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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第三章 両親の故郷の地で

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第36話 夜這い

 時刻は少し遡る。

 ハヤテ達一行が村に到着し、リオが外で狩りをしている頃、馬車の修理には一切加わらず、ゴンとその一味は貸し与えられた小屋の中で暇を持て余していた。
 そこで、早くから酒を飲み始め、会話を楽しみつつも、今夜の段取りについて語っていた。
 そんな中、バタン、と小屋の扉が乱雑に開かれる。
 誰が入って来たのかと、ゴン達が扉のある方へ視線を向けた。
 そこにいたのはまだ声変わりを終えたばかりのような年齢の少年だった。

「はぁ、はぁ……」

 と、何やら息切れをしたようで、急いで小屋へと戻って来たようである。
 少年はゴン達の連れ合いの中では最年少で、何かと小間使いのように扱われることが多く、今もゴン達の代わりに馬車の修理を手伝わせに行かせているところであった。

「なんだよ。もう馬車の修理が終わったのか?」

 他の村の連中が来ると内密に会話がしにくくなる。
 せっかくの盛り上がっていた場の空気を中断されてしまったこともあり、不機嫌そうな表情を浮かべて、ゴンが尋ねた。

「あ、兄貴、まずいですよ! 徴税官が来ましたぜ!」

 と、息を荒くし、焦ったように、少年は告げた。

「あん? 徴税官だぁ?」

 ゴンは訝しげな声を出した。

 徴税は国の収入を支える大事な仕事だ。
 だが、仕事内容は非常にきつく、必要となる能力も高いものが必要とされる。
 収穫量を粉飾していないかも確認しなければならないから、相応の教養と事務処理能力が要求される。
 職務内容的に村人から嫌われやすく、強い精神も要求される。
 各地に無数に存在する村々を歩き回らなければならないことから、道中には盗賊、魔物、冬を前にして飢えた獣等が襲いかかってくる可能性があり、危険に対処できるだけの強さも要求される。
 それゆえ、徴税官といえば教養、人格、武功とあらゆる面で優れていると判断されなければ、就くことのできない重要な役職とされていた。
 そう、いわば、徴税官は文武両道のエリートのみが就くことのできる仕事の代名詞なのだ。
 その認識は田舎の村に暮らすような人間にも浸透している。
 だから、そんな人物が寝泊まりする家に夜這いを仕掛けるというのは、少しばかり、いや相当に無謀な行いであるといえた。

「い、いや、まずくないっすかね。徴税官ってめっちゃ強いって聞いたことありますよ……」

 そんなゴンの迫力に気圧されたように、一歩後ずさって、少年は言った。
 時期的には今はちょうど徴税の季節だ。
 だから徴税官がやって来てもおかしくはない。
 だが、よりにもよってこのタイミングで来たというのは、今夜ゴンが行おうとしていることを考えると、決断を中止せざるを得ない程に不味い事態だった。
 少年が焦るのも無理はない。

「はっ、関係ねーだろ。今夜、実行するぜ」

 だが、据わった目つきで、ゴンは実行を宣言した。
 傍目から、一切、ゴンに躊躇ためらった様子はない。

「ま、まじすか。流石に徴税官がいる家に手を出すのはやべーんじゃ……」

 と、その場にいた他の男が弱気な声で言った。
 その男の発言に内心で賛同しつつも、周囲にいる他の男達は、うかがうように、ゴンを見ていた。

「ああ? 別に寝静まった頃に行くんだから問題ねーだろ。寝たら徴税官だろうが武士だろうが農民だろうが同じ無防備な人間だぜ」

 しかし、そんな連れ合いの男達の懸念を、ゴンはバッサリと切り捨てた。

「い、いや、まぁ、確かにそうなんすけど……」

 眠ってしまえば武士だろうが、徴税官だろうが、怖くはない。
 ゴンの言いたいことはつまりそういうことである。
 戦いの素人である彼らからすれば、殺気や気配といった曖昧なもので、他者の存在を感知できる人外ともいうべき者達がいることなど想像もつかない。
 だから、たしかに大丈夫かもしれないと、僅かに思ってしまった。

「まぁ、夜這いをかけるのは俺だしな。覗きたければ好きにしろよ。ただ、明日の朝に俺が帰って来た時に、悔しがる顔を見るのも面白れぇかもしれねぇな」

 ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべて、ゴンは男達を眺める。
 言外に臆病者と言われているような気がして、男達の自尊心が刺激された。

