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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第四章 再会、その裏で

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第84話 立ちはだかるもの

 それは一瞬の出来事だった。
 対峙するグール達に向かって足を踏み出したと思った瞬間、ふわりと風が吹き、リオの姿がブレて、アルフォンスの視界から消える。

「ッ!」

 グールになったことにより強化された五感を最大限に発揮し、とっさに視線を彷徨さまよわせたが、リオの姿を捉えることができない。
 どこだ?
 アルフォンスは本能的に身の危険を感じ、遥か後方へ飛び立った。
 羽をはばたかせ、上から地面を見下ろすと、最後尾に立っていたグールの背後に回り込んだリオの姿が見える。
 刹那、グールの首が吹き飛んだ。
 遅れて噴出音が鳴り響き、人のモノとは思えぬどす黒い液体を周囲にまき散らし、頭部を失ったグールの肉体がずしりと地面に昏倒する。

(何ガ起キタ?)

 いや、答えはわかっている。
 剣閃を目で追うことはできなかったが、間違いなくリオの斬撃によるものだろう。
 だが、一連の動きを目で捉えることができなかった。
 気がつけば動き始め、気がつけば接近を終えて、神速の如き斬撃をグールに打ち込んでいたのだ。

「後ロダ!」

 叫んで指示を送ると、グール達が慌てて振り返る。
 が、アルフォンスが気がつくと、リオは最初に立っていた位置に戻っていた。
 当然、振り返った先にリオがいないことから、グール達は困惑した様子を見せる。
 その隙を突いて、再びリオが接近を仕掛けた。
 スッと緩く剣を構えたかと思うと、予備動作を一切感じさせずに移動を開始する。
 まるで花びらが舞うような美しい動作に、ごくり、とアルフォンスは唾を飲み込んだ。
 だが、殺してやりたい程に憎い相手に目を奪われた事実に気づき、額に青筋を立てる。

「ッ……」

 視線を彷徨わせていたグールの背後に回り込むと、さらにもう一体、その首を斬り飛ばす。
 その姿を目にして、アルフォンスはぎりと歯を噛みしめた。
 まともに動ける灰色のグールは残り一体。
 肉体に命令を送る脳が身体と分離されてしまっている以上、首を斬り飛ばされて地面に倒れているグールはもはや動かぬ人形と大差ない。
 さしものグールも首を斬り飛ばされれば、せいぜい数十秒程度で死に絶える。
 即座に首と肉体を繋げてやればその回復能力を発揮して切断面を癒着させることが可能だが、そんな真似をしている間に自分が斬り殺されてしまいそうで躊躇する。

「グガァ!」

 そうこう考えている内に残ったグールがリオに気づいて襲い掛かった。

「馬鹿ガ! 止メロ!」

 咄嗟にアルフォンスが配下のグールを止めようとする。
 だが、その動きはもはや止まらなかった。
 全身の筋肉を唸らせ、リオの側面へ潜りこむ。
 それは獲物を狩る獣のように素早く、しなやかな体捌きだった。
 常人ならば反応することさえ叶わぬ超高速の一撃。
 その鋭く長い爪は正確無比にリオの身体を貫こうとした。
 が、リオにはその一連の動きが、余裕を持って対処できるくらいに、ハッキリと見えている。
 身体能力が強化されるとともに、リオの動体視力や反応速度も生身の人間と比べ物にならぬ程に強化されているからだ。
 迫り来る貫手に対して、リオは一歩横にずれることで対応した。

「ッ?」

 結果、その攻撃は空振りに終わる。
 リオは横から油断なくその動きを観察すると、虚空を貫いたグールの腕をあっさりと斬り飛ばした。
 腕を切断された事実をグールが認識するよりも先に剣を引き戻すと、加えて真横に一閃。
 グールの胴体を易々と分断した。
 数瞬遅れて、グールの腕と身体が土埃を上げてドサリと地面に崩れ落ちる。
 それでも地面を這いつくばるグールであったが、リオが首を切り落とすとダメージ過多で死に絶えた。
 リオと相対してまともに動ける個体はもはやアルフォンスただ一人。
 まだ戦闘が開始してから三十秒も経過していない。

