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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第四章 再会、その裏で

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第59話 買い物

 セントステラ王国とガルアーク王国の国境付近で、遥か空高くへと舞い上がった少年がいた。
 少年の腕には一人の少女が抱えられている。

「わっ、すごい。本当に空を飛んでますよ、ハルトさん」

 眼下に広がる絶景を見下ろしながら、少女――美春が声を漏らした。

「ええ、飛んでますね」

 美春を抱えている少年――リオが微笑ましそうに答える。
 だが、そんなリオの様子に気づくこともなく、美春は空から見える景色に見惚れていた。

「すごい。綺麗……。空から眺める景色ってこんなにも鮮やかなんですね」

 と、感嘆の声を漏らす。

「ええ、空は何度飛んでも飽きませんね。色んな景色が楽しめますから」
「本当、これなら何度見たって飽きませんよ!」

 言って、美春が純真な笑みをリオに向ける。

「それは何よりです」

 それが嬉しくて、リオも美春に薄く笑みを浮かべた。

「あの山すごく大きいですね。あそこの湖もきらきらしていて綺麗……」

 うっとりした様子で美春が呟いた。
 視界に映る景色を捉えようと一生懸命に首と視線を動かしている。

「ええ、本当に綺麗ですね」

 そう答えて、リオも周囲の景色に目を向けた。
 雲の間から降り注ぐ日の光が、遠い山の稜線と湖の水面みなもを彩っている。
 美春の言う通り、綺麗な景色だとリオは思った。
 そう、きらめやかなその光景は本当に美しい。

 美春には空は何度飛んでも飽きないと言ったけれど、今のリオはいつも以上に感動を覚えていた。
 何を見ても物珍しいし、何を見ても新鮮で、心が踊って仕方がない。
 それは美春が見ているものを自分も一緒になって見ているからだ。

 いつもは何となく楽しんでいるだけの風景も、今日は見るものが多すぎて、何から見ればいいのかわからない。
 こんな胸の高鳴りを覚えたのはいつ以来だろうか。
 世界がこんなにも美しいものだと実感できたのは――。
 生きる喜びを与えてくれる人が傍にいる。
 ただそれだけで世界はこんなにも変わるのだ。

 リオはそっと美春の顔を覗き見た。
 今の美春は制服の上にリオが貸した厚いローブを着ており、リオが貸した予備の魔道具で髪の色も変えている。
 だが、そこにいるのはまぎれもなく春人の知っている美春だ。

「すごい……」

 興奮冷めやらぬ様子で美春が呟く。
 先ほどまではそっとリオに抱き着いていただけだったが、感動のせいか、いつの間にか美春の腕の力が強まっていた。
 ほんのりとした甘い香りと一緒に、美春の体温が厚いローブ越しにそっと伝わって来る。

「っ……」

 それに気づくと、リオの心臓の鼓動は限界まで高鳴った。
 思わず美春に伝わってしまっているんじゃないかとハラハラしてしまったが、美春は無邪気に流れていく景色を楽しんでいるようだ。
 美春に聞こえないよう、リオは小さく深呼吸をする。
 すると、そこで。

「私もいつかこうやって空を飛べるようになるんでしょうか?」

 と、美春が尋ねてきた。

「空を飛ぶのは結構難しいんですが、努力すれば出来ますよ、きっと。言葉と一緒に時間がある時に教えますね」

 小さく笑って、リオがそう答える。

「ありがとうございます」

 美春は無邪気な笑みを浮かべて礼を告げた。
 そうやって景色を楽しみ、会話を繰り広げているうちに、あっという間に目的の都市が見えてくる。

「あの都市が目的の場所です」

 美春を連れてやって来たのはアマンドだ。
 そこはガルアーク王国の高位貴族であるクレティア公爵家の才女リーゼロッテが治める交易都市である。
 元々、ベルトラム王国との主な交易は領都において行われていたのだが、近年ではリーゼロッテの手腕もあってアマンドにその役割が移りつつある。

「えっと、足場が悪いのでこのまま抱きかかえていきますね」

 直接に都市の中に降りるわけにもいかず、リオは付近にある人気のない森の中に着陸した。
 ここから先は徒歩での移動になる。
 当然だが道なんてものはなく、地面には鬱蒼と草や苔が生い茂っており、足場は悪い。
 美春が履いているのは革靴だし、ローブの下はスカートだ。
 足を傷つけさせるわけにもいかず、リオは美春を抱きかかえることにした。