 それだけではない。
 彼らは思春期の男だ。
 異性に対する憧れとか、濡れ場に対する興味は、人一倍強い年頃である。
 ならず者として普段から同年代の少女達から倦厭されている彼らにとっては、そういった欲求はいっそう強いものであった。
 それゆえ、酒を飲んでいることもあるのだろうが、性欲が高揚し、男達は変な気分になった。

「まぁ、夜までに決めておけよ。行く時になったら起こしてやるから、せいぜい後悔しないようにな」

 言って、ゴンは機嫌を良くしたような表情で、ぐびりと酒を飲みこんだ。

 そして、その日の深夜、遂にその時はやって来た。
 同行した村人達が眠る中で、ゴンは自分の連れ合い達だけを起こし、夜這いを仕掛けることを教えて回った。

「行ってくるぜ」

 何やら無駄に自信にあふれた様子で、ゴンは悠々と小屋から出て行った。

「お、おい。どうすんだよ? ゴンさん、行っちまったぞ……」

 そんなゴンの後姿を見て、一人の男が上ずった声で言った。

「ど、どうするって……」

 ゴクリ、と唾を飲む複数の音が小屋の中に小さく響く。
 短い沈黙が小屋の中に降りた。
 男達の心拍数はこの上ないほどに上昇している。

「へ、へへ……。俺は行くぜ」

 すると、一人の男が徐に呟き、立ち上がった。
 そのまま真っ直ぐに、小屋の外に向かって歩き出す。
 残った男達は暗闇の中でお互いの目を見合わせた。

「行く……か……」

 一人が動くと、二人、三人と、釣られるように立ち上がり、小屋の外へと歩き出した。

 深夜ならば気づかれることもないだろう。
 あのルリの濡れ場が見れる。
 そう思うと、彼らは自分の欲望に逆らうことはできなかった。

 そして、ゾロゾロと、彼らはユバの家に向かって夜闇の中を歩いた。
 悪趣味かつ愚かにも程がある蛮行だった。

 その頃、村長宅であるユバの家に忍び寄る一人の物影があった。
 侵入者の足取りに迷いはない。
 以前、一度だけ、村長宅に入ったことがあるため、目的の人物がいる場所はわかっていた。
 だから、侵入者は迷うことなく外から目的の部屋へと向かう。
 その部屋の前に来ると、侵入者は立ち止まった。

 ゆっくりと木製の引き窓を開けると、ガラガラ、と、決して小さくない音が響く。
 だが、この時点でルリが目覚めることはなく、寝茣蓙ねござの上で、小さく寝息を立てて眠っていた。
 中からルリの寝息が聞こえることを確認すると、そのまま部屋の中に入り込み、侵入者はそっとルリの側へと歩み寄る。
 ニヤリ、と侵入者が悦に染まった笑みを浮かべた。

「へへ……」

 布団代わりの厚手の着物をそっと剥ぎ取ると、薄い夜着を身に着けたルリが姿を現す。
 その無防備な姿に、男の性欲が一気に猛りだした。

「はぁ……、はぁ……」

 我慢できない、そう言わんばかりに、男はルリの身体をまさぐろうと乗りかかる。

「ん……っ!?」

 流石に異変を察知し、ぼんやりと目を開けたルリ。
 自らに大柄な人物がのしかかっていることに気づくと、瞬時に意識を覚醒させて、大声で叫ぼうとした。
 だが、そんなルリの口を男が塞ぐ。

「騒ぐんじゃねぇよ。大人しくしていたら気持ちよくしてやっからよ」

 キスが出来るくらいに顔を近づけて、男が言った。

 そのおかげで、ルリは相手が誰なのかに気づくことができた。
 あまり人を嫌うことのないルリでも唯一苦手とする男、ゴンである。
 子供の頃、最初に会った時は、ルリも普通に彼と接しようとした。
 だが、我儘で乱暴者なゴンに色々と嫌がらせをされ、あまり人を嫌うことのないルリもその存在が少しずつ苦手となった。
 今ではそんな男が自分のことを嫁にすると公言もしていて、生理的嫌悪感すら覚えている。

「ん~! ん、ん~!」

 そんな男に襲いかかられているという事実に、ルリが必死の形相を浮かべた。
 力を入れて拘束から抜け出そうとするが、ゴンの巨体を前になすすべもない。

「ちっ」

 暴れようとするルリのことが癪に障ったようで、ゴンは小さく舌打ちをした。
 そして、力強く、ルリの顔の真横に拳を振り降ろす。
 ドシリ、と鈍い音を立てて、巨大な拳が寝茣蓙ねござに食い込み、ビクリ、とルリの身体が硬直した。