「馬鹿ナッ!」

 驚愕のあまり、アルフォンスが叫ぶ。
 自分は生まれ変わったのだ。
 忌々しい連中を殺すために。自らを見下した輩にこの世すべての恥辱と苦痛を与えるために。愉悦と快楽に赴くがままに。
 見る世界すべてが違って見えて、まさしく最高の気分であった。
 強靭な肉体とそれを振るうに値する力も手に入れ、今の自分が負けることなどありえない。
 自らこそが食物連鎖の頂点に立ち、有象無象はすべて自分の足もとにひれ伏すことになる。
 その第一歩として、新たな覇道を邁進するために、今回の襲撃はまさしく最高の晴れ舞台になるはずだった。
 リーゼロッテを見つけ、徹底的に凌辱しつくしたうえで殺す。
 自らを虚仮にした連中を見つけだし、己の力を見せつけたうえで殺す。
 そうなるべき、そうなるはずであったのだ。
 だというのにどうしてコイツは邪魔をする。
 貴様はボロ屑のような姿になってあの女どもをおびき寄せる撒き餌になればいいのだ。
 今のアルフォンスは本能の赴くがまま生きており、理性というタガが外れた精神状態にあった。
 自分こそがルールであり、道理であり、理屈である。
 だから、自分の思い通りにならないことが許せない。

(アア、ソウダ。コノ男ニアノ女達ハモッタイナイ)

 ゆえにアルフォンスの中で次第にどす黒い感情が渦巻いてくるのは必然のことであった。
 恐怖も憎しみによって流されてしまう。
 先ほどまで脅威に思っていたリオのこともさして恐ろしく感じない。
 どうしてこんな矮小な存在を高尚な自分が恐れなければならないのだ。
 分不相応に生きている愚民風情に。
 思い出すのは最高の職人が生涯を賭しても生みだすことが叶わぬであろう美しさを持ったアイシアのことだ。
 不躾にも自分の手を跳ねのけた厚顔無恥な女であったが、あの容姿は今も心に焼き付いて離れない。
 他の女達も妾にしてやっても良いと思えるくらいにはみな美しかった。
 半死状態のこの男を連れていけばきっと良い顔をするだろう。
 アルフォンスはニタァと顔に愉悦に染まった笑みを浮かべた。

「ク、クフ、ククク、クハハハハ」

 気でも触れてしまったような笑い声を漏らすアルフォンスに、リオが訝しそうな視線を送る。
 が、疑わしく思ったのも束の間。
 アルフォンスが電光石火の如くリオに向かって駆け出す。
 不意を打つような急接近にも動じず、右足を前に出して腰を捻ると、リオは剣を後ろに流し、低く下段に構えた。
 次の瞬間、二人の姿が重なり――。

 ☆★☆★☆★

 リオがグール達と戦う様子を見て、リーゼロッテは思わずごくりと唾を飲み込んだ。
 強い。それも圧倒的に。
 その姿を完全に目で捉えることはできていないが、傍から見ていて無駄な動きが一つもない。
 自然体で力の抜けた構えをとりながら、リオは短時間で次々とグールを屠っている。

(ハルト様がいらしてくれて助かったわ!)

 自分の予想を超えるリオの強さに驚くとともに、リーゼロッテの中で己の強運に歓喜が込み上げてきた。
 屋敷に現れたグールは全部で六体。
 仮に六体が揃ってリーゼロッテに襲い掛かっていれば、ほぼ確実に彼女はグールの手に落ちていただろう。
 だが、そのうちの四体はどういうわけかリオに襲いかかり、リーゼロッテに向かってきたのは二体だけだ。
 おまけにリオを襲ったグールは既に三体が屠られており、残ったのは変異種と思われる黒いグールのみ。
 変異種は通常の個体よりも上の強さを持っていることから厄介なのだが、リオの強さを目の当たりにしているリーゼロッテからすれば不安材料になりえそうにはなかった。

(こちらはまだ一体も倒せていないけれど、流石にアレと同じ強さを発揮しろだなんて要求するのは酷よね)

 リーゼロッテの前方では、短槍を装備したコゼットに、二本のダガーを構えたナタリーが、グール二体と相対していた。
 彼女達もリオのおかげで余裕をもって戦闘を行うことができている。
 リオの戦いと見比べると児戯に見えてしまうが、二人も決して弱いわけではない。
 接近戦だけに限定すればリーゼロッテでは敵わないし、彼女に仕える侍従の中でも上位の強さを持つ二人なのだから。
 魔法で底上げしたことにより身体能力はほぼ互角、技量は本能に従うグールよりコゼット達に大きく軍配が上がる。
 アダマンタイト鋼製の装備ならばグールの鋼皮にも有効打を与えることも可能だ。
 グール達の驚異的な回復能力と鋼鉄のような皮膚は厄介だが、一対一で戦う限り、グールの回復能力を上回るダメージを与えるのも時間の問題だろう。

(っ! 動いた!)

