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第5章 不殺の剣アスタリオン

 シンクノアは、王城にいくつもある塔のひとつから、青く透きとおるサフィ二ア海を遠く眺めやっていた。

 サフィ二ア海の美しさは、多くの吟遊詩人が歌に歌っているとおり、いつまで見ていても飽きないものだったが、シンクノアは自分が王子の<客人>として与えられた部屋を見返し、その片隅にある自分が所有する剣――その名を不殺の剣、アスタリオンという――を手にとると、複雑な物思いに囚われる。

(こんな時にはセンル、あんたに友として話を聞いてもらいたかったんだがな……)

 シンクノアのミガレント王宮内における今の待遇というのは、下にも置かれぬ厚待遇だったといっていいだろう。社会の底辺を這いずりまわり、多くの人間から軽蔑の眼差しでもって迎えられた頃のことが、今では何十年も昔のことであったように錯覚しそうなほどだ。

 ディアトレドのことは、シンクノアが騎乗してミガレント王宮内まで連れてきていたが――彼もまた、質のいい干し草や燕麦などに囲まれて、今ごろ満足気にげっぷでもしているに違いない。

(最初に会った時には、痩せっぽちの、どうということもないお馬さんだったんだがな)

 ミュシアが長くディアトレドに乗っているうちに、彼は一角獣化が進み、今では以前の姿が想像できないくらい、毛並みが艶々として、瞳が輝いていた。いずれディアトレドの角が完全に生えきった時には、どれほど美しい姿となるのか、シンクノアにも想像がつかないほどである。

「あの子が<姫巫女>だからどーだっていうことじゃなく……ミュシアにはもしかしたら、まわりの人間を幸せにする力があるのかもしれないな」

 繻子張りの柔らかいソファに腰掛けたまま、シンクノアは大きく伸びをし、そんなことを呟く。故郷のイツァーク村を出てからの、これまでの長い旅の過程の間、彼はずっとひとりだった。だが、これまでの五か月ほどの期間――ミュシアやセンルと旅をしているうちに、自分で思っていた以上に、彼らに対して情が移ってしまったらしい。

「俺って意外に、寂しがり屋さんだったのかもな」

 またしてもつい、独り言を呟いてしまい、シンクノアは苦笑する。

 シンクノアに今与えられている、王城内の一室は、国の賓客のために使われる客間で、<貴人の間>と呼ばれている場所だった。大理石が惜しみなくふんだんに使われ、精緻な幾何学模様を編みこんだ絨毯が床を彩っている。暖炉の上には高価なリムレア焼きの陶器が並べられ、コンソールの上に飾られた壺も、もしシンクノアが割ったとすれば、首を吊るしかないくらいの国家的値打ちものだったに違いない。

(でもなあ。あんまりこう極端な貧富の差を短期間で味わっちまうと……つくづく思うぜ。ああ世の中、ほんと金じゃねえなあ、なんてさ)

 シンクノアにとっては、もし自分が赤い瞳じゃなければ、もっとこうだったはずだとか、ああだったはずなのに、といった物思いはすでに去っている。今彼の心を占めるのは、自分の目の色が何色だろうと関係なく接してくれる、ふたりの旅の仲間のことだけだった。

「どんなに美味い料理も、ひとりで食ってちゃまずいだけだし、こーんな立派な部屋を与えてもらったところで、横に友達のひとりもいないんじゃ、もて余しちまうわな」

(ネガティブな意味で言うんじゃなくて……もし俺が赤い瞳なんかじゃなかったら、今ごろ下ナザレンでまずいメシ食いながらでも、一緒にいられたんだろうに)

 もちろんシンクノアは、「ナザレン施療院でのミュシアの身が安定したら、私も王宮へ行く」とセンルが言っていた言葉を覚えていた。だが、恐ろしい流行り病いが猛威を振るう中、いくら<神葉樹の葉>があるとはいえ、事態が沈静化へ向かうまでにはかなりの時間がかかるに違いない。

「それまでは俺、ひとりぼっちかあ……」

 思わず、そうごちてしまうが、正確にはシンクノアは一人ということはなかった。彼はミガレント王宮へ上ってきたその日のうちに、自分の剣の師匠であるリキエルと再会を果たしていたからである。

「よう、悪たれの鼻たれ坊主。元気そうじゃねえか」

 間に七年以上もの空白期間があったのも忘れたように、リキエルはかつての教え子にそう挨拶した。王宮の北東に位置する、円形闘技場でのことであった。

「誰が悪たれの鼻たれ坊主だ。確かに俺、鼻水は垂らしてばっかいた気がするけど、それほどの悪たれではなかったはずだぜ」

「確かに、そりゃそうだな」

 円形闘技場の中では、豪華なプレート・アーマーに身を包んだ騎士が、銀の首覆いをつけた素晴らしい毛並みの馬に乗り、槍を手にして互いの腕を競っているところだった。

 リキエルにとってはあまりに見慣れた光景だったかもしれないが、ふたりの魔導騎士が時には魔法も交えて槍を振るう姿は、シンクノアに深い感銘を与えた。自分も剣の腕自体はかなりのものであろうと自負するものの、馬に乗ったままこれほど華麗に剣を繰りだせるかといえば、相当の訓練を積まなければならなかったろう。それと、騎士のひとりが相手の魔法を槍で弾いて見せたが、どうすればそんなことが出来るのかについても、シンクノアは強い興味を惹かれた。

