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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第四章 再会、その裏で

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第60話 セリア=クレールとの再会

 美春と一緒に買い物を終えて岩の家へと戻った日の翌日、リオは三人を引き連れてガルアーク王国へと移動した。
 アマンド付近に位置する森の中で隠れやすい場所を見つけると、そこを当面の間の本拠地と定める。
 さらに翌日、リオは単身でベルトラム王国の王都へと向かった。
 美春達がいる場所からベルトラム王国の王都まで、リオが全力で移動すれば数時間もかからずに往復できる距離だ。
 とはいえセリアを見つけ出すのにどれくらいの時間がかかるのか不明であるため、最大で三日は家を空けると美春達には伝えてある。
 日常生活に必要な物資はすべて揃ってるし、家に置いてある生活用の魔道具や霊具の使い方も説明してあるので、家の中で暮らすだけならば心配する必要はないだろう。
 とはいえ、まだまだこの世界に来たばかりで美春達の不安も大きいはずだし、長期間にわたって家を空ければ心配もかけてしまうはずだ。
 リオとしてはなるべく早くセリアの無事を確認し、早めに帰還したいところだった。

「あれは……」

 ベルトラム王国の王都へと向かいながら、周囲に異常がないか気を配っていると、リオは地上に多くの人間が隊列を作って移動している姿を発見した。
 少し気になり、その場でホバリングするように浮遊すると、精霊術で視力を強化し、目を凝らして、その様子を眺める。

「軍隊か?」

 進行方向にはガルアーク王国がある。
 国境にたどり着く前にベルトラム王国の都市があるが、さらにその先に進めばすぐにアマンドにたどり着く。
 リオは顎に手を当て、考察するように地上を見下ろした。

「少し探ってみるか」

 ゆっくりと地上へ降下し、部隊から少し離れた位置に着地すると、オドとマナを操作して、リオは自らの周囲にオドを帯びた風を幾重にも纏わせた。
 すると、リオの姿が少しずつ周囲の風景と一体化していき、やがて周囲から完全に不可視となる。
 これはオドを帯びた風を用いた光学迷彩の精霊術だ。
 もっとも、音や気配まで遮断しているわけではなく、オドを視認できる者が目を凝らすと簡単に見えてしまうし、オドを視認できずともオドの知覚能力が高い者は違和感を覚えてしまう。
 また、人にぶつかるなどして外部から衝撃を受けると迷彩が解けてしまうため決して油断はできないが、人間族に対しては有効な隠れ蓑となる。
 術がきちんと発動していることを確認すると、リオは足早に軍隊へと向かった。

「もしかしたら本国と戦争になるんだよなぁ。本当に勝てるのかよ、俺ら」

 行軍しながら会話をしている一般兵のグループを発見し、リオは耳を傾けた。

「だよなぁ。反革命軍なんて体裁をとっちゃいるが、俺達って要は反乱軍だろ。どっちが反逆者なんだよ」
「おい、馬鹿なこと言うんじゃねえよ。お偉いさんに聞かれたら鞭打ちもんだぜ」

 兵士の一人が声を潜めて男達の会話を注意した。

「そうは言ってもよ。王都から逃げてるのは事実だろ?」
「……俺達にはフローラ様がいる。それに伝説の勇者も現れたんだ。そう悲観したもんじゃねぇさ」
「勇者か。なんか実感が沸かねぇな。伝説の存在が俺達と一緒にいるなんてよ」
「けどお前らもあの光の柱を見ただろ? 上層部から直々の通達だ。嘘とは思えないぜ」

 リオは僅かに目を見開いた。

(勇者だと?)

 勇者といえばお伽話の中に出てくる存在だ。
 神々の遣いし使徒。
 かつて魔族と戦った英雄達。
 リオが知っているのはそれくらいの表面的な情報だけだった。

(あの六本の光柱が勇者を召喚したのか?)

