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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第三章 両親の故郷の地で

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第38話 戻り始めた日常に

 それは、ゴン達の引き起こした事件について、話し合いが持たれたその日の夜のことだ。

「リオ、少し話がある。いいかい?」

 リオが両親の墓から戻って来て、夕食を食べると、ユバが僅かに神妙な雰囲気を纏ってリオに話しかけた。

「はい。もちろんかまいませんが……」

 そんな彼女の雰囲気を察し、リオは彼女の誘いを承諾する。

「ちょっとついてきてくれ」

 すると、ルリを一人で広間に残し、夕食の後片付けを任せ、リオを連れて自らの部屋へと連れていき、ユバは扉を閉めた。
 その行動からして、どうやらルリには聞かれたくない話のようだ。

「いきなりすまんね。あの馬鹿者が騒ぎを起こしてここ数日は色々とゴタゴタしすぎていたからね。ゆっくりと話をする時間もなかった」
「いえ、色々とお疲れ様でした」

 部屋に入り茣蓙ござの上に腰を下ろすと、ユバがそんなことを言い出した。
 リオが彼女をねぎらい、相槌を打つ。

 ゴンがあの事件を引き起こしてからこの数日間は本当に忙しかった。
 そもそも村の仕事が忙しい時期だし、ゴンの父親との示談にあたって色々と煮詰めなければならなかったというのもある。
 てんやわんやの忙しさで、ここ数日はゆっくり腰を落ち着けて話をするような雰囲気でもなかったのだ。

「話というのは他でもない。リオに礼と謝罪をしたくてね」
「礼と謝罪ですか?」

 ユバの言葉に、不意に意表を突かれたように、リオは不思議そうな表情を浮かべた。
 どうやら、礼を言われることについても、謝罪されることについても、リオには心当たりがないようである。

(この子にとっては礼や謝罪を言われるようなことじゃないんだろうね)

 そんなリオの様子に、ユバは口元に柔らかい微笑を浮かべた。
 リオのことをじっと見つめてみると、息子の妻であるアヤメの面影が色濃く残っていることを改めて実感する。
 人の感情に機敏で、そういったところに配慮できるところもアヤメによく似ていた。

(ゼンはなかなか不器用な息子だったが、まぁ、そこら辺も似ているといえば似ているのかね)

 ゼンは寡黙で、努力家で、言葉よりも態度で自分の意思を表現する男だった。
 それゆえ少しだけ誤解されやすいところがあったが、実直でゼンのことを慕う者も数多く存在した。
 リオも自分のことについてはあまり多くを語る人間ではないため、ゼンの気質も少なからず受け継いでいるように感じられた。

(親と子っていうのはやっぱり似てしまうもんなのかねぇ)

 リオはそんな二人の良いところを受け継いだ素晴らしい息子だ。
 このくらいの年頃の少年とは思えないくらいに落ち着いてもいる。
 本当に手のかからない子なのだ。

 聞けばリオは五歳の時には孤児になっていたという。
 そんな子がどうやって育ち、どうやってこんな果ての地までやって来たのか。
 その詳細をユバは知らない。
 リオの過去については漠然としか説明を受けていないのだ。
 そんな彼の過去を尋ねようと思ったことは何度かあった。
 だが、それは生半可な覚悟で聞いて良いことではないように思えた。
 リオが漠然としか自らの経歴について説明をしなかったのも、その過去を聞いてほしくないように考えているからなのではないか。
 そう考えると、ユバはなかなかリオの過去を尋ねる踏ん切りがつかなかった。
 アヤメの死因についてもそうだ。
 リオは彼女が死んだという事実は教えてくれた。
 しかし、その原因については言葉を濁している。

 いずれにせよ、リオは、凄惨な環境の中で育ち、一人で世界を渡り歩いてきたのだ。
 これまでつらいことだらけの人生だったであろうことは容易に想像ができた。
 それなのに捻くれずにこうして成長しているのは只々感服するほかはない。

(私はそんな子に甘えていたわけだ。年をとるといけないねぇ。手を抜けるところはとことん手を抜いちまう)