「これも何かの天のお導きと思って、おまえ、ここで少し剣の修行を積んでいくか?」

 何もかもお見通しといったリキエルの顔を見て、シンクノアは内心、複雑な気持ちになる。<かつての教え子がここにいる>ということはつまり――シンクノア自身が多くを説明しなくても、リキエルには彼がこれまでどのような道を辿ってきたのか、おそらく察しがついているはずだった。

「マリサは、死んだよ。あんたがいなくなってから、間もなく……」

「だろうな。彼女が死んだ時のことは、星を読んでいてすぐにわかった。それから、俺の<星読み>によれば……近く、ここら一帯が戦場となるだろう。おまえが<姫巫女>と一緒なのはわかっているが、その戦いに彼女がどんな役割を果たすことになるのかまでは、俺にもわからん」

「……………」

 階段式に上へ迫り上がっている円形闘技場には、約三万五千人の観客を収容することが出来るらしい。シンクノアとリキエルは今、馬上槍試合を間近で見ることの出来る貴賓席にいたが、敵が例の飛空艇と竜であるならば、馬上から繰り出す槍術、また魔術がいかに優れていても――あまり意味などないのではないだろうか?

「まさかとは思うけど、向こうに<姫巫女>がここにいるってわかったってことか?それであいつらは、聖都ルシアスで失敗したことを、また同じようにやろうとして……」

「さあな。<地の崖ての民>とやらが、聖竜の盾が欲しくてミッテルレガントへやって来るのか、それとも他の目的があるのかまではわからん。ただ、今この時期に<姫巫女>がここにいるというのは、おそらく大きな意味のあることだろう。俺には彼女が、そう簡単に奴らに屈するとは思えん」

「随分、知ったふうに言うんだな。まるで、<姫巫女>に会ったことがあるみたいに」

 シンクノアの言葉に対し、リキエルは甲冑をつけた肩を竦めていた。

「イツファロは聖五王国中、もっとも信仰心の厚い国だぞ。確かに俺は<姫巫女>殿とあいまみえたことはない。だが、聖書を隅から隅まで何度も繰り返し読んだ者なら――おそらく多くの人間がこう思うことだろう。『ああ、自分はこの<姫巫女>のことをよく知っている』と」

「ま、びっくりするだろうよ。本人に会ったとしたらさ」

 シンクノアは、リキエルと再会した瞬間の喜びが、急速にしぼんでいくのを感じた。かつて幼い頃、シンクノアは彼のことを心から尊敬し、また大人になったら彼のようになりたいと切望するほどでもあった。

 けれど、シンクノアの育ての母である、マリサが病いに倒れた時……彼は彼女のことを切り捨てて自分について来いと言った。おまえをこの年まで無事育て上げることが彼女の使命だったのだし、その使命を果たし終えることが出来て、マリサは本望だろうとも言った。

 そして、シンクノアはその時に気づいたのだ。自分が慕い尊敬する男には、人間として重大な欠陥があるらしい、ということに。何より、彼には人間として二面性があった。ひとつ目の顔は、人の気を引く愉快なお調子者としての人格、ふたつ目は、その下で鋭く物事を分析し、手段を達成するためには人を殺すことさえ厭わぬような、暗殺者としての人格だった。

 そのふたつ目の顔を知った時、シンクノアは彼についていくことは出来ないと思った。だが、その選択をすぐに後悔したのも事実だった。あの、目的のためには手段を選ばぬような冷たい眼は、自分の気のせいだったのだと思いこみたかった。きっと、もう一度会ったとしたら、リキエルはおそらく、楽しい思い出話を自分と分かちあってくれるに違いない……そう期待し、ずっとそのことに縋り続けていた自分が、滑稽を通り越して哀れだとすら、今のシンクノアには思えてならない。

「あんた昔、俺にこう言ったよな。教師っていうのは嘘をつくものだって」

 リキエルが通りいっぺんのこと――<姫巫女>とはどのようなお方なのかとか、今はどのようにされておられるのかといったことを聞いてこないので、シンクノアは自分から話の端緒を切った。

 相手の放った火球を槍で受けとめ、それをチャージしたまま投げ返すという技が披露されると、試合を見ていた魔導騎士の間から拍手が巻き起こる。

「たとえば、教師はこんな嘘をつく……この世界は残酷で、嘘と裏切りに満ちているのに、あたかも善人しか存在しないようなイメージを、子供に植えつけるものなんだってあんたは言ったよな?でも、おまえの瞳は赤い――だから、俺はおまえに嘘をつかないで育てようと思うっていうあれな。その言葉自体が嘘だったっていうことで、いいのか?」

 リキエルは自分もひとしきり黒馬の騎士に賞賛の拍手を送ると、シンクノアのほうをゆっくり振り返って言った。

「どうだ?久しぶりにひとつ、手合わせでもしてみるか?」

 ――このあと、シンクノアはリキエルと三本勝負で打ちあって、結局一本もとれなかった。もちろん馬には乗らず、またリキエルはこの七年の間に覚えた魔法を一切使わないという条件だったにも関わらず、シンクノアは彼に対して一度も勝てなかったのだ。