「あ、はい。よろしくお願いします」

 少し緊張した様子で美春が答える。
 だが、それはリオも同じだ。
 リオはちょっと焦って。

「行きましょうか」

 と、そう言った。
 別に空を飛んでいる時と距離は変わらないのに、地に足を着けただけで距離がぐっと縮まったような気がする。
 何となくぎこちない空気が流れながらも、リオは軽快な足取りで森の中を進んで行く。

「わ、すごい。これも何かの魔術なんですか?」

 先ほどからリオが軽く跳躍するだけ軽々と数メートルは進んでいる。
 風の精霊術を使って揺れと衝撃を緩衝しているため、美春は揺りかごにでも乗っているような感覚だった。

「今は精霊術と呼ばれるものをものを使って身体能力と肉体を強化しています。後は風の精霊術を少し。さっき空を飛んだ時も風の精霊術を使っていました」
「魔術とは違うんですか?」
「うーん、最終的にやっていることは同じなんですが、違いますね」

 そう言って、リオは続ける。

「魔術は術式を使って世界に干渉するんですが、機械的というか柔軟性に欠けているんです。発動させる事象を細かく操作したい時にはあまり向いていません」

 魔術はマナへの干渉をすべて術式に任せているため、術者がオドを操作する以外にすることはない。
 オドの量と操作によって微妙に術式によるマナへの働きかけに干渉することはできるが、精霊術とは比べ物にならないくらいに大きく劣る。

「まぁ詳しいことはいずれ教えますので、今は別物なんだくらいに思っておいてください」
「はい。すみません。移動中に話しかけてしまって」

 申し訳なさそうに謝罪する美春。
 リオの気が散ってしまったかと反省したのだろう。

「いえ、まだまだ余裕はありますから」

 そう告げてから、二人の間に沈黙が降りた。
 お互いに妙に距離感を意識してしまっているのか、何となく気まずい雰囲気が漂っている。
 と、そこで、リオは一つの事実に気づいた。

(よく考えたらこれってデートなんじゃないか?)

 本当に今更であるが、リオはとたんに顔を紅潮させた。
 変な格好じゃないよなとか、何を話せばいいんだろうとか、いろいろと考えてしまって、ますます美春のことを意識し始めてしまう。
 そんな動揺を振り払うように、リオが速度をわずかに上昇させる。
 するとリオを抱きしめる美春の腕の力がそっと強まったことに気づいた。 ハッとしてリオは足取りを緩める。

「ごめんなさい。急に速度を上げてしまって」

 苦笑して、リオが美春に謝る。

「あ、いえ。大丈夫ですよ」

 美春はそっと笑みを浮かべて答えた。

「ありがとうございます」

 美春の気遣いに礼を告げる。
 胸の中をふっと涼しい風が吹き抜けたような気がして、少し冷静になれた気がした。
 それから数分ほどで森を抜ける。

「見えましたね。ここからは歩いてもらっていいですか?」

 街道を出た場所でリオは美春を地面に降ろした。
 出会って間もない男女として適度な距離を保ちながら、二人は歩き始める。
 とはいえ、道中はお互いに言葉を投げかけて、自然と会話に花が咲いていく。
 会話が途切れそうになると、お互いに空気を読んで次の話題を振って、なんだかんだで上手いこと息が合った空気を醸し出していた。
 都市の周囲に広がる穀倉地帯を抜けて、三十分ほどでアマンドへとたどり着く。

 相変わらず都市の中は活気にあふれ、いたるところに露店が設置されて、どこもひっきりなしに客が訪れている。
 まだ朝市をやっている時間のようで、人の数は非常に多かった。

