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鎮めの清き涙

作者:港瀬つかさ
 一つの世界があった。創造神によって生み出された、小さな世界。人間と呼ばれる者達と、魔性と呼ばれる者達が生きる世界。そこは、楽園とは程遠い世界だった。
 魔性は人間を喰らい、生き延びる。人間は魔性に怯え、救いを求める。それは決して相容れる事のない生き様であった。創造神が世界を生み出した時より、彼等はこうであった。他の生き方を、彼等は知らないのである。
 魔性が力を持ち始め、人間が滅びへと歩み始める。その時に創造神は、一人の赤子を使わした。後の救世主。今日マナ教の神とされる、一人の赤子。それが運命の転機であった。
 法力を持つ者達が魔性を屠る。人間と魔性の対立はより一層強くなり、世界は荒れた。やがて世界にマナ教が広がり、人々は魔性に対抗する術を覚える。けれどそれは、魔性と人間との決別を意味した。
 そして世界は、今日の形を取る。
 はたして、神はこれを望んだのか。世界を立ち去った創造神は、何を願ったのか。それはもはや、誰にも解らぬ事なのだ。人間達は魔性の殲滅を願い、魔性は人間を喰らう。ただ、それだけであった。
 それがどれほど哀しき事かを、誰も、知りはしなかった…………。







 その地は、聖都と呼ばれていた。その中の中央に当たる場所に神殿があり、その一角に、大理石で作られた塔は存在していた。その塔の屋上部分に、一人の男性が佇んでいる。白いものが混ざり始めた黄金色の髪に、慈愛に満ちた光を宿しながら、尚かつ何事にも屈しない強さを宿した青の瞳をしていた。
 彼が見詰める先には、聖都の外れに広がる小さな森があった。しかし、彼の視界に映っているのは、遠い日に短い時間を過ごした、記憶の中に存在する森である。
 そっと、彼は首から提げていた小さな宝玉に指を這わせた。深みのある真紅の宝玉は、紅玉に良く似ているが、それとはまた違う鈍い輝きを放っている。
 その宝玉は、血玉ちぎょくと呼ばれる。高い法力や魔力を持つ者達が、その生命の最期の瞬間に生み出し残すといわれる、力の象徴だ。
 持ち主が生前の力の一端を封じ込めて生み出すといわれる石で、所有者を守護する結界を持つ為、護り石として知られている。もっとも、魔力によって生み出された血玉を持つ者は少なく、彼の持つそれが、魔力によって生み出された物だと知る者は、いない。
 魔力。それを持つ者は魔性と呼ばれる人外の存在。人間の持つ力は法力でしかないのだ。そして魔性は人間に敵対する存在。その魔性の魔力によって生み出された血玉を、彼は持っていた。
 その事実を伝える事ができる相手は、少ない。それ以上に彼は、この血玉を他人に見せる事が少なかった。まるで秘めた想いを知られる事を恐れるように、或いは思い出に踏み込まれる事を拒むように、彼は血玉を、常に服の内側に仕舞い込んでしまっていた。

「いつの間にか私も、これ程に年を取ってしまった……。時が経つのは早いものだな、友よ」

 ぽつりと、彼は呟いた。話しかける相手はいない。彼が言葉を向けたのは、指で触れたままの血玉だった。無機物に意思が宿る事など有り得ない筈だが、まるで彼の言葉に応えるかのように、血玉は日差しの光を反射した。あるいはそれは、彼の目の錯覚であったのかもしれないが。
 友よ、と遠い記憶に向けて語る彼の眼差しは、多くの苦労を乗り越えた者だけが持つ、和いだ強さを持っていた。何があろうとも揺らぐ事のない強さを宿した男は、そっと目を伏せて、意識を記憶の中へと沈み込ませていく。
 遠き記憶の彼方、まだ彼が若い青年であった頃の話だ。誰に語るでなく心の内に封じた、今の彼を形成する根源ともなった頃の記憶。未だに忘れる事などできず、ふとした拍子に思い出す事があった。それはまるで戒めのようであったが、そうではなく誓いであるのだと、彼は知っていた。
 紡いだ絆の強さを、彼は知っている。たとえ誰に理解される事がなくとも、彼は知っていたのだ。もう二度と会う事の叶わない存在。彼に血玉と願いを授けた存在。その全てが、まるで昨日の事のように甦るのであった。
 彼は願いを、受け継いだのだ。既に失われてしまった存在の、友と呼ぶに相応しい程の絆を持ち得た相手の、全てを賭けた願いを彼は受け継いだ。
 あの出会いがあったからこそ自分はここにいるのだと、彼は知っていたのだ。