 男達の会話を聞く限りそうなるらしい。
 しかも状況証拠からするとその可能性はかなり高いように思えた。
 伝承では伝説の勇者は六人いたらしいから、光の柱の数とも一致する。

(光の柱が勇者を召喚したのだとすれば、みーちゃん達は勇者ではないことになるけど……)

 光の渦に巻き込まれたという美春の証言とも一致する。
 そうなると勇者は美春達の知り合い二人である可能性が高い。

「そもそも俺らは何処に向かってんだ? ガルアーク王国なのか?」

 リオが考え事をしている間にも男達の会話は進んでいた。

「俺らの大半は途中のロダン侯爵領で待機だろ。ガルアーク王国に行くのはお偉いさんと一部の部隊だけだ。流石にこの人数で他国を闊歩するわけにいかねえだろうからな」
「ガルアーク王国が味方をしてくれるのは確かなんだよな?」
「知るかよ。上からの通達通りなら、そうなんだろ」
「そうだとしたら少しは希望が持てるな」
「フローラ様がいるし、勇者まで現れたんだ。とりあえずは安泰って考えていいんじゃねぇか」

 軽く一緒に歩くだけでもかなりの情報を収集することができる。

(ここにいるのはクーデターで没落した連中か。ガルアーク王国を味方につけたということは、本国の方とは敵対関係になるということか?)

 かつてリオがシュトラール地方にいた頃はベルトラム王国とガルアーク王国は友好関係にあったはずだ。
 この数年間で情勢に変化があったのかもしれない。
 行き先がロダン侯爵領だというのならばガルアーク王国の中にまで行くことはないし、戦争をしに行くわけでもないため、美春達に危害が及ぶ心配はしなくてもいいだろう。

(勇者が何者なのか少し調べておきたいな)

 もしかしたら美春達の知り合いかもしれない。
 そうでなくとも勇者という存在が何のために現れたのか知っておきたいという気持ちもある。
 とはいえ、このままここにいても一般兵から大した話が出てくるとは思えない。
 これ以上の話を聞きたかったら貴族や部隊の高官がいる場所へ忍び込む必要がありそうだ。
 もしくはこのまま勇者の元へ行ってその顔を確認するか。
 リオは逡巡しゅんじゅんした。

(それにここにいる人間達がベルトラム王国の反乱軍だというのなら……)

 もしかしたらこの中にセリアもいるかもしれない。
 セリアがどの派閥に所属しているのかは不明だが、探してみる価値はある。
 リオは部隊の奥深くへと潜りこむことを決めた。
 幸い休憩時間が重なったようで、部隊の動きが止まる。
 その間にリオは内部へと侵入し、貴族や高官がいると思われる場所を重点的に探っていく。

(いないか)

 意外なのか当然なのか、若い貴族や騎士の中にはリオがどこかで見たような顔がたくさんあった。
 だが、セリアの姿だけは見つからない。

(残っているのはあそこだけだ)

 最も厳重に警備が敷かれている馬車へと視線を向ける。
 おそらくあの馬車の中にこの部隊の指揮官が乗っているのだろう。

(あの中に勇者もいそうだな)

 今のところ勇者らしき人物の姿は見つかっていない。
 いるとしたらあの馬車の中だろう。
 リオが足を動かそうとしたその時。

「ん~!」

 馬車の中から一人の青年が伸びをしながら姿を現した。

「あー、尻が痛いな」

 と、尻を押さえながら一人の青年が顔をしかめて馬車から姿を現した。
 彼は召喚された勇者の一人である坂田弘明だ。
 弘明に後れてフローラとロアナも馬車から降りてきた。

「ヒロアキ様、少しはしたないですわ」

 ロアナが僅かに顔を赤らめて弘明を諌めた。
 そのすぐ傍にいるフローラも顔を赤くしている。

「あー、悪い悪い」

 弘明はばつが悪そうに頭を掻いた。

(あれが勇者か?)

