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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第四章 再会、その裏で

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第50話 とある勇者の降臨

 シュトラール地方で六本の光柱が天空を穿うがった日、ベルトラム王国領に存在する街道にて、約七千名からなる旅団規模の集団がガルアーク王国へ向けて行進していた。
 その集団の一角で、今まさに一本の光柱が舞い上がっている。
 その目の前で、呆然とした表情を浮かべ、ベルトラム王国第二王女フローラ=ベルトラムが立っていた。
 部隊の面々も、突然に立ち上がった光の柱に驚きを露わにしており、呆然とその光景を眺めている。
 光柱を立ち上げているのはフローラが保管していたブレイブストーンと呼ばれる聖石であり、突然光を発し始めたと思ったら、いきなり周囲に何もない場所まで勝手に移動したのだ。

「え、ちょ、なんだよ、これ? どこだ、ここ?」

 光柱の光が止むと、その中から、聖石の代わりに、一人の黒髪の青年が現れた。
 どうやら彼も事態が呑みこめずに困惑しているようで、周囲をきょろきょろと見渡している。
 見た目は平凡で、特に鍛えた風でもなく、やや童顔というか、年齢は一見すると掴みにくい。

「っ……」

 その黒髪を見て、フローラは一人の少年の存在を思い出した。
 黒い髪に、朽葉くちば色の瞳をして、顔立ちの整った少年。
 元が孤児の子供とは思えないくらいに礼儀正しい話し方をして、異常なくらいに達観した落ち着きを見せていたあの少年のことを。
 そんな彼のことを思い出し、フローラが一瞬、悲しげに顔を歪めた。
 だが、今目の前にいる青年はあの黒髪の少年ではないようだ。
 目を瞑り、小さく息を吐くと、フローラは小さく首を振った。

「これは……まさか、伝承の……勇者?」

 その一方で、フローラの隣にいるユグノー公爵が呆然と呟く。
 庶民の間には簡単にしか知られていない勇者に関する御伽話。
 その裏で王族や歴史に造詣ぞうけいが深い貴族の間では詳細な伝承が語り継がれている。
 その話をユグノー公爵は知っており、まさしくその話通りの出来事が起きていると考えた。
 その内容は聖石が存在する場所に勇者が現れるというものだ。

「ゆ、勇者……様?」

 その言葉を隣で聞いていたフローラが目をみはり、呆然と呟いた。
 その伝承はフローラも父から聞いたことがある。
 聖石が消えて代わりに人が現れた。
 目の前で起きた出来事はまさしくその伝承通りの出来事なのではないか。
 そう考え、やがて何かを決意したような表情を浮かべ、フローラが口を開く。

「あ、あの、貴方は……もしや勇者様ではないのでしょうか?」

 その言葉を聞いて、青年がきょとんとした表情でフローラの顔を見つめ返す。

「勇者? 何を言っている?」

 怪訝な表情を浮かべた青年であったが、自らを取り巻く周囲の様子を見渡すと、何かが腑に落ちたような顔になった。

「あー、とりあえず説明をお願いしたいんだが?」

 自らに視線を送る周囲の人物達をチラチラと見渡しながら、青年は問うた。
 僅かな静寂が周囲に降りた後、フローラを警護するように囲んでいた貴族達が、ハッと我に返り、顔を顰める。

「フローラ王女殿下に向かってなんと無礼な口を……」

 その貴族の一人、アルフォンス=ロダンがぼそりと呟いた。

「勇者? 本当か?」

 信じがたいように青年を眺めて、その隣にいたスティアード=ユグノーも言った。

「申し遅れました。私はフローラ=ベルトラム。ベルトラム王国の第二王女です」

 突然の事態に落ち着きを取り戻し始め、周囲の貴族がひそひそと語り合う中で、フローラは自己紹介を始めた。

「王女様ぁ? 日本語も通じるし、テンプレすぎるだろ」

 その呆れを含んだ物言いに、フローラがびくりと震える。

「えっと、勇者様のお名前をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
「勇者って……。俺は坂田さかた弘明ひろあきだ」