 かつて、この世界を生み出した神がいた。彼の神は、世界を生み出した後に生物達を生み出し、そして人間と、彼等とことごとく相反する、魔性と呼ばれる存在を、この世界に生み落としたのである。
 魔性。そう呼ばれる存在達は、人間と同じように直立二足歩行を可能とする、外見だけならば、特に違いはない種族である。唯一の違いは、魔性達の瞳は銀、紅、紫のいずれかであり、その色を人間が持つ事が出来ない、という事だろう。
 けれど、人間と魔性との間には、埋める事の出来ない溝が存在する。魔性は、人間を喰らうのだ。それは、魔性という存在が生き延びる為に当然の、ある意味人間達が水と太陽と食物を必要とするのと、同じなのである。体内の魔力を循環させる事によって生き続ける魔性にとって、魔力の循環を円滑にする為には、人間を喰らわねばならない。それは魔性という存在の生態であり、彼等自身にもどうにもできないのだ。
 魔性というものは、種族間の横ないし縦の繋がりを、あまり必要としないという、変わった性質を持っていた。人間と同じように男女の交わりによって子孫を残さねばならないが、人間よりも長命な彼等にとって、それはあまり頻繁に行われる事ではなかった。
 けれど、今という時間から考えればあまりにも遠すぎて、明確な当時の資料など残っていないだろう、ある時代の事である。一人の力ある、他の同族を明らかに越えすぎた力を持ってしまった一人の魔性が、存在した。そして彼は、その力を用いて魔性を束ね、食料ともいうべき存在である人間達を、支配しようと目論んだのである。
 その時代を、伝承は暗黒時代と伝えている。その時代に生きる人々にとっては、未来も日常も暗黒だったのであろう。何故神はこの世界に魔性を生み出したのかと、罪もない人々が声高に叫びそうになる程に。
 けれど神は、自らが生み出した人間達を、見捨てはしなかったのだ。自らの力の一部を分け与えた一人の赤子を、神は人間達に授けたのだ。その赤子の名は、マナ=キラ。後にマナ教と呼ばれる宗教の唯一神とされる事になる、未来の救世主であった。
 赤子は神の力と、人々の優しさに護られて成長していった。そしてやがて、神に与えられた力を用い、多くの人々の内側に眠る法力を目覚めさせた。法力とは一種の特殊技能の様なものであり、魔性が持つ魔力を封じる性質を持っていた。法力を用い、それによって魔力の循環を封じる。そのようにしてマナ=キラは、多くの魔性を滅ぼした。
 人間の支配を目論んだ魔性は、他の誰でもないマナ=キラの手によって討ち取られた。それを境に、魔性達は再び繋がりをなくし、個々として生きていくようになったのだ。また、マナ=キラは法力を持つ者達を集め、魔性に対抗する手段を教え、人々の平穏を護る為に自らの生涯を捧げた。
 やがて世界を生み出した神はこの世界を立ち去り、マナ=キラは必然と神の御子として、人々の敬愛と畏怖とを受けるようになっていった。その死後、多くの者達がマナ=キラの死を悲しみながら、彼の教えを忘れてはならないと、教典の形を作り始めた。それこそが、現代に伝わるマナ教の成立であった。
 現在、マナ教の頂点に君臨する教皇は、どの国にも属する事のない聖都で、多くの信徒達を導く存在である。その下に位置する司教と司祭は、各地の教会で多くの者達にマナ教の教えを示し、そのまた下に属する使徒と見習いは、マナ教徒として法力を磨くと同時に諸国を行脚し、主の教えを広めると共に、魔性を滅ぼす役目も担っていた。
 魔性が人間を喰らい、人間が魔性に怯え、そして同時に、法力を持つマナ教徒達が魔性を滅ぼす。それがこの世界の在り方となって、随分と経つ。魔性の個体数は人間に劣るが、高位の魔性は使徒や見習いでは滅ぼす事が出来ない。
 人間は魔性を滅ぼせるが、それでも簡単に出来るというわけではないのであった。






 聖都から遠く離れた所に、『闇の森』と呼ばれる森があった。魔性が住む森として知られる森でありながら、その傍らにはいくつかの村が存在していた。何故ならば、その森と反対側にそびえる鉱山から、法力を増幅する作用のある法石ほうせきが取れるからである。森の規模は小さな山と同程度であり、奥まった位置に魔性が住み着き、人間達は比較的浅い地域に道をつくり、街道としていた。
 その街道を、二人の青年が歩いていた。片方は短く切り揃えた金髪に蒼い瞳、もう片方は赤みがかった茶色の髪を丁寧になでつけ、短く切り揃えており、その双眸は漆黒だった。前者はマナ教の使徒を示す青の法衣をまとい、後者は肩当てに胸当てだけという軽鎧を身につけていた。行脚する修行中の使徒と、その護衛役である二人であった。

「しかし、何だって物好きにも森の奥に足を踏み入れようとするんだ?」
「別に物好きというわけではないさ、イーファ。怪我をした子鹿を親鹿の元へ送り届けるだけ、だろう?」
「それを、物好きと言うんだよ」

 やれやれと肩を竦めて、赤茶の髪の青年が溜め息をついた。そんな相手を見て、金髪の青年は苦笑した。彼の腕の中には、怪我をしたらしい足を包帯で巻かれた、小さな小さな子鹿がいた。
 さくさくと二人が歩く度に、踏み締められた落ち葉が小さな声をあげた。街道沿いには特殊な香草を燃やして灯された、聖火が多く並んでいる。その聖火は魔性の嫌う香りを生み出し、その結果として、幾ばくかの安全が保証されているのだ。
 だがしかし、街道から離れた奥の方へと歩いて行くにつれて、危機は迫るのだ。それを理解していながら、子鹿を親鹿の元へ届ける為だけに、青年は歩いていた。物好きと、護衛役の青年に言われたところで、文句は言えないだろう。