 そして、今、リオと黒いグールの戦いは終着の時を迎えようとしていた。
 黒いグールが奇怪な笑い声を高らかに漏らすと、突如としてリオに飛びかかったのだ。
 荒々しい獣の如く迫るグールを相手に、リオは明らかにカウンターを狙った構えをとる。
 二人の姿がクロスする瞬間、リオは脚を右に捌いて、グールの拳を紙一重で避けた。
 当たれば岩をも砕く漆黒の拳が、リオの左腕スレスレの位置をかすめて通る。
 リオはすれ違いざまに下段に構えた剣を後ろから前へと引き上げると、グールの胴体に目がけて逆袈裟切りを放った。
 紫電一閃。
 振り上げられた剣はスッと滑らかに黒いグールの身体を斜めに両断した。
 が、分断された上半身が地面に崩れ落ちようとしたその時、黒いグールがけたたましく吠える。
 恐ろしい生命力であった。

「なっ」

 思わずリーゼロッテの口から驚愕の声が漏れる。
 黒いグールは半身が崩れ落ちる勢いを利用して身を捻ると、神経が通う右腕を用いてリオに貫手を放った。
 執念の一撃が正確無比にリオの心臓を背後から狙い撃つ。
 瞬間、黒いグールがニチャリと禍々しい笑みをこぼしたのが見えた。

「危ない!」

 咄嗟にリーゼロッテが叫ぶ。
 が、リーゼロッテが声を張り上げた瞬間には、既にリオは回避運動を終えていた。
 残像でも残ったのではないかと思わせる軽快なフットワークで足を運ぶと、振り向きざまに返す刀でグールの首を一文字に跳ね飛ばす。
 移りゆく視界に首を失った自らの肉体が映り、黒いグールは現実を悟った。

「ク……ソガァァァ!」

 それが死に際に放った言葉だった。
 怒りの形相を浮かべたまま地面に崩れ落ちたところで、ようやく黒いグールが絶命する。
 上半身を失ってもびくびくとのたうっていた下半身も動きを停止して、その全身を覆っていた漆黒の鍍金めっきが剥がれ落ちていく。
 だが、今際いまわきわを見届けることなく、リオは屋敷の外へ向けて駆けだした。

「あ、ハルト様!」

 とっさに呼び止めたリーゼロッテだったが、リオは振り向くこともせずに走り続けている。
 その場に残されたのは既に魔石となったグール達のなれの果てだけだ。
 少しばかり普段のリオからは想像できぬ焦燥した感じが覗けて、リーゼロッテは意外そうにその後ろ姿を眺めていた。

 ☆★☆★☆★

 そして、時は少し遡る。
 アマンドの中央広場にて、アリアは迫り来る魔物達を次々と斬り殺していた。
 ガラス細工のような絶世の美貌、雪のように白く淡い繊細な肌、そんな彼女の容姿は戦場においても一際ひときわに周囲を圧倒する存在感を放っている。
 彼女が屠った魔物の数は既に百を超えているが、その侍従服には血の一滴すら染みついていない。
 ふと、アリアの姿が男達の視界から消えると、次の瞬間、いくつもの魔物の首が宙を舞った。
 呆然と仲間の首が斬り飛ばされていく光景を眺める他の魔物達だったが、アリアの剣筋により次々と魔物の首が斬り飛ばされていく。
 傍から見ると猟奇的な光景にしか見えないが、周囲の者達は男女問わず目を奪われている。
 それはまさしく女神の舞であった。

「相変わらずアリアちゃんは美しいねぇ」

 そんなアリアの活躍を見て、おどけた声色で軽口を叩く者がいた。
 アマンド兵士団に勤める兵士長の一人であり、兵士団最強の存在でもある男、マティスだ。
 路地で先を急ぐナタリーを見送ると、マティスは兵士と冒険者を引き連れて中央広場へと駆けつけた。
 後から参戦したアリア程の勢いはないが、彼が屠った魔物の数も既に百を超えようとしている。
 アリアとマティス、アマンドでも一、二を争う強者達が参戦したことにより、中央広場の戦況は揺るぎないものとなった。
 この場にいる魔物達が殲滅されるのも時間の問題だろう――。
 そう思われたその時、広場の片隅に灰色のグールが二体現れ、広場で戦っていた兵士と冒険者達に襲い掛かった。