 おそるおそるフローラに名を尋ねられると、青年が物怖じした様子もなく名乗りを上げる。

「サカタヒロアキ様ですね」
「あー、一応言っておくと、坂田が苗字で、弘明が名前だ。年齢は十九歳だな」
「姓があるということは、ヒロアキ様はもしや貴族の方なのでしょうか?」

 そもそも人間なのかという疑問もあるが、はた目から見ると弘明は普通の人間にしか見えなかった。

「苗字がある人間は貴族って、そこもテンプレか。俺は貴族じゃないぞ。日本……俺が暮らしていた場所だと誰でも苗字を持っているんだ」
「そのような国があるのですね」

 弘明の説明にフローラが感心したように呟く。
 とりあえず会話が通じて、悪人ではなさそうであることに、胸をなでおろす。

「ああ……」

 優しく微笑みながら顔を覗き込まれると、弘明はフローラの容姿に見惚れたように顔を紅潮させた。
 凝視して見返すだけの度胸はないようで、視線を定めないでキョロキョロとフローラの顔を見ている。

「んん。ちなみに聞いておきたいんだが、日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、中国っていう国の名前に聞き覚えはあるか?」

 自分のペースを取り戻すべく、わざとらしく咳払いをすると、弘明がそんなことを尋ねた。

「えっと、……ありません」

 弘明の質問に心当たりがないかを真剣に検討したが、フローラがそれらの国名を聞いたことはなかった。

「やっぱりか。で、あんたが俺をここに呼んだのか?」

 今更だがフローラが王女だと知っても口調を改めることはなく、弘明は現状を確認するべく次々と質問を投げかける。

「あ、いえ、私が呼んだのではなく、聖石……ブレイブストーンが勇者様を召喚してくれたんです」
「聖石? ブレイブストーン? なんだそれは?」

 この質問を皮切りに、フローラは弘明に六賢神や勇者に関する概略を説明することになった。

「以上です。何かご不明な点はございますか?」

 一通り説明し終えると、フローラが弘明に尋ねる。

「まぁテンプレすぎて状況は簡単に理解できた。でだ、一つ、質問したいことがある? いいか?」
「はい、なんでしょうか?」

 先ほどから弘明が言っているテンプレという言葉の意味を考えていたフローラだったが、質問があると言われて姿勢を正す。

「俺はどうやったら元の場所に帰れるんだ?」
「え? 帰る? えっと、それは……」

 予想外の質問に、フローラが言葉に詰まる。
 彼女にとって勇者とは六賢神が遣わした人間族の救世主だ。
 どこからやって来たかなんて考えたことはなく、漠然と神様がいる場所からやって来たくらいの認識しか持っていない。
 そもそもこの人は私達を助けに来てくれたんじゃないのか。
 フローラは困惑していた。

「えっと、そもそも勇者様はどちらからいらしたのでしょうか?」
「俺は地球という世界にある日本という国からやって来た」
「六賢神様がいらっしゃる場所からこちらへお越しになられたんですよね?」
「あー、会話が上手く噛み合っていないみたいだが、六賢神なんて存在は見たことも聞いたこともないな」
「そんな……」

 フローラの困惑がいっそう強まる。
 弘明は本当に勇者なのだろうか。
 いや、聖石の代わりに弘明が現れたのだから、彼が勇者であることに間違いはなさそうだ。

「えっと……」

 じっと自分の顔を覗き込んでくる弘明の視線に耐えかねて、フローラは目を逸らした。
 弘明にとってはそれが答えである。

「おいおい、呼び出しておいて帰れませんってのはないんじゃないのか?」

 嘲笑するようにそう言うと、フローラが答える前に解答を決めつけ、弘明は話を進めることにした。

「これって誘拐じゃないのか? この世界の法律でどんな刑罰が下されるかは知らないが、犯罪行為だよな?」

 心なしかその口調はどこか弾んでいる。
 それは現状に対する不満を訴える言葉であるはずなのに、彼の顔は、まるでこれから面白くなりそうだと言わんばかりに、薄っすらとにやけていた。