「それで、どうやって親鹿を見つけるつもりなんだ、マース?」
「探すまでもないみたいだ。…………お行き」

 最後の言葉は、腕の中の子鹿に向けられていた。木々の隙間から伺う様な瞳をした、一頭の雌鹿がいる。子鹿を地面に下ろしてやると、嬉しそうに母鹿の元へと、怪我をした足を引きずりながら歩いていく。そしてそのまま、母子で寄り添う様にして歩いていった。
 それを見送るマースの眼差しは、何処か羨望を宿していた。訝しげに自分を見下ろしてくるイーファに対して、マースは小さく笑った。

「俺は、親の顔を知らないからな。赤ん坊の頃から教会付属の孤児院で育ったから、親子というものに、憧れる」
「おいおい、『神の寵児』とまで言われた、数百年に一度の天才、マース様のお言葉とは思えないぞ?どれだけの人間が、お前に憧れてると思ってる?」
「好きで強い法力を持って生まれたわけでもないさ。若干二十歳で使徒になれたのは、確かに嬉しいけどな」

 本来、マナ教の使徒になる年齢は、二十代の後半から三十代にかけてである。それまでの期間は、見習いとして修行をする。マースは、その修行期間を短期間で終わらせ、異例の速度で使徒に上り詰めたのだ。使徒になりたての者達は数人で集まって行脚をする。しかし、護衛を一人連れての少数での行脚を出来る程に、マースの実力は高かったのである。
 ただし、彼は上層部の制止を振り切って、聖都を飛び出してきた口である。将来有望な使徒であるマースを、危険な行脚で失うわけにはいかない。そのように考えることが当然である。だがしかしマースはそれを拒み、幾ばくかの資金を持って聖都を抜け出したのだ。
 当初は上層部も彼を連れ戻そうと必死だったが、やがて諦めたのか、彼に行動の自由を与えた。教会上層部を納得させたのは、マースの『外の世界を知らぬままで、人の上に立てるわけがない』という言葉だった。
 彼は、自分が望まずとも、いずれ幹部に名を連ねることになるであろう事を、知っていた。そして、そうなるのならば、せめて名ばかりの幹部になるのではなく、多くを知っておきたいと願ったのだ。
 イーファとは、マースが前回立ち寄った村で知り合い、次の目的地までの護衛を頼んだ間柄である。それなりの報酬と引き換えに護衛として彼を雇ったのは、マースが自分の武芸の腕前を熟知しているからだ。彼の腕前は決して悪くはないが、本職の者達には劣る。行脚で危険なのは、何も魔性だけではない。獰猛な肉食獣達も、彼等の行く手を阻む敵になる。だからこそ使徒達は、護衛を連れて行脚するのである。
 不意に、二人は弾かれたように、視線を森の木々の合間へと向けた。視線の先に、感情を宿さぬ瞳をした、一人の青年がいた。上から下まで黒づくめの詰め襟の衣装をまとい、風に踊らされているマントの裏地だけが鮮血色だった。背を流れる白銀の長髪に、人間では持てるわけのない、鮮やかすぎる紫色の双眸。疑う余地もなく、そこにいたのは、美貌の青年魔性であった。

「マース、下がれ」
「相手が魔性ならば俺の役目だ」

 静かだが、確固たる意志を持って告げたマースの視界で、魔性は、彼等の予測しない行動を取った。まるで彼等に興味などなさそうに、ふいと視線を逸らし、そのままきびすを返して立ち去ったのである。残された二人は、ただ呆然としていた。
 魔性が、人間を見逃す。そんな事があるわけがなかった。また、マナ教の聖職者達が魔性と戦わずして立ち去るという事も。けれど実際問題として、白銀の髪の魔性は立ち去り、マースとイーファだけがその場に残されていたのだった。




 白銀の髪の魔性と遭遇した日から、既に三日程が経過している。イーファは次の仕事をさっさと決めたのか、村を立ち去っていった。村の教会施設に身を寄せているマースは、この地を立ち去る決心が出来ないままに、村人達との交流を深めていた。

