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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第三章 両親の故郷の地で

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第45話 鬼神と呼ばれた男

「……ゴウキ殿と手合せですか?」

 ホムラの言葉に対し、リオは一瞬、返答に間を置いた。
 そして、胡乱うろんげな声で疑問を口にする。

「いきなり不躾なことを言って戸惑わせてしまったな。すまぬ」
「いえ、ただ少し真意を掴みかねていると言いますか……」

 苦笑しながら謝罪の言葉を口にするホムラに、リオは自らの心情を吐露した。

「少し言葉も足りなかったな。そなたの手助けをしたいと思ったのだ。復讐をするにしてもそれを成し遂げる力が必要となるだろう?」
「それは……はい」

 ゴウキに視線を向けながら、ホムラは話を続ける。

「ここにいるゴウキはこの国はおろか近隣諸国でも最強と名高い歴戦の武士だ。この男と戦うことで何か学べることがあればと思ってな」

 戦場に出れば一騎当千、鬼神の二つ名を持ち、戦場で屠ってきた強者どもの数は計り知れない。
 長年にわたって積み重ねてきた実績と信頼により、ホムラはゴウキの強さに全幅の信頼を寄せている。
 そんな彼の下でなら孫に貴重な経験を積ませることができるはずだとホムラは考えていた。

「本当はまだまだそなたとゆっくり話をしたいところなのだが、立場上、今日はもうあまり時間が残っていなくてな」

 小さく溜息を吐き、ホムラは苦笑した。
 こうしてリオと密会する時間を作り出すのにも少なくない手間がかかっている。
 あまりリオと密会する時間が長いと、ホムラとカヨコの空白の時間を不審に思う家臣達が現れる可能性もあり、細心の注意を払っているのだ。
 リオの存在を隠蔽しておく以上、目立つ行動は控えなければならない。

「明日また密会する時間を設けてある。今日はゴウキの家に泊まってもらうことになるが、そこでゴウキと手合せをしてみてはどうだ?」
「なるほど……」

 リオはようやくホムラの発言の意図が呑み込めた。

「そういうことでしたら、ゴウキ殿さえよろしければ……」

 微笑を浮かべ、リオはホムラの提案を受け入れることにした。
 ゴウキが只者でないことはリオにもはっきりとわかっている。
 精霊の民の里にいた頃はこういった手合いの相手には事欠かなかったが、ヤグモへ旅を始めてからは自己鍛練しか行っていない。
 久々の強者との手合せは望むところであった。
 後はゴウキ次第だ。

「私も一向に構いませぬ。リオ様はかなりの実力者とお見受けしておりますゆえ」

 ゴウキも不敵な笑みを浮かべて手合せを快諾した。
 ホムラと違い、ゴウキはリオの強さを見抜いている。
 自ら手合せを願い出ることは無礼だと控えようとしていたが、ホムラの命令であるというのならば望むところであった。

「ふむ。では、決まりだな」

 満足したようにホムラは小さく頷いた。
 そのまま解散の流れになると――。

「リオ、こちらに来てくれるかしら?」

 部屋を出る直前に、シズクがリオを呼び寄せた。

「はい……」

 戸惑いながらも、返事をし、リオがシズクに近づく。
 するとシズクはリオをそっと抱きしめた。

「たった一人でこんなに大きく成長するなんて。よくここまで来てくれたわね。本当にありがとう」

 およそ六尺もあるリオの身体に身を埋めながら、シズクは涙ぐんだ声で言った。
 突然、抱きしめられ、リオが僅かに身体を強張らせる。
 だが、シズクのぬくもりを感じとり、すぐに力を抜いた。

「いえ、私も貴方達にお逢いできて嬉しかったです。今後はそう気軽に会えそうにはありませんが、今は明日また会えることを楽しみにしています」

 おそるおそるシズクの身体を抱きしめ返し、安心させるように優しい口調で語りかける。

「ええ……」

 今にも消えてしまいそうな儚い笑みを浮かべ、シズクは至近距離からリオの顔を見上げた。
 リオが間近から見たシズクの顔は、王族としての表情ではなく、愛する孫を愛しむ一人の祖母のものであった。
 もっとも、祖母というには少々外見年齢が若いが。
 そんな二人の様子を、慈愛に満ちた表情を浮かべ、ホムラが眺めている。

「行こう、シズク」
「はい……」

 自由に孫と会う時間すら満足にとれない王族の身が実に嘆かわしい。
 そう言わんばかりの面持ちで、ホムラはシズクに声をかけた。
 澄んだ涙を浮かべ、シズクがこくりと返事をする。
 そのまま二人は部屋から立ち去った。

