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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第四章 再会、その裏で

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第78話 逆さま

 リッカ商会のレストランで一室を借りて、リオはスティアード達と協議を行い和解契約書を作成した。
 契約書を作り終えて美春達が待つテラス席に戻ると、リオは場に重い空気が漂っていることに気づく。
 どうやらリオの帰りを心配しながら待っていたようだ。もっともアイシアだけはいつもと変わらない様子だったが。
 セリアは状況の推移を心配し、リオに交渉を任せきりにしたことを申し訳なく思っていたようだが、日本人である美春達からは漠然と怯えた様子が伝わってきた。
 それも無理はないだろう。
 つい最近まで日本で平和に暮らしてきた彼女達からすれば、レストランの中で絡まれて刃傷沙汰になりかけるなんて、初めての経験なのだろうから。
 この世界に来てすぐに、美春達は危うく奴隷にされかけた。
 だが、彼女達にとっては色々と未知の出来事が起こりすぎたことから、一度抱いた危機感もすぐに薄れてしまい、現状を理解することで精一杯だったはずだ。
 その後もリオのおかげで快適かつ平穏な生活が続いたし、言葉を学ぶことに手いっぱいで外に出る機会もほとんどなかった。
 だから、今回の件はあらためて危機感を抱く良いきっかけとなったのだろう。
 リオは早速、雅人に剣術を教えることを決意した。
 翌日、アマンドから南西に位置する森の中にある開けた空間において、リオと雅人が向き合っている。
 美春達にも棒術を教えるのだが、先に雅人に剣術を教えることにし、その様子を見てみたいという要望に応え、家の前には二人一緒に座れるハンギングチェアがいくつか設置されていた。

「今日はいきなりだけど模擬戦をする。型と足の運び方なんかは次回から教えるから。その前に軽く準備運動をしよう」
「おっす! お願いします!」

 リオの言葉に雅人が少し緊張した様子で返事をした。
 実戦においては準備運動をする暇などないが、今は訓練である以上、怪我のリスクを下げるためにも必要な作業である。
 張り切った様子で準備運動を行う雅人の様子を、リオも軽く準備運動をしながら見つめていると、

「あの、ハルトさん。あまり危ない真似はしないでくださいね」

 美春がおずおずとリオに声をかけてきた。

「はい。ちょっと手荒くなるかもしれませんけど、なるべく怪我はさせないように気をつけます」

 美春は雅人に怪我をさせないようにお願いしているのだなと考え、リオは安心させるように笑顔を浮かべて返事をした。
 二人が持っているのは実剣である。
 いざとなれば精霊術で治療できるが、リオも好き好んで心臓に悪い光景を見せたいわけではない。
 少し考えているところもあり、訓練中は雅人を甘やかさないと心の中で決めてはいたが、流血は極力避けようとリオは意識を引き締めた。

「雅人君もですけど。ハルトさんもです」

 盲目的に自らは怪我をしない立場だと思い込んでいたリオに、美春がそんなことを言ってきた。

「私達が……雅人君が剣を習うことは必要だと思います。けど、その……、本当に危ないことはしないでくださいね。あの、無理を言っているのはわかっているんですけど、怪我だけはしないでほしいというか、えっと……」

 きちんと考えがまとまる前に、衝動でリオに話しかけてしまったせいか、上手く自分の気持ちを伝えることができず、美春は言葉に詰まった。
 剣を握るリオの姿を見て、何故か不安になり、気がつけば足を運んでいたのだから。
 ふと、昨日、自分達の前で気丈に振る舞っていたリオの姿が美春の脳裏によぎる。
 その時のリオはとても頼りがいがあったけど、遠い、とてつもなく遥か彼方の存在に思えた。
 だというのに、美春はその後ろ姿に一人の少年の姿を見出してもいる。

(亜紀ちゃんにあんなことを言った後だったからかな……)