「な、なんだこいつ?」
「ば、化物だ!」

 新種の凶暴な魔物の乱入により、一時的に戦線が混乱する。
 遠目からその強さを確認したアリアは僅かに瞠目すると、マティスに声をかけた。

「マティスさん。私は新手の魔物を殺してきますので、この場はお任せします」
「任された。けど、俺のことは呼び捨てにしてくれって言ってるじゃない」

 戦闘中とは思えぬ場違いな軽口に応えることはせず、小さく嘆息すると、アリアは広場の片隅で猛威を振るっているグールの傍へと駆けよった。
 接近と同時にリズミカルに剣を振るうと、その首を斬り飛ばす。
 凶暴な未知の魔物を前にしながらも、アリアは普段通りの無表情で淡々と魔物を屠っていた。
 彼女から見ればゴブリンもグールも等しく殲滅すべき魔物にすぎないのだから。
 飛び交う鮮血が着衣に付着するより前に距離をとると、アリアはもう一体のグールに接近した。

「ッ?」

 突如として接近してきたアリアにグールがびくりと反応する。
 だが、次の瞬間にはまた一つ、宙を飛ぶ首が増えていた。

「ふむ。これが例の正体不明な魔物とやらですか。確かに数が揃うと厄介ですね……」

 嘆息し、地面でのたうつグールに止めを刺すと、残った魔石を拾う。
 万が一、群れを成してグールが屋敷に襲い掛かったとしたら、今の屋敷の戦力では防衛は難しいはずだ。
 ゆえに、本音としては今すぐにでもリーゼロッテの下へ馳せ参じたいところだが、今のアリアはリーゼロッテ直々の命令を受けてこの場にやって来ている。
 その命令内容は広場にいる魔物の殲滅。
 護衛として屋敷には人員を残している以上、中途半端な仕事をして帰還すればリーゼロッテからの叱責は免れないだろう。
 今のアリアの仕事は魔物の群れをこれ以上先に進ませないことであり、そうすることがリーゼロッテの安全にも繋がる。
 まさか魔物達の狙いがリーゼロッテであり、押しかけている魔物達はすべてが陽動であるとは想像できるはずもなく、アリアはこの場に留まることを決めた。
 しかし、グールの存在が気にかかる以上、リスクの管理も必要ではある。

「グレース」
「はっ」

 アリアが名前を呼ぶと、近くにいた一人の侍従が返事をした。

「この場は私がいればもう十分です。貴方はこの場にいる侍従隊の半数を率いて屋敷に戻り、リーゼロッテ様の護衛に務めなさい。この魔石を残した魔物が群れて屋敷の方に行くと事です。残りの侍従は遊撃要員として都市の中に放ちなさい」
「承知しました!」

 小気味よく返事をすると、グレースと呼ばれた侍従は即座に行動を開始した。

「さて、私はこの場にいる魔物を速やかに排除することにしましょう」

 そう呟くと、アリアは今もなお広場で猛威を振るう魔物の軍勢に視線を移した。

 ☆★☆★☆★

 リーゼロッテの屋敷を出ると、リオは即座に都市を出て空へと飛び上がった。
 瞬時に雲の近くまで上昇すると、風を操ってぐんぐんと急激に加速していく。
 直進だけを考えて、とっさの制御も利かぬ程の速度で真っ直ぐに家へと向かっていくと、いつもの四分の一以下の時間で家の近辺へと戻ってきた。
 そうして遥か遠くから岩の家を視界に映した時、強化された視力でアイシア達の無事な姿を確認することができ、ホッと息を吐く。
 だが、何やら家の周りは荒れているようだ。
 まるで戦闘でも起きたような――。
 と、その時、リオは家の方角からアマンドへと向かってくる飛行物体を目にした。
 相手もリオの姿に気づいたようで、そのまま鉢合わせることになる。
 リオからすれば驚いたことに、相手は黒いローブを羽織った男であった。
 見た目は人間で、リオと同じで空を飛んでいる。