 容姿は日本人、喋っている言語は日本語、身のこなしは隙だらけで平凡そのものだが可能性は高そうだ。
 すると、そこで。

「勇者殿」

 ユグノー公爵の息子であるスティアードが、数人の騎士を引き連れて、弘明のもとへとやって来た。

「ああ、えっと……」

 顔と名前が一致しないらしく、弘明は首を傾げた。

「スティアード=ユグノーです」

 スティアードが微笑を浮かべて名乗りを上げる。
 フローラといいロアナといい、ここら辺の人間のことはリオも覚えていた。
 フローラはある意味でリオの生活を一変させた人物だし、ロアナはリオの同級生の中でも中心的な位置にいる人物だった。
 スティアードにいたっては何かと自分に難癖をつけてきたことから嫌でも顔を覚えている。
 ところで、リオはスティアードがラティーファの兄だということを知らない。
 ラティーファが奴隷だった頃のことを話したがらないというのもあるし、リオからも何となく聞きにくかったからだ。
 もちろんリオを暗殺するようラティーファに命令した人物が誰なのかを聞きだそうとしたことはある。
 だが、ラティーファはユグノー公爵の名前すら知らなかったため、結局、ユグノー公爵が黒幕だったということをリオは知ることはできなかった。
 だから、スティアードがラティーファの兄であるという事実と結びつくこともない。

「ああ、ユグノー公爵の息子か。よろしくな。俺は坂田弘明、いやヒロアキ=サカタだ」
「……よろしくお願いします。勇者殿」

 スティアードは微笑を崩さず弘明から差し出された手を握った。

「で、何か用か?」
「ええ、実は是非とも勇者殿に稽古をつけていただきたいのです」
「稽古だって?」
「はい。せっかく伝説の勇者様が身近におられるのです。この機会にご教授頂きたいと思いまして」
「んー、そう言われても、俺の型は我流だから教えられることなんて何もないぞ」

 弘明が困り顔を浮かべる。
 我流以前に弘明は刀を握ったことがない。
 それでもどこか自信が覗えるのは勇者の力が関係しているのか。

「私もヒロアキ様の戦う姿を見てみたいですわ」

 すると、弘明の後ろに控えていたロアナがそう提案した。

「あー、まぁ、ロアナがそう言うんだったら……」

 手合せするのもやぶさかではない。
 弘明はちらりとフローラにも視線を向けた。

「フローラ姫はどうだ?」
「あ、はい。私も見てみたいと思います」
「そうか。なら、やってみるのもいいかもしれないな。俺もどれくらい自分ができるのか確認してみたかったし」

 場のお膳立てがされたことを確認し、弘明は頷いた。
 どこからともなく自らの神装である刀を取り出す。

「決まりですね。では私の相手をお願いします」

 一歩前に出て、スティアードが不敵に微笑む。
 そのまま周囲の人払いをすると、二人は武器を構えて向き合った。

「いつでもいいぞ。俺の武器は刃引きした状態で具象化してあるから安心しろ」

 弘明が刀を構えながら言った。

「それが勇者様の神装ですか……」

 初めて見る刀という武器にスティアードが興味深そうな視線を送る。
 切れ味は鋭そうだが、随分と脆そうだ。
 だが、どんな見た目であっても神装であることに変わりはない。
 スティアードは気を引き締めた。