 美春はアマンドの衣装屋で亜紀に伝えてしまった言葉を思い出した。

 ――何となくハルトさんはハル君に似ているなって……。

 あの時どうしてこの言葉を亜紀に送ったのか、それは美春自身にもわかっていない。
 ただ、リオと一緒にアマンドへと最初に訪れた時以来、美春は何となくリオに自分の幼馴染の姿を重ねあわせるようになっていた。
 きっかけは二人で都市の中を歩き回っている時に、道端でデジャヴを感じたことだろうか。

 ――昔、この人とこうして一緒に歩いたことがあるような気がする。

 身に覚えはないはずなのに、この時、美春は天川春人の存在を思い出した。
 それから、買物をして、一緒に下着を買う時はすごく恥ずかしかったけど、楽しいひと時を過ごすことができた。
 そうして食事をして、リオの前世について少しだけ話を聞かせてもらう。
 リオは前世で大学生だったという。
 名前は知らない。
 詳しい話はいつか状況が落ち着いたら話すと言っていたからだ。
 他に知っていることといえばレストランでバイトをしていたということくらいか。
 あとは幼い時にこの世界で前世の記憶を取戻し、以来、一人で各地を旅してきたということは漠然と聞いていた。
 本当の名前はリオだそうで、普段はハルトという偽名を使っている。
 ハルト――、この偽名も美春がリオを春人と重ねあわせるようになった理由の一つだ。
 一度リオと春人が似ていると思い始めてからは、折に触れて美春はリオを意識するようになる。
 そして、あり得ないことだと理解しながらも、考えるようになった。
 もしかしてリオは天川春人が生まれ変わった人物なのではないか、と。
 二人の雰囲気が何となく似ているから、もし天川春人が成長したら、こんな人になっているんじゃないかと想像してしまったから。
 だが、リオと春人は別人のはずなのだ。
 そもそも二人の年齢は一致しないのだから。
 美春と同い年の春人と前世で大学生だったリオ、どう考えても計算が合わない。
 美春も思い切ってリオの前世の名前を聞いてみようと思ったことはあるが、答えを聞くのは怖かった。
 リオから前世の話をいつか聞かせてもらうと約束していたというのもある。
 だが、何よりも、もしかしたら二度と地球に戻れないかもしれないのに、春人がこの世界にいないと確定させてしまうことはとてつもなく恐ろしかった。
 七歳の頃の思い出だけど、美化しているのかもしれないけれど、春人のことを思うと、美春はいつだって胸がぽかぽかと温かくなるのだ。
 その想いは今もまったく変わらない。
 だから、美春は無意識のうちにリオに春人を重ねあわせるだけに留めていた。

 ――帰りたい。帰りたいよ。ハル君……。お母さん、お父さん。

 この世界に来て、そう思い、一人で枕を濡らした夜は決して少なくはない。
 だが、その翌朝、ハルトことリオの顔を見ると何故か安心することができた。
 どういうわけかリオがとても身近な存在に感じられて、そこにいるだけでホッとすることができたのだ。
 まるで昔からずっと一緒にいたような、そんな包容力がある。
 きっと春人とリオはそういうところが似ているのだろうと、美春は思った。
 リオに春人を重ねあわせるなんて、リオに対しても春人に対しても、とても失礼なことだとわかっているのに……。
 昨日、スティアード達と対面した時にリオが覗かせた横顔に、美春は胸の奥がぎゅっと痛くなるのを感じた。
 その時のリオはひどく冷たい形相を浮かべていたけれど、美春には必死に何かを堪えているかのように痛々しくも見えた。
 セリアはそんなことはなかったと思うと言っていたけれど――。
 怖かった。
 まるで知らない人に豹変してしまったように見えたリオの中にいる春人の面影が。
 その時のリオは明らかに美春が重ねあわせていた天川春人とは別人だった。
 美春が重ねあわせていた春人という存在が、リオの中から消えてしまうような――。
 そんな気がして、ゾッとするくらいに、心が、身体が、騒いだ。
 ちょっと不器用だったけど、底抜けに優しかった、思い出の中にいるあの人がいなくなってしまう。

 ――いやだよ、行かないで!