「おまえの剣には、迷いが多すぎる!!」

 シンクノアの剣を横に薙ぎ払いざま、リキエルはそう叱咤した。

「剣を振るうことで、相手を傷つけることが怖いか!?だが、そういうのはな、結局……」

 息をつく間もなく、鋭い突きが何度となく繰り出され、シンクノアは防戦一方に追いこまれた。魔導騎士のひとりから借りた盾で、なんとかリキエルの剣戟を防ぐが、盾で剣を受け流しざま、こちらから攻撃に点じようにも、その隙が一向に与えられない。

「自分の身が一番可愛いというだけのことよ!!最初から手を汚したくないなら、剣など手にとるな!!どうした!?七年以上もの間に、随分弱くなったようだぞ。おまえはその昔、この俺から一本とったことがあるだろう!?その時のことを思いだしてみろ!!」

 自分からもし一本とることが出来たら、おまえの剣の修行は終わりだと、シンクノアは確かに何度となくそう言われ続け、ずっと機会を窺っていた。だがそれは本当に無我夢中になって放った一撃が、リキエルの剣を弾き飛ばしたというだけのことで――今思いだしてみても、何故自分にそれが出来たのか、シンクノアには思いだせない。

「どうやら、あの時の一本はまぐれ当たりだったようだな!!」

 何度となく剣の打ち合いを繰り返す中で、結局シンクノアは剣匠に力負けするような形で負けた。技の上で負けたというよりは……最初から気持ちの面で負けていたのだと、シンクノアにはよくわかっている。

 その後、伯仲した剣技に熱狂した魔導騎士と手合わせし、シンクノアは三人の騎士を相手に、全戦全勝した。だが、相手が馬に跨らず、また魔法も使わないという条件下で勝利を収めたところで、それは勝ったといえるのかどうか……。

 なんにしても、この時のことをきっかけにして、ミガレント王宮内で、シンクノアは下にも置かれぬ厚待遇を受けることになった。もちろん、他でもない<姫巫女>の旅の同伴者として、アスラン王子は彼に今と同じ部屋をあてがってはくれたろう。だが、そういうことではなく――王宮内を歩いていても、明らかに人が自分を見る目が違うのだった。

 剣技や魔術に秀でた者は、ミッテルレガントでは最上級の扱いをもって遇されるというのは、シンクノアも昔から聞いていたことではある。とはいえ不慣れなせいか、その尊敬の眼差しと態度はむしろ、彼に居心地の悪い思いをさせていたといっていい。

「どうだ?近々馬上槍試合が開催されるが……おまえもあの白馬に乗って参加してみないか?」

 王城に招かれた魔導騎士たちが酒を酌み交わす中で、リキエルがそんな提案を以前にしたことがある。再会して四日ほどが過ぎた時のことだったろうか。他の貴族階級にある騎士たちも、「それはいい!」と諸手を上げて賛成したものだった。

「馬上槍試合で目立った武勲を上げた者は、王からなんでもいただけるのですよ。たとえば、最初に自分が仕えたいと思う姫の名をあげ、「自分は彼女のために戦う!」と宣誓して優勝した場合――その姫君の意志など関係なく、その約束は必ず果たされなければならないのです」

 アスラン王子もそうだったが、ミッテルレガントの貴族たちというのは、自分の赤い瞳に頓着しないらしいと、シンクノアは気づいていた。彼らの頭にあるのは、とにかく剣や槍といった武術を極めることと、魔導に関する知識、おもにそのふたつらしく――それ以上に大切なのは、高貴な目的と栄誉、そして自分自身の誇りというところだったに違いない。

「俺は……他に好きな女がいるから、そういうのはいいよ」

 シンクノアが何気なく答えると、若い魔導騎士たちの間から、やんやの喝采が上がったものだった。

「エヴィテリュヌ家の、エミリアさま!!僕は彼女のために、次の槍試合で絶対に優勝してみせるぞ!!」

「何をいうか。エミリアさまと結婚するのは、この俺様だ。おまえなんか、俺との三本勝負で、一本以上とったこともないくせに」

 魔導騎士のユークとキミットが、ビールを満たしたジョッキを間に挟み、本気で睨みあって火花を散らす。当然まわりの仲間たちは彼らのことを囃し立て、ビールを一気飲みして勝負をつけるという話の流れになった。

 魔導騎士たちが集まって食事や飲み会をする大広間では、上座に年長者が、下座にゆくにつれて若い騎士の姿があったのだが――シンクノアに軽く話を振ったのち、リキエルは大体真ん中あたりの席に座を占め、ミッテルレガント王国で国民からもっとも尊敬を受ける重鎮たちと、軽口を叩いては盛り上がっている様子だった。

 シンクノアが一番低い座にぽつねんと座っているのを見て、リキエルは他の若い魔導騎士と話すきっかけを作ってくれたのだろうと、シンクノアにはわかっている。リキエルの、こうしたちょっとした優しさは、昔からのもので……そのすべてが嘘ではないのだろうとは思う。だが、誰からも酒豪として知られている彼が、どれだけ酒を飲んでも本当は酔わないということを、シンクノアはよく知っていた。そうして場を盛り上げ、道化を演じることさえして、周囲の人間がすっかり自分に気を許す方法を、リキエルは処世術として心得ているというそれだけなのだ。

