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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第二章 旅は巡り会い

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閑話 ラティーファの軌跡 その五

 やった。
 やったよ!
 お兄ちゃんが精霊の民の盟友になりました。
 これでお兄ちゃんはこのまま里で暮らせるということです。

 先日、お兄ちゃんと一緒に里の近くにある大樹に行きました。
 そこにいるドリュアス様という準高位精霊の方に、お兄ちゃんの中で眠っている精霊を調べてもらうことになったんです。
 すると、お兄ちゃんの中にドリュアス様と同じ準高位精霊様が眠っていることが判明しました。
 私は単純にお兄ちゃんはすごいって思っただけだったけど、その場にいた他のみんなはもっと深い衝撃を受けていたみたいです。
 調べていたドリュアス様も驚いていたくらいです。

 その後、私はドリュアス様と少しだけお話をしました。
 なにやらドリュアス様が私のことをすごく気にいってくれたみたいで、もみくちゃにされるくらいに抱き着かれました。
 私も精霊と契約できるんでしょうか、と尋ねると――。

「貴方ならきっと素晴らしい精霊と契約できるわよ」

 と、ドリュアス様は仰ってくれました。
 できるといいな。

 それはそうと、現状において、準高位精霊と契約を結んでいる存在はお兄ちゃん一人だけだそうです。
 精霊を崇める精霊の民としてはそんな重要人物を放っておくことはできません。
 そこで、お兄ちゃんを正式に精霊の民の盟友にすることが決まりました。
 お兄ちゃんが準高位精霊と契約を結んでいる事実は、里の人達に通達され、精霊祭という重要行事で大々的に発表されることになりました。

 精霊祭は、私が想像していたような騒がしいお祭りではなくて、とても幻想的で厳かな祭典でした。
 最長老の中でも年長のシルドラ様が祝詞を唱えると、サラお姉ちゃん、オーフィアお姉ちゃん、アルマお姉ちゃんの三人が、儀式用の装束を身に纏って舞を踊りました。

「綺麗……」

 と、思わずそんな言葉が漏れてしまうくらいに、お姉ちゃん達は綺麗でした。
 お兄ちゃんもその様子を興味深そうに真面目に見つめています。

 祭典が進んで行くと、祝福の儀が行われることになりました。
 祝福の儀というのは、準高位精霊であるドリュアス様から、精霊の祝福を受けるという儀式です。
 ドリュアス様の祝福を受けることで、精霊に愛され、健康に長生きすることができると、言われています。
 その儀式の中で、ベラちゃんやアルスラン君と一緒に、私もドリュアス様の祝福を受けることになりました。
 精霊の民の子供が一人一人名前を呼ばれると、その場に集まったみんなの前で最長老様達から簡単な紹介をしてもらい、ドリュアス様から祝福のキスを賜ります。
 キスされた子供たちの身体が淡く光っていますが、これが祝福を受けた証しなんだそうです。
 聞いた話によるとオドの総量が増える上に、精霊術も上手に使えるようになるみたいです。
 まだ精霊術を使えるようになって間もない私にはすごくありがたいことです。

 私は緊張した様子で儀式の様子を眺めていきます。
 今、祝福を受けているのは私の友達ばかりです。
 ベラちゃんが名前を呼ばれると、台の上で転んでしまい、場内の笑いを買っていました。
 アルスラン君や他の男の子達はドリュアス様にキスされて顔を真っ赤にしていました。
 後日、私がそのことをからかうと、必死に違うんだと主張していましたが、どう見てもドリュアス様に見惚れていたのはバレバレでした。
 そして、遂に私の番です。
 新しく精霊の民になったばかりの私は、最後に名前を呼ばれて、紹介されました。
 私も相当緊張していたので、転んでしまったベラちゃんのことは笑えません。
 ぎこちない足取りで壇上に上がると、そこにはドリュアス様がいました。