 今、剣を握って雅人と接しているリオを見て、美春は思わず自らの思いを吐露とろしそうになった。
 昨日ほど冷たい顔はしていないけれど、今のリオは少しピリピリしている。

「美春さん?」

 いつの間にか泣きそうな顔になって、黙りこくっていた美春に、リオが声をかけた。

「えっと、ごめんなさい……。急に黙ってしまって」

 心配するように顔を覗き込むリオに、美春は精一杯の笑みを浮かべてかぶりを振った。

「体調が悪かったら家の中でゆっくり休んでいてください。その、少し過激な内容になるかもしれませんから」

 サッと美春の目から視線を逸らし、リオが曖昧な笑みを浮かべる。
 美春はそんなリオの笑顔に陰りを見出した。
 とても痛々しくて、何かを耐え忍ぶような――。
 そんなリオの顔は見たくない。

「ハルトさん」

 美春が不安げにリオを呼ぶ。
 このままだとリオの中にいる春人が本当にいなくなってしまう気がする。
 衝動的に手を伸ばしかけて、だが、しかし、ぎゅっと堪えた。
 ああ、駄目だ、この人は春人ではないのだからと、そう思って。
 思わず自分の弱さが嫌になる。

「はい」

 美春に呼ばれて、リオはしっかりと返事をした。
 僅かに覗かせた美春だけにわかる痛々しい笑みを打ち消して。

「えっと、ハルトさんも怪我をしちゃダメですよ?」

 咄嗟に美春の口から出てきた言葉はそんな台詞だった。
 美春が困ったように微笑する。

「はい。わかりました」

 と、苦笑しながら頷くリオ。
 すると、そこで、

「おーい、ハルト兄ちゃん! 準備できたぜ! いつでもオッケー!」

 少し離れた位置で準備運動をしていた雅人が、元気よくリオを呼んだ。

「ああ、今行くよ」

 返事をして、リオが一歩前に出る。

「それじゃあ行ってきます」

 僅かに強張った声でそう言うと、リオは美春の傍から立ち去った。
 周囲の開けた空間で雅人と向き合う。

「剣の扱いには注意しないといけないけど、身体の力は抜いた方がいい。変に力が入ると動きが固くなって危ない。実剣を使うんだからな」

 力が入った様子の雅人を目にして、リオが言った。
 雅人はアマンドで購入した片手剣と盾を装備しており、身体には革製の軽鎧も身につけている。
 リオの手にも片手剣と、普段は使わない盾が握られていた。
 本来リオは盾を使わず、空いている手は格闘を行うことを前提に、丈夫なグローブだけを装着することにしている。
 ゆえに盾を用いた戦闘スタイルはリオの専門ではないが、今は雅人を指導するために全く同じ装備で立ち会っているのだ。
 片手剣と盾の組み合わせはシュトラール地方における標準的な剣術スタイルであり、国によって細部の違いはあるが概ねその基本は共通している。
 どこの国の騎士や兵士も片手剣と盾の組み合わせた剣術は習うことになっており、それだけ使用者も多く、リオも王立学院時代に習っていたことから他人に教えることは可能だ。
 こうした剣術は基本的には対人戦を前提に考案されているが、魔物や野生の獣を相手にするにあたってまったく無駄になるというわけではない。
 もちろんサイズや稼働部位の動きに違いがあったり、大型の魔物を相手にするには両手剣や槍の方が向いているが、戦闘の基本を学ぶには正統派の剣術が適している。

「片手剣と盾の組み合わせの最大の利点は攻防のバランスが優れていることにあるんだけど、実際に体験してみた方が早い。好きなように俺に攻撃してくるといい」

 そう言うと、小さく息を吸い、リオは完全に意識を切り替えた。
 ぞわり。
 殺されるはずはないのに、明確な死の匂いを感じて、対面する雅人の肌があわ立つ。

「っ……」

 リオは左足を前に出して、右足を後ろに引いた。
 必然的に盾を構えた左手が前面に出る。
 定石とも言える隙のない構えだった。
 対する雅人は両肘を持ち上げる形でややファイティングポーズに近い構えをとっている。
 両脇ががら空きになっており、かなり隙が多い。