「では、参ります!」

 言って、魔法で強化した身体能力で、スティアードが弘明へと一気に迫る。

「おお、速いな!」

 弘明は正面からスティアードの模擬剣を受け止めた。
 そのまま鍔迫り合いをして二人の視線が交差する。
 弘明はニヤリと笑みを浮かべると。

「おらぁ!」

 叫んで、魔法で強化された力をものともせず、スティアードを押し返した。
 たまらずスティアードの身体が吹き飛ばされる。

「くっ! 圧倒されただと?」

 スティアードは驚愕した。
 碌に筋肉もついていない身体つきからは想像もつかぬ馬鹿力だ。

「行くぜ!」

 弘明が刀を振りかざして迫る。

「そのように大きな得物で!」

 弘明の振るう刀の軌道を読み、スティアードは軽々とそれを躱した。
 大振りになった攻撃の隙を見逃さず、スティアードがそのまま横薙ぎに剣を振るう。

「あぶねぇ!」

 瞬間、弘明の身体が加速し、軽々とスティアードの剣を躱した。

「な、なんだと、馬鹿な!」
「今度はこっちの番だ!」

 ぶおん、と空を薙ぐ音をたてながら、弘明の刀がスティアードを襲う。

「くっ」

 かろうじて弘明の一撃を受け止めたスティアードだったが、そのまま大きく吹き飛ばされる。
 追い打ちをかけるべく、弘明がスティアードへ迫った。
 二人の戦いが少しずつ熱くなる中、周囲にいる者達も食い入るように模擬戦を眺めていた。
 リオも遠くから黙って二人の戦いを見つめている。

(パワーとスピードはあるが刀の使い方と体さばきが滅茶苦茶だな)

 リオが弘明に対して抱いた感想だった。
 弱くはないが、現時点だとせいぜいが人間族の騎士一人程度の強さだろう。
 素人なだけあって伸びしろはあるが、あまりセンスは感じられない。
 刀の扱い方を知っている人間がこの世界にいるとは思えないし、あのままでは力任せに戦う戦闘スタイルを脱することはできなさそうだ。
 普通の刀を使っていたらとっくに駄目にしているであろう乱暴な戦い方だった。
 とはいえ完全な戦闘の素人が曲がりなりにもこの世界の騎士と一対一で戦えているのは驚異的である。

(あれが勇者の力なのか? 身体能力と肉体強度を強化しているみたいだが、あの刀になにかありそうだな)

 同じ日本人でも美春達には弘明のような戦闘力はないはずだ。 
 それは弘明が勇者だからなのだろうが、弘明を勇者たらしめているのはあの刀なのではないかとリオは考えた。
 弘明は日本語を喋っているはずなのに、この世界の人間と会話が成立している。
 あの刀が弘明のオドを吸収して勝手に事象を引き起こしているのだろう。
 まだまだ隠し玉はありそうだが、模擬戦でそれを使用するとは思えないし、これ以上ここにいても目立った情報が得られるとも思えない。
 リオは踵を返してセリアの探索を再開した。

 だが、結局、リオはセリアの姿を見つけることはできなかった。
 無駄足になったようにも思えるが、勇者の一人について情報を得られたのは大きい。
 弘明は美春達の知り合いではなかったが、他の勇者達を探していけばいずれは出会える可能性があることを知れただけでも収穫だろう。
 とはいえ、セリアがいないというのならばもはやこの場に用はない。
 ベルトラム王国の王都へ向けて、リオはその場を後にした。

 ☆★☆★☆★

 ベルトラム王国へとたどり着き、リオが真っ先に確認したのが自らの指名手配の有無である。
 ガルアーク王国内では配布されていないリオの指名手配書だが、ベルトラム王国内ではしっかりと有効なまま残っていた。
 手配書には当時のリオの似顔絵が描かれており、他にその特徴が書かれている。

「面倒だな」

 リオは小声で呟いた。
 ベルトラム王国内限定でリオが指名手配がされている理由はいくつか考えられるが、それが正しい保証はないし、どうだっていい。
 大事なことは今後もリオがリオとしてベルトラム王国内で活動することは避けた方がいいということだけだ。
 とはいえ、今後、美春達に自分が指名手配犯であることを説明する事を考えると、少しだけ陰鬱な気分になる。
「実は指名手配されています」なんて、いくら無罪とはいえ、説明するのは少し躊躇ってしまう。
 しかし、今後も一緒に生活していくとなると、いつまでも隠したままでいるのは難しいだろう。
 都市があるのにわざわざ人里から隠れるように住み続けていれば疑問に思われてもおかしくはない。
 言葉を覚えれば必然的に美春達の行動範囲を広げていくことになるのだろうから。
 小さく溜息を吐くと、リオは指名手配書が貼られた掲示板の前を立ち去った。