(うわぁ、やっぱりすごく綺麗だな……)

 そう、ドリュアス様はまるで女神様のように綺麗な方です。
 これだけ綺麗ならアルスラン君が顔を真っ赤にしたのもわかる気がします。
 そんなドリュアス様の綺麗な顔が、私のすぐ目の前に写ったかと思うと、額にそっとキスをされました。
 すると、私の身体が薄く光り、ぽかぽかと温かくなった気がしました。

「おめでとう、ラティーファ。これであなたにも精霊の加護が宿ったわ」

 と、優しい笑みを浮かべて仰るドリュアス様に――。

「あ、ありがとうございます」

 と、私は緊張した声でお礼を言うのでした。
 深く頭を下げて壇上から降りると、シルドラ様がお兄ちゃんの紹介を始めます。
 私は、興奮していて、シルドラ様が何を仰っていたのかはよく覚えていないけど、お兄ちゃんのことを褒め称えていたのはわかります。
 みんながお兄ちゃんに注目して、私もまるで自分のことのように鼻が高いです。
 お兄ちゃんの中に眠る準高位精霊様に感謝しなければなりません。
 この方がいなければお兄ちゃんが精霊の民の盟友になることは難しかったと、アースラさんが言っていました。
 ドリュアス様がお兄ちゃんの額にキスをしたのを見てほんの少しムッとしたけど、お兄ちゃんにとっても私にとっても必要なことなので我慢します。
 最後に盛大な拍手が鳴り響き、お兄ちゃんが精霊の民の盟友になったことを、精霊の民みんなで歓迎します。

「さぁ、これにて式は終了だ! 宴だぜ! 戻って準備だ!」

 と、エルダードワーフのドミニク様が大きな声で叫びました。
 すると一気に場の雰囲気が騒がしくなったではありませんか。
 お兄ちゃんの方に視線を移すと、何やらシルドラ様と会話をしているようでした。

「ラティーファ」

 二人の様子を遠目に眺めていると、儀式装束を着たお姉ちゃん達に声をかけられました。

「あ、お姉ちゃん達! すっごく綺麗だったよ! 近くで見ても本当に綺麗!」

 私はすぐにお姉ちゃん達を褒め称えます。
 本当に綺麗なんだもん。

「ありがとうね。それでラティーファに相談があるんだけど……」

 興奮して感想を伝える私に、何やらお姉ちゃん達が思案顔で言いました。
 私からお姉ちゃん達に相談することはあっても、お姉ちゃん達が私に相談することはありません。

「任せてよ!」

 だから、嬉しくて、私は二つ返事で相談を引き受けるのでした。

「実はね――」

 お姉ちゃん達のお話を聞いて、私は是が非でもその相談の内容を叶えたいと思いました。
 どうやらお姉ちゃん達はお兄ちゃんともっと仲良くなりたいみたいです。
 というのも、お姉ちゃん達は何やらお兄ちゃんから避けられている節があるんだそうです。
 その話は私にもわかる気がします。

 お兄ちゃんは口数が多い方じゃないし、あまり積極的に他人と関わろうとする人でもありません。
 その理由はわからないです。
 性格なんて人それぞれだから、理由なんてないのかもしれません。
 ただ、お兄ちゃんは人との距離に敏感な人間だなとは思います。

 でも、私は知っています。
 お兄ちゃんが色々と考えていて、常に他の人に気を使っていることを。
 そして、私は知っています。
 お兄ちゃんは、こちら側から深く歩みこめば、きちんと受け止めてくれる人だってことを。
 だって、最初はお兄ちゃんを殺そうとした、こんな私だって、勇気を出してお願いすれば、お兄ちゃんは受け入れてくれたんです。

 だから、私はお姉ちゃん達にお兄ちゃんの攻略法を伝授することにしました。
 その攻略法を実行する場面がこれから開かれる宴です。
 事前に近くにいたドミニク様とアースラさんも味方に引き入れました。
 横で聞いていたドリュアス様も、面白そうだと言って、計画を見守ってくれるみたいです。