「どうした? 早く来い」

 リオが冷たい声で言い放つ。
 ちくり、ちくりと、雅人の胸が痛む。
 ちょっと準備運動をしただけなのに、動悸が止まらない。

「うああ!」

 突如、叫びながら、雅人がリオに突撃した。
 だが、怖気づいたのか、リオのすぐ傍に来ると急に立ち止まってしまう。
 リオが醸し出す訓練とは思えぬ緊迫した実戦の空気、使い方次第で容易に人を殺せる実剣の重み、その全てが雅人の動きを鈍らせているのだ。

「どうした? 遠慮しなくていい。剣を振っていいぞ。今の雅人じゃどう足掻こうと俺を傷つけることはできないからな」
「っ……。らぁ!」

 リオの言葉に挑発されたのか、雅人が大きく振りかぶって斬りかかった。
 それは斬るというよりかは叩くと言った方が正確かもしれない。
 左上から迫り来る雅人の剣撃に対して、リオは焦ることなく前に出て、その勢いを利用し盾で雅人の剣を弾き返した。
 その衝撃で雅人の手から剣が零れ落ちる。

「ぐっ」
「動くな!」

 リオが叫ぶ。
 いつの間にか無防備になった雅人の喉元に、リオの剣が突きたてられていた。
 ごくり。
 すぐ傍に死が迫っていることを強く感じ、雅人が思わず唾を飲み込む。

「握りが甘い。教えた通りに握れ。それと今の自分の動きの何が悪かったのかよく考えるんだ。剣を拾っていいぞ。もう一度、俺に斬りかかれ」

 鋭利な声でそう言い捨てると、リオは剣を引いた。
 普段のリオとまったく異なる雰囲気に、雅人が気圧される。
 訓練前からリオの空気の変化を感じていた美春だけでなく、亜紀やセリアもリオの雰囲気がいつもと違うことに気づいたようで、少し怯えた様子がリオにも伝わってきた。
 横目で不安そうな美春の顔が映る。
 リオはそっと下唇を噛みしめた。

「どうした? 早く拾え」

 キュッと胸を締め付けるような思いを無視し、呆然とその場で立ち尽くす雅人に、リオが言った。

「っ……」

 びくりと雅人の身体が震える。
 すぐ傍に落ちている剣に視線が向くが、身体は動かない。

「俺が剣を買う前に言ったことを思い出せ。俺は何を教えると言った?」

 底冷えするような冷たい声でリオが言った。
 これは遊びではない。
 強くそう意識づけるように。
 実際、雅人が遊び感覚でいるようなら、リオは剣術を教えるつもりはなかった。

「……人殺しの技術……です」

 おずおずと雅人が答える。
 雅人はまるで親か教師にでも理不尽な理由で叱られた子供のように萎縮していた。
 言葉遣いもいつもの気さくなものとは変わっている。
 そこには今まで死を意識したことすらない十二歳の子供がいた。

「半分正解だ。殺す対象は人だけじゃない。襲いかかってくる生き物は全て殺さないといけない。わかったら剣を拾え」
「は、はい……」

 返事をすると、雅人は地面に横たわっていた自分の剣を拾った。
 震える手で剣を構えると、リオに向き直る。

「そんなに腰が引けてちゃ相手が素手でも負けるぞ。まだ握りも甘い」

 無造作に近づくと、軽く剣を振り払い、リオは雅人の手から剣を弾き飛ばした。
 どすり、と吹き飛んだ剣が雅人の背後の地面に突き刺さる。

「もう一度だ。拾え」
「ぁ……ぅ……」

 雅人が消え入りそうなうめき声を漏らす。

「早く」

 リオがそう言うと、雅人が怯えた様子でそそくさと剣を拾う。
 それから、雅人が剣を構えて弱腰で斬りかかってきては剣を弾き、隙を見せては剣を喉元に突きつけ、リオは雅人をなぶり続けた。
 何度も繰り返すうちに雅人も少しずつムキになっていき、遠慮がなくなり始める。