「あ、えっと……」

 生来の穏やかな気質がこういった交渉に向いていないのか、フローラは狼狽えているばかりだ。
 フローラだってよくわかっていないのだ。
 聖石が勝手に弘明を召喚しただけで、誘拐しようだなんて事実誤認も甚だしい。
 フローラ達からすれば弘明が勝手に現れたにすぎないのだから。

「やれやれ、困っているのはこっちなんだぜ」

 流石にイジメすぎたかなと、弘明が溜飲を下げる。
 どこか満足したように笑みを浮かべると――。

「貴様、先ほどから無礼ではないか? それで本当に勇者なのか!?」

 弘明の態度に耐え兼ねたスティアードが口を挟んできた。

「おいおい、俺はいきなり拉致されてこの場に呼ばれたんだぜ? その勇者になるってのにも承知した覚えはないぞ。いいか、俺は被害者だ。そこんところをはっきりとさせておこうか?」

 そんなスティアードに対して小さく溜息を吐くと、弘明は被害者であることを殊更に強調して語った。

「なんだと?」

 挑発するような態度に、不快気な表情を隠そうともせず、スティアードは弘明を睨んだ。
 周囲にいる貴族達も弘明に対してあまり好意的な視線を向けてはいない。
 ピリピリとした空気が辺りに流れる。

「フローラ様、恐れながらよろしいでしょうか?」

 すると、今まで値踏みするように黙って弘明を眺めていたユグノー公爵が声を出した。
 突如、声を出したユグノー公爵に、弘明を含め周囲の者達の視線が集まる。

「はい。何でしょう?」

 緊迫した空気が僅かに霧散したことに安堵し、フローラがユグノー公爵に尋ねた。

「先ほどの光でアルボー公爵の放った追跡部隊にこちらの位置を気取られた可能性が高いです。お話は馬車の中でするとして、今は早く部隊を動かしたいのですが」

 と、落ち着いた口調で、ユグノー公爵は言った。

「わかりました。今すぐ出発しましょう。勇者様、今はあまり時間がありません。とりあえずご同行いただけないでしょうか?」

 その言葉を受け、どこか焦ったように、フローラが弘明に尋ねる。

「んー、まぁいいぞ。まだ聞きたいこともあるしな」

 特に考えた様子もなく、弘明は即答した。
 仮にいきなりこの場で残されたとしても、弘明に行き場はなく、情報も圧倒的に不足している。
 付いて行かないという選択肢は彼の中になかった。
 にもかかわらず、これまで挑発的な態度に出ていたのは、自分のことを絶対に置いていくはずがないと高を括っていたからである。
 挑発して相手の対応を見てやろうという意図も含まれていたりする。
 そのままフローラに案内され、弘明はユグノー公爵と一緒に馬車に乗ることになった。

「ロアナ君、君も一緒に乗りたまえ」
「はい。承知しましたわ」

 ユグノー公爵に声をかけられ、近くにいたフォンティーヌ公爵の娘であるロアナも馬車に乗る。
 そうして、この世界では極めて品質の高い馬車の中で、フローラ、弘明、ユグノー公爵、ロアナの四人が一堂に会することになった。
 馬車の中は広く、四人が乗ってもまだまだ余裕はある。
 ただ、弘明にとっては乗り心地が悪いようで、尻を押さえて辟易とした表情を浮かべていた。

