ここは水の楽園ウォータリア王国。
そして、この物語は王家の庭園から幕を開ける。
「……水の守護神レイアウォール」
色鮮やかな花々が植えられた王家の庭園。白い大理石で造られた噴水からは、なんとも心地良い流水音が耳に浸透してゆく。
噴水の立派な銅像の前に一人たたずみ、そう呟くのは……
ウォータリア王国第一王女 ルティア・マリアベル・ウォータリア
彼女は水色のしなやかに流れる美髪を風に靡かせながら、憂いを浮かべた表情で銅像を見上げていた。
「おぉ、やはりここでしたか姫様」
不意に、ルティアに後ろから賢そうな老人の声が掛かった。
「あらジル。私に何か用かしら」
ルティアは振り返ると、にっこりと微笑んだ。りんごのように赤い頬が彼女の可愛らしさをよく引き立てている。
「姫様の妹君、ネリエル様がたった今ご到着なさいましたぞ。とても姫様に会いたがっておられました」
ジルは深いシワを刻んだ優しげな笑みを浮かべ、ルティアの前の銅像に視線を流した。
「この国に、水の御加護があらんことを……ムーラン」
ムーラン。とは神に祈りを捧げる言葉である。
太陽の光を浴びたその銅像は、水色に神々しく煌めきを放っていた。
……水の守護神レイアウォール……
七色に輝く鱗に覆われ、長い尾鰭と水色の翼を持つヘビの姿をしているとされ、この王国の神として崇められる絶対神。
人々は古の言い伝えを信じているのだ。
――この国はレイアウォールにより創られた――
「まあ、ネリエルが? それは楽しみだわ」
ルティアは口許に手を添えてクスクスと柔らかな微笑みをもらすと、くるりと白いドレスを翻して城内に向かって歩いていった。
――ルティアの部屋――
「お姉様!」
ルティアが部屋のドアを開けるなり、ルティアよりも一回り程幼い少女が元気に駆け寄ってきた。
「あらあら。ふふっ。会えて嬉しいわ、ネリエル」
ルティアは抱きついてきた妹ネリエルの頭に手を添えると、優しく微笑んだ。
ルティアより三つ年下のネリエルは今年で十三歳。上品で落ち着いたルティアに比べればまだまだあどけないが、凛とした顔付きに精悍な雰囲気は、さすが王族といったところ。
水色の流れるようなロングヘアーでしとやかな黒の瞳のルティアとは正反対に、ネリエルは艶やかな金のショートヘアーで活発な青い瞳をしている。
性格も二人は対照的。上品な姉君とお転婆な妹君といった感じだ。
「叔母様と叔父様はお父様のところにいるの? 挨拶にいかないとね」
ルティアは活発そうにはねたネリエルの髪を触りながら言った。
ネリエルは第二王女として生を受け、今現在は離れた場所に住む国王ルシアンの従姉マリーのもとで暮らしている。
どうしても子供が出来なかった従姉夫婦が、国王に頼み込んでネリエルを養子に迎えたのだ。
「いいえお姉様。今日はわたし一人で来たのよ。叔母様も叔父様も今頃はきっとソファーで紅茶でも飲んでるわ」
「……一人でって、まさか護衛の者もつけずに来たの? 危ないわ。この辺りには――」
ネリエルの驚きの発言に、心底心配したルティアは言葉を繋ごうとしたが、それよりも早くネリエルが口を開く。
「大丈夫大丈夫。わたしは強いんだから! もし盗賊がわたしを襲おうものなら、一発でのしてあげるもの」
フフフンっと鼻歌混じりにガッツポーズをとってみせるネリエル。ルティアはそんな妹に盛大にため息を吐くのであった。
煌びやかな装飾の施された城内を抜け、二人は裏門に向かっていた。
途中ですれ違う兵士や使用人は誰も声を掛けてこない。
何故なら、二人の格好は髪を束ねて帽子を深く被り、華やかなドレスから地味な色合いの洋服、それもズボンに変わっていたからだ。つまりは変装。どこからどう見ても、今の二人は町の子どもだ。
二人は城をこっそり抜け出して、城下町にくりだすつもりなのである。
たまには息の詰まる城の生活から解放され、活き活きとした城下町で爽快な気分になりたいものだと。
普段はおしとやかなルティアも、この時ばかりはお転婆なネリエルの影響を受けてか、かなり乗り気のようだ。
「もう少しで裏門よ」
「お姉……兄さん、喋り方には気をつけなよ。そんなじゃすぐに正体がバレちまう」