「では、リオ様。ご案内いたします」

 部屋からホムラとシズクが立ち去ると、ゴウキが静かに言った。

「はい。お願いします」

 平静な声で、リオが返事をする。

 それから、ゴウキとカヨコに連れられ、リオは王城を後にした。
 サガ家の邸宅は王都の中心部に近い武家街にある。
 武家街には閑静な雰囲気が漂っており、人通りはあまり多くない。
 各々の邸宅の周囲には松に似た木が計算しつくされた配置で生え揃っていた。

「こちらでございます」

 ゴウキとカヨコに案内されたのは見る者を威圧するような巨大な屋敷であった。
 武家街の中でも、サガ家は一際、立派な屋敷のようだ。
 家の素材には木と漆喰が用いられており、重厚感のある屋敷が紅い塗装で彩られている。
 その見事な外観にリオが感嘆の視線を向けた。
 そのまま足を進め、庭の中に入ると、まだ年若い少女の声が響く。

「父上、母上! お帰りなさい!」

 現れたのはまだ十歳くらいの可愛らしい少女だった。
 白い胴着に赤の袴姿で、その手には一本の木剣が握られている。
 大粒の宝石のように美しい瞳、細いながらもはっきりとした目鼻立ち、非常に柔らかく肌理きめ細やかな陶器のように白い肌、そのどれもが極上のパーツとして、あどけない彼女を彩っている。
 首下と背中まで伸びた漆黒の絹糸のような髪が、さらさらと衣に擦れて、美しい音を奏でていた。

「おぉ、コモモよ。ただいま」

 ゴウキがそのいかつい顔に似合わぬだらしない笑みを浮かべる。
 こんな表情もできるのかと、リオは僅かに目を見開いた。

「父上、その方は……」

 リオの存在に気づき、コモモと呼ばれた少女が不思議そうに尋ねる。

「リオ殿、紹介が遅れましたな。この子は私とカヨコの娘でコモモと申します。コモモ、リオ殿にご挨拶なさい」

 この屋敷に滞在する間はリオを一客人として扱うことが道中で決められた。
 といっても注意すべきことはゴウキとカヨコの口調くらいだが。
 年若いリオに対する口調としてはやや丁寧だが、ゴウキとカヨコにも妥協できないラインがあるらしい。

「はい! サガ=コモモです! よろしくお願いします」

 天真爛漫な笑みを浮かべ、コモモはリオに頭を下げた。

「初めまして。リオと申します」

 リオも頭を下げ返し、慇懃に名乗りを上げる。

「それでは早速となりますが道場へ行きましょうか。コモモよ、ハヤテは道場か?」
「はい! 私も先ほどまで稽古をつけてもらっていました」
「そうか。今からリオ殿と儂が手合せをする。お前も見学するといい」
「はい!」

 二人の手合せに興味を持ったのか、コモモが元気よく返事をする。
 コモモを引き連れ、道場へ行くと、そこではハヤテが黙々と木剣を振るっていた。

「ああ、父上に母上、二人とも帰って……リオ殿!?」

 ゴウキとカヨコの姿を目にして、ハヤテが晴れやかな笑みを浮かべる。
 だが、この場にいるのが想像もつかぬ人物の姿を目にし、素っ頓狂な声を出した。

「こんにちは。ハヤテ殿、それほど久しぶりというわけでもありませんが」

 ハヤテの反応に苦笑しつつ、リオはハヤテに再会の挨拶を告げた。

「ああ、久しぶりというわけでもないが、どうしてリオ殿がここに? もしやルリ殿に不埒な真似をしたあの男の件か? あの男ならしっかりと処罰をして今ごろはどこぞで強制労働をしているだろうが……」

 ハヤテは何やら見当はずれな方向に勘違いをしているようだ。
 リオがこの場に姿を現す理由などそれくらいしか思いつかなかったのだろう。
 とはいえ、ハヤテはリオの素性を知らぬのだから、無理もない。

「リオ殿は我が家の客人としてこの家に滞在することが決まった。これからリオ殿と手合せをするからお前も見てなさい」
「は、はい……」

 戸惑いながらも、ハヤテが首肯する。
 リオがこの家にやって来た理由は気になるが、今はそれを尋ねる雰囲気でもない。
 ハヤテが戸惑っている間にもリオとゴウキの手合せの準備は着々と整っていた。
 木剣を手にし、リオとゴウキが道場の中央で向き合っている。
 審判役のカヨコが二人の側に近寄った。