 この夜、それまでの人生でほとんど縁がなかったほどの、良酒を味わいながら――シンクノアは若い騎士たちにつきあって<盛り上がった振り>しか出来なかったといっていい。リキエルがこれほどまでに先々のことを読み、抜け目なく行動していることから、彼がここミッテルレガントに長く滞在を続ける理由というのが必ずあるはずだった。そしてそれがなんなのかを聞こうと思いながら、シンクノアは躊躇ってしまう。リキエルと再会したら、聞きたいと思っていたことは山ほどあったはずなのに――いざ、その段になると、聞いたあとで必ず後悔しそうな気がして、情けないことには、自分でも怖くなっていたのだ。

「アスラン王子も言ってたけど……あんた、ミッテルレガントの王様に「愉快な男」として気に入られてるんだってな。けど、なんでだ?あんたはもともとイツファロの王宮に仕えてたんだろ?なのに、ここのぼんくら貴族どもが、二君に仕えるあんたを騎士道に照らして糾弾しないっていうのは?」

「口に気をつけろ、シンク。王城では石壁に耳ありって言うからな」

 酔い冷ましにバルコニーに出たところで、リキエルはシンクノアにそう言った。相当に上等なビールやワインを軽く十数杯は飲んだはずなのに――やはりリキエルは、少しも酔ってなどいなかった。

「イツァーク村のような、王都イツファルから何千エリオンも離れてるような田舎では、王族の噂なんてほとんど神格化した状態でしか伝わってこない。だから、現在のイツファロ王国の王宮がどんな状態にあるのか、おまえが知らんのも無理はないがな……そうか。マリサはそこまでのことは説明せずに、息を引き取ったのか」

「一応、<聖剣伝説>の話は聞いたけどな。イツファロじゃあ、あんたが俺にくれたあの剣を抜くことの出来た人間だけが王になれるって話。けど、今もって俺にもあの剣は抜けないし、今王位についている王も、<剣聖>としてアスタリオンに認められたわけではないのに、そのまま王になってるんだろ?」

「問題は、そこだ」

 リキエルは自分の守護星である、北斗七星をバルコニーから見上げて言った。

「他の聖五王国のうち、ルシアス王国は別としても、他の王家では普通、長子が王位を継ぐという慣わしだ。だが、イツファロでは違うんだな……傍系の者も入れて、聖剣アスタリオンを抜くことの出来た者だけが王となれる。だが、それだとどうにも政治的に都合が悪いと考えた輩が――王宮内で色々と小細工を弄するようになった。イツファロの王宮に七人いる<北斗七聖将>というのは、言うなれば「聖剣アスタリオンを守るのと同時に、その継承の儀式を見守る」任を負った剣聖たちだった。でももし彼らが、政治的なことに関心を持ち、本来の自分の役目をおろそかにしたとしたら……」

「出来るのか、そんなこと」

 窓の向こうの、酔い潰れたユークやキミットといった魔導騎士を振り返りながら、シンクノアは聞き返した。ハゼルの月も下旬となると、流石にここミッテルレガントでも夜半の冷え込みが厳しくなる。そのせいかどうか、バルコニーに酔い冷ましに出るような者は、他に誰もいなかった。

「俺の知るかぎり、もう何代となくそうしたことが繰り返されてきた。今の国王は、おまえより十歳ほど年長だが、王位についた年齢はずっと幼い。第一の聖将、アサエルの愛弟子で、天才少年剣士として知られていたが――彼のこともまた、アスタリオンは選んだりはしなかった」

「何故そんなことがわかるんだ?他でもないあの剣はあんたが盗んで、今俺が持っている。だったら、あの剣をもう一度あるべき場所へ戻したら、他でもない現国王の手でこそ、抜けるかもしれないじゃないか」

 ありえない、というように、リキエルは何度も首を振った。

「シンクノア、何故俺がわざわざ、自分の命を懸けてまで、国の至宝である<不殺の剣、アスタリオン>を盗んだと思っている?それは他でもない――<アスタリオン>自身がそうと望んだことだったからさ」

 ざあっと風が鳴り、三十エートルは高さのあるモミの樹の枝を揺らした。その王宮の庭に林立する樹木を、てっぺんから見下ろすような形で、シンクノアは根元にたまる黒々とした闇を見つめる。ミュシアやセンルと出会うまで、自分がずっといた、暗い孤独な暗闇だまりのような場所を。

「あんな剣、俺はいらない。そもそも、あんたに剣の稽古をつけてもらう必要だってなかったんだ……リキエル、あんたが俺の剣には迷いがあると言ったとおり、俺に人は斬れないと思う。これまで、魔物退治みたいなことなら、何十度となくやってきたけど……人を直接剣で斬ったことは一度もないんだ。何故って、俺は――誰かを殺すくらいなら、自分が先に死んだほうがいいって、そう思ってるからさ」