「いいかっ?」

 小さい声だが、迫力のある形相で、今度はルリの顔面にめがけて、ゴンが拳を振り降ろす。
 だが、ルリの小さな顔にその拳が当たると思われたところで、ゴンは拳を寸止めした。

「次に暴れたら今のを腹にぶち込むぞ?」

 と、至近距離から視線を合わせて、ゴンが凄む。
 あまりの迫力に負けて、ルリの身体から一気に力が抜け落ち、代わりに全身が小さく震えだした。

「暴れるなよ。静かにしてろ」

 微妙にアルコールの混じった臭い息がルリにぶつかり、顔を歪める。

「わかったか? んん? 聞いてんだ。首を振れよ」

 その言葉に、ルリは小刻みに顔を縦に振った。

「ぅっ、ぐすっ」

 あまりの恐怖にルリが小さく泣き出す。

「へっ、すぐに別の鳴き声に変えてやるよ。んじゃ味見させてもらうとするか」

 そして、ルリの肌着を持ち上げようとしたその時――。

「ルリ!」

 慌てたような叫び声とともに、窓の外からリオが入り込んできた。

「ん、ん~っ!?」

 すると、僅かだが、ルリの身体に力が戻り、くぐもった声が室内に響いた。
 そんなルリの声に、リオが顔を顰める。
 ルリが大柄な男に抑え込まれながら暴れようとしているのを視認すると、リオは瞬時に男との間合いを詰めた。

「なっ!?」

 眼前まで迫って来た相手に、ゴンが慌てたような声を出す。
 迎撃しようと、ゴンが身体の向きを変えようとしたが、その前にあっさりと腕を掴まれ、あっという間にルリの上から地面へと投げ飛ばされてしまった。

「がっ」

 ふわり、とした浮遊感の後に、勢いよくゴンの身体が床に叩きつけられる。
 肺の中の空気が口から漏れ、ミシリ、と床が軋み、大きな衝撃音と揺れが家中に響いた。

「がはっ、がっ、がっ、あ、ぁ、ぁは」

 受け身もとることが出来ず、ゴンは呼吸困難に陥った。
 そのまま胸ぐらを掴んで巨体を持ち上げると、リオは拳を思い切りゴンに叩き込む。

「がっ」

 ゴンの口から痛みを訴える鈍い声が漏れる。

 だが、リオはその手を止めることなく、再度、ゴンの顔面に拳を打ち込んだ。
 簡単に気絶なんてさせてやるものか。
 人が意識を失わない限界まで痛めつけてやる。
 そして最後には殺してしまえ。
 今のリオの頭の中には、負の感情が止めどない奔流のように流れ出していた。

「ぁー、っぁー、っー」

 呼吸困難と相まって声にならない叫びが、ゴンの口から漏れる。

 だが、リオはそんなゴンの顔をひたすら殴り続ける。
 身体能力も、肉体も強化せずに、拳が痛むのもいとわずに、殴りつけていた。

「ふざけやがって!」

 そう叫ぶリオの目には僅かに涙が浮かんでいた。
 その様子を、ルリが怯えたように見ている。
 普段ならそういったことも機敏に察するリオだが、今はそのことにすら気づかない。
 それくらいに怒っていた。

 暗闇の中だからか、ルリはリオが泣いていることに気づけなかった。
 リオが激しく怒っていることは伝わってきても、その他にどんな感情が渦巻いているのかは、わからなかった。
 だから、ルリはそんな鬼気迫るリオに怯えることしかできない。

「ま、待て! リオ殿! それ以上は死んでしまう!」

 胸ぐらを掴んだまま、馬乗りになって殴りつけようとしたところで、リオを制止する声が響いた。
 ハヤテの声だ。

 死ぬ?
 当たり前だ。
 それだけのことをこいつはやろうとしたんだ。
 ハヤテの声は耳に届いていたが、リオはそれを無視して、そのままゴンを殴ろうとした。
 だが、そんなリオの拳は、ハヤテに掴まれた。