「ほ、本当にそれで大丈夫なんですか?」
「すごく抵抗を覚えるのですが……」

 私が教えた攻略法を聞くと、サラお姉ちゃんとアルマお姉ちゃんがそんなことを言いました。
 どうも二人は素の状態だと私の攻略法を実行するのを躊躇ためらってしまうみたいです。
 オーフィアお姉ちゃんはというと――。

「うーん、じゃあ、酔っぱらってリオ様のところに行けばいいんじゃないかな?」

 と、眩しい笑みを浮かべて言いました。
 うん、この中だとオーフィアお姉ちゃんがお兄ちゃんと仲良くなる素質が一番あるかもしれません。

「うっ、たしかに……それしか……」

 サラお姉ちゃんが躊躇いの声を出しますが、最終的にお酒の力を借り入れることにしたようです。

「がはは、じゃあ、まずは俺が一献交わしてくるぜ」

 と、ドミニク様は何本ものお酒を持ってお兄ちゃんの所へ向かいました。
 お兄ちゃんは酒豪なようで、ドミニクさんとお酒について興味深そうに語っています。
 その一方で、お姉ちゃん達が、この里で、一番強く、一番美味しい、霊酒というお酒を飲んで、気分を高揚させていきます。
 緊張のせいかお酒の進みは早いです。
 私も霊酒を飲んでみたけど、今まで飲んだどんなジュースよりも美味しくて、すごく楽しい気分になってきました。

「いよいよ面白くなってきたわ。私も現地に向かうから早く来なさいね」

 と、声を弾ませて言うと、ドリュアス様はお兄ちゃん達のところに行きました。

「えへへ、これでリオひゃまとなかよひになれるね!」

 どうやらそこまでお酒に強くないようで、最初に出来あがったのはオーフィアお姉ちゃんです。

「よし! じゃあ切り込み隊長はオーフィアお姉ちゃんだね! 行ってみよう!」

 私はオーフィアお姉ちゃんの背中を押して、お兄ちゃんのところへ行かせました。
 オーフィアお姉ちゃんはなかなか大胆で、お兄ちゃんにしな垂れかかるようにくっつきました。
 でも、それは私の教えたことを忠実に実行しているがゆえです。
 そう、お兄ちゃんと仲良くなる秘訣はお兄ちゃんに甘えることだったのです。
 オーフィアお姉ちゃんと入れ替わるように、ドミニクさんとドリュアスさんがお兄ちゃんのところから離れます。

「どうやら上手くいっているみたいだね!」

 オーフィアお姉ちゃんにくっ付かれているお兄ちゃんを見て、私が言いました。

「う、上手くいっているんですか?」

 自信ありげな私の言葉に、何やらサラお姉ちゃんが困惑した声で返してきました。
 まったく、サラお姉ちゃんは照れ屋だなぁ。

「ここでサラお姉ちゃんが行かなかったら計画は失敗だよ! はい、行ってきて!」

 そう言うと、私はサラお姉ちゃんを立たせて、お兄ちゃんのところに送り込みました。
 流石のサラお姉ちゃんも腹をくくったのか、お兄ちゃんの隣に素早く座りこみます。
 顔が赤いのは霊酒の効果だけなのかな。

「後は私達だけだね! 行こう! アルマお姉ちゃん!」
「私はまだ酔っていないんですが……」

 呑兵衛なアルマお姉ちゃんを引き連れて、いよいよ私達も参戦します。
 お兄ちゃんの後ろに回り込むと、私はお兄ちゃんに抱き着きました。

「むぅ、オーフィアお姉ちゃんとサラお姉ちゃんずるい!」

 お兄ちゃんはいきなり抱きつかれて少しだけ硬直しましたが、抱き着いたのが私だと気づくと、すぐに力を抜いてくれました。
 それが嬉しくて、私はさらに強くお兄ちゃんに抱きつきます。
 少し遅れてアルマお姉ちゃんもやって来て、五人で飲むことになりました。
 少しずつ会話を温め、遂にお姉ちゃん達がお兄ちゃんと仲良くなりたいという意思を伝えました。
 お兄ちゃんは少し困惑していたようですが、お姉ちゃんたちの話を聞いて優しく笑うと、きちんと三人の気持ちを受け入れました。