「現在、我が国においてクーデターが生じております」

 それぞれの簡単な自己紹介を済ませると、フローラに命じられ、ユグノー公爵が弘明に事情を説明することとなる。
 つい先日、ベルトラム王国でクーデターが起きた。
 首謀者はヘルムート=アルボー公爵、八年前にユグノー公爵との政争に敗れた元近衛騎士団長であった男だ。
 きっかけは、過日、敵国であるプロキシア帝国が大規模な侵攻を開始し、ベルトラム王国が国家の重要拠点を奪われ甚大な被害を被ったことにある。
 対プロキシア帝国に対して強硬路線を主張していたアルボー公爵家とその配下の軍閥貴族達。
 彼らは穏健派の筆頭であったユグノー公爵とそれを支持していたフィリップ三世を徹底的に糾弾した。
 話し合いにより強硬派の不満を解消しようとしたフィリップ三世とユグノー公爵であったが、ヘルムートは水面下で根回しを行った上でその不満を武力行使によって訴える。
 その時点で、ユグノー公爵に従っていた貴族達は、責任を免れられない側近の貴族を残して、大半がヘルムートの軍門に下っていた。
 穏健派の幹部に位置する貴族達を捕えるため、ヘルムートは粛清と称して強引に兵を動かす。
 失脚によって近衛騎士団に対する影響力を失ったヘルムートであったが、軍部に対しては息子を傀儡とし、長い年月をかけて確固たる地位を確保することに成功していた。
 穏健派の主だった貴族はユグノー公爵や一部の貴族を残して投獄され、その中にはロアナの父親であるフォンティーヌ公爵も含まれている。
 加えて、粛清によって勢いをつけたアルボー公爵は失政を理由に王族の軟禁も目論んだ。
 その結果、国王フィリップ三世、王妃ベアトリクス、第一王女クリスティーナが王城に軟禁されることになる。
 穏健派の筆頭貴族であるユグノー公爵は粛清の手をいち早く察知すると、自らの保身のために反革命軍を組織した。
 スティアードと一緒に王立学院に通っていた第二王女のフローラの救出に成功すると、ユグノー公爵はそのまま彼女を指導者として擁立し、ガルアーク王国へと亡命することを決めたのである。
 フローラは自分にそんな求心力があるとは思えなかったが、ユグノー公爵に説得され、家族、自分に賛同してくれる家臣、そして国民のために立ち上がることを決意していたりする。

「んー、もしかしなくともフローラ姫達の状況ってものすごく悪いよな」

 ユグノー公爵の説明を聞き、歯に衣着せずに弘明がフローラ達が置かれた状況を言い当てた。
 そう、フローラ達が背水の陣に追い込まれていることは火を見るより明らかである。
 国王であるフィリップ三世を押さえられている時点で、形式的に見ればどちらかといえば逆賊はユグノー公爵になるのだから。
 しかも、兵数だけ見ても限界まで徴兵されれば最大で二十倍近く戦力の開きがあり、こちらは兵力の増員もままならない以上、正面から争えば勝利はほぼ不可能であった。
 逆転の手を打つためにユグノー公爵はガルアーク王国へ亡命の渡りを付けたわけだが、それでも状況は非常に悪いと言わざるをえない。

「い、いえ、勇者様、ヒロアキ様がいてくだされば我々にも勝機はあります!」

 フローラが慌ててその言葉を否定する。
 ここに来て伝説の勇者である聖石により弘明が召喚された。
 そもそも聖石にまつわる伝説はおとぎ話として信憑性の程は不明であったが、権威を示す象徴として聖石自体が有する価値は高い。
 王族であるフローラの身柄と併せることでその権威の正当性はより確たるものとして扱われることから、ユグノー公爵は王国が二つ有していた聖石のうちの一つを意地で持ち出していた。
 現在、聖石は弘明の召喚とともに消えてしまったが、弘明が本当に勇者であるのならば、ただ権威づけの道具としての価値しかない聖石よりも、弘明はよほど高い価値を有することになる。
 弘明がおとぎ話に出てくる伝説の勇者と同じ戦闘能力を有しているのならば、反革命軍は権威の面でも戦力の面でも大きな力を得たことになる。

