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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第四章 再会、その裏で

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第77話 悪魔の囁き

 早朝、ベルトラム王国へと繋がるアマンド付近の森の中の街道にて。

「糞が!」

 アルフォンス=ロダンは悪態を吐きながら、一人で馬を歩かせ、ロダン侯爵領へと向かっていた。
 アマンドが存在するクレティア公爵領とベルトラム王国に存在するロダン侯爵領とは国境を挟んで隣り合っている。
 アマンドは周囲を小さな湖と広い森に囲まれているが、交易都市として周辺の街道の整備は整っていることから、ロダン侯爵領まで馬で進めば二日もあればたどり着く距離だが、まだ都市を出たばかりで道のりは長い。
 季節的にまだ冬は過ぎておらず、外套越しに肌寒さが伝わってくる。
 とはいえ、上を見上げれば広い空が視界に映り、今日は快晴と非常に心地の良い天気なのだが、アルフォンスの機嫌はそれらを楽しむ余裕もない程に悪かった。
 それこれもすべては昨日の出来事が原因だ。
 思い出すのも忌々しいことだが、リッカ商会のレストランで揉め事を起こしたアルフォンスは、リオと和解契約を結んだ。
 契約書の作成にあたっては腹が立つあまりに投げやりになり、アルフォンスはリオに言われるが通りに条件を呑んだ。
 あんな下民を相手に張り合うのもプライドが許せなかったというのもある。
 スティアードはスティアードで消沈しており、この悪事が親にバレた時のことを想像しているのか、ほとんど話は耳に入っていなかったようだ。
 契約書を作成すると、アルフォンスはその場にいた商売女の一人を連れてスティアードと一緒に宿へと戻った。
 スティアードはそんな気分ではないようだったが、アルフォンスはそのまま自室へとこもり、その怒りを発散するように商売女に自らの欲望をぶつける。
 そのまま疲れ果てて眠ってしまったアルフォンスだったが、ユグノー公爵の使者を名乗る男が宿に現れると、眼を覚ました。
 何となく嫌な予感はしたものの、流石のアルフォンスもユグノー公爵からの使者を追い返すことはできない。
 どうやらスティアードも一緒に呼び出されていたようで、言われるがままにスティアードと一緒にユグノー公爵の下に参上したのだが、

「この愚か者が!」

 部屋に入るなり、アルフォンスとスティアードはユグノー公爵に怒鳴りつけられた。

「女遊びの最中に立ち寄ったレストランでさらに別の女を口説こうとして口論した。挙句の果てに他国の領域で無礼打ちの濫用を行い、危うく牢獄に入りかけただと? 失望を通りこして呆れかえったわ!」

 ユグノー公爵が怒りの理由を告げる。

「ひっ」

 あまりの剣幕にスティアードとアルフォンスの二人が情けない悲鳴を漏らす。
 アルフォンスはどうしてこの場に呼び出されたのかを察した。
 同時に、どうして先の事件がユグノー公爵に伝わっているのかを予想し、答えに辿りつく。
 あの場にいた人間でユグノー公爵に今回の事件を報告できる人間など一人しかいない。
 アルフォンスの脳内には氷のように冷たく美しいとある女性の能面が浮かび上がった。

「あ、あの女。公爵には報告しないって……」

 ぶるぶると身体を震わせながら、アルフォンスがぼそりと呟く。
 あの女――、アリアは約束したではないか。
 ユグノー公爵には先の事件を報告しない、と。
 こうして怒鳴りつけられることになるということは、アリアは約束を破ったのだろう。
 たかが侍従の分際でふざけた真似をしやがってと、アルフォンスの中で沸々と怒りが沸き上がる。

「あの女だと? まさかリーゼロッテ嬢のことか? 彼女をあの女呼ばわりとは、何様のつもりだ?」

 アルフォンスの声を聞き漏らさず、ユグノー公爵は底冷えするような声で詰問した。
 どうやらユグノー公爵はアルフォンスが言う「あの女」をリーゼロッテと勘違いしたようだ。

「あ、いえ。事情を聴取した侍従が『私からユグノー公爵には今回の件を報告しない』って……」

 慌てて、アルフォンスが弁明を行う。
 それは馬鹿正直に自分達が隠蔽工作を図ったと口を滑らしたようなものだ。
 ユグノー公爵は二人が一丁前に今回の件を口止めをしようと画策していたことを察し、そのあまりにも杜撰ずさんな手口に呆れ返った。