「ふふ、これでようやくみんな仲良しだね!」

 と、お兄ちゃんに抱き着いたまま会話の様子を眺めていた、私が言いました。

「がはは。上手いことまとまったみたいだな。どれ、料理と酒を持ってきたぞ。これで親交を深めてくれ」

 すると、そこにドミニク様とアースラ様が大量のお酒と食べ物を持ってきてくれました。
 二人も加わって改めて飲み直します。

 すると、何やらドミニク様がみんなでお兄ちゃんに嫁げと言い始めました。
 サラお姉ちゃんとアルマお姉ちゃんは、脈があるようなないような、よくわからない反応をしています。
 逆に、オーフィアお姉ちゃんはどこまで本気なのかわからない発言をしました。
 私はというと、できることなら、お兄ちゃんと結婚したいです。
 ええ、こんな私でもいいと言ってくれるなら、是非ともお願いしたいです。
 仮に結婚できなくてもずっと一緒にいたいです。
 だから――。

「うん!」

 と、お酒の力も借りて、私は言ってしまいました。
 たぶんお兄ちゃんは冗談だとしか思っていないんだろうけど、本当なんだよ。

 その後、私はもう楽しくて仕方がなくて、お酒がこんなに美味しいものだと知らず、あっという間に酔いつぶれてしまいました。
 他の人達も酔いつぶれて、アースラさんとお兄ちゃんだけが最後まで残っていたらしいです。
 そんな私達を、別の場所で飲んでいたシルドラ様やドミニク様がやって来て、お兄ちゃんと一緒に運んでくれたんだとか。
 そして、翌日、少しだけ二日酔いになったけど、お兄ちゃんに精霊術で治してもらい、私は久々にお兄ちゃんと二人きりで日中からお散歩に行くことになった。
 昨日の余韻もあって、私はすごく幸せそうにお兄ちゃんと色々喋ります。

「この里に来てからもう一年以上が経ったが、どうだ。この里の生活は楽しいか?」

 ふと、聞き役に徹していたお兄ちゃんが、私にそんなことを聞いてきました。

「うん! お兄ちゃんの言った通り、この里は優しい人ばっかりですごく楽しいよ!」

 だって――。
 お兄ちゃんがいる。
 お姉ちゃん達がいる。
 友達がたくさんいる。
 優しい大人の人達もたくさんいる。
 たくさんの幸せと優しさにあふれているこの場所にいて、楽しくないわけがありません。

「そうか、ところでラティーファ、話があるんだけどいいか?」

 と、何やら改まった様子で、お兄ちゃんが言ってきました。

「えっと、何の話?」

 その時、私は何か嫌な予感がして、おそるおそる尋ねるのでした。

「俺はそう遠くないうちにこの里を出て行こうと思っている」

 その予感は当たってしまって――。

「っ……」

 びくり、と私は身体を震わせました。
 それはどこか心の中でずっと予想していた言葉で、それを避けようと色々と頑張ってきて、ようやくお兄ちゃんが精霊の民の盟友になれて、この里にお兄ちゃんの居場所ができて――。
 なのに、お兄ちゃんが、里を出ると言ってきました。
 嘘、どうして。
 もうその必要はないんじゃないの?
 私は頭の中が真っ白になりました。
 大好きなお兄ちゃんが何かを言っているけど、その言葉は耳に入ってきません。
 嫌。

「……や」

 嫌。
 やだ。

「……やだ! 絶対に嫌!」

 気がつけば大声を出して、そう言ってしまいました。

「ラティーファ……」

 困った顔をするお兄ちゃんを逃がさないように、私は必死に抱き着きます。
 嫌だ。
 やだよ。
 私、捨てられちゃうの?
 いらない子なの?