「取り決めは命を奪わないことのみです。怪我については精霊術による治癒がありますゆえ、遠慮せずに打ち合ってください」

 静かな声でカヨコが試合のルールを説明する。

「うむ」
「はい。わかりました」

 ゴウキが力強く返事をし、リオも朗々と返事をする。
 木剣を手に馴染ませるように何度か握ると、リオが構えをとった。
 ゴウキも準備が整ったのか、静かに構えている。

「始めっ!」

 カヨコの合図を皮切りに試合が始まる。
 瞬間、ゴウキの威圧感が膨れ上がった。
 その場にいるだけで逃げ出したくなるであろう気迫だが、この場から逃げ出す者はいない。
 とはいえ、ハヤテは僅かに額に冷や汗を流し、コモモはだいぶ緊張した様子を見せている。
 リオとゴウキ以外で冷や汗を流していない者はカヨコだけだ。
 ゴウキの威圧感を正面から当てられているリオはというと、いつも通りの冷静そうな顔で悠然と構えていた。

 一秒、十秒、一分と時間が過ぎていくが、二人は黙ったまま向き合っている。
 いつまで経っても動き出さない二人に、普段のゴウキを知るハヤテとコモモは驚いていた。
 ゴウキは果敢に攻め込んで相手を一瞬のうちにほふる猛者として知られている。
 それは慢心などではなく、圧倒的な状況判断能力と実力差があるからこその芸当だ。
 鬼の如き武者振りからつけられた二つ名が鬼神であり、指導稽古の際にも自分から動いて相手を誘導するようなタイプの武人である。
 そんなゴウキが身動き一つとれずに釘づけにされている。
 ハヤテとコモモが驚くのも無理はなかった。

 リオと向き合い、ゴウキは微妙な力の入り具合を読み取られていることを察していた。
 下手に動けば後の先をとられる。
 それだけでリオがどれほどの実力者であるかは容易に測ることができた。
 ゴウキの顔に獰猛な笑みが浮かぶ。

 対するリオはゴウキが予想以上の使い手であったため、かつてない程に集中していた。
 下手に実力を隠したり油断すれば危うい。
 直感でそれを察し、実力を隠すことは早々に諦めていた。

 チリチリと放たれるゴウキのプレッシャーが次第に膨れ上がっていく。
 ゴウキの身体に筋肉の緊張は一切なく、完全に脱力したまま気迫だけを放っている。

 刹那、力の入る瞬間を見せずに、無拍子で、ゴウキがリオとの間合いを詰めた。
 踏み込んだ勢いを借りて振り払われたゴウキの木剣を、リオが難なく受け止める。
 互いの木剣が激しくぶつかり、甲高い音が道場に響いた。
 つばぜり合いになった二人が至近距離から視線を交わす。
 一切の攻撃の予兆を感じさせなかったはずの完璧な初撃をいとも簡単に防がれたことに、ゴウキは感激していた。
 リオの技量が未熟なようであれば指導するようにとホムラから命令を受けていたが、そんな余裕は一切なさそうである。

「その歳でこの技量とは。当時の儂やゼンを遥かに上回りそうですな。これでまだ経験的にも肉体的にも全盛期でないと考えるとゾッとします」
「父がどれほど強かったのかについては存じませんが、鍛えてはいますから」

 なんとか身体を押し込もうと、ゴウキは力を入れた。
 だが、そんなゴウキの力を受け流し、リオがその勢いを利用して体を反転させる。
 そのままリオが脇からゴウキに斬りかかると、激しく木剣のぶつかる音が道場の中に響き渡った。
 ゴウキがかろうじてリオの攻撃を受け止めたのだ。

「……まいりましたなぁ」

 的確に隙を突くリオの容赦ない攻撃を受け止め、ゴウキが楽しそうに笑みを浮かべた。

「そうは見えませんが?」

 言いながら、ゆったりとした動きでリオが片足を引く。
 すると、木剣を滑らせ、伸びるようにゴウキの首をめがけて切っ先を突き刺した。

「くっ、かような戦い、そうそう味わえるものではありませぬからな! 臆するなどとんでもない!」

 紙一重でそれを避け、力強く踏み込み、ゴウキは神速ともいうべき速度で三連突きを放った。
 しかし、リオは鮮やかにそれらを弾く。

「はは」

 リオの口から乾いた笑いが漏れる。
 今の突きは恐ろしいほどに技量を磨き上げた容赦のないものだった。
 何年、何十年と剣を振り続けてきたのだろう。
 技量だけで言えばゴウキは今までリオが戦った者達の中でも明らかに突出している。
 人間族であるゆえに素の身体能力は低いはずだが、精霊術により超人的な身体能力を獲得していることから、近距離戦闘に限っていえば今までリオが会った者達の中で最強クラスのはずだ。