「ヒロアキ様、どうか我々をお救いくださいませ!」

 弘明の存在が最後の希望であると言わんばかりに、フローラは頭を下げた。
 ユグノー公爵も、そして側で黙って話を聞いていたロアナも一緒に頭を下げている。

「さっきも言ったけど俺は勝手にこの場に呼ばれただけの被害者だ。勇者なんかじゃない。命をかけて戦う理由なんてないな。それに現時点で俺に戦う力があるとは思えないぞ」

 そんな三人の懇願を受け流し、物おじせずに弘明は自らの意見を主張した。
 フローラは絶望したような表情を浮かべ、ロアナは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
 ユグノー公爵だけは顔に感情を出さずに弘明を眺めていた。

「勇者様は膨大な魔力と神装といわれる武具を有していたと言われております。その力は絶大であり、一振りで数千にも及ぶ魔物の軍勢を薙ぎ払うことも出来たとか。弘明様も勇者ならばそれと同じ力がありましょう」

 ユグノー公爵は柔らかな笑みを浮かべて弘明に勇者が有する力を説明した。

「神装ね。少なくとも今の俺はそんな物を持ってはいないが、仮に持っていたとしても俺があんたらのために戦う理由にはならん。内紛のゴタゴタはあんたらの問題だろ。お断りだな」

 そんなユグノー公爵に対してあからさまに警戒するような視線を向けると、弘明は決然とかぶりを振った。

「そんな……お願いします! 私達にはもう勇者様しかいないのです!」
「私からもお願いしますわ。我々にはヒロアキ様のお力が必要なのです!」

 そう言って懇願するフローラとロアナの顔は文字通り必死であった。
 そんな二人に弘明が困ったように苦笑する。

「そうは言われてもな。あんたらは俺に戦争をやらせようってんだろ?」

 どこか軽蔑を含んだ声色で弘明が言い放つ。

「戦争に出れば人を殺すことになる。俺のいた国じゃ殺人は重罪だ。無罪でも、どんな事情があろうとも、人を殺した人間はスティグマを捺されることになる」

 非難めいた視線をフローラとロアナに送り、弘明は語り続ける。

「それにさっきの話を聞いた限りだと、勇者ってのは魔族を倒すための存在なんだろ。魔王や魔物を倒すためならともかく、人殺しに使えっていうのはおかしくないか?」

 弘明は憤慨して、ここぞとばかりに語った。

「俺は人殺しをするつもりはない! 人殺しをして、わざわざ身の危険を冒してまで、あんたらを救う義理もない!」

 吐き捨てる弘明。
 馬車の中に短くない沈黙が降りた。

「いやはや、流石は勇者様。立派な志をお持ちだ」

 すると、どこか悲痛な笑みを浮かべ、ユグノー公爵が口を開いた。
 ぴくりと弘明が反応し、ユグノー公爵に警戒するような視線を送る。

「勇者様の仰る通りです。我々としても泥沼の戦場になることだけは避けたいと考えております。むろん私個人もそんなことはしたくもありません」

 言って、ユグノー公爵は深々と息を吐いた。

「ですが、このままいけば泥沼の争いは必至です。アルボー公爵は背後で敵国と内通している節があり、加えて多くの罪なき人間を浅はかな主張で手にかけている。我々はそんな奴を野放しにはできないのです」