「その侍従は何も嘘は言っておらん。この件を私に報告したのはリーゼロッテ嬢だからな」

 と、ユグノー公爵がアルフォンスの勘違いを正す。

「ど、どういうことですか?」

 だが、アルフォンスはこの期に及んでも自らの危機管理能力の甘さに気づくことはなく、ややふて腐れた様子でユグノー公爵に食ってかかった。

「言葉の綾をつかれたのだろう。口約束、しかも言質もとらぬとは。いくら王立学院のぬるま湯で過ごしてきたとはいえ、仮にも貴族だろうに、何とも不甲斐ない。いや、同じ自国の貴族として恥ずかしい……」

 このような交渉能力しか持たない者が未来のベルトラム王国を担う人材かと思うと、情けなくて仕方がない――、そう言わんばかりに、ユグノー公爵は顔を押さえた。
 そのままスティアードとアルフォンスに対してあからさまに侮蔑のこもった視線を送る。
 その気迫に、屈辱よりも恐怖が勝り、二人はサッと視線を逸らした。

「しかもあの契約書は何だ?」

 ジロリと睨みつけ、ユグノー公爵はアルフォンス達が作成した和解契約書について言及した。

「契約書の写しは見た。一方的に相手が提示した禁止条項を鵜呑みにし、相手に対してこちらから情報の開示を禁止する条項を付け加えることすらしていない。あれでは今後弱みを握られたままではないか」

 と、アルフォンス達が作成した契約書の不備を指摘する。

「え……?」

 ユグノー公爵の怒りの理由が解らず、二人が疑問符を浮かべる。
 そんな彼らの反応に、ユグノー公爵が苛立ったように息を吐く。

「あの契約書の文面からすると、正攻法で交渉して口止めをしようにも、貴様らの関係者である私からも不用意な接触は禁止される。かといって、下手な手段に出ればこの契約書の罰則に触れかねん。加えて拡張解釈の歯止めがない条文の文言。どうぞ脅してくださいと言っているようなものだな」

 契約書の文面を思いだし、ユグノー公爵は眉をしかめた。

「あ……」

 漠然と契約書の中身を思いだし、ユグノー公爵の言葉と照らし合わせ、アルフォンスがポツリと声を発した。
 ユグノー公爵は小さく舌打ちをすると、

「だが、良かったな。貴様らの不始末はリーゼロッテ嬢が行ってくれるそうだ。後日、被害者と面会して今回の件を口外しないように頼んでくれるらしい。その意味がわかるか? 他国の貴族に自国の貴族の不始末の面倒を頼まねばならん意味が?」

 冷たい声で淡々と詰問する。

「リーゼロッテ嬢から話を伺った時は恥ずかしくて顔向けもできなかったわ。貴様ら二人の軽率な行動が原因で、ただでさえ我々は不利な立場に置かれているというのに、余計な借りを作ってしまったのだ。自陣の恥を見せたうえでな。わかっているのか?」

 睨みつけるユグノー公爵の視線から逃れるように、二人は黙ってこうべを垂れた。
 スティアードは父の怒りに怯えてビクビクしている。
 他方で、アルフォンスは屈辱から来るどす黒い怒りでわなわなと身体を震わせていた。

「何とか言ったらどうだ! スティアードよ?」
「は、はいぃ!」

 急に名指しで指名され、スティアードが上ずった声で返事をする。

「貴様はかつて大きな失敗を犯したはずだが、過去から何も学んでいなかったようだな。私は二度目はないと言ったはずだが?」
「あ、いえ、これは……その……」

 言い訳の言葉を口にしようとするが、上手い説明が出てこず、スティアードが口ごもる。

「言い訳など聞かん! 二度はないと言った。貴様からユグノー公爵家の家督承継権を剥奪する」

 家督の承継――、すなわち爵位の承継は、心身の故障という特別の理由がない限りは、基本的にその家の長男が承継するのが慣例である。
 それ以外の理由で長男以外の者が家督の承継者として指名されたり、一度与えられた家督の承継権を剥奪されるということは、貴族生命に関わる程の不名誉とされていた。