「おやおや、貴方は……」

 驚いているのは相手も同じようで、僅かに目を見開きながら興味深そうにリオを見つめている。

「空を飛べる程の精霊術士。なるほど、貴方があの人型精霊の契約者ですか」

 と、男――レイスは得心したように呟いた。
 強化したリオの聴力はその音を漏らさず拾う。

「どういう意味だ?」

 スッと目を細めて、リオが尋ねる。

「おぉ、怖い怖い。そんな眼で睨まないでくださいよ。心配せずともあちらの家に暮らしている方々は全員が無事ですから」

 飄々(ひょうひょう )とした口調で語るレイスに、リオは眉をひそめた。

「あんた、あの家に何の用があった?」

 硬い声色でリオが不審な点を問いただす。

「何の用もございませんよ。私はただの通りすがりです」

 肩をすくめて、レイスがかぶりを振る。

「……悪いが、信じられないな」

 たとえ確たる証拠がなくとも、そんな言葉に惑わされることはなく、リオは油断なくレイスを見据えた。
 すると、そこで、

 ――春人。

 アイシアからリオに念話が繋がった。
 おそらくリオが交信可能範囲に入って来たのを察したのだろう。

(アイシア。大丈夫か?)

 隙のないようレイスを観察しながらも、リオはアイシアに応えた。

 ――さっき家が魔物に襲われた。けど、みんな無事だから安心して。たぶん春人の前にいる相手がけしかけたんだと思う。家の結界もそいつに中和された。

 美春達の無事が確定し、リオの中で心のもやが完全に消え去った。
 だが、アイシアからレイスが黒だという情報が伝えられ、その目つきが険しくなる。

 ――気をつけて。そいつから何か嫌な感じがする。人間じゃないかも。

 と、警戒を促すアイシア。

(わかった。こいつは俺が何とかする。アイシアはそのままそこに。他にこいつの仲間がいるかもしれないから)

 リオは頷き返すと、アイシアに美春達の護衛を継続して任せることにした。

 ――わかった。

 アイシアから返事が戻ってきて、念話はそこでいったん終了する。

「魔物をけしかけてあの家を襲わせた理由を教えてもらいたい」

 言い逃れを許さぬ毅然とした態度でリオはレイスに詰問した。

「おや、もうそこまでバレてしまいましたか。ふーむ……」

 と、顎に手を当てて考えるそぶりを見せるレイス。

「どうでしょう? 正直に話す代わりにこの場は私を見逃していただくというのは」

 やがて開口すると告げたのはそんな言葉だった。

「それは理由次第だな」

 低く抑えた声でリオが答える。

「ですよねぇ」

 くつくつと苦笑を漏らすと、レイスは先を続けた。

「ま、いいでしょう。私はあちらにいる力の強い精霊に興味を持っただけですよ。威力偵察をして邪魔になりそうなら排除をと思ったのですが、この場を見逃していただけるのでしたら、私から貴方達に危害を加えることはしないと約束しましょう」

 そう言って不敵な笑みを浮かべる。

「私からということは、あんたに仲間がいたら意味のない約束だな」
「そうなっちゃいますねぇ」

 人を食ったような声色で頷くレイス。

「……今アマンドが魔物に襲われているのもあんたが関係していそうだな」

 リオはアイシアの証言から得られた情報を元に推測した事実を尋ねた。
 極僅かではあるが、レイスがスッと目を細める。

「当たりか」

 リオは僅かなレイスの反応を肯定と断じた。

「仕様がありませんね。まぁ、私の手の者を含めまして、貴方達を襲わないということは確かに約束しますよ。邪魔さえしなければという条件が付きますが、積極的に危害を加える真似はしません」

 と、先ほどよりも譲歩した条件を提示するレイス。

「なので、どうでしょう? この場を見逃していただくとともに、アマンドが魔物に襲われた件の黒幕が私だったことを秘密にしてもらうのは?」

 続けて、そんな提案を付け加えた。

「魔物を操れるような輩とまともに取引をする気はないな。この場であんたを拘束してもっと情報を聞きだす。その上で始末した方が安全だろう?」

 苦笑交じりに首を振るリオ。
 だが、その目は笑っておらず、刃物のように鋭い眼光でレイスを見据えていた。

「そうなってしまいますか。となると私としては逃げる選択肢を採った方が賢そうですね」

 リオからの容赦ない敵意の視線を受け止め、レイスはさも困窮したように肩をすくめた。

「逃がすと思うか?」
「うーん、どうでしょうねぇ。やってみないことには何とも……」

 お互いに口調は緊迫したものではないが、その場にはまさしく一触即発の雰囲気が漂っている。
 数瞬の後、先に動いたのはレイスの方だった。
 爆発的な加速を得ると、瞬時に四十メートル程の距離を移動する。
 が、リオも難なくその速度に追いつき、レイスの背後に付いた。