 そのままリオは商業ブロックへと向かう。
 最後にこの都市にいたのは三年以上も前のことだが、目に映る都市の景色に目立った変化はないように思える。
 だが、リオは少し違和感を覚えていた。
 クーデターが起きたばかりだというのに、都市の中が妙に活気に溢れているのだ。
 いくら国王が変わっていないとはいえ、国の上層部を揺るがすほどの政変があったのであるから、普通は市勢にも影響が出そうなものである。
 少し気になって、リオは露店で情報を収集してみることにした。

「この国では王城内にてクーデターが起きたと聞きましたが、随分と都市は活気に溢れているんですね」

 多めに肉の串を注文すると、旅人を装って露天の女性に何気ない風に尋ねてみる。

「あー、まぁ、つい先日まではちょっと活気がなかったのは確かだね。でも、もうそんな空気は吹き飛んじまったよ」

 と、露店を経営している女性は嬉しそうな笑みを浮かべて答えた。

「何かあったんですか?」
「何かって、勇者様が降臨したんだよ。その祝典が近々開かれるってんで、今はみんな浮かれているのさ」
「勇者ですか」
「ああ、あんたもお伽話くらい聞いたことがあるだろ。あの勇者さ。先日、どでかい光の柱が立ち上がったのは見ただろ? 王城からもドでかい光が立ち上がってさ。あの光と一緒に勇者様がやって来たんだとさ!」

 女性はずいぶんと興奮した様子だ。
 リオとしてはあまり実感はないが、民にとって勇者とはそれほどに大きな存在だったということか。
 それとも、普段魔法を目にすることのない者達があれほど大規模な現象を目にしたことが原因か。

「この国にも勇者が現れたんですか。それはめでたいですね」
「ああ、めでたいよ。これでこの国も安定するといいんだけどねぇ」
「そうですね」

 小さく笑みを浮かべ同意すると、リオは肉を胃の中に入れて空腹を満たして、その場から立ち去った。

(この国にも勇者が現れたか。セリア先生を探すついでにこっちの勇者についても調べてみた方が良さそうだな)

 そう決めると、まずはかつて自分が通っていた王立学院へと向かうことにした。
 セリアがまだ講師業に就いているのならばそこにいるはずだ。
 彼女ならば勇者について何か知っているかもしれない。
 光学迷彩の精霊術を駆使しているため、リオにとっては日中であっても潜入は難しいものではなく、かつての記憶を頼りに図書館にあるセリアの研究室へと向かっていく。

(いない……)

 だが、部屋の中にあった彼女の私物はすべて撤去されており、もぬけの殻になっていた。
 一度、部屋の外に出て、あらためて扉を確認する。
 扉にはセリアの名前が刻み込まれた木版が張り付けられていることから、ここが彼女の研究室であることは間違いなさそうだ。

(なら、どうしていない? クーデターに関係があるのか?)