「待て、怒りはわかるが、ルリ殿が怯えている!」

 焦ったように顔を動かし、視線をルリがいる方へ送り、ハヤテが言った。

「その男には後で然るべき報いを受けさせよう。だが、色々と話も聞かなければならないだろう。だから少し待ってくれ、頼む!」

 強く訴えかけるような面持ちで、ハヤテが語った。
 それはゴンに対する同情といった類の感情からくる行為ではない。
 その証拠に、ハヤテは怒りをかみ殺したような表情を浮かべている。
 だが、こんな場所でこの男を切り捨てれば、ルリの部屋がゴンの血で汚れてしまうし、ルリを怖がらせることにもなる。
 そういったことに気づけるくらいに、リオに比べれば、まだハヤテはいくらか冷静だったのだ。
 先にリオが動いてゴンを徹底的に痛めつけたことから、僅かに溜飲が下がったという気持ちもあった。

 リオとしては最後にこのまま首が折れるくらいに全力で拳をゴンに叩き込んでやりたい。
 だが、布団の上で怯えていたルリの姿が目に入ってきて――。
 リオの拳を掴むハヤテの手から震えが伝わってくることに気づいて――。
 ようやく、振りかぶった拳から力を抜いた。

「はぁっ」

 いら立ちを発散させるように、リオは強い溜息を吐く。
 この怒りを何かに八つ当たりしたくてたまらなくなった。
 視界を前へ戻すと、すっかり腫れてしまったゴンの顔が映ったため、ゴンを突き飛ばすように、リオは胸ぐらを掴んでいた手を離した。

「がぁ」

 勢いよく後頭部を床にぶつけて、ゴンの口から痛みを訴える小さな声が漏れる。
 既に顔が赤く膨れ上がって、ゴンの顔は酷いことになっていた。

「ひゅー、ひゅはぁー、はぁー」

 顔を殴られた衝撃と、背中から床に投げつけられたことも相まって、ゴンの呼吸は荒い。
 そんな姿を見ても、今のリオに罪悪感など微塵もわかなかった。
 ざまあみろ。
 リオは心の中で思い切り罵った。

「ぁー、っぁー、っー」

 呼吸をして肺に息を入れようと、ゴンの口から小さな呻き声のような音が漏れる。
 その様子に、普段は浮かべないような暗い笑みを、リオは覗かせた。

「何事じゃ!?」

 すると、その場に、騒ぎに気付いたユバとハヤテの部下達が駆けつけてきた。

「強姦魔です。ユバ殿、ルリ殿の安全を確認してください」

 事態を把握しかねているユバに、ハヤテが簡潔に事情を説明した。

「なっ、……わ、わかりました」

 驚きはしたものの、瞬時に状況を察知し、ユバがルリのもとへ歩み寄る。

「お前達は外で気絶している男達を拘束してこい。強姦現場の覗きをしようとした幇助者どもだ」

 続けて、ハヤテは部下の男達にも冷たい声で命令を下した。

 そのままハヤテは精霊術を使ってゴンの顔を治療し始める。
 だが、治癒の精霊術が苦手なのか、ワザとそうしているのか、治療を止めてもゴンの顔は腫れあがったままだ。
 怪我の治りが遅かったことから、おそらく前者だろう。

 こんな男の治療をする気は起きない。
 リオは黙ってゴンのことを見下ろしていた。

 このままここにいると、いつまで経っても怒りは収まりそうにない。
 その顔を見ているだけで、今も我を忘れてしまいそうなくらいに怒りが湧き上がってくる。
 そんな自分の気持ちを落ち着けるために、リオは目を閉じて、深く息を吸った。
 もしあの時ハヤテが止めていなかったら、リオはゴンのことを殴り殺していただろう。
 それくらい、リオの中で憎悪の炎が煮えたぎっていた。

 リオは強姦という犯罪に対して人一倍嫌悪感を抱いている。
 幼少期に自分の目の前で母親を強姦されたからだ。
 先ほど、ゴンがルリを強姦しようとした姿を目撃した時、リオの中でその時の光景がフラッシュバックしてしまった。

 その瞬間――。
 思い出してしまった。
 人間の最も薄汚れた原始的な悪ともいえる本能と欲求を。
 触れるだけで吐き気を抱くようなそれらを。
 リオとしての自分が知りつつも、天川春人としての自分が今まで目を背けてきたそれらを。

 そういった黒く薄汚れた人間の業を間近で見せつけられたことがあったからこそ。
 自分だけは絶対にそういったものを抱かないように――。
 そういったものに支配されて自制心を失わないように――。
 自分がされて嫌なことは絶対に人にはしないように――。
 そう考えて、リオは今まで生きてきたのだ。
 これからもその決意が変わることはない。