「けっこう人がいるんですね」

 意外そうに美春が尋ねた。

「都市の面積の割に人が詰まっていますからね。交易都市なので人の流通も多いですし、定住者の倍以上の人間がこの都市の中にいると思いますよ」

 そんな風に都市の説明を行いつつ、人の波を掻き分けて、二人はゆっくりと歩いていく。
 ふと、リオは飲み物を販売している露店を発見した。

「そうだ。ちょっと付いて来てもらっていいですか?」
「あ、はい」

 そのまま美春を連れて、リオは露店に向かった。

「リンゴとオレンジのジュースを一つずつください」

 言って、腰に下げた鞄の中から空の水筒二つを取り出し、小銅貨数枚と一緒に店員に渡す。

「はいよ」

 すると、店員は慣れた手つきで水筒によく冷えたジュースを並々と注ぎ始めた。

「デートかい? 羨ましいねぇ。サービスしといたよ」
「どうも」

 水筒を受け取り、照れくさそうに礼を言うリオ。

「…………」

 その様子を美春は黙って見つめていた。
 そのままリオが美春のわからぬ言葉で店員の女性と何か会話をすると、リオは露店から美春に振り返った。

「どうぞ」

 言って、リオは美春に水筒を差し出した。

「はい。どうも……」

 不思議そうに受け取った水筒を眺める美春。

「その中にリンゴジュースが入ってます。喉が乾いたら飲んでください」
「あ、はい」

 礼を告げて、美春は受け取った水筒をじっと見つめた。
 その様子を見つめて。

「……あ、すいません。つい、勝手に頼んじゃって。もしかして他のジュースが良かったですか?」

 リオがハッと気づいたように尋ねる。

「あ、いえ。リンゴジュース好きなので大丈夫ですよ」

 美春は小さく笑ってかぶりを振った。

「甘くてとっても美味しいです」

 水筒に口をつけ、美春が嬉しそうに微笑む。

「ああ、良かった」

 リオがホッと息を吐く。

「ハルトさんは何のジュースにしたんですか?」
「俺はオレンジジュースです」
「ハルトさんはオレンジジュースが好きなんですか?」
「まぁ大好きというほどでもありませんが。リンゴジュースも好きですよ」

 と、優しげな笑みをたたえて、リオが答えた。

「ふふ」

 すると可笑しそうに美春が笑った。

「どうかしましたか?」

 不思議そうにリオが尋ねる。

「いえ、ちょっと昔のことを思い出してしまって。ごめんなさい」

 くすくすと笑いながら、美春が謝る。
 その表情はどこか懐かしそうだった。
 ふわりと風が吹いて、その長い髪が揺れる。
 リオは嬉しそうに微笑を浮かべて。

「そうですか」

 と、答えた。
 水筒に入ったオレンジジュースを飲み、その味を堪能する。
 魔道具で冷やしてあるため、ひんやりとしてのど越しは最高だ。
 採れたての新鮮な果実で作られた瑞々しい味わいが口の中に広がる。
 それは苦くて、酸っぱくて、どこか懐かしい味がした。

「そろそろ行きましょうか。近くに良い店があるみたいなので」

 軽く喉を潤したところで、リオは目的の店へと美春をエスコートし始めた。
 店の位置は先ほどの露店の店員から聞き出してある。
 数分も歩くとその店の建物が視界に入った。

「ここです」
「立派な建物ですね」

 石造四階建ての店を見上げて、美春が言った。
 大きさだけならばもっと大きい建物が地球には無数にある。
 だが、この建物が放つ風格と重厚感は美春が日常的に目にしていた建物とは一線を画するように思えた。

「一流の商会が経営するお店ですからね。この都市の中だとかなり立派な建物に分類されると思いますよ。女性用の品はほとんどここで揃うみたいです」

 この店はリッカ商会が経営しているらしく、自国と近隣諸国の女性に向けて様々な流行を生み出しているらしい。
 ここに無ければ国内のどこにもないと言われるほどに幅広く商品を網羅しているようで、対象となる客層は主に富裕層以上である。
 とはいえ、庶民の女性にとっても憧れであるらしく、お金を溜めてこの店へとやって来るのがこの都市の少女達の憧れだそうだ。

「女性向けのファッション店みたいなものでしょうか?」
「そうだと思います。入りましょうか」

 美春と一緒に店の中へと足を踏み入れると。

「すごい……ですね」

 リオが思わず尻込みしたように呟いた。
 豊富な種類の商品とそれを吟味する大勢の女性の姿が視界に入ったのだ。
 日本に行けばこれくらいの品数をそろえている店はショッピングモールにでも行けば何処にでもあるだろう。
 だが、この世界でこれ程の品数をそろえている店は見たことがなかった。