「使徒様、この草は薬草になるの?」
「しっかりと揉んで貼り付けておけば、腫れを鎮める事が出来る草だよ」
「使徒様、これは?」
「それは熱冷ましだね」

 子供達に囲まれながら、マースは教会の片隅にある薬草畑の一角に座っていた。まだ幼い子供達に問いかけられ、優しく質問に答えるマースの姿を、穏やかな眼差しで見詰める司祭の姿がある。この村の司祭は法力のある人間で、けれどあえて魔性を刺激する事を望まない穏やかな人だった。
 自分を見詰める司祭の視線に気付いて、マースは軽く頭を下げた。優しい人だ、と彼は思う。けれど、だからこそ不思議でたまらないのだ。『闇の森』には魔性が住んでいる。そしてマースはその魔性を間近で見たのだ。それなのに彼は、その事実を、この信頼に値する司祭に告げてはいなかった。何故か、告げるのをためらってしまったのだ。
 それは、あの魔性の青年が、何もせずに立ち去ってしまった所為なのだろう。魔性は全て人間の敵であり、滅ぼすべき存在である。そのように教えられ、信じてきたマースにとって、あの魔性の行動は理解不能だった。
 子供達が昼食の為に帰宅するのを見送った後、マースは与えられた部屋へと戻っていった。部屋の中で、彼はただ沈黙している。喉の奥に魚の小骨がつっかえたような違和感だけが、彼の内側に燻っていた。
 何故、あの魔性は彼を見逃したのか。何故、あの魔性は何もせずに立ち去ったのか。魔性ではないマースに解るわけがない事であったが、同時に、あの魔性は、魔性の中にあっても異端なのではないかと、彼は思った。
 このままではいけないと、彼はもう一度『闇の森』へと足を運ぶ事に決めた。昼尚薄暗い森を歩く為に、カンテラに聖火を灯して、森の入り口へと怪しまれないようにゆっくりと歩き出した。途中で擦れ違う村人達に、マースは内心を悟られないように笑顔で挨拶をした。
 そして森の中を歩く内に、彼は背後に気配を感じた。内心の動揺と焦りを押し隠したままで振り返ったマースの視界には、感情を読ませない双眸をした、彼の青年魔性がいた。風に揺れる白銀の髪と、色の白い肌と、鮮やかすぎる紫の双眸とが、マースの眼差しの先にあった。

「……先日の人間か」
「何故あの時、立ち去った。お前は魔性で、俺は使徒だというのに」
「理由を問うてどうする? 魔性である我を討つ理由が欲しいのか、使徒よ」

 その口調はひどく静かだった。苛立ちすら感じながら、マースは違うと答えた。滅ぼす理由が欲しいのではなかった。ただ、純粋に知りたいと、彼は思ったのだ。この魔性が自分の前から何もせずに立ち去った、その理由が知りたいと。
 彼自身、その感情に困惑していた。だからこそ、明確に説明する事が出来ない。言葉を満足に操れない自分に苛立ちながら、マースは再び口を開こうとした。けれどそんな彼の目の前で、魔性は小さく笑った。

「変わった使徒だな。我等魔性とて、意味無く人を喰らうわけではない。そういえば、理解できようか?」
「…………そんな理由が、信じられるか……」
「信じる信じないはお前の自由だ」

 そう告げると、白銀の魔性は興味を失ったかのように、マースから視線を外した。立ち去ろうとしたその背中に、マースは思わず、声をかけていた。待てと呼びかける声に振り返った魔性の表情は、暖かみを宿し、ひどく人間めいていた。

「……使徒よ、名は?」
「……マース」
「真実が常に一つであると信じるのは愚かな事だ。何が正しいのか、己の目で確かめるが良かろう」

 そしてそのまま、魔性の青年は森の木々の中へと歩き去っていった。かけられた言葉の異質性に呆然としていたマースは、ただ、その背中を見送るだけだった。そんな彼の耳に最後に聞こえたのは、穏やかにすら聞こえる魔性の言葉だった。

——……我が名はアグニという。気が向いたのならば覚えておけ。





 アグニと名乗った白銀の髪の魔性の姿を、マースは連日捜していた。そして面白い事に、毎日毎日青年が諦めかけた頃に魔性は姿を現した。また来たのかと呆れたように告げる言葉に、悪いかと減らず口で返すのも日課になってしまっている。
 何度か言葉を交わす内に、マースは、アグニがやはり普通の魔性とは異なっている事を知った。魔性の青年は、不思議な事に人間と魔性の共存というモノを何処かで求めていたのだ。何故と問いかけたマースに向けて魔性が告げたのは、ただ一言だけだった。


「我はマナ=キラを知っていた」


 正確には、現在の彼が、アグニという存在が知っていたわけではない。この世界では、力在る者、即ち高い法力もしくは魔力を持つ者達だけが、魂に輪廻の力を持っている。その中で僅かの確率で、前世の記憶を持ち得る者がいた。アグニは、その数少ない存在だったのだ。

「……何故、魔性のお前が我等の神を知っている」
「かつて、遠い時代、確かに我はマナ=キラと言葉を交わした。彼の存在は、ただ一つの願いを語った。即ち、人間と、魔性の共存を」
「…………ッ、そんな事が、有り得るわけがない!我等の神が、救世主が、何故敵である魔性との共存を、望むのだ!」

 それまで信じていた世界が揺らぐ気がして、マースは思わず叫んでいた。彼が教えられてきたもの、信じてきたものが、全て壊れてしまう。そんなマースを見詰め、アグニは微かな笑みを漏らした。魔性は青年の反応を、予測していたのだ。
 けれど、魔性の青年は真実だけを語ったのだ。アグニがその事実を告げた存在は、過去に数える程。共存を願い、魔性の青年がその意志を伝え続けた多くの同胞達の中の、ほんの一握りの者達だけに、それを伝えた。
 魔性が人を喰らう。それは彼等の性であり、どうする事も出来ないのだ。人を喰らわなければ生きていけない魔性にとって、どうして人間と共存するという考えが生まれるだろう。数多くの同胞達が、そう言ってアグニの意見を一蹴した。
 極稀に、理解を示した同胞達もいた。けれど彼等の多くは消極的で、同意は示したものの、改善の為に動こうとはしなかった。同じ世界の中で生きるもの、それも知能を宿したものである人間と魔性が、何時までも争い続けていてはいけない。そのように考える魔性達も、確かにいる事にはいたのだ。