 だが――。
 理屈なんて関係ない。
 道徳なんて関係ない。
 強者であることに踏ん反り返って弱者を弄ぶような屑だけは生かしておくべきではない。
 そんな奴原やつばらはきちんと区別しておかなくては――。
 そう、思ってしまった。

 痛い目を見なければ、いや、痛い目を見ても学習しない奴らだけは、痛めつけたって、最悪殺してしまったって、かまいやしない。
 奴らは図々しくも他者を食い物にして、悦に入るような連中なのだから。
 そんな奴らが本能と欲求に逆らえるはずもない。
 だから、今後もしそんな奴らが自分とその身内に手を出そうというのなら、反撃するのをいとう必要もない。
 リオの中で何かが吹っ切れた瞬間だった。

 その時、禍々(まがまが)しい何かが、リオに覗けた。
 それは殺気なんて単純なものではない。
 もっと深く、もっと濃くて、もっと哀しくて――。
 だが、何か強い意志を秘めたものだった。

 どれくらいそうしていたのだろうか。
 いつの間にか思考の渦に引き込まれていたリオは、ようやく目を見開いた。

 リオの前では、ハヤテが怒気の籠った形相でゴンを問い詰めている。
 ハヤテとしても意中の人物が悪漢に襲われたのだ。
 誠実で、正義感の強い彼ならば、その怒りは一入ひとしお強いものだろう。
 その光景を、まるで別人のような能面を浮かべて、リオは見つめていた。

「貴様! 許さねぇ!」

 相変わらず顔は腫れてしまっているが、ハヤテに治癒してもらったおかげで、ようやく普通に喋れるようになったらしい。
 常人なら震えあがるような恐ろしい怒気と殺気をリオに向けて放ちながら、ゴンが言った。

「だったら?」

 冷たく、凍りつくような声を出して、リオはゴンを見据えた。
 ゴンのことなど、とるに足らない、まるで人を人と見なしていないような、そんな寒気を抱く目線だった。

「っ!」

 それがゴンにとっては、たまらなく屈辱だった。
 まるで自分の存在を全否定されたようで、これほどの屈辱を抱いたのは生れて初めてのことだった。
 ぶん殴ってやりたい気持ちが今にも爆発しそうで――。

「おあああ! はなぜぇ!」

 と、自らを組み伏せるハヤテに大声を出して叫ぶ。
 だが、ハヤテの拘束は完璧で、ゴンの馬鹿力でもそれを外すことはできなかった。

「哀れだな」

 ちっぽけなゴンの自尊心をさらに削り取る言葉を、リオが投げかける。

「き、さま! 貴様! 絶対に許さねぇぞ!」

 親の敵に遭遇でもしたかのような形相で、ゴンがリオを睨みつける。
 だが、もはやゴンに興味を失ったようで、リオは視線をハヤテへと移した。

「サガ殿、聞きたいことはもう聞けたのですか?」
「あ、ああ。もう十分だ」

 ぞっと寒気がした。
 リオと視線が合った瞬間、ゴンの拘束のことも忘れて、ハヤテは思わず後ろへ身を引きそうになった。
 だが、武士としての矜持が彼を押しとどめた。

「そうですか。で、そいつの処分は?」

 それは確かにこの場においてふさわしい話題であるはずだ。
 だが、なぜかそれを語るのははばかられるような気がした。

「強姦は未遂とはいえ重罪だ。証人がいる上に現行犯だから、最悪この場で切り捨てても構わん。だが、国に突き出せば死罪か犯罪奴隷の刑を科されるだろう。他の覗き魔達は突き出してもむち打ちが関の山だろうな……」

 地球に暮らす現代人からしてみれば野蛮なことこの上ないであろう。
 だが、この世界においては、生命、身体、財産の安全を害する罪について、国の力を借りないで自分達で解決するのが一般的な常識として浸透している。
 その方法には、和解、仲裁、決闘、死闘とあり、犯罪の種類によって対応の手段として認められる範囲も異なるが、基本的には同害報復でなければならない。
 同害報復の範囲を超えない限りは、その者が人を殺したとしても罪に問われることはない。
 そして、強姦罪は非常に重い犯罪として数えられており、報復の程度として殺人も認められる重罪であった。