 バルコニーのへりに半分体を預け、シンクノアは不意に瞳に涙が滲みそうになるのを堪えた。

 本当は、これまで自分がどれほど過酷な体験を経ながら、この<聖剣アスタリオン>とともにあったのか……リキエルと再会したら、そのことをすべて彼に話したいとシンクノアは思っていた。かつてあった、父親のような寛容さで、自分のことを受けとめて欲しいと願っていたのかもしれない。だが、再会した瞬間に、シンクノアにはそれは「違う」ということがわかってしまった。もう自分は子供でもなければ、かつての剣の弟子でもなく、リキエルが求めているのは、<対等に戦える相手>、また必要とあれば互いを殺しあうことさえ辞さぬ強さなのだということを、シンクノアは理解した。つまりは、それが<剣聖>を目指す者の、必要最低限の「資質」ということだった。

「シンクノア、アスタリオンが何故、不殺の剣と呼ばれているのか知っているか?」

 瞳の表面にうっすらと滲んだ涙を引っこめ、シンクノアは「俺が知るわけねーだろ」と、悪態をつくように前髪をかき上げて言った。

「大体、俺にアスタリオンの剣を渡すのが剣の意志だとかって、なんであんたにわかるんだよ?それで俺の手で剣を抜くことが出来たってんなら、話はわかる……けど、あんな見てくれだけの剣、背中に差して移動するってだけでも旅の邪魔でしょうがなかったぜ。時々、あの剣のせいで自分は不幸なんじゃないかって思うことも度々だったからな」

「そうとも。<不殺の剣アスタリオン>っていうのは――それ自身が意志を持った剣なんだ。王宮から自分のことを持ちだせと言われた時、正直、俺も耳を疑った。この頭に直接響く声はなんなんだとも思ったしな……シンクノア、俺はおまえに<姫巫女>がどのような方であるかなど、一切聞かなかった。だが、ひとつだけはっきりわかっていることがある。おそらく、<姫巫女>さまはおまえと七つ歳が離れているだろう。違うか?」

 シンクノアは自分が先月二十四歳になり、またミュシアも自分と同じ生まれ月で、つい最近十七歳になったことを思いだした。確かに、自分と<姫巫女>の間には、七歳の年の差がある。

「ああ。だが、それがどうかしたのか?」

「そうさ――あれは忘れもしない、十三月の忌み月のことだった。来年の今ごろ、次の探索行の担い手となる<姫巫女>が生まれると、アスタリオンは言った。で、これまではイツファルの王宮内で、誰が王になろうと自分は関知してこなかったが、次の剣の持ち主はすでに決まっていると<彼>は俺に告げた。だがな、不殺の剣アスタリオンは他でもない第一の聖将、アサエルの厳重な監視下にあった。愚痴をこぼすつもりはないが、俺はその状況下で聖剣を盗むなど、絶対に無理だと思ったし、盗みがばれれば必ず奴に殺されるだろうとわかってもいた……だが、アスタリオンはそのために、<一時的>に俺に鞘を抜かせてくれたんだよ。まったく、今思い返してみても、鳥肌が立つほど素晴らしい威力だった。そうして、俺は白狼剣の使い手であるアサエルのことを振り切ると、どうにかこうにか、イツァーク村までやって来たと、そんなわけだったのさ」

「じゃあ、本当にあの剣は……」

 俺が持ち主ということでいいのか、と言いかけて、シンクノアは自虐的な笑みを浮かべそうになる。だったら、何故自分に鞘が抜けないというのだろう?剣の使い手として、まだ力量が足りないというそのせいだろうか?それとも、<人を斬る>という強い意志が欠如しているからなのか?けれど、もしそうなのだとしたら……。

「アスタリオンがおまえのことを選んだということは、間違いない。何より、おまえが他でもない<姫巫女>と出会ったのは、聖剣のお導きといっていいだろう。心配せずとも、アスタリオンは必要な「時」が来れば、己ずと抜くことが出来るはずだ。聖なる剣も槍も盾も鎧もすべて……それが<姫巫女>にとって必要な時にこそ、その力を発揮するのだから」

「じゃあ、あの剣は本当に俺が持っていていいのか?」

 リキエルの今の言葉で、自分が思った以上にほっとしていることに、シンクノア自身驚いていた。いや、抜けもしないのにずっと背中に担いでいなければならないのは、やはり面倒なことではある。けれど、そういうことではなく――シンクノアは自分がこれからもミュシアやセンルのそばにいてもいいのだということが、単純に嬉しかったのだ。

「もちろんだとも。第一、おまえは人が一体なんのために、命まで懸けてあんな物騒なものを盗みだしたと思ってるんだ?」

 リキエルが鳶色の瞳をウィンクさせるのを見て、束の間、その昔互いの間にあった友情に近い気持ちが甦るのを、シンクノアは感じる。

「あんたってたぶん――物凄い世渡り上手なんだろうな。じゃなきゃ、ミッテルレガントの王宮がイツファロの聖将のひとりであるあんたを、受け容れるはずがない」

「さて、それはどうかな。今のところ俺は、これといったイツファロ国内の情報を王や王子に流してはいないが……それでも、俺のことを手元に置いておけば、もしかしたらいつか役立つことがあるかもしれないと、ジョハール王やアスラン王子が内心思っていることは間違いない。聖五王国中、イツファロ内の王宮事情というのは、もっとも外に洩れにくいと言われているくらいだから、王や王子が今後、何かの機会をとらえて俺に恩義を返させるという可能性は結構高いと言っていいだろう」