「そ、そうね……そうだな。気をつけるよ」
男装に慣れている様子のネリエルとは違い、ルティアはどうにも慣れないらしい。これではかなり不自然だ。
ルティアが気を取り直して前に顔を上げた時、
「うッうん」
ネリエルが小さく咳払いをした。
何事だろうと思ったルティアの視界に飛び込んできた人物は――
(……ジルだわ)
大臣のジル。なんと、よりによって幼い頃よりよく見知ったジルと遭遇してしまうとは……
さすがのルティアもこれには心臓が跳ねた。ジル相手に果たして上手くやり過ごせるだろうか。
ルティアは帽子をさらに深く被りなおすと、顔を隠すように俯き加減になる。
しゃんと胸を張ったままのネリエルが、先にジルの横を通り過ぎようとした。
その瞬間――
「おや。あなた方は……」
突然、ジルが話掛けてきた。あろうことか顎の長い白髭を撫でながら、ズイッとルティアの顔を覗き込もうとしてきたのだ。
(バレる……!)
「俺達は運び屋の息子です。親父に付いて城に来たまでは良かったんですけど、親父とはぐれちまって」
ネリエルが低い声で言った。
「ほほう、そうでしたか。いやいや、どうやら儂の勘違いのようですな」
危機一髪。なんとかネリエルの機転の利いた対応により、ジルは納得した様子で歩いていった。
「よかった……ネリエルありがとう」
ルティアはほっと胸を撫で下ろして呟いた。すると、ネリエルはブイサインを突きだしてにっこりとはにかんだ。
「えへへ。実は来るときに城門で運び屋の親子とすれ違ったからさ」
こうして、二人は無事に裏門から抜け出して、まんまと城下町へくりだすのであった。
「うわぁ、見てみてお姉様! あそこで手品をやってるみたいよ」
「あら、本当ね」
中央広場の丸い噴水の前には人垣が出来ており、その中ではユニークな衣装に身を包み顔に化粧を施したピエロが踊っていた。
ピエロが踊りながら手品を繰り出す度に、観衆からは拍手やら歓声やらが飛び交い、広場は異様な賑わいをみせている。
興味津々な様子のネリエルは、ずいずいと人混みを押しのけて人垣の最前列へと顔をだしているようだ。
ルティアは人垣の中に入る気にはなれず、少し離れた木のベンチに腰掛けると空を見上げた。
ゆっくりと、風に流されながら白くかすれた雲が漂っている。
「こんな風に町を見たのは初めて……。城からの眺めとは、なんだかずいぶん様変わりね」
ルティアは町の景色に魅入りながら、静かに独り言をつぶやいた。
整頓されたレンガ造りの町並み。町の至る所を流れる水路からは、なんとも心地良い癒やしのせせらぎがあふれている。ルティアがふと、広場に堂々とそびえる水の守護神の石像に目を逸らした時だった。
ニャー……
小さな小さな黒い子猫が石像のすぐ真下をちょこちょこと小走りですぎていった。
「まぁ、子猫だわ」
小さな可愛らしい子猫に心を奪われたルティアは、フフっと顔を綻ばせる。
ちらりとネリエルの方を伺えば、まだ十三歳の妹はピエロに夢中のよう。すぐにこの場所に戻ってくればいい……。
ルティアはちょこちょこと駆けてゆく子猫を追って、広場から路地裏へと入っていった。
「あら……あの子ったら、どこにいったのかしら」
ルティアは口許に手を添えて、おかしいわねと辺りを見渡した。そう、子猫を追って路地裏に入ったルティアだったが。
「いなくなってしまったわ」
いつの間にか子猫の姿を見失ってしまっていた。そのかわり……
「きゃ」
よそ見をしながら歩いていたルティアは、思いっきり何かにぶつかり小さく声をあげた。
「いてェぞ小僧! なによそ見してやがんだ」
「ご、ごめんなさい!」
なんとも不運なことに、ガラの悪そうな男にぶつかってしまったのだ。慌てて頭を下げて謝るルティア。そんな彼女にさらなる悲劇がふりかかった。
頭を下げた拍子に、美しく揺らめく長い美髪が――ファサッと露わになってしまった。
「「!?」」
ルティアがはっとするのと、男が驚きの叫び声をあげたのはほぼ同時――
「ひゃっほう! こいつ王女だぜ!!」
「あっ……!」
路地裏の陰から出て来たもう一人の男に、ルティアの華奢な腕は拘束されてしまった。
(まさか盗賊……いや!)