「人が多いし、思ったよりも品数が豊富なんですね。これくらいの店が普通なんですか?」

 予想以上の盛況ぶりに、美春も少し目を丸くして尋ねてきた。

「いや、ここまでにぎわっている店はあまりないと思いますよ」
「良い店なんですね」
「ええ」

 頷くと、リオはそのまま店内をざっと眺めた。
 女性向けの店ということなので、中にいるのは女性客ばかりだ。
 中には女性の付き添いでやって来ている男の姿もあるが、ほとんどが居心地悪そうにしている。
 リオもご多分に漏れず何となく気まずさを感じた。

「えっと、わからないこととか、通訳して尋ねて欲しいことがあったら呼んでください。俺は店の端っこで待機していますので、ゆっくり選んでくださいね」

 商品に貼りつけられた木のタグに記載された文字の意味を一通り説明すると、リオは美春にそう伝えた。 
 いくら美春が言葉が喋れないとはいえ、男であるリオが一緒にいては選びにくいものもあるだろう。
 選ぶだけなら言葉は喋れなくてもさして問題にはならない。

「はい。わかりました」
「洗濯は小まめにしますが、最初なので着替えは多めに選んでくださいね」
「はい。じゃあ、行ってきますね」

 そう言い残して、美春はおずおずと店内に出陣する。
 リオはそんな美春の姿をそっと見守った。

「ハルトさん。とりあえず店の中にどんな品物があるか見て回ってもいいですか? 上の階にも色々とあるみたいですし」

 一階を軽く一周すると、美春がリオの元へ戻ってきた。

「わかりました。一応、一階と二階は衣類を中心に扱っているみたいですね。三階は小物で、四階はランジェリーショップみたいです」

 階段の傍に貼りつけられた案内板を読んで美春にその内容を伝える。

「そうなんですね。じゃあ上の階に行ってもいいですか?」
「はい。もちろんです」

 それから美春はどんな商品が置いてあるのかをワンフロアずつ確認して回った。
 リオも美春と一緒に上の階へと登って行く。
 問題があるのは最上階のフロアだった。

「えっと、流石にランジェリーショップには付いて行きにくいので、ここで待っていますね」

 気不味そうに苦笑して、リオが美春に告げた。

「は、はい」

 美春が僅かに顔を赤らめて答える。
 美春はそのまま上のフロアへと上がり、数分もすると下へと降りてきた。

「お待たせしました」
「はい。えっと、何か欲しいけど見当たらない商品とかありましたか? あれば店員に尋ねますが」
「あ、いえ。大丈夫でしたよ。必要そうなものは全部ありましたので」
「それは良かった。じゃあ下のフロアから順に見ていきますか?」
「はい。お願いします」

 それから二人は一階に戻った。
 店内の端でリオが待機して、美春が自分と亜紀に必要な商品を真剣に選んでいく。
 リオは美春の姿を遠くから眺めているだけで幸せなので、時間はいくらかかってもかまいやしない。

「あの、ハルトさん。時間がかかってしまいすみません。少しお聞きしたいことがあるんですがよろしいですか?」

 しばらくすると美春がやって来て、リオに声をかけてきた。

「はい、なんでしょう?」
「えっと、このワンピースって寝間着用なんでしょうか?」
「えっと、ちょっと見せて頂いてもよろしいですか」
「はい」

 受け取った商品に張り付けてある木のタグに書かれた説明をリオが読む。

「寝間着と部屋着を兼ねているみたいですね」
「あ、やっぱりそうなんですね。えっと、似合うでしょうか?」

 言って、美春はワンピースを自分に身体に重ねた。
 胸元にレースの付いたピンクの清楚なデザインだ。
 正直に言えば何を着ても可愛いと思うが、このワンピースは美春のイメージに合っているように思えた。

「あ、はい。似合うと思いますよ」
「ありがとうございます」

 恥ずかしそうにリオが感想を告げると、美春がそっとはにかむ。

「じゃあもう少し見てきますね」
「はい。四階まであるみたいですが、会計は階ごとに行うみたいなので、とりあえずこのフロアで買う物が決まったら持ってきてください」
「はい。わかりました」

 それから美春が衣類を持ってきてはリオに質問をするということが何度かあった。
 下の階から順に商品を購入していき、やがて四階で買い物をすることになる。
 正直、ランジェリー売場に入っていくのは躊躇われたので、四階には美春一人で行ってもらうことにした。
 何かあれば下に降りて来るように伝えて、リオは階段の踊り場で待機していると。