——人間を喰らわねば生きていけない。その性をどうにかしない限り、魔性と人間の共存は有り得ない。

 かつて、そのようにアグニに告げた魔性がいた。その言葉が尤もだと知りながら、アグニには、その解決策が見つからなかった。人間は彼等に怯え、魔性である青年の言葉に耳を傾けはしなかった。それ故に、彼に何故人間でなければ、彼等魔性の生命を繋ぐ役が担えないのかという理由を、確かめる事は出来なかったのだ。

「マナ=キラは告げた。全てはこの世界に創造神が生み出した生命であり、種であると。それ故に、同じ生命として、共存する手はないのか、と」
「…………出来るわけが、無い。魔性が人間を喰らい続ける以上、人間は、魔性に怯え、滅ぼそうとする」
「そうだ。だからこそ、人間の力が必要なのだ。魔性である我の力だけでは、何も叶わぬ」
「……それを、俺に言うな……」

 天才と呼ばれていながら、自分がまだまだ無力な若輩者である事をマースは知っていた。だからこその言葉だったが、それすら予測していたのか、魔性はただ笑うだけだった。一歩を踏み出さねば何も始まらないと、静かな口調で魔性は告げた。
 その言葉に、マースは顔を上げた。この奇妙な価値観を持った魔性に、彼は心を許していた。その事実に、気付いてしまったのだ。けれど、彼の内側にはやはり、長年教え込まれてきたマナ教の教えが眠っている。その教えが、魔性の青年の言葉を拒絶し、マースの中で異なる二つの感情を生み出していた。
 そしてその日もまた、マースは陽が落ちる少し前に村へと戻った。手にした籠には茸や香草が入っており、彼はそれらを取りに行く為と称して森の中へ足を踏み入れていた。籠の中身を飯炊きの女性に渡すと、マースは礼拝堂へと足を運んだ。
 彼の信じる神の姿を模した像が、優しげな眼差しをしてマースを見下ろしていた。跪き、胸の前で指を組んで、マースは祈りを捧げる。既にそれは習慣として彼の中に刻まれている行為だった。内側にくすぶる違和感を押し止めながら、彼はただ静かに祈りを捧げた。

「マース使徒」

 呼びかける声がして、マースはゆっくりと立ち上がり、振り返った。穏やかな微笑みを浮かべた司祭が、マースを見詰めていた。その瞳が若干の硬質さを帯びている事に気付いて、マースはある程度の予測を立てた。
 おそらくは、マースの行動に対する不審。連日『闇の森』へと足を運ぶ、使徒への疑念が浮かんだのだろう。香草や茸を持ち帰っているとはいえ、本来彼にそのような役目は与えられていない。

「お祈りご苦労様です。ところで、連日森へ行かれているようですが、何故でしょうか?」
「茸や香草を取りに行っております。そのように言付けておいた筈ですが」
「ですが、随分と長い時間、森の中にいらっしゃるようですが?」
「…………実は、この村へ訪れる前に、子鹿を助けたのです。怪我をしていたようで、その経過が気になって、連日姿を探していたのです」

 ご心配をおかけしたのでしたら申し訳ありませんと、マースは文句のつけようのない程柔らかな笑みを浮かべて、司祭に向けて頭を下げた。その言葉に、そうですかと、司祭が微笑んだ。完全に信じ切ってはいないだろうが、とりあえずは追求を逃れる事ができた。そのように、マースは感じた。
 事実、司祭はそれ以上何も言わず、マースを残して礼拝堂を出て行った。その姿が扉の向こうに消えてから、マースは身体の横で握りしめていた掌をゆっくりと解いた。いつの間にか強張ってしまった掌には、じっとりと汗が滲んでいた。
 これ以上は、危険だ。そう解っていながらマースは、やはり明日もアグニの元へ赴くのだろうと、思った。純粋な好奇心というだけでは終わらない、何か強い感情に流されて、彼は魔性の青年の言葉を求めていた。あの魔性は、彼の知らない過去の事実を知りすぎている。だからこそ彼は、いずれ自分が何かを成す為に、その知識を得たいと願ったのだ。
 マナ=キラが望んだもの。それが魔性の殲滅ではなく、人間の平等だけではなく、魔性と人間の共存であったという事実。未だ完全に信じたわけではないにせよ、マースは、それが事実なのだろうと、漠然と思うようになっていた。

「……俺は、どうすればいい……?」

 答えが返るわけがないと解りながら、マースはそう呟くしかなかった。ぐしゃりと、前髪を掌でかき混ぜるようにして乱す。苛立ちと焦燥と動揺とが綯い交ぜになり、マースの内側の感情を翻弄していた。
 救世主の願いを知ってしまった、マース。けれど彼は一介の使徒であり、またその情報をもたらしたのは、人間の天敵である魔性の青年だった。誰に告げたところで信じてなどもらえないだろう。それが解っていたからこそ、マースは、言い様のない焦りに支配されたまま、ただ、小さく呟くだけだった。