 歴戦のユグノー公爵の雰囲気に呑まれ、弘明は身を固くして、その言葉を聞いていた。

「フローラ姫のご家族は王城に軟禁されていますし、ロアナ君のご家族は投獄されその身の安全は定かではありません」

 深く息を吐き、ユグノー公爵は暮れ始めた窓際の風景に遠く目をやった。

「アルボー公爵はずる賢く悪逆な男です。このままいけばいずれ勢力的に劣る我々が逆賊として裁かれる未来が待ち受けているかもしれない」

 ユグノー公爵は弘明の理論武装を揺り動かすように話し続ける。

「私はそんな奴の魔の手から彼女達を守ってあげたい」

 言って、まるで子供達を見守る父親のような眼差しを、ユグノー公爵はフローラとロアナに向けた。

「ですが私は非力です。小賢しい知恵は回りますが、何の力もない」

 ユグノー公爵は言い、辛そうに溜息を吐いた。

「そんな、ユグノー公爵は精一杯やってくれています!」
「そうですわ! ユグノー公爵がいらっしゃらなければ今ごろ私もどうなっていたことか……」

 気弱な表情を見せたユグノー公爵に、フローラとロアナが焦ったように声をかける。
 彼女達二人はユグノー公爵に助けられた恩があった。
 それはユグノー公爵にメリットがあったからなのだが、二人はその点に気づいてはいない。
 いや、気づきつつも、ユグノー公爵に対する恩から、彼女達はそれを捨て置いているのだ。

「確かにロアナ君は物好きな貴族に奴隷として売却されていたかもしれんが……」

 その言葉が妙に生々しくて、弘明は顔をしかめた。
 こんな綺麗な少女がどこの誰ともしれぬ下衆に慰み者にされる場面を思わず想像し、無性に腹が立ったのだ。
 この場にいないアルボー公爵に弘明が微かとはいえ確かに敵意を抱いた瞬間であった。

「勇者殿にこのようなお願いをするのは甚だ見当違いであるということは私も重々承知しているのです。ですが恥を忍んでお願いしたい。どうか我らを助けてくれないでしょうか?」

 語って、ユグノー公爵は悲しげに頭を下げた。

「何も人を殺すだけが戦争のやり方ではありません。勇者様には勇者様にしかできない戦いがあるのです。勇者様が一緒に来てくれれば、犠牲者が減る未来を掴みとれるのです!」

 熱の入ったその声は弘明に対する信頼が込められているように聞こえる。
 この時、弘明の中で男としての何かが燻られ、心が大きく揺れ動いていた。

「少し考えさせてくれ……。あんたの言うことは理解できるが、俺にはまだ覚悟ができていない」

 眉間にしわを寄せ、強く拳を握りしめながら、弘明は答えた。

 ☆★☆★☆★

「父上! あのような男が勇者だと、私はいまだに信じられません!」

 その日の夜、ユグノー公爵のために野営地に設置された天幕の中で、スティアードが憤慨したように声を出した。
 現在、弘明はフローラやロアナと一緒に夕食を食べているため、話を聞かれる恐れはない。

「あの男は勇者だよ。間違いなくな」

 弘明が召喚され、馬車に乗って行軍を開始した後も、若い貴族を中心として弘明に対する不満は溜まっていた。
 彼らの多くがフローラの親衛隊と呼ばれる組織の構成員である。
 その筆頭にいるのがスティアードであり、アルフォンスもそれに追従していた。

「どうしてそうだと断言できるのですか!?」
「聖石が消えて代わりにあの男が現れたのだ。情況証拠ならばそろっているだろうに……」

 お前はそんなこともわからないのかと、ユグノー公爵は言外に言い放った。
 その気迫に負け、スティアードは当初の勢いを失い、怯んだ。

「それにお前が好きなあのセリア=クレールが開発した新型の測定石であの男の魔力量を算定した。結果は計測不能だ。我々とは比べ物にならん魔力を持っている」

 ここ最近では珍しく上機嫌な様子でユグノー公爵が語る。

「なっ……」

 新型の測定石は、宮廷魔道士百人が同時に触れなければ測定不能の結果は出せないと、あのセリア=クレールが断言した代物だ。
 従来の測定石では魔法を扱うに足る最低限の魔力しか調べることができなかったが、スティアードが敬愛するセリアによって発明された新型の測定石はその魔力量を大まかにとはいえ計測することを可能とした。
 そんな彼女の傑作が誤作動を起こすはずはないと盲目的に信じており、スティアードは驚愕することになる。