「えっと、ハルトさん。よろしいでしょうか?」

 美春が困った顔で下へ降りてきた。

「あ、はい」

 すぐ後ろには同じく困り顔の女性店員がいる。
 おそらく会話が通じないのが原因だろう。

「すみません。彼女は少し離れた国からやって来て、ここら辺の国の言葉が喋れないんです」

 機先を制してリオが店員に話しかける。

「あ、そうだったのですね。何かお困りの様子だったので声をかけてみたのですが、会話が通じなかったものでして。何やら下へ付いて来るように身振りで案内されたんです」

 女性店員が安堵したように事情を説明する。

「そうだったんですか。ちょっと彼女に何があったか聞いてみますね」

 店員の女性に断りを入れて、リオは美春に話しかけることにした。

「美春さん、何かお困りのことがありましたか?」
「あ、はい。えっとですね。ちょっと試着をしたかったんですが、どうすればいいかと思っていまして……」

 非常に言いづらそうに、顔を紅潮させて、美春が答えた。

「ああ、なるほど……」

 曖昧に笑みを浮かべて頷くと、リオは店員に向き直ってその旨を伝えた。

「もちろんかまいませんよ。よろしければお客様も一緒に来ていただけますか? 会話が通じないと少し困ることもありますので……」
「えっと、男の俺が入っても大丈夫なんでしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ。付添いの男性の方でも一緒に入って来る方はほとんどいないのですが、禁止はしておりませんので。それに事情が事情でございますから」
「わかりました……」

 女性店員の言葉に従い、リオは意を決して四階へと立ち入った。
 リオの姿を発見して女性客達が目を丸くしたが、美春と店員が一緒にいるおかげか、そこまで不快そうな視線を向けられることはない。
 リオは必要な場合を除いて自ら話しかけることはなく、余所見をすることもなく、立ったまま黙って瞑想することにした。
 そんなリオの様子を店員の女性が傍で微笑ましげに見守る。
 女性店員が商品の説明を行い、それをリオが翻訳することが何度かあった。
 そうしてようやく買い物を終えると。

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

 店員から見送りの挨拶を受けて、リオと美春は荷物袋を手に店を後にした。
 顔を赤くした二人の後ろ姿が何となく初々しくて、店員がニコニコと眺めている。

「次に来る時まで言葉を教えた方がよさそうですね」

 気恥ずかしさから足早に店を立ち去ると、リオが苦笑してそんなことを言った。

「すみませんでした。ご迷惑をおかけして……」

 顔を真っ赤にしたまま、しゅんとして美春が謝罪する。

「い、いえ、謝ることじゃないですよ」

 リオが慌てて美春を宥める。

「でも……」

 恥ずかしそうにもじもじと美春が身体を動かす。

「俺は本当に大丈夫ですから。美春さんに不快な思いをさせたんじゃないかと、こっちが心配しているくらいで」
「そ、そんなことはありませんよ!」
「はは、じゃあお互いにあまり気にしないようにしましょう」
「はい……」

 美春は俯き気味に首肯した。
 リオは困ったような笑みを浮かべると。

「じゃあ雅人君の服を買いに行きましょうか」

 明るい口調で美春に語りかけた。
 わざとぶって都市の景色に目をやると、そのまま美春を促すように歩き始める。

「はい」

 小さく返事をすると、美春はその背中をそっと追いかけた。
 数分ほど歩いて適当な店を見つけると、二人で雅人の服を選んでいく。

「これなんか良さそうですね」

 雅人の服を選ぶにしても手を抜かず、美春は丁寧に服を選別していた。
 リオをモデルにしていくつも服をコーディネイトする。
 一通りの衣装を選び終えると。

「この服はハルトさんに似合いそうですよ」

 リオに似合いそうな服を見つけて、美春がそれを勧めてきた。

「そうでしょうか?」
「はい。ちょっと上から合わせてみてもいいですか?
「ええ。お願いします」

 荷物袋を手にしたリオの身体に美春が服を重ねる。

「ほら、とっても似合うと思いますよ」

 至近距離から無防備にリオに微笑みかける。

「は、はい。どうも……」

 リオは僅かに顔を赤らめ礼を告げた。

「ちょうど普段着が不足しているんで、これ買ってみますね」

 移動中はクロースアーマーを身に着けていることが多く、リオはあまり普段着を持っていない。
 数少ない服もあまり考えずに旅先で選んだものばかりで、ワンパターンな配色のものが多かった。