「そういえばリキエル、そもそもあんた、なんでミッテルレガント王国で魔導騎士になろうなんて思ったんだ?」

 白い息を吐き、そろそろ室内へ戻ろうとするリキエルを引き止めるように、シンクノアは彼の瞳を正面から見つめ返した。かなり冷えこんできたが、摂氏零度程度では、イツファロ王国ではまだ「暖かい」とすら言える気温である。

「簡単に言えば、第一の聖将、アサエルに勝つため、といったところかな。当然のことながら、俺が今ミッテルレガント王宮内で世話になっているというのは、奴の耳にも届いているに違いない。だが、奴が俺のことを追って来ないのは、こんなところまでやって来て俺のことを暗殺するには、あまりにリスクが高すぎるからだ。イツファロ王国では、カルディナル王国やミッテルレガント王国、あるいはロンディーガ王国のようには、魔導といったものがほとんど発展しなかった。つまり、イツファロ王国では伝統的に――魔術といったものは、神の力と相反する、いかがわしいものだとする伝統が今に至るまで長く続いているというわけだな。純然たる神の力に頼る<信仰>の力と、己で運命を切り開く剣の力、そのふたつがイツファロでは至高の力として崇められている。そういう意味では、ミッテルレガント王国というのは、魔導も発達し、剣の力に秀でた剣士も数多く擁し、またそれだけでなく信仰心も厚いという点において、実にバランスが取れているのかもしれない。俺の剣の力だけでは、到底アサエルには勝てぬ。それが俺がミッテルレガントへやって来て、それまで<邪悪に通じる力>と教えられてきた魔導を学ぼうと思った理由だ」

 他に、何か聞きたいことはあるか?というように見つめ返され、シンクノアは黙りこんだ。この目の前にいる男が生きる理由、また人生の目的といったものがなんなのか、シンクノアにはやはり理解が出来なかった。一応、理屈としては第一の聖将アサエルに勝つために魔導を学ばんがため、ここミッテルレガントの王宮に仕えている……という理由はわかる。

 だが、もし仮にそのアサエルという剣聖に勝てたとして――そのあと、リキエルはどうするつもりなのかが、シンクノアにはまるでわからなかった。

「その第一の聖将とかいう男は、そんなに強いのか?」

「強い。また、単に強いというだけでなく、恐ろしく頭の切れる冷酷な男だ。今のイツファロ王の後見人として、これからも王宮内で権勢を振るうために……邪魔となる不穏分子はすべて奴の一存で一掃されるといっても過言ではないだろう。だが、本物の<不殺の剣>が王宮内に実は存在しないというのは、あいつの頭から一日たりとて消えたことのない不安要素であるに違いない。俺はな、シンクノア――おまえがいつかイツファロ王国の王になると信じて、おまえに剣技を教えこんだつもりだ。といっても、おまえが王となった暁には、アサエルと同じように王宮で大きな顔をしたいというのが、その理由ではない。単に俺は、第六の聖将として、アスタリオンを抜くことの出来た者こそが王であると信じているに過ぎないんだ」

「……………」

 リキエルの鳶色の瞳の中に、不屈の信念の炎が宿っているのを見て、シンクノアはそれ以上彼に何も言えなくなった。いつもの彼ならば、「そんなこと、起きるわきゃねーだろうが!」とでも言って、笑って茶化すところだったろう。

 だが、リキエルがミッテルレガントの王宮で、時に道化役者のような猿芝居すら演じ、他の魔導騎士である重鎮たちに取り入っているのは――他でもない自分のためなのかと思うと、シンクノアは途端に胸が苦しくなる。

「おまえにも、まだ聞きたいことや知りたいことは山のようにあるだろうが、今はとりあえず広間のほうへ戻ろう。おまえの母親や、今は亡き前王のことについては、またふたりきりになれた時にでも、おまえの聞きたいことをいくらでも教えてやるよ」

 ――その後、何かと機会を掴みかねて、シンクノアは自分の実の母やイツファロ国前王である父について、リキエルに訊ねる暇がなかった。母親、ということなら、自分にとってはマリサこそが実の母だとの思いが彼にはあり、彼女の死の床でそうしたことを聞くということは出来なかったものの……それでもやはり、気になってはいた。

 自分を捨てたことも、忌み子の殺害に同意したことも、シンクノアには許せる範囲のことではある。だが、もし死んだと思っていた息子が生きていると知ったら――いや、そんなふうに思うこと自体が、彼女にとっては重い心労でしかないことなのだろうか?