 あの日の晩のリオは明らかに様子がおかしかった。
 そう、あの夜、ユバ達は普段から考えられないようなリオの激情を垣間見た。
 だが、翌朝になるとそんなリオの感情は嘘のように消えていた。
 深い心の闇の名残といったものが完全に払拭されており、表面上は完全にいつも通りのリオに戻っていたのだ。
 まだ少年という年齢にもかかわらず、強靭な精神力を持ち合わせていることがうかがえた瞬間だった。
 だから、ゴンの事件が起きて以降、忙しいことを言い訳にして、ユバはリオに甘えてしまっていた。
 そう、ユバは、精神的に安定していたリオよりも、不安定なルリを優先して目にかけてしまったのだ。

 ルリはどこにでもあるような村で平穏に育ってきた少女だ。
 早くして両親や弟を失ってはいるが、その程度のことならばこの世界ではさほど珍しくもない不幸である。
 ルリはどこの村にでもいるような普通の少女なのだ。
 そんな子が、平和な村で暮らしてきて、初めて他人から強く明白な害悪を向けられ、貞操を奪われそうになった。
 大きな衝撃を受け、精神に深い傷を負ってしまうことは容易に想像ができた。
 実際、ここ数日、ルリは精いっぱい明るく振る舞おうとしてはいるが、いまだにどこかぎこちない様子がある。
 個人差はあるのだろうが、心の傷というのは耐性や対処法を備えていなければそう簡単に回復できるものではない。
 それゆえユバは注意深くルリのことを気にかけてあげる必要があった。

 リオとルリ。
 二人ともユバにとっては大切な孫だ。
 比較するような話でもないし、二人とも同じように大事に思っている。
 本当は二人同時に気をかけてあげることができればいいのだろう。
 だが、あいにくとユバも一人の人間に過ぎない。
 日常的な村長業務の他に、事件の後処理、ルリへの配慮、リオへの配慮、何でもかんでも一人で同時にこなすことはできなかった。
 だから、ユバは二人の対応に優先順位をつけてしまった。
 強靭な精神力を持っているリオに甘えて、彼をこの数日間もの間にわたって放置してしまった。 

 あの事件の翌朝、リオが謝って来た時、完璧に普段通りだった彼に、ユバはひとまずリオのことは大丈夫だろうと判断してしまった。
 あの時は朝食を食べ始める時で、客人も大勢いたことから、とてもリオの話を掘り下げて聞くような空気ではなかったというのもある。
 だが、一時とはいえ、あれ程の感情の爆発を見せたのだ。
 リオの過去に何があったのかは知らないが、リオだってつらかったはずだ。
 精神力が強くたって、心にかかる負担は同じはずなのだ。
 祖母として決してリオのことを放置していいわけがなかった。
 だというのに、リオがしっかりしていることをいいことに、ユバはリオへの対応を後回しにしてしまった。

「まずは礼を言わせておくれ。ルリをゴンの魔手から救い出してくれてありがとう。それに、ここ数日、リオも大変だろうに示談の相談にまで乗ってもらった。本当に感謝している」

 言って、深く、ユバは頭を下げた。

「それに、忙しさにかまけて、あんたのことを気にかけてやれなかった。本当にすまない。あんただってつらかっただろうに」

 ユバが僅かに頭を上げると、彼女から苦虫を噛み潰したような表情がのぞけた。
 そんなユバに、ゆっくりと首を振ると、リオは柔らかく微笑んだ。

「お礼なんてやめてください。僕達は家族なんです。当たり前のことをした。それだけです。それにつらいってことはありませんから、謝るのもやめてください」

 リオはユバを見据えてはっきりと言い放った。
 自らの内面と向き合って、不思議と、今のリオの心はすっきりとしている。
 事件直後は確かにつらかったが、今はそうではない。
 復讐は自分が背負うべき業だ。
 どんなにつらくたって自分で抱えなければならない。
 あえて自分から誰かに語ろうとも思わない。
 だから、ユバが自分のことを気にかけてくれなくて、不満を抱いていたなんてことは一切なかった。

 自分よりもルリの方が大変だったはずだ。
 なら、ルリを優先してみるのは当たり前である。
 リオはそう思っている。
 それに対して不満を抱くなんて、とんでもなかった。

 ユバがリオと正面から視線を合わせる。
 リオは微笑んだままだ。
 何かを深く悟っているような、まるで聖人のような、そんな笑みだった。
 大河のように、静寂だが力強い迫力を感じ、ユバは思わず息をのんだ。