「そうなんですか。なら、もう何着かあった方がいいんでしょうか?」
「そうですね。よろしければ選ぶのを手伝って頂けませんか?」

 せっかくなので美春に選んでもらって普段着をいくつか増やそうと、リオは考えた。

「はい。私でよければ。それじゃあ……」

 それから美春の主導でリオの服を選ぶことになった。
 美春のセンスは明らかにリオよりも良く、色々とお洒落な服を持ってくる。
 周囲には男女で来ている客も多く、男性の服を見繕っている女性も多い。
 だが、リオと美春が美男美女の組み合わせであるためか、恋人同士でも二人に視線を奪われている者が何人かいた。
 二人はそんな周囲の視線に気づくこともなく、じっくりと服を選んで、順調にリオのコーディネイトが進んで行く。

「良い買い物ができました。ありがとうございます」

 小一時間で買い物を終えて、店を出ると、リオが美春に礼を告げた。

「いえ、私は選んだだけですし。それにすごい荷物の量になっちゃいましたね。持ちますよ?」

 リオの両手いっぱいになった荷物を見て、美春が言った。

「そこはほら、俺の腕輪の中に収納すればいいですから。大丈夫ですよ」

 おどけてリオが答える。

「まるで魔法の袋みたいですね」

 言って、美春は可笑しそうに笑った。

「魔法の袋ですか?」

 リオが不思議そうに尋ねる。

「昔読んだ絵本にそういう道具があったんです」

 微笑を浮かべて、美春は説明を続ける。

「その袋には何でも入ってしまうんです。御馳走、お菓子、ジュース、それに玩具とか」
「まるで子供の夢を詰め込んだ袋みたいですね」
「そうですね。でも、ハルトさんの腕輪の中にも色んな物が入っているじゃないですか。その魔法の袋に似ているなって思ったんです」
「まぁ魔法みたいなものが込められた道具ですからね。……そうだ。人気のない場所で荷物を収納したら、少し遅いですが昼食を食べましょうか」

 ちらりと都市にそびえ立つ時計塔に視線を送ると、昼食をとるには少し遅めの時間帯になっていた。
 朝食を食べてから移動と買物で動きっ放しだったため、そろそろ腰を落ち着けたいところである。
 いったん人気のない路地に移動すると、素早く荷物袋を時空の蔵へと収納していく。
 再び大通りに戻り、手ごろな飲食店がないものかと都市を散策を始めた。

「この店にしましょうか」

 飲食街にやって来ると、少しお洒落な店を発見した。
 石造りの壁が美しい二階建てのレストランで、立地は飲食街の中でも都市の中心部にほど近い。

「雰囲気があって素敵なお店ですね。でも、ちょっと高そうですが、大丈夫なんでしょうか?」

 他の飲食店よりも明らかに格式が高い雰囲気があるせいか、美春が戸惑い顔で尋ねてきた。
 とはいえ周囲にはこの店よりも格の高そうな店がいくつかあり、最高級店というわけでもない。

「あんまり安い店だと柄の悪い客が多いですからね。安心をお金で買うようなものです。俺も初めて来たので味は保証できませんが」

 別に無理をしてまで高い店に入る必要はないが、あまり安い店に連れて行くと昼間から酔っぱらっている客も多い。
 リオ一人ならばともかく、美春が一緒にいるとなると酔っ払いに絡まれる危険性が高くなるだろう。
 理由もなくトラブルに巻き込まれるおそれのある場所へ向かう必要はない。

「とりあえず入ってみましょう。もしかしたらドレスコードがあるかもしれませんが、今の格好ならよほど厳格じゃない限りは大丈夫だと思います」

 そう言って、リオはレストランへと足を踏み入れた。

「エルベへようこそ。ご予約のお客様でしょうか?」

 中に入ると制服を身に着けた案内係が声をかけてきた。
 入口のロビーは明るく清潔な感じである。

「いえ。予約はしていないのですが、大丈夫でしょうか? 二人なのですが」
「はい。大丈夫でございますよ。では、こちらへどうぞ」

 完璧な営業スマイルを浮かべた店員に案内され、二人は店の奥へと入っていく。
 リオが予想した通り、店内に荒っぽい容貌の客はいない。
 雰囲気も落ち着いていて、ゆっくりできそうだった。