「物おじせず変に小賢しいところはあるが、それだけの温い小僧だ。ある程度、会話をして、およその人柄は掴めた。何の問題もないさ」

 すべてを見透かしたかのような父の発言に圧倒され、スティアードは息を飲んだ。

「お前は同年代の貴族達が不満を表に出さぬように監視しておけ」

 二の句が継げずにスティアードが黙っていると、ユグノー公爵がそんなことを言ってきた。

「わかりました……」

 目を伏せ返事をすると、スティアードは天幕を発ち去る。
 その後ろ姿を鼻を鳴らして見つめると、ユグノー公爵は側近を呼び寄せた。

「何の御用でございましょうか?」

 即座に現れた男が慇懃な所作で尋ねる。

「房中術を仕込んだ献身的な女を見繕って、それとなく勇者にけしかけてみろ。あくまでもそれとなくだぞ。できれば処女がいいが無理は言わん」

 嘲笑を浮かべ、ユグノー公爵は男に指示を出した。
 女の身体は武器だというのがユグノー公爵の考えだ。
 使い方一つで大抵の男を意のままに操ることができる。
 先ほど、弘明はフローラとロアナの美貌に何度も視線を奪われていた。
 本人は意識していないつもりだろうが、傍から見れば不自然に何度も視線を送っているのは丸わかりだった。
 だというのに視線を気取られないように猿芝居をしている。
 ああいう手合いは男女の関係に自分勝手で愚かな理想を抱いているが、場を演出してやれば割と簡単に据え膳に食いつくタイプだ。
 肉体関係を持った女を置いてどこかに行くような度胸があるようにも思えない。
 ユグノー公爵はそう分析していた。

「よろしいのですか? 相手が勇者となると相応の身分の女がよろしいのでは?」

 今の言葉でユグノー公爵の要求している女を的確に判断し、脳内で候補を見繕りながらも、落ち着いた口調で家臣の男が尋ねた。
 彼の仕事は確認作業だ。
 こうして主の決定に対して逐一、反対意見を提示することで、思考をブラッシュアップさせる。
 勇者に色仕掛けをすることには何の抵抗も抱いていない。

「いきなり最高級品をくれてやる必要もあるまい。求められている役割も異なる。今は奴を我らの駒にするのが先決だ」

 勇者と身分的に釣り合うのは王族か、最低でも上級貴族でなくてはならず、現在の反革命軍にいる者だと、候補となるのはフローラ、ロアナ、後は数人の貴族の令嬢くらいしかいない。
 だが、特権階級として生まれた彼女達は当然のごとく処女であるから床上手ではなく、それを専門に教育を受けた女の性技には遠く及ばない。
 それに彼女達には別の用途で用いる可能性も少なからずある。
 わざわざ軽率に勇者に抱かせてやる必要もない。
 色仕掛けを仕掛けるのならばもっと適した人員がいるのだ。
 要は向き不向きの問題である。

「御意に」

 恭しく礼をすると、男はそのまま天幕から立ち去った。

「ふん、逆賊がどちらか思い知らせてくれるわ。アルボーの老害めが……」

 一人残されたユグノー公爵が忌々しげに吐き捨てる。
 彼にとって弘明はまさしく降って湧いた幸運だ。
 これならば勝算はある。
 だが、焦ってはいけない。
 ユグノー公爵は頭の中で未来のプランを着々と練っていた。