「どうしてい行っちゃうの!? 人間族の場所に戻るの? せっかくお姉ちゃん達とも仲良くなったんだよ? ずっとこの里にいればいいじゃない!」

 頭の中に湧き出てきた言葉を、私は矢継ぎ早に紡ぎました。

「そうしたいのは山々なんだけどな。俺は外で色々とやらなきゃいけないことがある」

 やらなきゃいけないこと?
 何?
 私は知らない。
 知らないよ。
 頭の中でそれがどんな用事なのかを必死に考えます。
 けど、それが何なのか、私にはまったくわかりません。
 どうして?

「どうして……、私を置いて行っちゃうようなことなの……?」

 それを口にした瞬間、本当に今更ながら、私はあることに気がつきました。
 私は、お兄ちゃんのことを何も知らないんだと。
 そう、この時、初めて、私は自分の気持ちを伝えるばかりで、お兄ちゃんの気持ちを聞くことをまったくしてこなかったことに、気がつきました。
 だから、私がお兄ちゃんの用事のことを知らないのも当たり前でした……。

「そういえばラティーファには俺が東に向かう理由を教えていなかったな」

 私が自己嫌悪に陥っている中で、お兄ちゃんはその事情を私に教えてくれました。
 どうやらお兄ちゃんには両親がいたけど、すでに亡くなっていて、その両親のお墓を故郷の地に作ってあげたいみたいです。
 聞けばすぐに教えてくれそうなことを、どうして私は今まで聞かなかったんだろう。
 答えは簡単です。
 お兄ちゃんが消えるのが怖くて、私はその話題から逃げていたんです。
 はは……。
 今も目の前にいるのに、お兄ちゃんが急にどこか遠くに行ってしまったように、私は感じていました。

「それに……なに?」

 お兄ちゃんが何かを言いかけて、言いよどんだので、私はおそるおそる聞きました。

「いや、なんでもない」

 と、お兄ちゃんは薄く笑って言いました。
 本当になんでもないんでしょうか。
 聞きたい。
 けど、今更、私がそんなことを聞き出していいんでしょうか。
 今までこの話題から逃げていた私が、いざお兄ちゃんがいなくなることを知った瞬間に、それを知りたがるなんて。
 それは……少し、都合が良すぎやしないでしょうか。

 今までの私ならここで即座にお兄ちゃんに事情を聞き出していたんでしょう。
 でも、ふとしたことで、今までの自分を振り返ることができたおかげで、現在、私の中で急激に罪悪感が湧き上がっていました。
 盲目的にお兄ちゃんに依存して、本当のお兄ちゃんと向き合わないで、お兄ちゃんの優しさに甘えてしまう。
 ああ、それはとても甘美な誘惑です。
 今まで私が浸かってきたぬるま湯なんだから、当たり前です
 でも、いい加減、私はお兄ちゃんときちんと正面から向き合わないといけないんじゃないでしょうか。
 じゃないと、自分の都合の良いように優しいお兄ちゃんを利用している気がして、お兄ちゃんから話を聞くなんて図々しい真似はできない。
 私はお兄ちゃんのことが大好きだから、それは嫌だ。
 そう、思ってしまったんです。

「…………私、お兄ちゃんのことを何も知らなかったんだね」

 私にはお兄ちゃんに言っていない秘密があります。
 それを言わないと、私はお兄ちゃんと向き合ったことにはならないのでしょう。
 でも、私は臆病者です。
 人の害意に触れるのが怖くて、人の目ばかりを窺ってしまいます。
 そんな私にとって、優しいお兄ちゃんは拠り所なんです。
 そのお兄ちゃんにですら、伝えるのをはばかっていた事実。
 一歩を踏み出すのが怖い。
 けど、それを、今、言おう。
 その勇気をくれたのは、今私の目の前にいる人です。