 処刑、投獄というワードが頭にちらつき、リオは不安に駆られた。
 すぐ側にある他の研究室の中に人の気配があることを確認すると、リオはその中へ入り込んだ。

「ん――」

 突然、背後から扉の開く音がして、男性の講師が振り返ろうとする。
 男が誰何すいかの言葉を口にしようとする前に、リオはその背後をとった。

「すみません。王立学院で講師をしているセリア=クレールに用事があるのですが、彼女はどこにいらっしゃるのでしょうか?」

 男の頭に軽く手を触れ、オドを流し込み、ほんの数秒で対象の体内のオドの流れを強制的に支配すると、男を解放し、リオは質問を投げかけた。

「ああ、セリア君を探しているのか。彼女は――」

 すると、男は視点の定まっていない目でぼんやりとリオを見つめだし、自らがセリアに関して知っている情報のすべてを吐きだした。
 今、講師の男の目にリオは映っていない。
 リオに違和感を抱かぬように勝手に自己解釈して、何の警戒もなしに話し込んでいる。
 それは精霊術による強力な幻術の一種で、認識阻害と似てはいるがより高度なものである。
 術者は被術者がどのような幻像を見ているのかは知ることはできないが、術者にとって都合の良いように被術者に虚構の現実を見させることができる。
 その反面、緻密なオドの制御力とマナへの干渉力を要するため、扱いは難しい。
 あまり無暗に多用しようと思える手ではないが、こうして緊急時に尋問する際には非常に役立つ。
 デメリットとしては、直接対象に触れて体内のオドを操作する必要があり、相手がオドの操作に長けている場合には簡単に妨害されてしまうということだ。
 また、周囲の者が被術者のオドの乱れに気づいても簡単に解除されてしまうし、幻術をかけるのに成功したとしても、強い精神の持ち主には抵抗され、効果が減衰することもある。
 さらに、術の継続時間もそこまで長いものでなく、幻術状態を持続させるためには定期的に対象に触れてオドの流れを操作し続けなければならない。
 ゆえに、この幻術をかけるのならば、相手が油断していて、オドの操作に長けていないことが必要となる。
 ちなみに、人間族ならば割と簡単にこの幻術をかけることができるが、精霊の民を相手にこれを成功させることはリオでも非常に難しい。
 また、幻術から覚めた後はぼんやりとした状態になるという特有症状が現れるため、幻術の存在を知っている者は割と簡単に自身が幻術にかけられたことに気づく。

「ありがとうございます。助かりました。それでは失礼します」
「いや、気にしないでくれ」

 お礼の言葉を残し、リオが部屋から立ち去る。
 研究室に男の声が虚しく響き渡った。

 ☆★☆★☆★

 ベルトラム王国の王城内にある庭園にて、ベルトラム王国史上有数の天才と名高いセリア=クレールは物憂げな表情を浮かべて佇んでいた。

「セリア、どうしたんだい、こんな場所で?」

 そんな彼女の背に軽薄そうな声がかけられる。
 声の主に察しがつき、セリアは不快感を胸に押し込めたまま振り返った。
 そこに立っていたのはシャルル=アルボー。
 現在、ベルトラム王国にて、国王フィリップ三世から任命を受けて国の執政を取り仕切っているヘルムート=アルボーの息子である。

「研究の合間に風に当たりに来ただけですわ。ちょっと根を詰めすぎたみたいで」

 視界に映った甘ったるい笑みに嫌気がさしながらも、セリアは完璧な微笑を浮かべて答えた。

「ああ、いつだって頑張りすぎなのは君の美点だ。少しは気が休まる時も必要だろうね。けど、僕という存在がいるのに、こんな場所に一人で気晴らしをしようと考えるのは感心できないな」

 その笑顔にシャルルは気分を良くし、馴れ馴れしく彼女へ近寄った。
 そして、若干の咎めを含んだ声色で、セリアへと語りかける。

「……ごめんなさいませ。貴方は忙しいかと思いまして」

 セリアは底知れぬ拒絶感を抱いたが、困ったように曖昧な微笑を浮かべてそれを隠した。
 それが今の彼女にできる最大の抵抗だ。
 セリア=クレール、彼女はベルトラム王国内ではフォンティーヌ公爵家に匹敵する魔道の名門クレール伯爵家の長女である。
 近年、彼女が開発した新型の測定石は漠然とはいえ魔力総量の測定を可能とし、魔法学に革新的な発達をもたらしたと評されており、近隣諸国からも注目を集めていた。
 そんな彼女は現在二十一歳で、貴族としての結婚適齢期は僅かに過ぎてしまったが、いまだに独身のままだ。
 つい先日まで、そんな天才の功績を掠め取ろうと、ベルトラム王国内外を問わず、多くの貴族達が彼女に求婚するという事態が生じていた。
 それに終止符を打った男がこのシャルル=アルボーである。
 歳は壮年で、既に六人の妻を持っており、有能なセリアを国内に縛り付けるため、ヘルムートの命令によりセリアを七人目の妻とすることが決められた。
 対プロキシア帝国との関係において、もともとセリアの父であるクレール伯爵は中立派の貴族の一人であった。
 だが、クーデターが起きた現在はヘルムートの勢力になし崩し的に組み込まれてしまっている。
 そんな状態では父のクレール伯爵もヘルムートの要望を跳ね返すだけの影響力は持っていなかった。