 ☆★☆★☆★

 翌日、弘明の雰囲気は昨日とは打って変わっていた。
 どこか精悍な顔つきを浮かべ、その態度にはどこか自信がみなぎっている。

「まぁ、こちらの動きは革命軍とやらに察知されているだろうが――」

 馬車の中で広げた周辺の地図を眺めながら、弘明は得意げな口調で語っていた。

「俺がアルボー公爵ならこの地点まで進めば追跡は諦めるだろうな。峡谷では数の利が効かない。待ち受けされたら手痛い反撃を受けると警戒するからな」

 そうして確信あり気に断言する。

「素晴らしい。流石は勇者様だ。実にご聡明であらせられる。このような戦略眼も持ち合わせていらっしゃるとは……」

 ユグノー公爵はおだてるよう弘明を褒め称えた。
 表面上は温和そうな笑みを浮かべながらも、ユグノー公爵の目は笑っていない。
 そんな彼の曲者ぶりに気がつくことができるほどに人生経験は豊富でなく、もともとの洞察力も高くなく、弘明は気を良くした。

「実に頼もしいですわ。ヒロアキ様は軍略を修めていらっしゃるのですか?」

 ロアナも弘明を褒め称え、質問を投げかける。

「いや、俺はゲーマーというかオタクでな。そういう話に散々触れてきたから色々と知っているだけだ。気になることはなんでもネットで調べていたしな」

 自分の知識ネタにそれなりの自信があるのか、弘明が満更でもなさそうに謙遜する。
 ゲーマー、オタク、ネットという言葉の意味は不明であったが、ロアナは弘明が勉強家であると判断した。

「あの、ヒロアキ様。こうしてご助言を頂けるということは我々にお力を貸して頂けるということなのでしょうか?」

 どこか期待するような視線で弘明を見つめ、フローラが尋ねる。
 こうして乗り気になってくれているということは彼女にとっては非常に好ましいことだった。

「……とりあえず当面は行動を一緒にしてようと思う。ただし、あんたらの進む未来が間違っていると判断したら俺は離れさせてもらうぞ」

 と、決然とした口調で弘明は答えた。
 弘明は理解していない。
 彼らと行動を共にすると決めた時点で、相当数の人間の命を自分の双肩で担うことになったという事実を。
 勇者として関わるだけ関わって、途中で一抜けたをすることがどれほど無責任なのかを。

「勇者様の御心のままに」

 言って、慇懃にユグノーは頭を下げた。
 その口元はほくそ笑んでいる。

「あんたの言った言葉を信じさせてもらうぞ。よろしく頼む」

 真剣な面持ちで弘明がユグノー公爵に語りかける。
 先入観から貴族が一律に腐っていると考えていた弘明からすれば、ユグノー公爵の慇懃な態度は実に意外であった。
 それにフローラとロアナは弘明の直球ど真ん中で好みのタイプである。
 すべての貴族が腐っているわけではないのかもしれないと弘明は考えていた。

「ええ、こちらこそよろしくお願いします。勇者殿」

 口元に小さく微笑を浮かべ、ユグノー公爵は弘明に手を差し出した。
 弘明がその手を握り返す。

「ありがとうございます、勇者様! 民や私に付いてきてくれた者達を救いたいという私の気持ちに嘘はないと誓います。これからよろしくお願いしますね」

 続けて、フローラが弘明の手を握って礼を告げる。
 これなら上手く行くかもしれない。
 家族を、民を、自分を慕って付いてきてくれる者達を救い出すことができる。
 そんなビジョンが思い浮かび、フローラはホッとしたように笑みを浮かべていた。

「ああ。幸い勇者としての力は強大のようだしな。使い方を間違えなければ抑止力となるはずだ」

 にやりと不敵な笑みを浮かべ、弘明が満を持して語った。

「勇者様のお力ですか?」

 不思議そうにフローラが尋ねた。
 弘明の隣でユグノー公爵がぴくりと眉を動かし、興味深そうに弘明を見やる。

「ああ、これが俺の神装だ。来い、ヤマタノオロチ!」

 手を掲げて叫ぶと、弘明の手に一振りの太刀が収まった。
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