「そ、そんな……」

 スティアードの顔が絶望に染まる。

「ふん、だが、現時点で我が家の恥を公表することは避けなければならん。運が良かったな。内々的に家督の承継権は剥奪するが、一応は今後も騎士として使ってやる」

 小さく鼻を鳴らすと、ユグノー公爵は語った。

「ほ、本当ですか?」

 スティアードの顔に僅かに生気が戻る。
 そんな息子の反応にユグノー公爵は嘲笑をたたえた。

「ふん、せいぜい今まで貴様を育てるのにかかった金額分くらいは働け。スティアード、貴様は宿で待機していろ」

 まるで物を見るような目つきで、ユグノー公爵は言った。

「は、はい!」

 スティアードは怯んだ様子は見せているものの、ぶんぶんと勢いよく首を縦に振った。
 ちらりとユグノー公爵の視線がアルフォンスに移る。

「さて、アルフォンス君。他家の貴族である君の処遇については私の一存では決めかねる。既にお父上には私から手紙を送っておいた。君は心労が溜まったという名目で領地に戻り、処遇を聞いてくるといい」

 特に興味もないといった風に、あっさりとした口調で、ユグノー公爵が告げた。
 その言葉が信じられず、アルフォンスがあんぐりと口を開ける。

「以上だ。今回の件は誰にも口外するなよ。二人とも出ていって構わんぞ」
「しょ、承知しました! し、失礼します!」

 スティアードが率先して部屋から立ち去ろうとする。

「そ、そんな馬鹿な! 俺はフローラ王女殿下の親衛騎士ですよ! いったい何の権限があって!」

 だが、アルフォンスは感情的になってユグノー公爵に反論した。

「私は出ていけと言った」

 静かに、だが良く通る声で言って、ユグノー公爵は無機質な視線をアルフォンスに送った。

「っ……」

 思わずアルフォンスが言葉を失う。
 それが悔しくて身体が震えたが、それ以上はユグノー公爵に逆らうこともできず、スティアードに連れられて部屋を後にするしかなかった。
 その後ろ姿を怜悧な視線でユグノー公爵が見つめていたのは誰も知らない。
 そうして現在に至るわけだが、

「ああ、糞が! 糞が! 糞がっ! あの腐れ公爵が! 人を見下したように睨みつけがって!」

 以上のような出来事があり、アルフォンスの機嫌は朝から最悪だった。
 先ほどからムシャクシャして何度も喚き散らし、怒りの原因である人物達の文句を口にしている。
 静かな森の中にアルフォンスの声が響き渡るが、周囲に人は誰も見当たらない。
 いや、仮に周囲に人が見えたとしてもアルフォンスは怒鳴り散らしていただろう。

「俺は何も悪いことなどしていないというのにっ!」

 アルフォンスは手綱を握る力を強め、ぎり、と歯を食いしばった。
 自分を虚仮にした連中が許せない。
 アリアも、ユグノー公爵、あの平民も、みんな自分を見下している。
 王立学院では優秀な成績を収めていた自分をだ。

「糞っ、糞が、糞が、糞がぁ!」

 森の中で一人叫ぶ。
 目の前で命乞いをしている人物達の姿を想像し、アルフォンスは慈悲もなく斬り殺す自分の姿を想像した。
 いや、アリアに限ってはその前に別の使い道があるかと、アルフォンスは暗い笑みを浮かべた。
 そうやって虚しい方法でしか自らのストレスを発散させることができないのだ。
 下衆な欲望で頭の中を染め、そうやって怒りを発散させなければ、今すぐにでも都市に戻って彼らを殺してしまいそうだった。
 すると、そこで、

「おはようございます。騎士様」

 アルフォンスに声をかける男がいた。
 びくりと、アルフォンスが身体を震わせる。
 どういうわけか、いつの間にかアルフォンスの眼下に一人の男が立っていたのだ。
 いくら街道を移動しているとはいえ、盗賊、魔物、獰猛な獣など危険には事欠かない。
 騎士であるアルフォンスならそこいらにいる野盗や魔物に後れをとることはないが、何が襲ってきてもいいように、怒りながらも周囲に気は配っていたのだ。
 むしろ襲いかかって来たら積極的に斬り殺してやろうという心づもりで。
 左右から襲われる危険性に備えて横目で森を眺めてはいたが、前方にもきちんと視線は送っていた。
 だというのにアルフォンスは目の前に現れるまでこの男の存在に気づくことはできなかった。
 そのことにアルフォンスが不気味さを覚える。

「何だ、貴様は?」

 尋ねて、警戒しながら探るような目で男を観察する。
 どうやら一人で街道を歩いているようだが、男は黒いローブを纏うだけで大した荷物は持っていない。
 歳は三十代の中ごろといったところか、顔つきはそこそこ整っているが、若干青白く不健康そうだ。