「驚きました。貴方、本当に人間ですか?」

 いったん停止すると、レイスが僅かに目を丸くして尋ねる。

「それはこっちの台詞だ」

 リオは胡乱うろん気に眉をひそめて尋ね返した。

「……なるほど。どうやら本当にただの人間のようだ」

 窺うようにリオを凝視していたレイスだったが、得心したように呟いた。
 だが、その面持ちにはやや驚愕の色が浮かんでいる。

「このままでは逃げられそうにありませんね」

 レイスが悩ましげに言葉を漏らす。

「なら、こんなのはどうでしょう?」

 そう言うと、レイスの周囲に数多の光球が出現し、一斉に放たれた。
 その一つ一つが微誘導されて、緩く弧を描くようにリオに襲いかかってきている。

「ちっ」

 小さく舌打ちをすると、リオはスッと目を細めた。
 そうして視線を動かし、迫り来る光球の一つ一つを漏らさずに捕捉する。
 次の瞬間、リオはランダムに軌道をとって、とんでもない反応速度で眼前へと迫った光球をすべて躱していった。

「お見事」

 完全に対処しきったリオの手並みを称賛すると、レイスは第二波の光球を放った。
 数は先ほどの倍はある。
 今度はバレルロールを行い、リオが迫り来る光球を避けていく。
 当たりそうになった光球も、精霊術で暴風を巻き起こし、弾き飛ばしてしまった。

「ほう」

 その離れ業に攻撃を仕掛けたレイスも息を吐いた。
 第三波の光球を放つが、リオは無造作に見えながらも、巧みに光球を躱して前へと前進している。
 目にもとまらぬ速さでリオが迫ると、レイスは素早く飛びのこうとした。
 だが、リオの動きの方が速く、その膝がレイスの胴を蹴り飛ばす。
 ミシリと骨が軋む音が響いた。

「っ……」

 蹴られた勢いで真っ直ぐとレイスが眼下の森の中に吹き飛び、それを追うようにリオも素早く飛翔する。
 すると森の中から先ほどの光球よりも一際ひときわ大きな光弾がいくつか飛んできた。
 とっさに身体を捻り初弾を躱すと、リオは剣を抜いて多めに魔力を流し込んだ。
 リオの魔力に反応して剣が強く光り輝く。
 飛んできた光弾をその剣を使って薙ぎ払うと、リオは速度を緩めずに真っ直ぐ降下した。
 すると、森の中からレイスが飛び出してくる。
 レイスは右手に魔力を集めて、手刀をかたどると、リオに正面から挑んだ。
 次の瞬間、空中で二人が交差して、レイスの腕が斬り飛ばされて宙を舞う。
 レイスは即座に斬られた腕を掴みとると、リオから距離を保って対峙した。

「いやはや参りました。まさかこれほどとは……」

 陰鬱に微笑みながら、レイスがリオに賛美の言葉を贈る。 
 岩を砕くような蹴りを胴体にもらったダメージ、斬り飛ばされた利き腕、今のレイスは満身創痍のはずだ。
 だというのに、その顔には苦痛の色がまったく浮かんでおらず、気持ちの揺れが全くと言っていいほどに読み取れない。
 実に不気味な男であった。

「もう投降したらどうだ? 腕の治療もくっつけるのなら早い方がいいだろう」
「投降したいのは山々なのですが、あいにくとのっぴきならない事情がございまして。それに投降したとしても情報を吸い出したら処分されるのでしょう?」

 と、レイスがこの期に及んでも鷹揚に語る。
 だが、断じて増長しているわけではなく、ましてや気が触れているというわけでもない。
 その口調には精神的な余裕を感じさせる何かが覗えた。

