言だけとなりました。
「今まで秘密にしていてごめんなさい。僕には一つ、他の人達とは違う所があります」
打ち合わせには無い事を言いだしたので、教師達……とくに担任の先生なんかは、おや? という顔になります。けど、構わずに続けます。スルー。
「僕はこの世界の人間ではありません。特別な力をもってここへ転生しました」
教師達だけではなく生徒たち、保護者達もざわめきだしました。狙い通り。ここで混乱している所に、一気に畳みかけて、叩き落とすのみ。自分の有利に事を運ぶ為には敵に思考する時間を与えてはいけない。先生、ありがとうございました。友達とやった放課後のドッヂボールで獲得した技術です。生涯勉強。勉強は役に立つ。
「それを今、証明します」
僕は放つ。この世界に転生して数年間、瞑想によってため込んできた魔力を。
この世界を汚染して、と。
子供とはいえ、魔王の子供、そして悪魔なのだ。
魔力は存分に膨れ上がって。今までひたすら抑え込まれていたフラストレーションを発散、爆発した。
世界が闇に包まれる。
世界が闇に満たされる。
さあ、息が出来なくて苦しみもだえるがいい。
さあ、飲み水がなくなって渇いて枯れ果てるがいい。
さあ、作物が育たなくなって、飢えて骨になるといい。
この世界に生きるすべての命達よ。絶望せよ!
僕はできるだけ酷薄に見える笑みを浮かべて、保護者席で立ちあがっている父さんと母さんに笑いかけた。
「ね、だから言った通りになったでしょ? 世界は滅びるって」
その日、一つの世界が滅亡した。
………………。
「救世主様じゃー」「うちの学校から救世主が!」「俺らのクラスメイトって、勇者の転生体だったのか!」「すげー」「私の、担当するクラスの生徒が……」
誰か教えてください。僕にはさっぱりわかりません。何でこんな事になってるんだろう。
僕は確かに、魔法を発動した。
特大の魔法だった。父様じゃあるまいし、「あ、手元がすべった!」とか言って失敗するはずはない。あれは、まぎれもない成功だった。
事実、世界を包み込んだ魔力は、大気や水源、土壌に至るまで全てを汚染していったのに。
こんな真相あんまりだ。
「空が青いぞー」「空気ってこんなに澄んでるものなのね」「水がキレイだよ」「土から直接植物が生えてる」
確かに世界は滅亡した。滅亡したのだ。
汚染されまくって、もう何十年か先には滅亡するしかなかったボロボロの世界は……。
知らなかった。
この世界は汚染されたって事。そして、汚染されてたものを再び汚染しようとしたら、一周ぐるっと回って浄化しちゃうって事。
悪魔界とよく似た、紫色の雲か浮かぶ赤い空は大気汚染で、水がドロドロしてたのは水質汚染、土が真っ黒な炭みたくパサパサしてたのは土壌汚染……。
知ってたら、長い時間をかけて貯めた貴重な魔力を使わなかったのに。
気づいたら、父さんと母さんが近くに来ていて、抱きしめられていた。
そして「勇者なんだろうが転生体だろうが、関係ない。お前は俺達の自慢の子供だ」なんて言われた。
「お前は気づいていたんだな。この世界の事。他の子供達は騙せても、天才のお前までは騙せなかった」
「未来を夢見る子供達に、未来のない世界の話をするなんて事、私たち大人には出来なかった……。あなたは優しい子ね」
まんまと騙されてましたし、優しいわけじゃありません。全て勘違いです。
それからの世界は、今までの世界とは全然違いました。
子供達は今までどおりに笑って未来に夢を見ていますが、大人たちは子供達に笑って未来の夢を尋ねる事ができています。
遊園地も屋内型施設みたいな窮屈な所じゃなくなったし、青空の下で開放感があります。食べ物も、ハウス生産じゃなくなって、生の食べ物に土や虫とかついてたりするのを洗ったり取ったりしてますし、多量に含まれていた着色料や添加物も少なくなりました。
各家庭の窓や玄関に必ずあった、大きな空気清浄フィルターも必要なくなりました。
皆が皆、平和に楽しく笑って暮らしています。
そんな世界の澄み渡った青空に向かって手を伸ばす。
その腕にはめられた髪留めのビーズが光を受けてキラリと輝いた。
こんなんじゃ僕は全然おもしろくないので言ってやりました。
「僕はあきらめてません。必ずもう一回世界を滅亡させるんですから」
大丈夫、こんなに完璧ならきっと、もっと以前の世界より滅亡させがいがある。僕は間違っていなかった。これは間違いじゃない。失敗は成功の元。
そのためにはまず。
「とりあえず、完璧な世界にするために、汚染魔法がちょっと届かなかった地球の裏側辺りをなんとかしなくちゃ」
しばらく救世主のフリをしてみるのも、やぶさかではないと結論づけました。
!めでたし!