「これは、これは。私はレイスと申しまして、ただのしがない旅の商人にございます。はい」

 慇懃な所作でレイスと名乗った男が自己紹介を行う。
 アルフォンスと視線が合うと、レイスはにやりとした。

「はっ、卑しい商人風情か。去れ。俺は気分が悪い」

 レイスがただの商人にすぎないことを知ると、アルフォンスが明らかに蔑みのこもった声でそう言った。

「おや、どうかなさいましたか? 御気分がすぐれないのでしょうか? こう見えて私めは商人にございますから、お役にたてると存じますが?」

 へりくだった口調でそう言いながらも、ずい、と、レイスが前に出る。
 レイスは軽薄そうな笑みをたたえていた。

「必要ない! 薄気味の悪い野郎だ。行け! さっさと去れと俺は言ったはずだ!」

 レイスを薄気味悪く感じ、アルフォンスが怒鳴った。

「いえいえ、そうは仰らず、実は今の貴方様に相応しい商品があるのですよ」

 アルフォンスの怒声に気圧されることもなく、レイスは飄飄ひょうひょうとした様子で話を切りだした。

「何ともふてぶてしい。流石は卑しい商人……、何だ、それは?」

 レイスをあざけようとして、アルフォンスが鼻で笑うと、レイスが懐から黒い宝石のような石を取り出した。
 その石は不気味な黒い光を放っている。

「どうぞじっくりご覧になってください」

 脳に溶け込むような、甘い、甘い、麻薬のように甘美な響きがアルフォンスの頭の中に浸透した。

「…………ぁ」

 アルフォンスは気がつくと、意識が吸い込まれるようにその石に目を奪われていた。
 黒い、暗い、奈落の底のような、闇の宝石に。

「ほほほ。不思議な石でございましょう」

 レイスが愉快そうに笑っている気がした。
 アルフォンスの瞳が正気の光を失っていく。

「素晴らしい。やはりこの石は貴方に相応しいようだ。良い負の感情を発散していただけはある。こんな遠くまで飛んできた甲斐もありました」

 レイスが何かを言っているが、アルフォンスの意識はぼんやりとしていて、耳には入ってこなかった。

「この石を貴方にあげます」

 どうしてか、アルフォンスにはその言葉だけは理解できた。
 くれる。
 この宝石を俺にくれる。

「俺にくれるのか?」
「ええ、今の貴方の願いを叶えてくれるかもしれませんよ。その前に私のお願いを聞いてもらいますけどね」

 アルフォンスの意識が加速度的に朦朧もうろうとしていく。
 だというのに五感が鋭敏になっていくのを感じる。
 ふと、血の香りが漂ってきて、アルフォンスの鼻を刺激した。
 よく見ると、男の黒いローブには、返り血のようなものが染みこんでいる。
 いったい()()()だろうか、いや、そんなことはどうでもいい。
 願い、アルフォンスのそれは――。

「殺す。あの都市の、あいつらを……。俺を馬鹿にした……」

 ゾッとするような冷たい声に、レイスはニヤリと陰鬱な笑みを漏らした。

「実にシンプルですね。だが、それがいい。私の願いとも一致しそうです。契約成立ですね。ほら、どうぞ。飲んでください」

 ふわりとレイスの身体が宙に浮かび上がり、馬上のアルフォンスの耳元に近づきそっとささやいた。
 そのまま雑な手つきでアルフォンスの顔を無造作に掴む。
 反対の手には黒い宝石が握られていた。
 レイスが宝石をアルフォンスの口に突っ込み無理やり飲ませる。

「ぐっ……」

 口の中が熱いが、レイスが強引に唇を塞いでいるため、吐きだすことも叶わない。
 呼吸が苦しくなり、耐えられずに、アルフォンスはやがて宝石を飲みこんでしまった。
 すると、腹の奥底がかっと熱くなる。
 やがて全身にその熱が伝わっていき、思わず吐きだしそうになってしまった。

「ほら、吐かないで。飲んでください。吐いたら貴方もう死にますよ。
 飲んで。…………早く。早く。早く。早く。飲みなさい」

 レイスが呪詛のごとく耳元でささやきき続ける。
 やがてアルフォンスの表情から異物を嘔吐しそうとする気色が消え去った。
 それを確認して、レイスが満足そうに笑う。
 まるで玩具を与えられて喜ぶ無邪気な少年のように。
 だが、どうしてだろうか。
 その笑顔はまるで人の不幸をもてあそぶ悪霊のようだった。
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