「いや、だがね……」

 ちらりと、ユバの頭の中にあの夜のリオの姿が浮かぶ。
 あの夜のリオの激情は只事ではなかった。
 まるで阿修羅にでも取りつかれたかのような、そんな鬼気めいた怒りを感じさせた。
 だというのにリオはたった一晩で表面上の平穏を完全に取り戻してしまった。

 とはいえ、他人の前では何事もないように振る舞ってはいても、実は取り繕っているだけというのはよくあることだ。
 だから、ユバはリオもそうなのではないかと予測していた。
 あの時の激情に今もなお悩まされているのではないか、と。
 だが、今目の前にいるリオにはそんな様子が一切ない。
 恐ろしいくらいに、リオの目には迷いがなかった。
 悟りを開いているのか、過ぎ去ったことだと割り切っているのか。
 それをうかがい知ることはユバにもできない。

 どういうことだろうか。
 聞きたいことはたくさんある。
 しかし、自分にそれを聞く資格はあるのだろうか。
 自分だってリオに伝えていないことはある。
 リオの両親のことだ。
 それは伝えることのできない理由があるからなのだが、それを伝えないままリオの過去について尋ねるのは公平ではない気がした。

 いっそ教えてしまおうか。
 そんなことをユバは思う。
 しかし、先日、その件について伺いを立てるため、手紙を送ったばかりだ。
 まずはその手紙の返信を待つべきだろう。
 そうすれば十中八九あの事件の真相を伝える許可が下りるはずなのだから。
 早まってはいけない。

「わかった……。だが、あんたばかりに負担を強いているのは事実だ。だから、これだけは言わせてくれ。すまなかったね」

 結局、出てきたのはそんな言葉だった。
 だが、その言葉に嘘はない。
 揺らぐ心を抑えつけ、ユバは深くリオに頭を下げた。

「わかりました」

 ユバの確固たる意思を感じ取ったのか、リオは苦笑して彼女の謝罪を受け入れた。

「今はルリもいっぱいいっぱいだろうけど、少し落ち着きを取り戻せば、あの子もあんたに謝罪すると思う。その時はあの子のことを許してやってくれないか?」 
「それこそ謝られるようなことが何もないんですが……」

 困惑したように、リオは苦笑した。

「あの子の態度に関してだよ」
「態度ですか?」

 リオが尋ねると、ユバは苦笑してリオを見据えた。

「あの子はあんたに助けられたんだ。怯えたままあんたと接するのはあの子の本意じゃないはずさ。心のどこかで悪いと思ってはいるんだろうけど、まだ心の整理がついていないんだと思う」
「それは……」

 この数日間、ルリはどこかリオに怯えたように接している。
 一生懸命に普通に接しようとしてはいるが、どこかぎこちないところがあるのだ。
 そのことにはリオも気づいている。

 とはいえ、あの晩、リオは自分でも引くくらいに殺気をまき散らしてゴンを殴りつけていたのだ。
 今まで人の闘争と一切無縁だったルリが、いまだにリオに怯えてしまっているのは無理もない。
 耐性のない人間では暴力への恐怖に抗うことは難しい。
 それをわかっていたからこそ、リオは機先を制して自分から彼女達に謝罪の言葉を送ったのだ。
 従姉妹である彼女とぎこちない関係でいるのはリオとしても本意ではないから。
 彼女に悪いところなんて何もない。
 ルリは、リオに怯えつつも、あんな真似をしてしまった自分のことを心配してくれている。
 実に情けないことだが、後は時間をかけて関係を修復していくしかない。
 リオはそう考えていた。

「彼女に悪いところなんてありませんよ」

 だから、リオはルリを咎める意思がないことを言葉にして示した。

「……あんたならそう言ってくれると思ったよ」

 リオの言葉を最初から予想していたのか、ユバは苦笑しながら言った。
 その表情には、嬉しそうだが、同時に、僅かに寂しそうな色が籠っている。
 まるで一人前になって巣立ってく雛鳥を眺めているかのように。

 ふと、ユバはこの出来すぎている孫に少しは祖母らしいことをしてやりたいという気持ちに駆られた。
 何ができるのかはわからない。
 これから先にその答えが見つかるのかもわからない。
 何かしてやるどころか、リオには色々としてもらっているばかりなのだ。

(ダメな祖母だね、私は……)

 今は亡き忘れ形見ともいうべき孫の頼もしさを実感する反面、情けなさを覚え、ユバは心の中で深く長い溜息を吐いた。
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