 魔性であるアグニと、人間であるマース。異なる種族であり、天敵であるはずの二人が過ごす時間は、ひどく幸福なものだった。アグニはマースに問われた事に対して、持ちうる全ての知識を導引して答えを与えた。マースもまた、アグニから語られる事を必死に自らの内側に取り込んだ。 やがて話は人間と魔性の共存の実現へと形を向け、けれど決まって、それが不可能に近い程難解であるという所で話が終わる。それでも彼等は、そうして言葉を交わす時間が幸福であると、知っていた。
 いつの間にか異なる種族の二人の間に、友情が芽生えていたのだ。個としてならば、解り合える可能性がある。そのように、マースは思うようになった。それを全体としてまで浸透させる事が出来れば、あるいは、両者の共存は実現するのではないか。
 けれど、彼等の静かな時間は、長くは続かなかった。マースがアグニの元へと足を運ぶようになってから、一週間程が過ぎた頃だった。『闇の森』へと行こうとしていたマースは、到着したばかりの司教を含むマナ教徒の人間達に出会った。
 何の為に彼等がこの地へ足を運んだのかを、マースは悟っていた。自分に逢う為だと、彼は知っていたのだ。片手に籠を、片手にカンテラを。そんな彼の出で立ちは、どう見たところで森へ向かうと解る格好である。
 冷ややかに、司教がマースを見詰めていた。その周囲に控える数人の司祭と使徒達も、異端を見詰める眼差しでマースを見ていた。異端者として刑をくだされるのかと、マースは唇の端を噛み締めた。
 もしも、自分がいなくなったのならば、誰があの魔性の言葉を伝えるのだろうか。不意に脳裏を掠めたその考えに、マースは身体の脇でカンテラを握る掌に、知らず知らず力を込めてしまっていた。アグニという魔性の言葉を、真っ向から信じるマナ教徒が、一体何人いるだろうか。それでは、踏み出したはずの一歩は、既に崖を踏んでいるようなものだと、彼は思った。
 視界の端を掠めたのは、閃光だった。そう勘違いしてしまうような勢いの、銃弾だったのだ。既に判決は下されているのか。動揺しながらも平静を保ちながら、マースはそう理解した。
 『神の寵児』と呼ばれたマースに、教会は既に烙印を押したのかもしれない。目の前の司教達が強硬派であるのか、それとも教会全体の意志なのか。それが解らないながらも、自分が危険な立場に立たされている事を、マースは悟っていた。
 威嚇射撃ではなく、本格的に猟銃を構える姿があった。こんな所で殺されて終わるのかと、歯を噛み締めながら彼は悔やんだ。まだ、何もしていないではないか、と。ようやっと、少しずつだが解決策の糸口が見つかり始めたというのに、と。言えるわけがない言葉を、マースは喉の奥に押さえ込んだ。

「いきなり発砲する奴があるか! 村人に当たったりしたらどうする!」
「……?」

 聞こえてきた罵声が、耳に馴染みのある声だという事にマースは気付いた。護衛の集団の中から歩み出てきたのは、マースの見知った青年だった。赤茶の髪の青年は、片手をあげて苦笑したまま、マースを見ていた。

「……イーファ……」
「元気そうだな、マース。……何か、大変な事になっているみたいだが」
「どうして、お前が……」
「護衛に雇われたのさ。俺はこの村から旅商人を護衛した人間だからな」

 道案内もかねて雇われたのだろう。そのように考えながら、マースは溜め息をついた。武器を構える護衛の一団を牽制してくれているイーファを見て、一つの考えが浮かんだ。それは或いは彼に対する裏切りかもしれないが、それ以外の方法を、マースは見つけられなかったのだ。
 頭上に向けて、腕に下げていた籠を、彼は放り投げた。軽く円状の軌跡を描いた籠の行方を、その場にいた者達が見詰めていた。その隙をつくようにして、マースは走り出す。捕まえようとして伸ばされた腕を叩くようにして振り払い、彼はそのまま『闇の森』の中へと駆け込んでいた。
 追いかけてくる足音と、幾つもの罵声が聞こえる。特に歩きにくそうな場所ばかりを選んで走り、マースはアグニの姿を探していた。選んだ道は、裏切りへと繋がっているのかもしれないと思いながら、それでも彼は、走らざるを得なかったのだ。
 がさりと木の枝が音を立て、頭上からおりてきた魔性の姿にマースは息を吐いた。常と同じ、何処までも落ち着いた様子のアグニを見て、少しだけ青年は、安堵のため息を漏らした。けれどその表情が、すぐに泣きそうに歪んだ。

「……何かあったのか?」
「…………お前には、悪いと思う。だが、俺は……」

 その先の言葉が、言えなかった。マースの肩が震え、声が言葉にならないままに掠れた息と化す。これから先を思えば、この決断が最も有効なのだとマースは理解していた。だが、それがあまりにも身勝手な決断である事も、彼は承知していたのだ。
 不意に、マースの目の前でアグニが笑みを浮かべた。伸ばされた掌が、軽くマースの頭を撫でた。呆然と見上げたマースに向けて、魔性はやはり笑みを浮かべていた。

「後の事をお前に託すのは逃げるようだが、我が生き残るよりは、お前が生き残った方が、より確実だろう」
「……ッ、アグニ、俺は……」
「もう少し待て。奴らが来てからの方が良かろう」
「…………すま、ない……」

