第3話「侍女」
気がつくとすでに冬の季節は終わり告げ、太陽の日差しが心地よい春をむかえていた。王都アクアは緑に恵まれた花の都。春の息吹に誘われるように、様々な花が目覚め始めていた。桃色、薄紫、橙色、藍色…。色彩鮮やかな花が街のいたる所に見受けられる。街から遠くの平野を眺めてみれば、青々とした若葉がはるか彼方まで広がって、目の前には真新しい黄緑の絨毯がずっとずっと続いているような錯覚にとらわれる。こんなにも外は生き生きと輝いているというのに、俺の心は一向に明るくなってくれない。
父である王に反論してみても、とうとう皇女との結婚を中止することは出来なかった。
「自分の息子の幸せよりも、王は国益を優先するのか。」
王妃である母様に愚痴をこぼしてしまったことがある。どんなことがあったとしても、母様に心配はかけたくなかったのに、つい、口を滑らしてしまったのだ。どんなに頑なに結婚を拒んでも、王は首を縦に振らなかった。
「お前は結婚するのだ。いいな。」
王から発せられる言葉はこれだけ。普段から己の意見を受け入れてもらえないのに、さらに強固に閉ざされてしまい、辛かったのかもしれない。だから、こぼれてしまった。
しかし、母様から返ってきた言葉は俺にとって、本当に意外なものだった。
「アーサー、結婚しなさい。グラディス様は決して間違っていないと、私は思うの。」
俺は脳天が突き抜けるような衝撃を受けた。母様は俺と似たような気質を持つ。自由を愛し、駆け抜けるように生きているお人だ。
「貴方は、私に似て、風のような人間です。留まることが嫌いなのはわかるわ。」
「母様まで、そのようなことをおっしゃるのですか?」
母様は俺のことをよくわかっている。なのに、どうして俺を突き放すのだろうか。
「でも、私は貴方の母です。」
母様は悲しそうにほほ笑む。
「貴方の幸福を1番に願います。…アーサー、貴方だけでも幸せになってほしいの。」
俺はそれ以上返す言葉を持っていなかった。
ヴァイオレット皇女が、ついに今日、王都アクアへと辿り着いた。山脈を越え、国境を跨いだ旅路は、一か月も月日を要した。皇女は何百人にも及ぶお供を連れて、ゆっくりとゆっくりとアクロス王国へと輿入れした。お姫さまの輿入れともなれば、両国挙げての一大行事だ。これから異国へと嫁ぐお姫さまに帝国の民は祝いの言葉とともに別れをつげ、王国の民は未来の国母を歓迎し、よりよい国の繁栄を願う。
大勢のお供は、そのほとんどが外交使節としての役割を持った者ばかり。帝国の名だたる高官たちが皇女の馬車の後ろを、自らの馬車に乗ってやってきたのだ。実際にアクロス王国に住み、皇女の傍に仕えるものは数人だけである。結婚式・両国の会談が全て終わり次第、ほとんどのお供は帰路につくそうだ。
大国のお姫さまであれば、もっと使用人を王国に引きとめてもおかしくない。しかし、皇女とともに王国に残るものは、身の回りの世話をする侍女数人だけ。俺の母様でさえ、お抱えの庭師や調理師、お気に入りの芸術家に音楽家を引き連れて輿入れしたというのに。どうしてなのかはわからないが、あまり沢山の従者を連れてきて、好き勝手に宮廷内で騒がれるよりはマシかと思った。
玉座の間。玉座に座る国王夫妻の一歩後ろに、俺は立っている。汚れひとつない赤い絨毯の左右を王族や限られた家臣たちが控えている。
今日もこの謁見をサボろうと逃亡しようとしたところに、騎士団団長がご丁寧にも直々に迎えにきた。体力に自信のある俺も、国一番の団長に敵うはずもなく、この場につれてこられてしまった。最後まで抵抗してみたものの、筋肉の塊である団長にとっては、かわいい子供のじゃれつきのようだったかもしれない。そのせいで、髪も服も若干乱れていた。
「ヴァイオレット皇女殿下。先ほど王宮にお着きなられ、ただ今国王陛下、並びに王妃陛下へ到着のご挨拶にお出でなされました!」
皇女の出迎えを任されている大臣のターナーの叫び声が、扉の向こうから聞こえてきた。玉座の間の扉はとても分厚く、声を向こう側に届けるのも一苦労だろう。ターナーはいつも扉の前で声を張り上げているからか、いつのまにか枯れた声になっていた。
「お通ししろ。」
扉の両側に立っている近衛兵2人に、王は顎を動かして、扉を開くように命じた。いよいよ、俺の結婚相手が現われる。王や母様に気づかれないようにまた、ため息をついた。
ギギギッと扉の開かれる音が響く。大きすぎる扉は奥に佇んでいる少女をより一層小さく見せた。
ルフド帝国・深窓の姫君、ヴァイオレット・ルフド第六皇女。
皇女は美しかった。世にも稀な漆黒の髪は、癖一つなくまっすぐ背中まで伸びている。切れ長な目はとても知性的に見えた。
皇女は、迷いなく一直線に王のもとへと歩みを進めた。一歩、一歩、臆することなくこちらに進んでくる。小さな少女が、威厳に充ち溢れすぎている王に、恐れを抱いたと思わせるような態度はまったくみせない。下を向くこともなく、前を見据えて胸を張る。無駄な動きがない洗練された歩き方。