「離して! 誰か、誰かたす――っ」
ルティアがもがいて助けを呼ぼうと声を振り絞った瞬間、男の汚くごつい手がルティアの口を塞いだ。
これでは……誰も助けにこない。口を抑える男の太く毛むくじゃらの腕には、狼の入れ墨が彫られている。この入れ墨は間違いなく、近隣を騒がす盗賊団。ルティアは恐怖に身を震わせ、思いっきり目をつむった。
――その時。
「うおっ」
「なんだ!? ……ぐっふ」
えげつない叫びともうめきともつかない声を出し、男達はその場に倒れ込んだ。
「姉さんを誘拐しようなんて、このあたしが許さないんだから!」
ネリエルだ。ネリエルは幼少の頃より、城の誰よりも武術に秀でていたのだ。ネリエルは姿勢を低く保ち、攻撃体制のまま盗賊に向けて余裕の笑みを放った。
そうしてネリエルは騒ぎを聞きつけて集まってくる盗賊達を、まるでカモシカのような素速く機敏な動きで適当にあしらうと、ルティアの手を引いて一目散に走りだす。
「さすがに数が多いわ。逃げましょ、姉さん」
「え、えぇ」
二人は細い路地裏を全速力で駆けてゆく。後ろを振り返れば、視界につくのは金の成る木を逃がすかと、必死の形相で追い立ててくる盗賊共。どいつも薄汚い顔をひきつらせ、ギラギラした眼で凄んでいる。
あんな連中に捕まってはたまらない。二人が路地裏から広場にでる角を曲がった瞬間、視界に大きな樽を抱えた運び屋が飛び込んできた。
危ない! と避ける間もなく豪快に正面衝突……。
「あたたた……大丈夫、姉さん」
「ありがとうネリエル。私は平気だけど……」
樽は無事ではなかった。見事に衝撃で裂け、中から液体が地面に漏れ広がっていく。二人は蒼白になりつつある顔を見合わせて、生唾をのんだ。樽が裂けたのが問題ではない……中身が大問題なのだ。この臭いといい、色にしても……
「なんてことだ! オ、オイルが……」
運び屋の男は一気に顔を青ざめ、腰を抜かしたようにへたりこんだ。
追い立てて来ていた盗賊達も、慌ててその場を離れだす。おびただしい量のオイルが広場を滑り、徐々に中央の人垣の傍まで迫った時だ。
タイミング悪く、なんとも芸達者なピエロが口から炎を吹いた。
おかげで炎はオイルに引火し、物凄い勢いで広場を包み炎上しだした。とてつもない大惨事。炎はあっという間に燃え盛り、すぐに下町全体が炎の海と変貌した。
「なんてことに……」
ルティアは言葉を失い、烈しく渦を巻く炎を呆然と眺めていた。否、眺めることしか、出来なかった……。
「あぁ……私のせいだわ。すべて……私が……」
泣き崩れ、ガクンと膝を地面につくルティア。震える弦のように、小さく絞りだされた言葉が、虚しく炎の渦へと飲み込まれ、かき消されてゆく。
美しかった街が、血のように朱く染まる。
――こんなの……いけない――
私は水の国の王女。民を守るのが私の役目ですもの……!