 許してくれと、マースは泣きそうな声で呟いた。それは、自分の愚かさと、人間という存在の醜悪さに対しての謝罪だった。けれど魔性の青年は、やはり笑みを浮かべたままで頭を振った。
 愚かというのならば、このように生きていかなければならない魔性と人間とを、同じ世界に生み出した創造神が最も愚かなのだ。言葉にせずに眼差しだけでそう語った魔性を見て、青年は唇を噛み締めた。泣いてはならないと、彼は知っていたのだ。
 足音が近づいてくる。静かな瞳をした魔性が、彼を促していた。やれと、いっそ惨いまでの穏やかさを宿して、魔性は告げる。すまないと、震える声で呟いた後に、マースは小さく祝詞を口に乗せた。
 既に、何度口にしたのか解らない、神への祈り。精神統一をするにつれて、マースの内に眠る法力が目覚め始める。掌を包む淡い光を見詰めて、マースはゆっくりと、アグニに向けて掌を伸ばした。
 触れた掌から、アグニの体温が伝わってくる。その端整な顔立ちが歪み、苦痛を耐えるように息を呑む魔性を見て、マースはそれでも、目を逸らそうとはしなかった。自分の成す事全てを、彼はしっかりと見届けねばならないのだから。
 ぐらりと、アグニの身体が崩れた。その身体を受け止め、肩に乗せられた頭の重みにマースは生命の重さを感じる。法力によって体内の魔力の循環を止められた魔性には、死が訪れる。アグニもまた、その運命から逃れる事は出来ないのだ。
 マースは、アグニの背に回した腕に力を込めた。嗚咽が喉を突き始めて、けれど彼はそれを必死に押さえ込んだ。足音と、自分の名前を呼ぶ声が近くなっていた。その事実が、マースに哀しみを封じるように促していた。

「……もしも、魔性の力が必要、ならば……、北の山に住む、フレアという、女魔性を、頼るといい……」
「……フレア?」
「かつて、我が思想に同意を示した、数少ない、魔性、だ……」

 解ったと、マースは震える声で頷いた。その言葉に安堵したように、アグニはそっと目を伏せた。地面に崩れ落ちたアグニの傍らに、マースは膝をつく。膝頭に湿った土の感触を感じたが、そんなものは気にはならなかった。
 アグニは目を伏せ、既に残り少なくなっていた生命力を右手に込めた。何をするのかと見ているマースの目の前で、それは生み出された。鮮やかな紅色のその宝玉が、血玉と呼ばれる物だとマースは知っていた。それを手渡されて彼は、泣き出しそうな瞳でアグニを見た。
 マースは、死を、これ程身近に感じた事は今までなかった。多くの魔性達を滅ぼしておきながら、それはあまりにも遠いものだった。けれど今、死という遠いはずのものが、あまりにも身近に彼の傍らにあった。
 ましてや、アグニの生命を奪ったのは自分である。それが最善の方法であると解っていながら、知識を授けてくれた相手を自らの手で殺してしまうとは。己の愚かさに、どれほど怒りをぶつけても嘆きの感情は収まらなかった。

「……頼むぞ、マース。世界を……、魔性と、人間との共存を……」
「俺はお前に誓う。必ず、どれほどの時間がかかったとしても、お前の願いを、俺の願いを、我等が神の願いを、叶えてみせる」

 真っ直ぐな瞳をして、マースはそう告げた。その彼を見て、アグニは満足そうに微笑んだ。その笑みがあまりにも優しすぎた事に、マースはまたしても、己の愚かさを呪った。未熟すぎる己の、無力さを。
 アグニと、再び名前を呼ぼうとしたその前に、魔性の身体は灰へと変わっていった。魔性は死ぬと灰へと変わり、その灰は大気へと溶け込むのだと、マースは確かに知っていた。けれどこの時彼は、大切な友の遺骸を弔う事すら出来ないのかと、哀しみにくれていた。
 灰と化した魔性の青年に触れているマースの背後に、ゆっくりと歩み寄る気配があった。それに気付いていた青年は、慌てずに、静かな表情で立ち上がり、振り返った。その掌の内側には、隠すようにして握りしめられている血玉があった。そして彼は、微笑みさえ浮かべて、告げたのだ。

「我等が親たる唯一神の名の下に、彼の魔性は眠りにつきました、司教殿」
「……どういう事ですかな?」
「この魔性は力のある存在でした。未だ未熟な私では、正面から滅ぼすことは不可能です。異端である証のように情を持っているようでしたので、それを利用させて頂きました」
「……では、貴方はやはり、我等の仲間なのですね?」

 確認するような声が、マースの耳に響いた。一瞬嘲笑めいたものを浮かべかけて、彼はすぐに穏やかな微笑みを浮かべてみせた。それは、相手の警戒心を奪う為の、それだけの為に作った笑顔だった。

「はい、司教殿。この世界に神の願った世界を築き上げる為、微力ながら尽力を惜しまぬつもりでございます」

 マースの言葉に、先程まで冷淡な瞳を向けていた司教が、微笑みを浮かべた。事実がどうであれ、マースが魔性を滅ぼして彼等の元へ戻ってきた。それだけを認識することに決めたのだろうと、マースは思った。
 戻りましょうと、親しげに司祭が彼に腕を差し伸べてくる。その腕を取る瞬間、不意に胸に痛みが込み上げたが、マースは意識してそれを顔には出さなかった。まだ、全てを告げるには早すぎるのだという事を、彼はよく知っていたのだ。