「…………」

 その真意を見極めようと、リオが冷ややかにレイスを直視する。
 圧倒的に優位なのはリオのはずなのだが、何か嫌な感じがした。
 情報は聞きだしたいが、これ以上この男と会話を続けても、相手の術中にはまってしまうだけのような――。
 生かしたまま拘束することを目標として戦闘を行ってきたリオだったが、己の直感に従い最悪レイスを殺すことも視野に入れた。
 口さえ利ければいいのだ。腕や脚を残しておく必要はない。
 それでも無力化できずに口を割らず、反撃するようならばもはや殺すまで。
 元より相手は美春達に魔物をけしかけ危害を加えようとした男だ。
 今更殺しを行うことに是非などない。

「おお、怖い怖い」

 そんなリオの方針の変化を機敏に読み取ったのか、レイスは大仰におどけてみせた。
 その口元には不敵な笑みが刻まれている。

「ふむ、冷静な人ですね。どうやらこれ以上は本当に生命に関わりそうだ」

 人を食ったような態度もすべては計算ずくだったのか、レイスは挑発に乗らないリオに感心したような視線を送った。

「下手に貴方へ手を出すのは本当に怖そうです。こちらの邪魔にしかなりそうにありませんしね。お互いに今日のことは忘れようじゃありませんか」

 残った左肩を竦めて告げるレイスであったが、もはや真意を判ずるまでもない。
 時間を稼ぐような会話の引き延ばしもこの男の術中だと断じて、リオは精霊術で周囲の大気を操り烈風をレイスへと叩きつけた。

「むっ」

 僅かにレイスのバランスが崩れ、その動きに鈍りが出る。
 それを見逃すリオではなかった。
 風の噴流を生み出して自らを加速させると、一気にレイスへと差し迫る。
 すると、その時、

「っ!」

 リオはとっさに噴流を生みだし、飛び跳ねるように自らの軌道を逸らした。
 一瞬の後、リオが通過するはずだった箇所を図太い灼熱の閃光が通り過ぎる。

「あれは……」

 閃光が飛んできた方向に視線を走らせると、遥か遠方に黒い竜が滞空していた。
 おそらく今の閃光は竜のブレスだろう。
 レイスがにやりとほくそ笑む。

「ようやく助けも来てくれたようですので。それでは、私はこれで失敬しますよ」

 そう言い残すと、レイスは颯爽と逃走を開始した。

「っ、待て!」

 慌ててリオが追いかけるが、それを妨害するようにレイスが無数の光球をばら撒いてきた。
 それだけならさして脅威でもない。
 二、三発が当たったところで、多少速度が停滞するとはいえ、周囲を覆う精霊術の暴風で弾き飛ばすことが可能だからだ。
 だが、遥か彼方から黒竜が放ってくる閃光は決して無視できない。
 数こそ単発だが、当たれば暴風で軌道を逸らすこともままならない程の威力が込められている。
 しかも狙いはかなり正確で、軌道こそ直線的だが、閃光を放つ口の向きを変えることで、放射中もある程度の微調整が可能らしい。
 閃光を避けることに専念するあまり、いくつかの光球に被弾してしまい、リオの速度が落ちていく。
 そうして僅かにバランスを崩したところを見計らって、リオ目がけて閃光が放たれた。

「ちっ」

 やむを得ずにその場で停止すると、リオは正面から竜のブレスを迎撃することにした。
 右手に膨大な魔力を瞬時にかき集めて、精霊術で純粋なエネルギーに変換すると、迫ってきた閃光を明後日の方向へとはたき飛ばす。
 遠目からレイスが目をみはる姿が見えたが、今から追いつくことは不可能だろう。
 追い打ちに雷撃の精霊術を放ったが、巧みに躱されている。
 黒い竜も旋回すると、レイスとは別の方向に飛び去ってしまった。
 遠い空に消えていく二つの影を見据えて、リオが深く溜息を吐く。
 そうして臨戦態勢を解くと、リオは岩の家へと引き返したのだった。