「こちらの席でよろしいでしょうか?」

 案内されたのは外の景色が楽しめる個室だ。
 静かでプライベートな空間が演出されている。

「はい。問題ありません」
「ではどうぞ。こちらへ」

 そのまま椅子へ案内されて、リオと美春は席に着いた。

「こちらがメニューとなります。本日のおすすめは昼限定のコース料理となっております」

 メニューに目を通すと、お勧めのコースは、食前酒、前菜の盛り合わせ、パン、パスタ、肉料理、デザート、飲み物がセットになっているらしい。
 料金は一人あたり小銀貨三枚で、安い食堂の定食を数十人前は食べられる値段だ。

「美春さんは何か苦手な物とかありますか? コース料理を頼もうと思っているんですが。パスタと肉料理がついてきます」
「あ、はい。私は特に苦手な物はないので、ハルトさんにお任せします」
「アルコールは……飲めませんよね」
「あ、はい」

 地球だと未成年だったため、美春は酒を飲んだことがないだろう。
 この世界では美春も問題なくお酒を飲むことはできるが、まだ抵抗が強いはずだ。

「わかりました。では、パスタと肉料理を選んでもらってもいいでしょうか?」
「あ、はい。どんな物があるんでしょうか?」
「そうですね。まずパスタは三種類あって――」

 メニューに書かれたパスタと肉料理がどのようなものなのか、リオが美春に教える。
 パスタといえばトマトソースがすぐに思い浮かぶが、残念なことにシュトラール地方にはトマトが存在しない。
 とはいえ、トマトは精霊の民で採れたものが時空の蔵の中にたくさん入っているので、食べたければ家で作ればいいだろう。
 結局、リオと美春はそれぞれ違う味付けのパスタを選ぶことにした。

「では、こちらのコース料理を二つお願いします。食前酒なのですが、ノンアルコールのカクテルで何かありますか?」

 リオが給仕係に声をかける。
 教育が行き届いているのか、リオと美春が自分の解らぬ言語で会話をしていても顔色を変えることはなく、黙って話を聞いていた。

「はい。ございますよ。別料金となってしまうものもございますが、こちらが提供できる食前酒の一覧となっております」
「そうですね。では――」

 落ち着いた口調でリオが店員に注文内容を伝えていく。

「かしこまりました。では少々お待ちくださいませ」

 注文内容を確認すると、一礼して店員は立ち去った。

「ハルトさん慣れているんですね。こういったお店にはよく来るんですか?」

 リオが堂々と店員と会話をしている姿を見て、美春が感心したように尋ねた。

「いえ、俺もこういった店に入るのは初めてですよ。前世ではちょっと高めのレストランでアルバイトはしていたので、何となく勝手がわかっているというだけで」
「……前世、ですか?」

 美春が不思議そうに首を傾げる。

「はい。そういえばそこら辺は詳しく説明していませんでしたね……」
「えっと、はい……」

 たどたどしい日本語の発音から、美春は何となくリオが日本通の外国人なのかと思っていた。
 亜紀からかつてリオが日本で暮らしていたと聞いているが、この世界の事情に妙に精通していることも含めて、リオの過去はほとんどが謎に包まれている。
 不思議には思っていたが、リオに保護してもらう条件として提示されたルールを踏まえると、何となく尋ねにくいと感じていた。
 だが、今の会話の流れならばリオの過去について尋ねることができるのではないか。
 そう考えると、好奇心に突き動かされ、美春は勇気を振り絞ってみることにした。

「……あの、お聞きしてもいいことかわからないんですが、ハルトさんはどうしてこの世界にいるんでしょうか?」

 遠慮がちに、美春が尋ねる。
 リオは一瞬、目を見開いたが、すぐに懐古めいた笑みを浮かべると。

「それは俺もわからないんです。気がついたらこの世界にいましたから……」

 そう答えた。
 続けて「ただ――」と付け加えると。 

「実はですね。驚かないで聞いてほしいんですが、俺は一度は死んだ人間なんです」

 と、リオは苦笑しながら言った。
 その言葉を聞いて、一瞬だけ固まると、美春が瞠目する。

「死んだ……。でも、ハルトさんはこうして生きていますよね?」

 思考が追い付かず、美春が疑問符を浮かべる。

「俺が死んだ世界はここじゃありません。地球です。今はハーフ顔に近いですけど、前世は日本人だったんですよ。転生って言えばいいんですかね。気がつくとこの世界に生まれ変わっていたんです」