「……マース?」
「世話をかけたな、イーファ。俺は大丈夫だ」

 穏やかな微笑みを浮かべたマースを見て、イーファは安堵したようだった。やはりこの青年も、人間であるが故の当然として、魔性を憎んでいるのだ。その事実をマースは再確認した。人間も、魔性も、どちらの心も開かせねばならないのだと、願いの難しさを、彼は痛感した。
 それでもマースは、造り上げてみせようと、誓うのだ。彼に真実を教えてくれた魔性の青年の為にも。そして、かつて魔性にその願いを語ったという、あまりにも遠い、唯一神として崇める、彼等の神の為にも。
 燃える炎の強さが宿ったマースの瞳の真意を知る者は、誰一人としていなかった。






 あの頃の事を思い出すだけで、男の胸の奥は僅かに痛みを訴えた。あれから数十年という時間が流れた筈だというのに、彼の中の痛みはまだ消えない。当人が不思議に思う程に。
 彼等が共に過ごした時間は、あまりにも短かった。けれどその短すぎた時間で、魔性の青年はありとあらゆる事を彼に教えてくれた。あの出会いがあったからこそ男は今、マナ教徒の頂点に立っている。教皇という名をもって。
 教皇になって後、彼が進めたのは、魔性の生態に人間がどのような作用を及ぼすかだった。それを解明できれば、あるいは人間を喰らわずとも、魔性が生き延びる術があるのではないかと彼は考えたのだ。
 そして数年前に、一つの解決策が見つかった。魔石ませきと呼ばれる、法石と対になる、法力を無効化する作用を秘めた石が、魔性の体内で人間の細胞と同じ効果を及ぼす事が解ったのだ。魔石が魔性の魔力の循環を円滑にし、人間を喰らわずとも、同じだけの効果を得られる事が解ったのだ。
 不意に、男は背後に人の気配を感じた。けれどそれが付き合いの長い相手だと気付くと、警戒を解き、ゆっくりと振り返った。その顔に浮かぶのは、静かで穏やかな微笑だった。

「こんな所におられたのですか、教皇様」
「……何か変わった事でもあったか?」
「東の鉱山の奥で、魔石が見つかったそうです。発掘隊と調査隊を派遣したいと、司教達が言っておりますが?」

 如何致しましょうかと、問いかける壮年の男がいた。赤みがかった茶色の髪には、男同様白いものが混ざっている。しかし、その深い漆黒の双眸は、何処までも生命力に満ち溢れていた。
 長い付き合いになる護衛役に向けて、教皇は笑みを浮かべた。すぐに行くと、彼は穏やかな声で告げる。解りましたと頭を下げて、男は立ち去っていった。彼は教皇の望みを知っていた。教皇は今、一人で、遠い記憶の中の存在へと思いを馳せている。その邪魔をしてはいけないのだと、付き合いの長さ故に男は知っていたのだ。
 少しずつ、人間と魔性の共存の道への歩みは進んでいた。魔性が人間を喰らわずとも生きていけるという事実が、徐々に世界に浸透し始めている。また、フレアという名の女魔性の協力によって、魔性達も人間を喰らわず、魔石を喰らう者が増えてきた。本当に、少しずつではあったが、全ては進んでいた。
 けれど、まだ、共存にまでは至らない。長きにわたって根付いてしまった両種族の間のしこりは、そうそう簡単には取り除かれないのだ。だがしかし、取り除かねばならないのだと、男は知っていた。
 人間と魔性の共存。それが達成されるのはまだまだ先だろう。けれど、彼は自分がその礎にならねばならない事を知っていた。それが、彼に未来を託した魔性の願いだった。そして、その魔性と過ごした時間に彼が抱いた、彼自身の願いでもあったのだ。

「……必ず、成し遂げてみせよう」

 そうささやいた彼の頬を、一筋の涙が伝った。その涙は血玉に触れると、まるで役目を終えたかのように、流れて消えた。

FIN
 ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。稚拙な文章で申し訳ありませんが、少しでも何かを感じて頂ければ幸いです。この作品は、2004年の文芸部の部誌に書かせて頂いた作品です。その為、他の作品よりは随分と出来がマシだと思われます。(良いとはいえませんが)何故ならばこの作品は、多くの方に批評をして頂いたからです。
 自分では解らない説明不足な点。読みづらい文章の指摘。内容的に不足している部分の指摘。また、感想などの様々な意見を頂きました。その意見を参考にして書き上げたのが、この作品です。
 一部原稿に無かった文章が加わっていたりしますが、稚拙な文章なりにこれで纏まったと思っております。マース、アグニ、イーファ……。当初の予定ではマースとアグニだけであり、イーファの存在はありませんでした。それでも、現在作中に登場するキャラクター達は、皆愛すべき我が子であるとひしひしと感じております。誰か一人欠けてもこの話は成立しないのだと、今ならば解ります。
 それでは、これからもお付き合いくださいますと嬉しい限りです。このような未熟な話をお読みくださり、本当にありがとうございました。

港瀬つかさ 拝

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