 シンクノアが今感じるのはただ、自分の実の母に会ってみたいという強い欲求だけだった。どこか、とても遠い場所からで構わないから、ちらと姿を見てみたい……彼はそんなふうに思う自分を、ここのところ持て余してばかりいた。

「センルの奴は、一体いつ、このミガレント王宮へやって来るつもりなのかな」

 細やかな刺繍の施されたクッションを胸に抱き、シンクノアはあらためてそんなことを考える。アスラン王子には、伝書鳩で何度も連絡があったそうなのだが――呪われた者としてのしるしを持つ自分が、ナザレン施療院へ赴くわけにはいかない以上、シンクノアは今の自分にとっての一番の相談相手の到着を、待ちわびるばかりであった。

 何より、シンクノアがセンルに聞いてもらいたいと思っているのは、ミュシアの耳には決して入れることの出来ない事柄についてだった。センルがあまりに<神>について、<姫巫女>のことを責め苛んだため、シンクノアは彼らの神学的論議に参加しようと思ったことはないものの――リキエルから色々なことを聞かされた今、シンクノアには新しく迷いが生じていた。

 センルが以前、「所詮自分は神の操り人形にしか過ぎないのか」と言っていたのを、シンクノアはよく覚えている。だが、リキエルから色々な話を聞いて以来、シンクノアは自分が「神にとっての実験動物モルモットに過ぎないのではないか」と感じるようになっていた。

 最初から、不殺の剣アスタリオンの所有者として自分は定められたというが、<姫巫女>であるミュシアに出会うまでの七年の間……ろくに寝泊りできる宿とてなく、食べるものもなく、さらには働いて糧を得んとすれば、人から蔑まれたり馬鹿にされたり、恥をかかさせたりといった苦しい生活が続いたのだ。その忍耐力をもってすれば、確かに<姫巫女>の御ためを思い、どんな苦境をも自分は乗り越えられるであろうとは、シンクノアも思いはする。

 だが、あそこまで悲惨な生活が七年も本当に必要だったかと問われれば、シンクノアにとって答えは断然「否」だった。むしろ今ごろになってから、何故こんなにもややこしい運命を<神>とやらは授けたのかと、恨み言を百も千も――あるいは一億でも、<神>に対して並べ立ててやりたい気持ちでシンクノアはいっぱいになる。

(もちろんこんなこと、ミュシアには絶対言えないけどな)

「時々だけでいいんです、シンクノア。あるいは、夜眠る前に三分間だけでも……わたしの使命のためや、ナザレン施療院の人たちのために祈ってください。わたしも、必ずシンクノアのことを思って毎日お祈りしますから。それが離れていても、わたしたちふたりの――いいえ、わたしとセンルさんとシンクノアを結ぶ、強い絆なんだと思ってください」

 下ナザレンの町で別れ際、シンクノアはミュシアからそんなふうに言われていたことを思いだす。だが、シンクノアは最初の一日二日は祈ったものの、三日目以降は<神>に対する不満が先行するあまり、彼女の言ったとおりには出来なくなっていた。

「は~あ……こんな奴が<姫巫女>さまの従者だなんて、情けないったらねえよな。アスタリオンのことを抜く資格が、今の俺みたいな奴にあるとも思わない。こんなことで一体、俺はこの先ミュシアやセンルの役に立てるんだかどうだか……」

 そうひとりごちて、シンクノアが額に手をやっていると、不意に頭の奥がズキリと痛んだ。不意に、強い思念波のようなものが――黒檀のキャビネットに立てかけた、不殺の剣アスタリオンのほうから飛んできたことに、シンクノアは気づく。

「……………っ!!」

 再び、衝撃波。だがそれは、不甲斐ない自分の主を叱咤するための痛みではなく、何か警告を促すものだということが、シンクノアにははっきりとわかる。

 そこで剣を手にとり、我ながら馬鹿のようだとは思うが、<彼>に対してシンクノアは話しかけてみた。

(今のは、一体なんなんだ?)

 すると、≪見ろ≫という短い返答が、剣から返ってきた。どこを、という説明などなくても、アスタリオンが「外を見ろ」と言っているのだということが、シンクノアにははっきりとわかる。

 そこで、一エートル以上もの長さのある、大振りの剣を腕に持ったまま、シンクノアはガラス窓を開けてバルコニーへ出た。最初はあたりを見回してみても、うっすらと粉雪が舞っている風景しか、目には入ってこない。高い丘の上に立つミガレントの王城からは、百万以上の人口を擁する城下町と、その先にあるサフィ二ア海に続く港町が見渡せるが――ただそれだけだった。

 そして、シンクノアが自分の頭の中に聞こえてきた声を、ただの幻聴として片付けようと思った時、もう一度≪よく見ろ≫という声が、今度は胸の奥にはっきりと響いてきたのである。

「あれは……」

 自分が手に持つ剣が注意を促した先を、シンクノアが遠く眺めやると、粉雪に混ざって何か黒々とした影のようなものが、サフィ二ア海の上を移動してくる姿が見えた。

「まさか、あれは……」

 シンクノアは、我知らず、アスタリオンという名の剣を力をこめて握り返していた。この七年、自分がずっと追い続けてきた、飛空艇という存在。それが今、ゆっくりと王城へ向けて進んでくるのがわかる。

 今、シンクノアの目に入っているのは最初の旗艦の一隻のみだが、もし地上、あるいは天空から彼らの陣形を見た場合、それが菱型をしていることがわかっただろう。飛空艇が全部で何隻あるのかは、シンクノアにもわからない。とにかく今彼の心にあったのは、このことをアスラン王子以下、国の政治の多くを担う魔導騎士たちに教えなくてはならないということだった。