「あああ!」

 悔しいのか、怖いのか、雅人は泣きながら剣を振るっていた。
 目には大量の涙を垂れ流し、鼻水を垂らして、それでも剣を振るっている。
 見よう見まねでリオの動きを取り込んでいるのか、隙も少しずつ減っていた。

「そうだ。盾は打撃にも用いることができる。だが、不用意に振りまわすな。死角を増やすだけだ」

 そう言いながら、リオは雅人の死角に剣を走らせ、喉元に剣を突きつけた。
 雅人の動きが停止する。

「う……」

 雅人が悔しそうにうなる。
 仕切り直すべく二人が距離を取ろうとすると、

「あ、あの! ハルトさん!」

 亜紀が大きな声でリオに呼びかけた。

「どうかした?」

 チラリと視線を送り、感情を押し殺した声でリオが尋ねる。

「あ、えっと、もう少し手加減してあげてもいいんじゃ……。剣術って型とかあるんですよね? 先にそっちを教えた方がいいんじゃないですか?」

 リオの気迫に怯んだものの、亜紀は睨み返してそう言った。
 亜紀は弟の痛々しい姿を見て、居ても立ってもいられなかったのだろう。
 殺伐とした雰囲気を放つ今のリオに物怖じせずに意見できるだけでも大したものだ。
 普段は憎まれ口を叩いていても、それだけ雅人のことを大切に思っている証拠である。

「悪いが、今教えているのは型以前の問題だ」

 リオはきっぱりとかぶりを振った。

「じゃあ何を教えているんですか? これじゃ弱い者いじめですよ!」

 亜紀がリオに食ってかかる。

「雅人だって怖がってます!」

 続けてそう言って、雅人を指差す。
 よく見ると、その身体はがくがくと小さく震えていた。

「雅人、もう止めたいか?」

 リオがそう言うと、雅人はぴくりと身体を震わせた。

「止めたいのなら止めてもいい。これに耐えられないなら実戦は無理だからな」

 言って、スッと目を細め、リオは雅人を見やった。
 水を打ったような静寂が流れる。
 亜紀だけでなく美春やセリアもアイシアも黙って雅人を見つめていた。
 何かを言おうにも口を挟めるような空気ではない。

「……る」

 雅人がぼそりと呟く。

「……やる!」

 キッとリオを睨み、今度は叫ぶ。
 リオは小さく嘆息すると、

「そういうわけだ。悪いがここで中断するわけにはいかない」

 と、亜紀に向けて言った。

「っ……」

 亜紀は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
 何かを言おうとしたが、雅人が睨みそれを封じる。
 そうして再びリオと雅人は模擬戦を始めた。
 雅人の体力に限界がきたところで、今度は美春達に護身程度にと棒術を教えることになる。
 雅人の時とは異なり、まずは型からじっくりと教えることにしたのだが、亜紀はそれが気に食わなかったようだ。
 自分にも雅人と同じように模擬戦をしてくれと食ってかかってきたが、リオはそれを断った。
 少々ご機嫌斜めな亜紀の様子を見かねて、セリアがアイシアを引き連れて一緒に棒術を習うと言いだすと、亜紀も黙らざるを得なかったようで、渋々引き下がる。
 亜紀は中々に筋が良く、先の試合を見たせいか好戦的だったが、美春は根が優しすぎるせいか、あまり棒術の才能はないようだ。
 セリアは予想通りというか、かなりの運動音痴で、四人の中だと一番才能がなかった。
 魔法で身体能力を上げればそれなりにはなるのだが、体を鍛えていないために肉体へのダメージが大きく無理はできない。
 予想外に一番の才能を見せたのはアイシアである。
 どういうわけかアイシアは棒の扱いに手慣れており、精霊術により強化された驚異的な身体能力と肉体の強度も相まって、リオですら手を焼く程の強さを発揮した。 
 そんなこんなで訓練を終えて、すぐに夕食の時間がやって来たが、何となくギスギスした空気のまま就寝時間を迎える。
 それから、リオがリーゼロッテに会うためにアマンドへ向かう日が来るまで、毎日、訓練を繰り返したものの、何となくギクシャクした日が続いた。