「君のためなら大抵の用事は後回しにしてしまうよ、僕は」

 周囲の庭園に広がる花の蜜よりも甘い台詞を、真顔で吐けてしまうこの男の神経に、セリアは鳥肌が立ちそうになった。
 こんな男に自分の身体が近い未来に汚されるかと思うといっそ自殺したくなる。
 だが、死ぬ勇気はない。
 死にたくない。
 まだ、生きたい。
 やり残した研究はたくさんあるし、夢とか、やってみたいことだってたくさんある。
 その一つが、普通に恋愛をして、普通に幸せな結婚生活を過ごすことなのだが、もはやその夢は崩れ落ちる寸前であった。
 貴族として政略結婚が重要であることはわかっているが、こんな情勢でもなければセリアはそれを叶えるだけの影響力を持っていたのだ。
 まぁ、その相手が見つからなかったからこそ、こうして適齢期を過ぎても独身なわけであるが。

「お上手ですのね」

 身の毛のよだつ鳥肌を感じながらも、セリアは少し照れた風を装って、その言葉を口にした。
 いやだ。
 今すぐにもこんな国は出て行きたい。
 それくらいに嫌気がさしているが、もし捕まって、セリアが自分の意思で逃亡したことが判明すれば実家の立ち位置は相当に悪くなるはずだ。
 そうなれば家族にまで迷惑をかけることになる。
 もし逃げるのならば、自分の意思で逃亡したと思われないように、誰の目にもとまらずに逃げ出す必要がある。
 しかし、彼女にそんな力はない。
 最近では情勢が情勢だからと理由をつけられ、重要人物であるセリアは王城で軟禁状態の生活を強いられ、護衛まで付いている。
 こんな状態で人目に付かずに城から抜け出すのは不可能だった。
 仮に逃げられたとしても貴族として育ってきた自分が一人で生きていけるとは思えない。
 せめてもの腹いせに好き勝手に研究をしており、自分の功績が認められているからか、上層部は好きにやらせてくれているのが救いである。

「そういえば召喚された勇者様とそのお連れの皆様はどうしていらっしゃるのでしょうか? まさか私の開発した測定石でも魔力が計測不可能とは思いもしませんでしたが……」

 陰鬱な気分を忘れられるようにと、自らの知的欲求を満たすため、セリアはそんな質問を投げかけた。
 研究をしている間だけは嫌なことを忘れていられるから。

「ああ、彼らは実に素晴らしいね。まだ幼いとはいえ、勇者の彼は落ち着いているし人格者だ。他の子達も言葉は通じなくとも健気に頑張っているよ」

 セリアが恥ずかしがって、話題を逸らしたと勘違いしたのか、シャルルは自尊心を満たしたかのようにほくそ笑んだ。
 そうしてベルトラム王国で召喚された勇者達の情報を口にする。
 ベルトラム王国に召喚されたのは少年が三人に少女が二人、そのうち勇者だったのは一人の少年であった。
 勇者は十七歳の少年で、物腰が柔らかく、金髪で見た目も非常に整っており、周囲を惹きつける魅力を持っている。
 突然の召喚に対しても深く混乱することなく事態を呑みこみ、王国へ協力してくれることを約束してくれたため、王城内での評価は非常に高い。
 勇者と一緒に召喚された者達も神装はないが恐ろしい程の魔力を持っており、その魔力を活かすべく勇者と一緒に教育を受けさせているそうだ。