拳を握りしめてそう自身に言いきかせ、ルティアは決心した。瞳を閉じて深く息を吸うと、燃え盛る広場に走っていこうと立ち上がる。広場にはあの石像があったはずだ。
もう……神に、“水の守護神レイアウォール”に縋るしかない。
ルティアは口許を堅く結ぶと、意を決して火の海の中へと飛び込んでいった。
広場の周りを逃げ回っていた人々は、皆が混乱しきってた。ある者は逃げ惑い、ある者は狂ったように大騒ぎして泣きわめいている。
そして、誰かが切羽詰まり張り裂けんばかりの大声で叫んだ。
「ひ、姫様だ! 姫様が火の海に飛び込んだぞ――!!」
一瞬にしてその場が静まり返り、そしてすぐさま人々の悲鳴が響き渡った。誰もが信じ難い事実に顔を歪め、勇敢な男達は自国の王女を救出しようと炎に近づくが、吹き荒れる熱風と凄まじい炎に行く手を阻まれてしまう。
その場の誰もがルティアの生存を絶望した……
天を仰ぎ、神々しく胸を張って立つ石像“水の守護神レイアウォール”。
ルティアは石像の足元にひざまずき、必死の想いで祈りを捧げていた。
「お願いレイアウォール……この国を、ウォータリアをどうかお救いください!」
何度も何度もそう縋った。容赦なく身を焼く熱風になんとか耐えながら、ルティアは祈り続けた。
やがて、あまりの熱にルティアの意識は限界に達し、朦朧と視界が霞みはじめた。
(この国も……私も、もうダメかもしれないわ……)
ルティアがそう諦めかけた瞬間――
「死ぬなんて許さない。気をしっかり保ちなさい」
声がした。背後から、それはそれはよく知った人物の声が……。
「わたしが貴女を死なせはしない」
炎の中で黄金色に光輝くその人物は、にっこりと微笑んでルティアに手を差し伸べた。二人の手が、しっかりと重なる。
「……ネリエル…?」
ルティアの口から紡がれた言葉に、ルティアの手を握るネリエルはゆっくりと首を横に振る。そして、こう言った。
「わたしは水の守護神レイアウォール。最初から、本当のネリエルはここにはいない。貴女と一時の時間を過ごしたくて、私は妹君の姿を借りたのだ。これは、わたしの仮の姿……そして、これがわたしの真の姿」
ネリエルの姿をしたレイアウォールの身体をまばゆい光が包み込み、やがて……
「……なんて美しいの」
虹色に輝く皮膚,凛と聡明な金の瞳,細く長い肢体,そして、水色の立派な翼。ルティアはおもわず息をすることさえ忘れてレイアウォールの姿に魅入った。全てが、神々しく美しい。
「貴女の願いを叶えましょう」
レイアウォールはそっと瞳を閉じた。すると、レイアウォールの身体が水の結晶に変化しだし、纏う水が勢い良く宙を舞い、轟々とうねる炎を包み込んでゆく。
神秘的な水のカーテンは街一面に覆い被さり、やがてシュゥゥ……という白薄な煙と共に、街を焼いていた炎は鎮火した。
キラキラと降り注ぐ水の粒子が太陽に反射して、ウォータリアの空に綺麗な幻想空間を生んだ。
ルティアは広場の石像の前でたたずみ、まるで平和を告げるかのように降り注ぐ虹色の水の欠片を見上げた。
そして手のひらを天に向けて高く伸ばし、空を掴むように握りしめる。
「ありがとう……レイアウォール」
ルティアは爽快に澄み渡った青空を仰ぎ、ぽつりとつぶやきを漏らした。
その視線の先の空には、色鮮やかな虹の架け橋がまるで王国を見おろすように描かれていた。
その頃、本当のネリエルはというと。
「ハッツクション!」
マリーの屋敷で部屋中に豪快なくしゃみを響かせていた。そして、白いレースの天蓋のついたベッドにどかっと寝転んだまま、ズズッと鼻をすすりながら窓の外に視線を投げた。
「誰かがわたしの噂でもしてんだきっと」
そう呟いて、カバのように大きく口をあけて欠伸をするのであった。
END |