「ゼンも天賦の武の才能を持った男でしたが、リオ様はそれ以上ですなっ!」

 先ほどの三連突きよりもいっそう鋭い、二連突きを、ゴウキがリオめがけて容赦なく放つ。
 柄を狙って、リオはそれらを弾いた。

「ぐっ」

 ゴウキの剣が逸れて、その隙に、リオが胴体に強烈な蹴りを叩き込む。
 とっさに左腕でガードしたが、ゴウキが勢いよく吹き飛ばされる。
 その光景をハヤテはおろか冷静なカヨコまでもが驚愕して見ていた。
 一人だけ、コモモだけはその光景に目を輝かせている。
 蹴られた勢いを利用し、ゴウキがリオから距離をとる。
 だが、瞬間、一気に間合いが縮まったかと錯覚するような、神速の踏込で、リオがゴウキに迫った。

「くっ」

 一瞬で眼前に現れたリオに、ゴウキは本能で応戦した。
 苦しそうな声を出し、かろうじてリオの剣を弾く。
 リオは続けざまにゴウキに追い打ちをかけた。
 ほんの一瞬の間に無数の剣打音が道場に響き渡る。

「むん!」

 押され気味のゴウキが、リオの一瞬の隙をついたかのように、鋭く剣を振り下ろす。
 必中するはずだった攻撃は、リオが体を回転させると、あっさりと避けられた。
 すぐさまリオに斬撃を叩き込まれたが、ゴウキがとっさにそれを受け止める。

「ぐっ、今の隙はわざと作ったものですか。素晴らしいですな」

 苦しそうな声を出しながらも、ゴウキは実に愉快そうに笑った。
 反射でリオの攻撃を防げたのは何となく嫌な感じがしたからだ。

「反射で今のを防いだのも十分凄いと思いますが」
「戦闘経験ならそこいらの強者とは比較にならない程に踏んでおりますからな!」

 再度、二人の間で無数の斬撃が飛び交った。
 もはやどちらから仕掛けているのかわからないほどに激しく鋭く斬り合っている。
 脱力したままに不意を打って攻撃し合う二人だが、経験と天性の勘で、捌き、捻り、お互いの攻撃を防いでいる。
 そうして数百という剣撃がお互いを行き交い、ハヤテとコモモは唖然とした面持ちでその攻防を眺めていた。

「父上が押されている……」

 唖然としながらもハヤテは戦況を分析していた。
 ゴウキはカラスキ王国はおろか、ヤグモ地方でも最強と名高い武人だ。
 伊達に鬼神と呼ばれているわけではない。
 そんな自分では手も足も出ないゴウキを、自分よりも年下の少年が圧倒している。
 いまだ一度も有効打を与えられていないゴウキに対し、リオは何度かゴウキに有効打を加えている。
 もし実剣だったならば、ゴウキの身体にはいくつもの裂傷ができているだろう。

 剣主体のゴウキに対し、リオの戦闘スタイルは剣術と体術を織り交ぜた変則的なものだ。
 片手で剣を扱い、残った手と足で相手の不意を突くように鋭い打撃を放ってくる。
 しかもまともに当たれば悶絶するか、意識を失いかねないようなものばかりなので質が悪い。
 その動きを読み切れずに、何発か良い打撃をゴウキはもらってしまった。
 とっさに体をずらしたりガードをして威力を殺したが、足が僅かに震えている。
 だが、それでもゴウキに怯む様子はない。
 こんな血肉が湧き踊る戦いをそう簡単に終わらせてたまるかと言わんばかりに、猛々しい笑みを浮かべ、果敢にリオに攻撃を仕掛けていた。

「はっはっは。ゾクゾクしますな!」

 戦いとはこうでなくてはと大声で叫ぶと、ゴウキが手放しでリオを称賛する。
 その間にも無数の攻撃が行き交っているが、やがてリオの攻撃を捌ききれなくなったところで、ゴウキはリオから距離をとった。