 ☆★☆★☆★

 最初の訓練を行った日の夜、リオはベッドの上に寝転がってぼんやりと天井を眺めていた。

「嫌われたかな」

 深く溜息を吐くと、リオがボソリと呟く。

『そんなことないよ』

 霊体化しているアイシアの声がリオの脳内に響いた。
 体内にいるせいで姿は見えないけれど、小さくかぶりを振るアイシアのイメージがリオの頭の中に浮かんだ。
 すると僅かに胸が軽くなった気がした。

「そう……かな」

 不安そうなリオの声が室内に響く。

『必要なことだったんでしょう? 戦えば死ぬかもしれないって教えておくことが』

 抑揚はないが、リオをいたわる雰囲気がアイシアの声から伝わってきた。

「そうだね。本当はみーちゃん達みたいに型からきちんと教えて、その上で模擬戦をさせた方がいいんだろうけど。雅人にだけはなるべく早い段階で実戦の空気を知っておいてほしかった」

 躊躇なく自らの命を奪いに来る相手と対峙した時の感覚を。
 恐怖で身体の動きが鈍るあの感覚を。
 それらを知って実戦に臨むかどうかで生存確率は大きく異なってくる。
 最初から何らかの武術を身につけていて、格下が相手だというのなら、そのような状態でもある程度は動けるだろう。
 身体に染みついた動きは嘘を吐かないから。
 だが、雅人達は弱すぎる。
 日本で何か格闘技を習っていたわけではないし、まだ魔法や精霊術だって使うこともできない。
 セリアの発明した魔道具で大まかな魔力量を計測してみたところ、雅人達はこの世界に生きる人間族とは比較にならない程の魔力、すなわちオドを有していたが、リオのように最初から精霊術を扱う才能は持っていなかった。
 精霊術を扱うためには相応の訓練を積む必要がある。
 体内にあるオドの感知する訓練、体外へオドを意図的に放出する訓練、体外に放出されたオドを感知する訓練、体内のオドを制御する訓練、オドを視る訓練、空気中に漂うマナを感知する訓練、オドを操作しマナに干渉して事象を発動させる訓練。
 オドの制御以下の過程を省略ないし大幅に術式に依存するのが魔法を含む魔術であり、魔法を扱うだけなら長くとも数か月の訓練で済む。
 他方で、精霊術を扱うとなると才能次第では数年の年月も要する。
 リオの場合は高位精霊クラスのアイシアと先天的に契約状態にあったことから、何の訓練もなしに精霊術を扱うことができたが、リオが精霊術の才能に目覚めたのは記憶を取り戻した時である。
 記憶を取り戻すまで精霊術を扱えなかった理由は判明していないが、おそらくはアイシアもリオの記憶が覚醒するまで完全に睡眠状態に陥っていたのが理由だとリオは踏んでいた。
 それはさておき、雅人達が正攻法で精霊術を学ぶとしたら、どんなに才能があっても習得に半年はかかるだろう。
 実戦で使用することを考えるとさらに半年は必要かもしれない。
 この世界において魔法もしくは精霊術を扱えることは絶対的な強者であることを意味する。
 つまり、魔法か精霊術を身につけるまでの間、美春達は圧倒的な弱者の地位に立たされたままこの世界で暮らさなければならないのだ。
 雅人達に誰かを殺すつもりはなくとも、誰かが雅人達を殺そうとするかもしれない。
 今後、外を出歩くとしたら、そういった事態が生じない保証はないのだ。
 もし、その時、その場に、自分がいなかったら、雅人達は自分で自分の身を守るしかない。
 リオは雅人達には死んでほしくはなかった。
 だから、リオは雅人に剣術を教え、美春と亜紀に棒術を教えることにしたのだ。

 ――じゃあ何を教えているんですか? これじゃ弱い者いじめですよ!