 しかし、こういった慣習は弱者の泣き寝入りを促進する面もある。
 被害者を脅してバレなければ何をしてもいい。
 力の強い物が弱い物を屈服させてしまえばいい。
 そういう風に考えてしまう愚か者が現れてしまうことも決して少なくない。
 そういった連中に対応するために村や都市といったコミュニティを作っていくわけだが、それでも犯罪を抑止しきれるわけではない。

 そこで、犯罪者を国に裁いてもらう制度も存在する。
 ただし、国に犯罪者を裁いてもらうためには裁判を経なければならない。
 たいてい犯罪は目撃者となる証人が存在しない場所で行われることから、犯罪者の特定と証明が難しく、国に裁いてもらうのは難しく、抑止力の程度としてはやや弱い。

 だが、今回は証人が複数いる上に、国の重要な役職に就くハヤテもいる。
 ゴンを国に裁いてもらうことは十分に可能であった。
 犯罪奴隷の刑とは非常に悪環境な下で死ぬまで強制労働させられる刑だ。 
 毒ガスの発生する鉱山、獰猛な生物の暮らす地域、戦場など、碌な職場がなく、ある意味、死罪よりも辛い刑だと言われている。

「そうですか……」

 リオとしてはがこの場でゴンを殺してやりたかった。
 もしこの場にリオとゴンの二人だけだったら、リオが殺していたはずだ。

 だが、いかに自分達の手でゴンを裁くか、はたまたゴンを国に突き出して国に裁いてもらうか、それを選択するのは被害者であるルリと長老のユバだ。
 自分が激情に任せて何も考えずに殺してしまえば、ゴンの村との関係で軋轢が生じる可能性もある。
 一度、ゴンの村と話し合う必要もあるだろう。

 ようやくリオは頭の中が冷静になってきた。
 我を忘れてゴンを痛めつけたことに対する後悔はない。
 だが、何も考えずに殺しを視野に入れてしまったことには、深く後悔と反省の念を抱いた。
 深く息を吸い、リオが憤懣ふんまんやるかたない表情を浮かべる。

 深く吸った息を吐くと、リオはルリの方に視線を移して――。

「ルリさん、大丈夫ですか?」

 と、それまでとは人が変わったかのように、優しく、言った。

「う、うん。もう大丈夫……。ありがとうね、リオ」

 戸惑ったようにルリが礼を告げる。

 それはいつものリオのはずだ。
 なのに、どこかルリはうすら寒さを覚えてしまった。

 その様子をリオが機敏に察知する。
 ああ、いけない。
 今、一番辛いのは彼女なのだ。
 こんなことで、ルリを怯えさせていいはずがない。

「見苦しいところを見せてしまいました。申し訳ありません。一番辛いのはルリさんだというのに……」

 苦虫をかみつぶしたような表情で、リオはルリに頭を下げた。

「う、ううん。私はもう大丈夫だから……」

 そんなリオに、怯えはしているものの、ルリはどこか気遣うような声をかけた。

 ――リオこそ大丈夫?
 そう、聞きたかったが、尋ねることははばかられた。
 聞いても、リオなら、大丈夫、と答えるに違いないと思えてしまったから。

「ユバさん、サガ殿。ルリさんのことを任せても大丈夫でしょうか?」

 これ以上ここにいる人間に気を使わせたくはなかったため、リオはこの場を離れることを告げた。
 散々暴れて、場をかき乱して、ルリを怯えさせて、そんな自分がさっさとこの場から立ち去ることに、忸怩じくじたる思いを抱く。

 だが、自分がこの場にいても皆に迷惑をかけてしまうだけだ。
 だから、明日までにいつもの自分に戻ろう。
 そうすればいつもの平穏が戻ってくるはずだ。
 そう、信じて。
 自分はその平穏を護ろうと、リオは誓った。

「ああ、ここは私とハヤテ殿に任せておくれ。少しゆっくり休みなさい」
「うむ。任せてくれ。他の男達の尋問も部下達がやっている。何も心配はいらない」

 そんなリオを気遣うように、ユバとハヤテが言った。

「すみません。明日の朝食は私が作りますので。ルリさんもユバさんもゆっくりしていてください」

 頭を深く下げ、短くそう告げると、リオはルリの部屋から立ち去った。

 部屋に戻ってから、リオが眠ることはなかった。
 ほぼ一晩中、何かを悔やむように、縮こまって、リオは身体を震わせていた。

 そして、翌朝、この夜の激情がまるで嘘だったかのように、リオは普段通りだった。
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