「じゃあ僕は仕事があるからそろそろ戻るよ。君もいつまでも外にいたら身体が冷えるから、早く引き上げた方がいい」

 思考に没頭しながら適当に返事をしていると、シャルルがそんなことを言ってきた。

「わかりましたわ。もう少し風に当たったら研究室に戻ろうかと思っております」

 美しい所作でセリアが返事をすると、シャルルは気障に笑ってその場から立ち去った。
 その後ろ姿を眺めて、セリアが小さく顔をしかめる。
 溜息を吐き、静謐せいひつな空間を埋め尽くす花々を眺めると、セリアは自身の研究室へと戻ることにした。
 そんな彼女の後を追うように無言で護衛の騎士が付いて来る。
 この護衛の男のこともセリアは嫌いだった。
 時折、顔を見つめられるくらいならまだいい。
 それくらいならまだ我慢できる。
 だが、この男は護衛の合間に胸やスカートにチラチラと視線を送ってくることが多い。
 本人は気づかれていないと思っているのかもしれないが、セリアはそれに気づいていた。
 自分はあまり男好きされる身体ではないとセリアは思っていたが、実際にこういった視線を送られて覚える生理的な嫌悪感はたまらなく不快である。
 今も背後を歩く男の視線を臀部に感じ、セリアはげんなりとした気分になった。

「では私は研究に戻りますので」

 少しばかりぶっきらぼうな声色で告げ、セリアは部屋の扉を閉めた。
 部屋の中に入り、一人っきりになると、大きく溜息を吐く。
 ガチャリ。
 背後から閉めたばかりの扉が開く音が聞こえた。
 扉を開けたのは護衛の男だろうか。
 ノックもなしに扉を開けるとは何事だ。
 セリアは不快気に振り返った。

「何か用……え?」

 そこに立っていたのは見知らぬ少年だった。
 人を安心させるような優し気な笑みを浮かべ、線は細いけどよく見ると精悍せいかんな体つきをしているのがわかる。
 歳はまだちょっと若いかもしれないけど、正直、容姿はセリアの理想ど真ん中かもしれない。

「……護衛の騎士はどうしたのかしら?」

 だが、だからといって無警戒に話しかけるわけにはいかない。
 セリアは厳しい声色で男の素性を尋ねた。
 もしかしたら自分を狙ってやって来た他国の間者かもしれない。
 間者に見た目の良い男女を選ぶのは常套手段だ。
 王城から出て行きたいとは思っているが、正直そんな出て行き方は勘弁したい。
 行った先でどんな待遇が待ち構えているかもわからないのだから。
 とはいえセリアは近接戦闘はからっきし向いていない。
 反撃するなら魔法を使って攻撃することになる。
 じりじりと後ずさり、セリアは少年から距離をとろうとした。
 すると。

「護衛の人なら何の異常もなく警備をしていますよ。お久しぶりです、セリア先生」

 少年が微笑を浮かべて耳通りの良い声でセリアに話しかけてきた。

「誰?」

 セリアは何故か懐かしさを覚えた。
 以前、これと似たような場面があったような、そんな気がした。
 セリアが僅かに首を傾げる。

「リオです。こちらへ戻って来ましたので、少し挨拶にと思いまして」

 苦笑しながらそう言うと、少年が首飾りをとった。
 すると髪の色が瞬時に灰色から黒へと変わる。
 そこにはセリアが良く知っている人物の面影を持った少年がいた。
 数年見ない間にかなり成長したようだが、黒い髪だと、それがよくわかる。

「リオ……なの? リオ!」

 先ほどまで感じていた陰鬱な気分は一気に吹き飛んだ。
 今はそんなことはどうだっていい。
 目じりに涙を浮かべ、セリアはリオに抱き着いた。
+注意+
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