 だが、そのことを制止する声が、シンクノアの脳裏に激しい痛みとともに響いてくる。

≪そんな無駄なことはよせ。それよりも、我をこの城の塔の屋上まで連れていけ……おまえに、ひとつ面白いものを見せてやろう≫

 シンクノアはなおも、剣の意志に逆らって、自分の我を通そうとしてみたが――結局のところ、頭痛がさらにひどくなり、立てないまでになってから、アスタリオンの言うとおりにするしかないと気づいたのである。

「あ~もう、くそっ!!なんだってこう、世の中って奴は俺に刃向かって、好きなとおりに生きさせてくれねえんだろうなっ!!」

 シンクノアは、試しに剣の柄に手をかけ、アスタリオンを鞘から抜いてみようとしたが、やはりこの我が儘そうな自我を持つ剣は、シンクノアの手から抜けるということはなかった。

 だが、シンクノアはアスタリオンの言うとおり、塔の屋上へ続く階段を上りきり――そこで、敵の竜を乗せた艦隊が、こちらやって来るのを待った。

≪小僧、決して我の邪魔をするなよ≫

 再び、心の内に思念波が流れこんで来、シンクノアはこの時にはすべてを諦めることにした。このどこかムカつくところのある剣を、塔のてっぺんから投げ捨てるのは簡単だが、身内に溢れるほど力が漲るのを感じ、突然自分が何をすべきなのかを悟ったという、そのせいだった。

≪そうだ、小僧。決しておまえ程度の力で、我を制御できるだなどと、考えぬことだ。さすれば、どんなものでも一瞬にして斬り伏せることが出来るのだからな!≫

「やれやれ。わーったよ。あんたの好きなようにすればいいだろ……ったく。どうせならもっとこう、可愛い女の子の自我でも持つ剣とかだったら良かったのに」

≪何か言ったか、小僧?≫

「いいえ、なんでもないっスよ、親分!それより、このままいくと俺たち、最初の飛空艇と一番近いところで行きあって、真っ先に殺されちまいそうなんだけど……ま、いいか。この際一蓮托生ってことで!」

≪我の知ったことか。第一、死ぬ時にはおまえひとりで死ね。もっとも、そう簡単にはこの我が――おまえのことを誰にも殺させたりはせぬがな≫ 

 シンクノアは、アスタリオンのその言葉をただ純粋に信じた。これまで、<彼>が自分の苦難の旅の過程を、何か助けるでもなく、慰めの言葉をかけるでもなく、ただ黙って見続けていたという、それだけだったとしても……今のシンクノアにはそんなことはどうでも良かった。

 どうせなら、もっと早くに話しかけてくれてりゃ良かったのに、なんで今ごろ喋りだすんだ?などと問うつもりもないし、今はそんな暇もなければ余裕もない。

 ただ、シンクノアにはひとつのことがわかっていた。あの飛空艇がどのような物質によって構成されているかはわからないにしても、アスタリオンという剣に潜む魔力を持ってすれば、あの船体を突き破ることが出来るだろうと。あるいは、仮にたとえ相手が竜であったとしても――≪我に斬れぬものはない!≫というアスタリオン自身の言葉を、微塵も疑わずに信じるなら、シンクノアはどのような敵を前にしても決して敗れることはないだろう。

≪我は勝利の味しか知らぬ剣、アスタリオンぞ。我が負けるなどと、心の片隅ですら二度と思うな、この不心得者め!!≫

 アスタリオンの叱責の言葉を最後に聞いてから、シンクノアは<彼>を鞘から抜いた。

 ルーン文字の刻まれた、燃えるような真紅の刀身を構え、シンクノアは飛空艇が剣の攻撃範囲内にやって来るのを、じりじりとした思いで待つ……こうして、圧倒的優位に立っていたと思われる<地の崖ての民>は、最初の敗北の洗礼を受けた。

 先頭の飛空艇に先んじて、ミッテルレガント王城の上空に暗紫色の竜が舞った時――その片翼のひだを根元からアスタリオンは断ち、その竜と騎乗している乗り手とを、一瞬にして飛行不能の状態にしたのである。

 シンクノアがふと、塔の屋上から、ここと対になっているもう一方の塔へ目をやると、いつの間にかハーフエルフがそこにいることがわかった。おそらく彼もこれから、強力な魔力を源とする呪文を唱え、飛空艇や竜のことをどうにかしようとするだろう。

 カルディナル王国のブリンク、エリメレクと、ミッテルレガント王国のアスラン王子、それにセンルとの間では、多少時間のかかる軍事作戦が詰められていたのだが、敵の攻めてくるほうがそれよりも遥かに早かったのである。

 けれどこの時、シンクノアはアスタリオンの力と蒼の魔導士センルの魔力があれば――もしかしたら十分敵と互角にやりあえるかもしれないと直感していた。

 何故といって、ハーフエルフの魔導士はこの時すでに、<隕石落とし>(メテオライト・フォール)の呪文を唱え、大量の隕石群により、飛空艇部隊に大打撃を与えている最中だったからである。




<聖竜の姫巫女・第Ⅳ部、終わり/第Ⅴ部へと続く)




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