「あのね、私からもお兄ちゃんに伝えたいことがあります。いきなり……何を言っているのかって思うかもしれないし、お兄ちゃんは信じてくれるかわからないけど……」

 だから、言おう。
 本当の私のことを。

「あのね、お兄ちゃんは前世って信じられる?」

 どんな答えが返ってきても、私はそれを受け入れてみせる。
 そう、思って、私はお兄ちゃんに自分が生まれ変わる前のことを話すことを決めました。

「私はね、一度は死んでいて。もともとは人間で。それで生まれ変わって今の私になって……。えっと、なんて言ったら信じてもらえるのかわからないんだけど……」

 けど、思い当たりばったりでそんなことを言い出したせいか、私はそんな荒唐無稽な話をどうやって説明したらいいのかわからなくなってしまいました。
 混乱する頭の中で必死に言葉を発しようとすると――。

「……知っているよ」

 なぜか、まったく予想外の言葉がお兄ちゃんから発せられました。

「……え?」

 その言葉を理解するのに、私は時間を要しました。

「ラティーファはもともと日本で暮らしていたんだろ?」

 だというのに、お兄ちゃんは平然と話を進めていきます。

「ど、どうして……」

 気が動転している中で、かろうじて、その疑問を口にしました。

「それは俺も日本人だったからだよ」

 その言葉は、驚愕とともに、とても懐かしい響きを、私の耳に届けました。

「日本……語……、日本……人……、お兄ちゃんは日本人?」

 お兄ちゃんが日本人。
 そういうこと……だよね。

「そうだ。元、だけどな」

 つまり、私と同じで生まれ変わったということ。
 お兄ちゃんは私と同じで元日本人……。

「知っていて、知っていて、黙っていた……の?」

 思考停止寸前の頭の中に浮かんだ疑問を、呆然と、私は尋ねました。
 そんな私の質問に、お兄ちゃんは私が生まれ変わったと気づいた理由をゆっくりと語ってくれます。
 でも、教えてくれてもよかったんじゃないでしょうか。
 どうして教えてくれなかったのでしょうか。

「ど、どうして! どうして言ってくれなかったの!?」

 思わず、私は怒りそうになってしまいました。
 いえ、怒ってしまいました。
 お兄ちゃんに対して、初めて、私は怒りという感情を抱いたのです。

「どうして、か。どうして生まれ変わったのか。どうして記憶を取り戻したのか。俺も考えたことはある。考える時間ならたくさんあったからな。けどな、前世の記憶があるからってそれがどうしたっていうんだ? 俺達はもうこの世界の住人になってしまったんだ。仮に戻れたとしても、もう俺達の居場所は元の世界にはない」

 けど、そんな私に、どこか突き放すように、いつもの落ち着いた口調で、お兄ちゃんはその理由を説明してくれます。
 お兄ちゃんの「もう俺達の居場所は元の世界にはない」という、その言葉が私の心にひどく響きました。
 仮に今の私が地球に戻れたとしても、お父さんにとっても、お母さんにとっても、お兄さんにとっても、友達みんなにとっても、私は見知らぬ他人なんです。
 今の私はラティーファであって遠藤涼音でもあるけど、遠藤涼音という存在ではありません。
 地球にいる遠藤涼音という人物は既に死んでいる人間なのです。
 そんなことは……最初から私にもわかっていました。
 けど、おそらくお兄ちゃんと出会った当時に、お兄ちゃんが元日本人だと教えられていたら、人格崩壊寸前だった私は、二度と引き返せないくらいに、お兄ちゃんに依存していた自信があります。
 私が地球に対して抱いていた未練のすべてをお兄ちゃんに凝縮してぶつけて、私は壊れたまま朽ちていったことでしょう。