 ☆★☆★☆★

 それから一か月が経過する。
 リオは美春達のもとを極力離れないようにして、アイシアと共に守りを固めたが、このひと月の間は先の騒動が嘘であったかのように穏やかな日々が続いた。
 家の中に隠れていたとはいえ、すぐ間近に魔物達が迫ってきたことに何か感じるところがあったのか、雅人はより真剣に剣術の訓練に取り組むようになっている。
 それは亜紀も同様で、やや過激とも言える雅人の訓練内容に口を挟むことはなくなったし、少し気恥ずかしそうではあったがリオに頭を下げてもっと鍛えてくれるように頼んできた。
 この二人は少し意気込みすぎなところがあるようにも思えたが、そこは何とか美春が舵をとっている。
 そうして瞬く間に過ぎた一ヶ月であったが、つい先日になってガルアーク王国は勇者の存在を公表した。
 その勇者の名前は皇沙月すめらぎさつき、美春達の知り合いと同名の存在であることから、間違いなく本人だろう。
 現在、ガルアーク王国内は彼女の噂で持ちきりである。
 魔物の撃退に成功したアマンドであったが、その被害は決して無視できるものではない。
 都市の西部には魔物に襲われた被害の爪痕が至る所で見受けられ、現在は復興作業を行っている最中である。
 だが、実に千年以上の時を経て再び現れた勇者召喚の吉報に、アマンドのムードも実に明るいものとなっていた。
 リーゼロッテとの面会を果たすべく、ひと月ぶりにアマンドに訪れたリオは情報収集を行い、彼女の存在を知る。
 そうであるならば、すぐにでも美春達を沙月に会わせてやりたいところだが、沙月の居場所は王城である以上、正攻法で会うとなると何らかのコネクションが必要となる。
 非正規の手段として美春達を連れて王城の侵入することもできなくはないが、会った後のことを考えると色々と面倒だ。
 何か良い策はないものかと思考を張り巡らせていると、リオはリーゼロッテの屋敷に辿りついた。
 アポイントメントは一か月前に彼女と会った時にとってあり、用件は酒の供給に関する契約の報告だ。
 ついでにいくつか試飲用の酒を持参している。
 リーゼロッテは復興作業中で疲れているのではないかとも思ったが、リオが姿を現すと満面に笑みを浮かべて出迎えた。
 ひとまず契約の品である精霊の民産の酒を差し出すと、リオはリーゼロッテから屋敷の中へと招かれることになる。
 世間話を兼ねて、主にリオが屋敷を立ち去った後の話をすることになったのだが、酒を引き渡し、一通り事の顛末を聞き終えたところで、

「ハルト様が倒した魔物の魔石なのですが、是非こちらで買い取らせて頂けないでしょうか? 図らずも屋敷の危機を救って頂くことになりましたし、お値段の方は精一杯勉強いたしますので」

 と、リーゼロッテはリオの倒したグール四体の魔石を譲ってくれないか打診してきた。

「ええ、別にかまいませんが……」

 すんなりと頷くリオ。
 そもそもあの時は家に戻ることに必死で、グールの魔石のことなど頭の中になかったのだ。
 リオからすれば捨てたも同然で、リーゼロッテがその所有権をリオにあると認めているのは意外ですらあった。

「ありがとうございます!」

 嬉しそうに頷くリーゼロッテ。
 リオとしても喜ばしい臨時収入である。

「しかし魔石の買取額に色を付けるだけでは謝礼としては不十分でございますね。他に何かお礼ができればと考えているのですが、何かお望みなどありませんか?」
「謝礼ですか?」

 思いがけないリーゼロッテからの申し出に、リオが目を丸くする。

「はい。ハルト様が屋敷に現れた魔物を撃退してくださったおかげで、当方の被害は最小限で済みましたから」

 リオが相手をしていたグールだけを倒すと即座に立ち去ってしまったことに思わないところがないわけでもないが、それでも助かった部分の方が圧倒的に大きい。
 都市の中に散らばっていたグールはアリアを始めとする腕利き達がすべて排除してくれたが、戦力が不足していた屋敷に現れたグールはリオの協力がなければ撃退することができなかったのだから。

「そうですか。なるほど……」

 何かを考えるように顎先に手を当てると、リオは唸った。
 別にリオはリーゼロッテを助けるためにグール達を倒したわけではない。
 ゆえに恩に着せるつもりはなく、本来ならばお礼を受け取るつもりもあまりないのだが、ふと妙案を思いついた。
 僅かに逡巡してその案の妥当性を考えてみたが、悪くない選択肢であるように思える。
 そう考えて、

「では、お願いしたいことがございます」

 リオは凛とした声で話を切りだした。
 決然とした視線と物言いを受けて、どのような要求が来るのかと、リーゼロッテが姿勢を正す。

「私をガルアーク王国の勇者に会わせて頂きたいのです」

 果たしてリオから告げられた意外な申し出に、リーゼロッテは目を見開き、やや呆けた顔を浮かべたのだった。
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