 そう言った亜紀の怒りの顔が、その後ろにいた美春の泣きそうな顔が、リオの脳内にこびりついている。
 嫌われたってかまわない――、それで美春達の生存確率が上がるのなら。
 そう考えて心を鬼にしたのに、実際に嫌われたかもしれないと思うと怖くて仕方がなかった。
 雅人にだけ人殺しの技術を教えて、美春達には自衛の技術しか教えていないのは、リオのエゴだ。
 美春達には人殺しの苦行を負ってほしくないという。
 雅人には、能書きを並べて口で説明することもなく、実際に殺すくらいの心構えで向き合った。
 言葉で伝えようとしても甘えが出てしまうし、きっと十分にこの世界の厳しさを伝えきることはできないだろうから。
 万が一の時は雅人に率先して美春と亜紀を守ってほしいから。
 他方で、リオは美春達に棒術を教えることを選んだ。
 だが、殺すつもりで向き合うことはしなかった。
 もちろん棒術でだってやりようによっては人を殺すことはできるが、殺傷性だけなら槍の方が高いのだ。
 仮に地球に帰るかもしれない時のことを考えて、美春達にはできるだけ人殺しをしてもらいたくないと本能的に忌避感を抱いているのだろう。
 リオは自嘲的な笑みを漏らした。
 きっと美春達は今すぐにでも地球に帰りたいと思っているかもしれない。
 こんな世界にいるよりも地球に帰る方が美春達にとっては確実に幸せに生きていられるのだから。

(それなのに俺は自分の気持ちを伝えてみーちゃんをこの世界に引き留めようとしているのか)

 どこまでいっても自分のことしか考えていないことが嫌になる。
 今すぐにでも美春に気持ちを伝えたいし、地球に帰ってほしくもない。
 彼女のことが好きだから。
 美春には何があっても手を汚してほしくない。
 汚れるのは自分の役目だから。
 それらは押し付けという名のエゴだ。

『ねぇ、春人』

 ふと、アイシアの声がリオの頭の中に響いた。
 その声に反応して、ぴくりとリオが身体を震わせる。

『春人は美春に自分の気持ちを伝えるのが怖いの?』

 まるで今のリオの気持ちを見透かしたかのように、アイシアがそんなことを聞いてきた。

「怖くないよ。気持ちは伝える。タイミングは色々あってちょっと計りかねているけどね」

 間髪入れずに、僅かな苦笑を漏らしながら、リオが答えた。

『じゃあ春人が怖いのは貴方が変わってしまったから?』

 ぞくりとして、リオは目を見開いた。
 あえてぼかした自分の深層心理を見透かされて。

「……そう、かもね」

 数瞬の間をおいて、ゆっくりと頷く。
 復讐に燃える自分を、必要とあらば人も殺す自分を、既に人を殺している自分を、まだ美春達には見せていない醜悪な自分を――。
 美春は知ったらどう思うのだろうか。
 復讐のためならどんな地獄でも進むと、覚悟ならもう決めたはずなのに、唯一それだけは怖かった。

「けど、気持ちは伝える」

 今度は決然とした声だった。

『じゃあ美春が地球に帰りたいと言ったら、春人は手伝う?』

 ざわりと、リオの胸が再び騒いだ。
 だが、リオはその気持ちを振り払い、

「手伝うよ」

 と、そう答えた。

『じゃあ美春が他に好きな人がいて、その人のために帰るって言ったら、それでもいいの?』

 いつにも増して冷たい声で、アイシアが尋ねる。

「嫌だけど……いいよ。それがみーちゃんの幸せにつながるなら」

 感情を押し殺したリオの声。
 自分の中にいるアイシアの揺らぎが伝わってきた気がしたが、リオはそれを無視した。

『春人……』

 無機質な声なのに、リオには何故かアイシアの声が涙ぐんでいるように思える。
 だが、何かを悟ったような表情を浮かべると、リオはそっと笑った。

「大丈夫だよ」

 そう、呟いて。
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