 言って、リオはおどけたように肩を竦めて見せた。

「え、ええ?」

 動揺を隠しきれない様子の美春。
 俄かには信じがたい話だった。
 だが、出会ってからまだ一日しか経っていないけれど、美春にはリオがこんな嘘を吐くような人間には思えない。

「だから、どうしてこの世界に生まれたのか、どうして前世の記憶があるのか、わからないんです」

 リオが何も言えずに唖然としている美春に微笑みかける。
 美春の動揺は予想通りだったし、リオにも伝わってきた。
 もし自分が天川春人だということを伝えたらもっと動揺するはずだ。
 だから、リオはそのまま美春が落ち着くのをじっと待った。
 荒唐無稽な話だが、美春なら信じてくれる。
 不思議とそんな気がした。

「そう……だったんですね。ご、ごめんなさい。変な事を聞いてしまって……」

 少しずつ頭が冷静になって、美春は慌ててリオに謝罪した。
 前世とはいえ自分が死んだ話をするのは不快なのではないか。
 だからリオは自分の経歴についてあまり語らなかったのではないか。
 そう考えたからだ。

「いえ、別に前世の俺が死んだことはもう気にしてないので……」

 笑って、リオは小さく(かぶり)を振った。
 確かに地球には家族がいる。
 仲良くしてくれた友人もいた。
 彼らのことを思い出すと、地球に全く未練を感じていないと言うことはできない。
 だが、今はこの世界で大切な繋がりがたくさん出来た。
 ならばそれでいい。
 ここが自分のいるべき世界だ。
 最近では心からそうやって思えるようになった。
 それに今は目の前に美春がいる。
 これ以上を求めるのは贅沢がすぎるというものだ。

「美春さん」

 顔を深く覗き込むように見つめて、リオは美春の名前を呼んだ。

「は、はい」

 美春は息を呑んで、リオを見つめ返した。
 何故だろう。
 心臓の鼓動が高鳴り、美春はリオに吸い込まれそうになった。

「いつか俺の前世のことを聞いてもらえませんか? 重たい話になると思います。けど、美春さんに聞いてほしいんです。お互いにもう少し状況が落ち着いたら、その時に……」

 言って、リオは反応を窺うように美春を見据えた。
 突然、何を言い出しているんだろうと思われているかもしれない。
 だが、そう思っても言わずにはいられなかった。

「……はい」

 じっとリオを見つめ返すと、美春は静かだが良く通る声で首肯した。

「ありがとうございます」

 嬉しそうに笑みを浮かべて、リオは礼を告げた。
 すると、そこで。

「失礼します。お待たせいたしました。こちらが食前酒となります」

 給仕係が食前酒を持ってやって来た。
 なかなか良いタイミングだったかもしれない。
 もう少し早ければ中途半端なところで話を中断することになっていたのだから。
 食前酒が配られ、店員が部屋から出て行くと。

「それは食前酒なんですが、ノンアルコールカクテルでして――」

 先ほどまでの少し重たい空気を振り払うように、リオが淀みない口調で美春に配られた食前酒について説明を始める。
 美春もそんなリオに合わせるように興味深そうに説明に耳を傾けた。
 順次、食事も運ばれて、二人は穏やかな雰囲気の中で少し遅めのランチを楽しんだ。
私事で恐縮ですが、以前からマイページに記載してある通り、来週から再来週にかけてちょっと忙しくなります。
なので次話の更新は2週間以内とさせてください。
時間があるようならば既にできあがっている分の推敲をして早めに更新を行います。
その後は順次更新ペースを戻していきます。
そろそろセリア先生のターンですので、どうぞお楽しみに。
それとお知らせです。
以前に割烹でも報告しましたが、角川書店様より本日5月10日発売の『コンプティーク6月号』で本作品の紹介記事が掲載されております。
購入している方がいらっしゃいましたらどうぞチェックしてみてください。
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