……王と張り合える強者は、はたして何人いるのかと、疑問に思っていたが、少女はその一人だったようだ。皇女の見た目とは似つかぬ度胸に、見守っていた王族や家臣たちも息をのんでいる。
皇女が来る前に、様々な人から皇女について耳にタコができるほど聞かされたが、総じて皆同じことを言っていた。「11歳という年齢にかかわらず、落ち着いていて教養深く気品のある方」。まったくその通りだった。
皇女の様子は王でさえも、意外に映ったに違いない。
「国王陛下、王妃陛下におかれましては、ご機嫌麗しく。お初にお目にかかります。フルド帝国、第六皇女、ヴァイオレット・ルフドにございます。」
王の前にたどり着くと、皇女はドレスの裾を広げ、深々と礼をした。
皇女の堂々とした態度ばかりが目にいっていたが、ふと気がつくと、同じ格好をした数人の女性たちが、皇女の後ろに控えていた。雰囲気から、皇女が帝国から連れてきた侍女たちだろう。彼女たちもこちらに向かって礼をしていた。
「わしが、国王のグラディス・アクロスだ。皇女よ、固い挨拶はよい。ここには王族と側近の家臣しかおらぬ。肩の力をぬかれよ。」
「ありがとうございます。」
王の許しをもらい皇女が顔をあげると、侍女たちも顔をあげた。
―――――時間が、止まった。
先に聞いていた通り、皇女の世話をする侍女は彼女たちだけなのかと考えながら、なんとなく侍女たちのほうに視線をやっていた。彼女たちが顔をあげた後、俺はその中の1人から目を離すことが出来なくなっていた。
「まぁ、まぁ!なんて可愛らしい子なんでしょう!」
王妃は口で扇子を隠すのも忘れ、嬉しそうに王に話しかけた。
「ねぇ、あなた。こんなにも可愛らしい子が娘になるなんてっ!私、嬉しいわ。」
王妃は子どものようにはしゃいでいる。
「王妃。そのように騒ぐな。皇女の前で恥ずかしい。」
「いいえ、騒ぎますわよ。私、ヴァイオレット皇女がここに来るのを本当に楽しみにしていたんですから。」
皇女の方に向き直り、王妃は体を前に乗り出して皇女に話しかける。
「ヴァイオレット皇女。私、王妃のマリアンヌですわ。『マリアンヌ』って呼んで頂戴ね?」
「わかりました、マリアンヌ様」
「声も可愛いわね。もう、どうしましょう!!ねぇ、ヴァイオレット皇女…」
王妃の暴走はいつにもまして過熱している。
「王妃、口を慎め!お前は余計なことをペラペラと。皇女とアーサーは、まだ一言も口を交わせておらんではないか!」
王は我慢ならないと大声で王妃を遮った。
「あら、いやだ。私ったら、つい。」
王妃は結婚する2人がまだ会話していないことに気づいていなかったようだ。
王は一つ咳払いをした。
「すまんな、皇女よ。こやつは口を開くと中々閉じぬ。さぁ、アーサー、皇女にご挨拶をしろ」
左後ろにいる王子に、王は話しかけた。しかし、一向に声が聞こえてこない。
「アーサー、何をしておる。挨拶せんか!」
再び、返事は返ってこない。
「こら、アーサー。ヴァイオレット皇女に失礼でしょう?」
王妃も王子のほうを振り返って声をかけるが、王子はどこか一転を見つめただただ呆然するあまり。
「アーサー!!!!」
王の怒鳴り声が玉座の間に響き渡った。突然、耳に入ってきた騒音で俺は意識を取り戻した。
「お前、わしの顔に泥を塗るつもりか…?」
眉間に何本も皺を寄せた王が、鋭い目でこちらを睨んでいた。背筋に寒気が走った。切りつけられる視線を受けながら、俺はいったい何が起こっているのか理解できない。
「緊張のあまり、固まってしまったのかしら?アーサー、そろそろ皇女に自己紹介を。」
母様が助け舟をだしてくれた。よくわからないが、自己紹介をすればいいらしい。
「…アクロス王国王子、アーサーです。よろしく。」
まだ、頭が上手く回らない。何とか考えて答えたが、一国の王子に相応しい言葉ではなかった。
「ルフド帝国皇女、ヴァイオレットにございます。まだまだ至らないところも多いと思いますが、末永く、よろしくお願いいたします。」
皇女は軽く頭をさげて、にっこりと微笑んだ。「可愛い!」という母様の声が耳の遠くでうっすらと聞こえた。きっとこの場にいる者はみな、皇女の美しい微笑みに見とれているんだろうが、俺は再び、視線があの女性へと移ってしまって、また動かなくなっている。
俺は一点をただただ終わりなく見つめていた。なぜだか、わからないが彼女から目が離せない。急に、心臓が信じられない速さで動きだした。全身が沸騰したお湯よりも熱く感じる。喉がカラカラになって、無性に水を飲みたくなった。
彼女は皇女をみているようだ。皇女の侍女なのだから当たり前だが、こちらに目線があわないだろうかと変なことを考えた。彼女の顔をみたい、彼女の視界に入りたい、彼女の名前を知りたい。――彼女に触れてみたい。わけのわからないよ欲望が次から次へと湧き上がった。
これはいったいなんなんだっっ!!! 自分でも自分がわからない錯覚に陥った。
王都の外に広がる平野のように、その答えは遥か遠い彼方にあるように思えてならなかった。
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