「ま、まさか父上! あの技を!?」

 距離をとり剣を構えたゴウキの姿を見て、ハヤテが驚きの声を上げた。
 それは何度か見せてもらったことのある技をゴウキが放つ予兆だ。
 すべてを飲み込む雪崩のように激しいプレッシャーを、ゴウキはリオに向けて放った。

「サガ流、奥義一の太刀、断空!」

 そう叫んで、ゴウキが剣を振ると、一閃の斬撃がリオに向かって放たれた。
 それは精霊術により生み出された真空の刃だ。
 精霊術は魔法と違って呪文の詠唱は必要ないことから、別に技の名を言う必要はないように思える。
 だが、精霊術は魔力の操作に加えてイメージの強さがそのまま威力に直結する。
 無駄なように見えて技名を言うことはイメージの手助けとなるのだ。

 加えて、ゴウキは長年にわたってひたすら剣を振り続けてきた。
 そんな彼が、長い歴史の中で先達が考え抜いた一切無駄のない動きで、相手を切り捨てることだけを考えて剣を振り、風の精霊術を放ったのだ。
 その威力はまさしく一刀両断、攻撃範囲こそ広くはないが、人間程度なら数人まとめて簡単に真っ二つにできるだろう。

 ゴウキの放った真空の斬撃が瞬時にリオの眼前まで迫る。
 込められたオドの乱流によりその刃を視認し、リオはその切れ味の鋭さを本能で察知した。
 このまま木剣で受け止めても剣ごと切り捨てられるだろう。
 そんなイメージが頭の中に浮かんだ。
 瞬間、圧縮した水の刃を精霊術で生みだし、リオは左手を振るってそれを真空の刃にぶつけた。
 衝撃とともに、破裂音が道場に響きわたり、周囲に大量の水が飛び散った。

「むぅ……っ!?」

 水しぶきで視界が鈍り、ゴウキが唸り声をあげる。
 その隙にリオがゴウキの背後をとって剣を突き刺した。

「私の負けですな。まったく水気のない場所で瞬時にこれ程の水を精霊術で作り出すとは……完敗です」

 体から力を抜くと、晴れやかな笑みを浮かべ、ゴウキは自らの負けを宣言した。
 周囲には水浸しともいえる量の水が降り注いでいる。
 水属性に適性のある精霊術者でもそう簡単に生み出せる水量ではなかった。
 それを一瞬で生みだし、ましてやそれを瞬時に凝縮して刃状に形状を変化させたのだ。
 恐ろしいほどの精霊術の技量である。

「ここまでのようですね」

 周囲の者達が唖然とする中、いち早く我に返り、カヨコが冷静な声で試合の終了を告げる。

「ち、父上! 最後の一撃はやりすぎだったのでは!?」

 ハヤテもようやく我に返ったようだ。
 すると、先ほどゴウキが奥義を使用したことを咎めだした。

「リオ殿ならなんとかする。そう信じたからこそ儂はあの奥義を使った。実際に大丈夫だったではないか」

 彼の戸惑いをよそに、苦笑を浮かべ、ゴウキは言った。

「そ、それは結果論でしょう!?」

 ゴウキの釈明を聞いても、ハヤテが納得した表情を浮かべることはない。
 防げたからいいものの、当たっていればリオは身体を両断されていたはずだ。

「ハヤテよ。ああして立ち会ったからこそ解ったことがあったのだ。リオ殿にあの攻撃が当たることはないとな」
「たしかにリオ殿は尋常ならざる強さを誇っていましたが……」

 納得することはできないが、上手く言い返すこともできず、ハヤテが言葉に詰まる。

「ゴウキ殿は私が対処できると考えたからこそあの技を放ったんだと思いますよ」

 そこにリオが言葉を挟んだ。

「そう、なのですか?」
「ええ、戦闘中に不意を打つように放ってきたならともかく、あんな真正面から正々堂々と放てば対処してくれと言っているようなものです」
「それは……」

 来るとわかっていてもあの技に対処できる人間はそうそういるものではない。
 まず真正面からあの気迫を受け止めるだけで足を竦ませてもおかしくないのだ。
 その上であの真空刃を見切って対処するなど、少なくともハヤテは絶対にやりたくない。
 先ほどの技が自分に放たれたことを想像し、ごくりと、ハヤテは唾を飲んだ。