 でも、お兄ちゃんのことも元日本人の生まれ変わった人間だと気づくことのできるヒントを、お兄ちゃんは私にたくさん用意してくれていました。
 お兄ちゃんは私が立ち直るのを、私から前世について語るのを、待っていたんです。
 それに気づかなかったのは、私がお兄ちゃんに依存しすぎて、視野が狭くなっていたからです。
 結局、今の今まで視野は狭いままだったけど、私の心は壊れかけていたあの頃のものじゃない。
 たしかにお兄ちゃんが同郷であることにショックを受けたが、少なくともそれを理由に今後もお兄ちゃんに依存しようとは思わない。
 もう、今の私にとって、お兄ちゃんは、お兄ちゃんだから。

 後は私がこのままお兄ちゃんに依存し続けるかどうかを選ぶだけだ。
 もし依存し続ける道を選べば、ここでお兄ちゃんと別れた後、私の心は再び壊れてしまうだろう。
 そんな未来が私の頭の中に浮かびました。

 は、はは……。
 すごいな、お兄ちゃんは。
 お兄ちゃんに対して怒りを抱いた自分が馬鹿みたいです。
 たしかにそれでも言ってほしかったという気持ちもあります。
 それに、仮に壊れたままお兄ちゃんに依存し続ける未来を選んでも、お兄ちゃんならそんな私でも受け入れてくれると思います。
 でも、壊れた私の心が治るのをずっと待っていてくれていたんだと思うと、私が抱いた怒りなんてとうに消え去っていました。

 けど、ずるいな。
 今、お兄ちゃんは、自分のことを、自分勝手だとか、独善的だとか、偽善者だとか、そんな風に言って、わざと私がお兄ちゃんのことを嫌いになるように仕向けています。
 もし優しい言葉を言われたら私がお兄ちゃんに依存し続けて堕落してしまうから、私を突き放そうとしているんです。
 お兄ちゃんは私に自立してほしいと思っているんです。
 そんなお兄ちゃんの気持ちに気づけたら、もう私は自立せざるを得ないじゃないですか。
 寂しくても、お兄ちゃんから離れても大丈夫だって姿を、見せたくなってしまうじゃないですか。

 言わないで。
 私が貴方のことを嫌いになるようなことをわざと言わないでください
 そんなこと、言わなくてもいいんです。
 本当のお兄ちゃんの優しさに気づけて、私はもう自立できるから、少し危なかったけど、私はそれに気づくことができたから。
 私はそのことに最初から気づけたじゃないか。
 ただ、私が臆病だからそう思わなかっただけだ。

 私はお兄ちゃんのことを、優しい、優しい、って漠然と思っていたけど――。
 お兄ちゃんは本当に優しい人だって。
 上辺だけじゃなく、私のことを気遣う様に、そっと私の心に触れてくれる人だって。
 私が勇気を出せばいつでも気づけたんです。

 なのに、人間の心の汚さに怯えて疑心暗鬼になって。
 首輪のせいとはいえ散々この手で人を殺してきて。
 お兄ちゃんすら殺そうとして。
 我が身可愛さに自分のことしか考えていないのに。
 そんな薄汚れた私に――。
 手を差し伸べてくれたのは、この人だ。

 今、私は、依存ではなく、自らの生涯を、この人のために捧げようと思いました。
 だから、この気持ちを伝えよう。
 私が何を思って、何を考えて、貴方が私に何を与えてくれたのか、を。
 そして、伝えよう。

「やっぱり貴方のことをお兄ちゃんって呼んでも、いいですか?」

 私を貴方の妹でいさせてください、と。

「……ああ、俺が精霊の民の里を離れてもラティーファは俺の妹だ」

 そんなお兄ちゃんの返答は私の思った通りで――。
 本当に――。
 ありがとうございます。

「お兄ちゃん!」
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