「ご明察でございます。ハヤテよ、そういうことだ。まぁ、儂は避けるかと思ったのだがな……」

 前半はしたり顔であったが、後半は消えるような声でぼそりと呟いた。
 ゴウキとしては見せ技としてあの奥義を使用しただけで、リオが避けることを前提に放っていたりする。
 リオが避けた場合は道場の壁を切り裂いていたであろうが、そんなことはどうでもいいと思えるくらいに熱中していたのだ。
 ちらりとカヨコに視線を向けると、ゴウキは冷たい視線を向けられていることに気づいた。

(むぅ、少し熱くなりすぎた。これは後で確実に説教を受けるな……)

 確実に対処されるとわかっていたとはいえ、敬うべき相手に危険な技を放ったことに違いはなく、その件についてお咎めを受けるのは必至である。
 普段は物静かな最愛の妻が冷たく怒った時のことを想像し、ゴウキは冷や汗を流した。

「とはいえ危険な技を使用したことに違いはありませんでした。リオ殿、すみませぬ」

 少しずつ頭が冷めてきて、ゴウキはリオに深く頭を下げた。

「いえ、大丈夫ですよ。素晴らしい技を見せていただきました」

 リオとしてもあれが見せ技とわかっていたので、別に気を悪くしているわけではない。

「あ、あの!」

 不意にコモモの弾んだ声が道場に響き、全員の視線がコモモに向いた。

「私とも勝負してください!」

 きらきらと目を輝かせ、コモモがその大きな瞳でじっとリオを見上げる。

「えっと……」

 突然のコモモからの頼みに、リオは言葉に詰まった。

「ふはは、コモモは強き者に惹かれるところがありますからな。今のリオ殿の戦いを見て興味を持ったのでしょう」

 そんなリオにゴウキが事情を説明する。

「はい! 先ほどは素晴らしい戦いでした! 父上を負かした人なんて初めてです!」

 無邪気に笑みを浮かべ、コモモは言った。

「お願いします!」

 言って、コモモが勢いよく頭を下げる。
 その直向きな様子がリオには微笑ましく映った。

「そうですね。いいですよ」
「リオ殿、ありがとうございます。コモモよ。リオ殿はコモモの遥か上にいる人物だ。胸を借りるつもりでやってみなさい」
「はい! ありがとうございます!」

 コモモの願いを承諾したリオに、すかさずゴウキが礼を述べる。
 眩しい笑顔を浮かべて、コモモもリオに礼を言った。

「では、まずは部屋の水を何とかしましょう」

 そう言うと、リオは部屋に散らばっている水を一か所に集めて渦を作った。
 そのまま窓から道場の外へと動かし排水する。
 その間、実に数秒、ゴウキ達は目を丸くしてその光景を眺めていた。

「リオ殿は精霊術も生半可ではありませぬな……」
「いえ、そこまででは……」

 ゴウキ達の反応からすると、どうやら今リオが精霊術で行ったことは彼らにとってはだいぶ難易度の高いことのようだ。
 リオはこの国の人間族がどれくらい巧みに精霊術を扱えるのかをあまり把握していない。
 このくらいならハイエルフのオーフィアは容易くやってしまうだろうし、他にも水の精霊術に長けた精霊の民ならば普通にやってしまうはずだ。
 だからこの程度なら大丈夫かと考えていたのだが、少しやりすぎたのかと、リオは内心で僅かに冷や汗を浮かべていた。
 ちなみに人間族よりも精霊術の適性が高い精霊の民達と比べている時点で、リオは比較対象を間違えていたりする。

「それではコモモさん。やりましょうか」

 それ以上の追及を受ける前に、さっさとリオは道場の中心に向かった。

「はい!」

 その後を興奮したコモモが追っていく。
 道場の中心に立つと、心を落ち着かせ、コモモは凛々しい顔つきを浮かべた。
 そして、木剣を両手で持って、正眼で構える。
 コモモの雰囲気が一変したことに、リオが感心したような視線を向けた。

 それから、試合はすぐに始まり、リオは気が済むまでコモモの鍛錬に付き合うことにした。
 果敢にコモモに攻撃させ、それらを巧みに捌き、隙が大きければ反撃を行い指導する。

「はぁ、はぁ……」

 十分ほど打ち合うと、息を切らし、コモモは倒れるようにペタリと地面に座り込んだ。
 疲れてはいるが、その表情は満足気なものである。
 普段、家族と戦っているだけでは決して得られない経験を積むことができ、心の底から喜びを噛みしめているのだ。
 まだ自分はもっと上に行ける、もっと強くなれる、と。
 今も目の前でまったく息を切らすことなく佇むリオの姿が眩しくて、コモモは心を奪われたようにリオを見上げていた。
+注意+
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